普通に心配させてくれ
ヴァン一人称・両想い前提の恋人未満。
アーロンは人気役者だから顔に傷が残るのは良くないと、戦闘後にヴァン・アニエスが意気投合している話。
【文字数:4300】
烈火の如くと言いたくなるような好戦的なスタイルは、いかにも彼らしい。
守りに徹するくらいなら、死線の隙間に潜り込んででも一撃を食らわせてやろうだとか。
そういうのは嫌いじゃないが、時々ふとした拍子に不安が込み上げてくる。
最後に残った魔獣を叩きのめした後、俺はすぐにアーロンの元へ向かった。
「ったく、無茶しやがって」
早足で近づくと、先に駆けつけていたアニエスがアーツを発動させようとしている所だった。
「あそこで回避からのカウンターはねぇだろうが。素直に防いでおけよ」
俺はアーロンの姿を見てあからさまに顔を歪めた。
紙一重で躱した時にやられたのか、頬に走るひとすじの裂傷が痛々しい。
彼が相手にしていた魔獣は、研ぎ澄まされた刃のように鋭利な爪を持っていた。
あれで裂かれたのなら切り口は深いだろう。赤く滲んだ傷からは幾筋もの血が流れ落ち、首筋を伝って肩口を染め上げている。
「あぁ?うるせぇな。一発で沈めてやったんだから文句ねぇだろが」
もちろん痛みはあるはずだが、それよりも自分の戦闘スタイルに口を挟まれるのが嫌だったに違いない。
食ってかかる勢いで俺の方に一歩踏み出そうとする。
「アーロンさん、動かないで下さい」
だが、ピシャリと静止の声がかかった。それと同時に回復アーツが発動する。
水面を連想させる涼やかな光がアーロンの全身を包み込み、みるみるうちに頬の傷が消えいく。
「大したことねぇってのに……でも、まぁ、ありがとな」
「ふふっ、どういたしまして」
アーツで傷自体は癒せても、さすがに血糊まで綺麗さっぱりにとはいかない。
彼は頬から首筋に付いた汚れを大雑把に拭い、アニエスに礼を言った。
その一連の動作を俺は凝視していたらしい。
「ヴァンさん?どうしたんですか?」
「おい、ボーっと突っ立ってんじゃねぇ。さっさと行くぞ」
この場所での戦闘が終わり、二人は先に進もうとしていた。
立ち止まったままの俺に対して訝しげな声を投げかけてくる。
「お、おうっ、悪ぃ」
弾かれたように背筋が伸びた。助手たちはすでに動き始めていて、その背中を慌てて追いかける。
仕事柄、戦闘中にはあの程度の負傷なんて珍しくもない。ただのかすり傷だと言ってしまえばそれまでだ。
それなのに今は頭の切り替えが出来ず、やたらとあいつのことを気遣いたくなる。
「……顔なんだよなぁ。跡とか残ってたりしてねぇよな?」
ちらりと後ろ姿を窺いながら、俺は独り言のように呟いた。
心配しすぎなのは分かっているが、アーロンは華劇場の人気役者だ。
特に女性のファンが多いことを考えれば、顔に傷が残るのはどうなんだ?と、つい考えてしまっていた。
移動を再開してからも胸中はすっきりとせず、俺は意を決して声をかけた。
「おい、さっきの傷……残ってねぇよな?」
「はぁ?なに寝ぼけたこと言ってやがる」
目の前でアニエスが治療してくれたのを見ていただろうが、とでも言わんばかりの呆れ顔を向けられる。
「そもそも、助手の技量を疑うなんざ所長失格だな」
「そ、そういうつもりじゃなくてな……」
険のある声と眼光で厳しい指摘をされ、俺は口籠もってしまった。
「お二人とも、どうしたんですか?」
すると、不穏な空気を感じ取ったアニエスが慌てて近寄ってくる。
「悪い!お前のアーツの腕を疑ったわけじゃねぇんだ。傷が顔だったから、つい」
「えっ?えっと……?」
助手3号の言うことは尤もで即座に頭を下げる。
彼女は俺たちを交互に見ながら困惑を浮かべた。
「訳分かんねぇこと言いやがって。顔だから何だって言うんだよ?」
そんな同僚の気持ちを代弁しているのか、アーロンが今度は少し和らいだ声で問いかけてくる。
「いや、ほら、お前は人気役者だから」
「あっ、それは確かに」
端的に返すと、アニエスがポンと手を叩いて納得の表情をする。
「アーロンさんの顔に傷跡が残ったら、ファンの方たちが卒倒してしまいそうですよね」
「──だろ?」
味方を得て気が大きくなった俺は、遠慮なくアーロンの顔を見つめた。
つられるようにアニエスも同じ行動をする。
「あのなぁ……てめぇらはオレをなんだと思ってんだよ」
二人分の視線が集中して居心地の悪さを感じているのか、アーロンは無造作に腕を組んだ。
それから小さく息を吐き、首筋に片手を添えながら面倒くさそうにこっちを見返してくる。
「オレの顔が良すぎるのは事実だが、そこは大したことじゃねぇ」
自分の容姿について堂々と言い放ち、
「いっそのこと、傷でもある方が箔が付いて良いかもしれねぇなぁ」
華劇場の関係者たちが聞いたら引っくり返ってしまいそうな言葉が続いた。
もちろん、俺とアニエスは目を丸くして固まった。
その数秒の隙を突き、アーロンはさっさと一人で歩き出してしまう。
「あ、あれって冗談だよな?」
「……だと思いますけど」
あいつの性格を考えれば大方は戯れだろうと、二人で顔を見合わせた。
けれど、自信を持って絶対にとまでは言い切れなくて気がかりになる。
「元はと言えば、あのクソガキが危なっかしい戦い方をするせいで……あ~、でも、それはそれであいつらしいっつーか」
俺はガシガシと頭を掻きながら助手3号の後を追いかけた。
「そこが悩ましいところですよね。でも、戦いのサポートならお任せ下さい。アーロンさんの顔には傷ひとつ残しませんから」
傍らからは優しさと頼もしさが込められた共感の声が寄せられる。
「舞台に立つ時は、いつだって綺麗な姿でいて欲しいですよね、ヴァンさん?」
しかし、それが嬉しいと思った矢先に意味深げな笑顔を向けられた。
「そ、そうだな」
もう少しでアーロンに追い付きそうだった俺の足は、何もないところで躓きそうになってしまった。
仕事を終えて事務所に戻ったのは日が傾き始めた頃だった。
うっすらと茜色の光が室内を照らす中、俺はソファーに身を投げ出して寝転がっていた。
助手の二人に終業を伝えて解散したのはつい15分ほど前になる。
アニエスは真っ直ぐに学生寮へ帰ると言っていた。
アーロンの方は、夜の賑わいを求めて他の地区へ繰り出すのだろう。いつものことだ。
「……言わなきゃ良かったか?」
天井を見つめながら昼間の出来事を思い出してみた。
端から見れば過保護と表されてしまいそうだが、ついあいつを心にかけてしまう。
「どう見てもウゼぇって感じだったよなぁ」
あの時、すぐさま話を切り上げて背を向けたことを考えれば自ずと解る。
幸いなのか、アニエスが同調していたのでキツい態度は取れなかったのだろう。
俺1人だったらもっと辛辣だったかもしれない。
「心配しただけだっつーのに」
天井から外した視線を何気なくテーブルへ移すと、置きっぱなしの雑誌が入り込んできた。
それを広げて顔の上に乗せてから目を閉じる。
一眠りしたいわけではなかったが、馴染みきっている体勢のお陰で徐々に気持ちが凪いできた。
「まぁ、済んだこと……か。ぐだぐだ言っても仕方ねぇ」
こんなものは日常の些細なひとコマでしかない。そう思えば気持ちも軽くなる。
アーロンにとっても大したやり取りではなかったはずだ。
明日になれば、「そんなウゼぇことも言ってたっけな」と笑い飛ばしているだろう。
そんな姿が想像できて自然と頬が緩んでしまう。
だが、その直後。
──ガチャッ
勢いよく事務所のドアが開いた。
「おっ、居やがったか」
ほぼ同時に聞こえてきた声は、明らかにあいつのものだった。
俺は驚きのあまり咄嗟に身体を動かせなかった。
自分の世界に入っていたせいで、外の気配には無防備になっていたらしい。
なんとか片手を動かして雑誌を横にずらすと、アーロンがこっちに歩いてくるのが見えた。
「お前、出掛けたんじゃ……」
「用が終わったらすぐに行くぜ」
「用?俺にか?」
オウム返しをしたところで、ソファーの前まできた足音が止まった。
「まぁな。昼間の件で言い忘れてたことがあってよ」
アーロンは強引に俺の顔から雑誌を引き剥がし、前屈みで覗き込んでくる。
予期せぬ至近距離での対面は、少しばかり心臓に悪かった。
「な、なんだよ?」
それを誤魔化すようにひと睨みすると、空になった手を掴まれて引っ張られる。
「てめぇがオレの戦い方に口を出してくるのは心底ウゼぇが……」
そのまま俺の掌を自らの頬に押し当て、アーロンはどことなく嬉しそうに表情を和らげた。
「そんなにこの顔が好きなら、少しは自重してやってもいいぜ?」
「──は?」
不機嫌そうな前置きとは正反対の言葉が続き、俺は口を半開きにさせて目を瞬かせた。
驚きやら動揺やら、諸々の感情で身動きが取れなくなっている。
けれど、こいつはそんな状態の相手を気遣うような質ではなく、むしろ畳み掛けてくる男だ。
「けどな……ガキどもは仕方ねぇとしても、オレに過保護なのは程々にしろよ」
アーロンは揶揄の笑みを浮かべながら、ゆっくりと俺の手を頬から剥がした。
「用件はそれだけだ。じゃぁな」
そして、挨拶の代わりと言わんばかりに掌へ軽いキスを落としてくる。
「お、おい!?」
これには流石の俺も飛び起きて立ち上がった。
反射的に腕で払おうとしたが、完全に反応を読まれていて空振りに終わる。
アーロンは素早く体を離して数歩分の距離を取っていた。
そのまま踵を返して真っ直ぐにドア先へ向かい、最後に軽く片手を上げて事務所を出て行ってしまう。
あまりにも去り際が鮮やかすぎて、文句の一つも言う時間がなかった。
俺は深い溜息を吐いてソファーに腰を落とした。
「はぁ……」
アーロンがこの件にあそこまで頓着するとは思わず、予想外すぎて頭を抱えたくなる。
「顔が好きとか、そういうことじゃなくて……」
あの時は本当に単純な思考回路だった。
舞台役者なら、ある意味容姿だって商売道具の一部だろうと。
だから、方向性が違うとは言え、女優であるジュディスが顔を負傷したら同様の心境になったはずだ。
「普通に心配させてくれよ、マジで」
ぼやきながら掌を見つめていたら、軽く触れるだけだった唇の感触がぶり返してきそうになった。
あいつは隙あらば思わせぶりな言動で俺を弄ってくる。そのくせ後腐れなく去って行くもんだから、勝手に1人で放置されている気分に陥ってしまう。
「こっちにだって、雇い主としての責任ってのがあるんだからな」
普段ガキ呼ばわりしている相手に振り回されるのは、年長の男としてやっぱり面白くない。
俺は大きな不満と少しばかりの寂しさを感じ、不貞腐れながら負け惜しみのような言葉を呟いた。
2025.09.21畳む
ヴァン一人称・両想い前提の恋人未満。
アーロンは人気役者だから顔に傷が残るのは良くないと、戦闘後にヴァン・アニエスが意気投合している話。
【文字数:4300】
烈火の如くと言いたくなるような好戦的なスタイルは、いかにも彼らしい。
守りに徹するくらいなら、死線の隙間に潜り込んででも一撃を食らわせてやろうだとか。
そういうのは嫌いじゃないが、時々ふとした拍子に不安が込み上げてくる。
最後に残った魔獣を叩きのめした後、俺はすぐにアーロンの元へ向かった。
「ったく、無茶しやがって」
早足で近づくと、先に駆けつけていたアニエスがアーツを発動させようとしている所だった。
「あそこで回避からのカウンターはねぇだろうが。素直に防いでおけよ」
俺はアーロンの姿を見てあからさまに顔を歪めた。
紙一重で躱した時にやられたのか、頬に走るひとすじの裂傷が痛々しい。
彼が相手にしていた魔獣は、研ぎ澄まされた刃のように鋭利な爪を持っていた。
あれで裂かれたのなら切り口は深いだろう。赤く滲んだ傷からは幾筋もの血が流れ落ち、首筋を伝って肩口を染め上げている。
「あぁ?うるせぇな。一発で沈めてやったんだから文句ねぇだろが」
もちろん痛みはあるはずだが、それよりも自分の戦闘スタイルに口を挟まれるのが嫌だったに違いない。
食ってかかる勢いで俺の方に一歩踏み出そうとする。
「アーロンさん、動かないで下さい」
だが、ピシャリと静止の声がかかった。それと同時に回復アーツが発動する。
水面を連想させる涼やかな光がアーロンの全身を包み込み、みるみるうちに頬の傷が消えいく。
「大したことねぇってのに……でも、まぁ、ありがとな」
「ふふっ、どういたしまして」
アーツで傷自体は癒せても、さすがに血糊まで綺麗さっぱりにとはいかない。
彼は頬から首筋に付いた汚れを大雑把に拭い、アニエスに礼を言った。
その一連の動作を俺は凝視していたらしい。
「ヴァンさん?どうしたんですか?」
「おい、ボーっと突っ立ってんじゃねぇ。さっさと行くぞ」
この場所での戦闘が終わり、二人は先に進もうとしていた。
立ち止まったままの俺に対して訝しげな声を投げかけてくる。
「お、おうっ、悪ぃ」
弾かれたように背筋が伸びた。助手たちはすでに動き始めていて、その背中を慌てて追いかける。
仕事柄、戦闘中にはあの程度の負傷なんて珍しくもない。ただのかすり傷だと言ってしまえばそれまでだ。
それなのに今は頭の切り替えが出来ず、やたらとあいつのことを気遣いたくなる。
「……顔なんだよなぁ。跡とか残ってたりしてねぇよな?」
ちらりと後ろ姿を窺いながら、俺は独り言のように呟いた。
心配しすぎなのは分かっているが、アーロンは華劇場の人気役者だ。
特に女性のファンが多いことを考えれば、顔に傷が残るのはどうなんだ?と、つい考えてしまっていた。
移動を再開してからも胸中はすっきりとせず、俺は意を決して声をかけた。
「おい、さっきの傷……残ってねぇよな?」
「はぁ?なに寝ぼけたこと言ってやがる」
目の前でアニエスが治療してくれたのを見ていただろうが、とでも言わんばかりの呆れ顔を向けられる。
「そもそも、助手の技量を疑うなんざ所長失格だな」
「そ、そういうつもりじゃなくてな……」
険のある声と眼光で厳しい指摘をされ、俺は口籠もってしまった。
「お二人とも、どうしたんですか?」
すると、不穏な空気を感じ取ったアニエスが慌てて近寄ってくる。
「悪い!お前のアーツの腕を疑ったわけじゃねぇんだ。傷が顔だったから、つい」
「えっ?えっと……?」
助手3号の言うことは尤もで即座に頭を下げる。
彼女は俺たちを交互に見ながら困惑を浮かべた。
「訳分かんねぇこと言いやがって。顔だから何だって言うんだよ?」
そんな同僚の気持ちを代弁しているのか、アーロンが今度は少し和らいだ声で問いかけてくる。
「いや、ほら、お前は人気役者だから」
「あっ、それは確かに」
端的に返すと、アニエスがポンと手を叩いて納得の表情をする。
「アーロンさんの顔に傷跡が残ったら、ファンの方たちが卒倒してしまいそうですよね」
「──だろ?」
味方を得て気が大きくなった俺は、遠慮なくアーロンの顔を見つめた。
つられるようにアニエスも同じ行動をする。
「あのなぁ……てめぇらはオレをなんだと思ってんだよ」
二人分の視線が集中して居心地の悪さを感じているのか、アーロンは無造作に腕を組んだ。
それから小さく息を吐き、首筋に片手を添えながら面倒くさそうにこっちを見返してくる。
「オレの顔が良すぎるのは事実だが、そこは大したことじゃねぇ」
自分の容姿について堂々と言い放ち、
「いっそのこと、傷でもある方が箔が付いて良いかもしれねぇなぁ」
華劇場の関係者たちが聞いたら引っくり返ってしまいそうな言葉が続いた。
もちろん、俺とアニエスは目を丸くして固まった。
その数秒の隙を突き、アーロンはさっさと一人で歩き出してしまう。
「あ、あれって冗談だよな?」
「……だと思いますけど」
あいつの性格を考えれば大方は戯れだろうと、二人で顔を見合わせた。
けれど、自信を持って絶対にとまでは言い切れなくて気がかりになる。
「元はと言えば、あのクソガキが危なっかしい戦い方をするせいで……あ~、でも、それはそれであいつらしいっつーか」
俺はガシガシと頭を掻きながら助手3号の後を追いかけた。
「そこが悩ましいところですよね。でも、戦いのサポートならお任せ下さい。アーロンさんの顔には傷ひとつ残しませんから」
傍らからは優しさと頼もしさが込められた共感の声が寄せられる。
「舞台に立つ時は、いつだって綺麗な姿でいて欲しいですよね、ヴァンさん?」
しかし、それが嬉しいと思った矢先に意味深げな笑顔を向けられた。
「そ、そうだな」
もう少しでアーロンに追い付きそうだった俺の足は、何もないところで躓きそうになってしまった。
仕事を終えて事務所に戻ったのは日が傾き始めた頃だった。
うっすらと茜色の光が室内を照らす中、俺はソファーに身を投げ出して寝転がっていた。
助手の二人に終業を伝えて解散したのはつい15分ほど前になる。
アニエスは真っ直ぐに学生寮へ帰ると言っていた。
アーロンの方は、夜の賑わいを求めて他の地区へ繰り出すのだろう。いつものことだ。
「……言わなきゃ良かったか?」
天井を見つめながら昼間の出来事を思い出してみた。
端から見れば過保護と表されてしまいそうだが、ついあいつを心にかけてしまう。
「どう見てもウゼぇって感じだったよなぁ」
あの時、すぐさま話を切り上げて背を向けたことを考えれば自ずと解る。
幸いなのか、アニエスが同調していたのでキツい態度は取れなかったのだろう。
俺1人だったらもっと辛辣だったかもしれない。
「心配しただけだっつーのに」
天井から外した視線を何気なくテーブルへ移すと、置きっぱなしの雑誌が入り込んできた。
それを広げて顔の上に乗せてから目を閉じる。
一眠りしたいわけではなかったが、馴染みきっている体勢のお陰で徐々に気持ちが凪いできた。
「まぁ、済んだこと……か。ぐだぐだ言っても仕方ねぇ」
こんなものは日常の些細なひとコマでしかない。そう思えば気持ちも軽くなる。
アーロンにとっても大したやり取りではなかったはずだ。
明日になれば、「そんなウゼぇことも言ってたっけな」と笑い飛ばしているだろう。
そんな姿が想像できて自然と頬が緩んでしまう。
だが、その直後。
──ガチャッ
勢いよく事務所のドアが開いた。
「おっ、居やがったか」
ほぼ同時に聞こえてきた声は、明らかにあいつのものだった。
俺は驚きのあまり咄嗟に身体を動かせなかった。
自分の世界に入っていたせいで、外の気配には無防備になっていたらしい。
なんとか片手を動かして雑誌を横にずらすと、アーロンがこっちに歩いてくるのが見えた。
「お前、出掛けたんじゃ……」
「用が終わったらすぐに行くぜ」
「用?俺にか?」
オウム返しをしたところで、ソファーの前まできた足音が止まった。
「まぁな。昼間の件で言い忘れてたことがあってよ」
アーロンは強引に俺の顔から雑誌を引き剥がし、前屈みで覗き込んでくる。
予期せぬ至近距離での対面は、少しばかり心臓に悪かった。
「な、なんだよ?」
それを誤魔化すようにひと睨みすると、空になった手を掴まれて引っ張られる。
「てめぇがオレの戦い方に口を出してくるのは心底ウゼぇが……」
そのまま俺の掌を自らの頬に押し当て、アーロンはどことなく嬉しそうに表情を和らげた。
「そんなにこの顔が好きなら、少しは自重してやってもいいぜ?」
「──は?」
不機嫌そうな前置きとは正反対の言葉が続き、俺は口を半開きにさせて目を瞬かせた。
驚きやら動揺やら、諸々の感情で身動きが取れなくなっている。
けれど、こいつはそんな状態の相手を気遣うような質ではなく、むしろ畳み掛けてくる男だ。
「けどな……ガキどもは仕方ねぇとしても、オレに過保護なのは程々にしろよ」
アーロンは揶揄の笑みを浮かべながら、ゆっくりと俺の手を頬から剥がした。
「用件はそれだけだ。じゃぁな」
そして、挨拶の代わりと言わんばかりに掌へ軽いキスを落としてくる。
「お、おい!?」
これには流石の俺も飛び起きて立ち上がった。
反射的に腕で払おうとしたが、完全に反応を読まれていて空振りに終わる。
アーロンは素早く体を離して数歩分の距離を取っていた。
そのまま踵を返して真っ直ぐにドア先へ向かい、最後に軽く片手を上げて事務所を出て行ってしまう。
あまりにも去り際が鮮やかすぎて、文句の一つも言う時間がなかった。
俺は深い溜息を吐いてソファーに腰を落とした。
「はぁ……」
アーロンがこの件にあそこまで頓着するとは思わず、予想外すぎて頭を抱えたくなる。
「顔が好きとか、そういうことじゃなくて……」
あの時は本当に単純な思考回路だった。
舞台役者なら、ある意味容姿だって商売道具の一部だろうと。
だから、方向性が違うとは言え、女優であるジュディスが顔を負傷したら同様の心境になったはずだ。
「普通に心配させてくれよ、マジで」
ぼやきながら掌を見つめていたら、軽く触れるだけだった唇の感触がぶり返してきそうになった。
あいつは隙あらば思わせぶりな言動で俺を弄ってくる。そのくせ後腐れなく去って行くもんだから、勝手に1人で放置されている気分に陥ってしまう。
「こっちにだって、雇い主としての責任ってのがあるんだからな」
普段ガキ呼ばわりしている相手に振り回されるのは、年長の男としてやっぱり面白くない。
俺は大きな不満と少しばかりの寂しさを感じ、不貞腐れながら負け惜しみのような言葉を呟いた。
2025.09.21畳む
君と冒険してみたい
イースⅨ
リクエスト(アドルと赤の王の話)の作品です。
アドルが二人で冒険する夢を見て嬉しそうにしている話です。
【文字数:3000】
瑞々しい草木が生い茂る森の中、ふと足を止めて空を仰ぎ見る。
枝葉の隙間から覗く爽やかな蒼天は快晴の様相をしていた。
「ここを抜ければ視界が開けそうだ」
アドルは地図を広げながら薄く滲んだ額の汗を拭った。
しかし、立ち止まったのは一時だけですぐに動き出す。
すでに数時間は歩いているが疲労の色は見えなかった。
まだ見ぬ景色を想像するだけで、自然と心が踊り身も軽くなる。
利便性を求めて描かれた紙上の世界を眺めるだけでは、彼の好奇心と探究心は満たされない。
まだ道のない大地に足跡を残していくことの、なんと楽しいことか。
「──あっ」
しばらくすると、予想通りに前方が淡く白んできた。
小走りで森を抜けきり、途端に眩しい陽光の出迎えを受けて目を細める。
「やっぱり!ここなら、この辺り一帯を見渡せそうだ」
森の出口を境にして風景がガラリと変わった。
ゴツゴツとした岩肌が露出し始め、植物は草木がその隙間から生えている程度だ。
足元は緩やかな傾斜を含んだ上り坂で、全体像で言えば小高い岩場のような場所だった。
アドルは嬉々としながら歩む。
道中、遠慮がちに顔を覗かせている小花たちを目にしては、自然と口元が綻んだ。
だが、そんな矢先。明るかった表情が一変した。
「これは……」
数歩先の地面に大きな亀裂が走っている。
慎重に近づいて裂け目の状態を確認した後、彼は落胆の息を吐いた。
深さはそれ程でもないのだが、なにぶん幅がある。
例え全力で助走したとしても、飛び越えることは不可能だろう。
周囲を見渡してみたが迂回できるルートはなく、完全に手詰まり状態だった。
「はぁー、あともう少し登れば辿り着けそうなんだけど」
二度目の吐息は、残念がりつつもどこか苦笑交じりだった。
未知の領域を探索していれば、こんなことは珍しくもない。
アドルの冒険家魂は人並み外れているが、だからといって無謀な命知らずではなかった。
もう一度辺りを見回してから考え込む。
「ここを越える方法は……なさそうか」
現状ではどう頑張っても妙案が思い浮かばない。
前進する手段がなければ諦めるほかはなく、彼は名残惜しそうに道の先を見つめて踵を返そうとした。
と、その時。
「手段ならあるじゃないか」
不意にどこか馴染みのある声が聞こえてきた。
勢いよく振り返ると、十歩ほどの距離を隔てた所に一人の青年が佇んでいた。
やや陰のある衣服と鮮やかな赤い髪。片手を腰に当てた立ち姿は、穏やかな表情で相手を覗っている。
「君は……」
アドルは目を丸くした。
ここにあるのは大自然の営みだけで、今の今まで人の気配は全く感じなかった。
あまりに唐突な登場の仕方に数秒ほど声を失ってしまう。
けれど、唖然とした理由はそれだけだった。
「あまり驚かないんだね」
青年が意外そうに小首を傾げると、
「いや、さすがに驚いたよ。誰もいないと思っていたし」
アドルは可笑しげに肩を揺すった。
「でも、君は僕だからね。赤の王」
不可解な状況のはずだが、『なぜ?』よりも『嬉しい』が先に立つ。
自らの姿と対峙した瞬間、アドルの頭の中では全てが繋がった。
この難所を超える手段は彼が持っている。
だから二人で共に行けばいい。
前進できると分かったことで、心には再び明るい灯が宿った。
この道を登り切った先に広がるであろう、初めての眺めを想像するだけで居ても立ってもいられない。
今にも走り出しそうに煌めいた瞳が、真っ直ぐに赤の王へ向けられた。
彼はまるで鏡映しのごとくに同じ感情を浮かべていて、それが何とも言えずに胸をくすぐる。
──さぁ、行こう!
アドルは出立の合図とばかりに、片方の腕を彼へと伸ばした。
まさしく以心伝心。タイミングを計る必要はなかった。
赤の王の脚が力強く地面を蹴る。
瞬く間に至近距離まで来た彼は、アドルの腕を掴んで身体ごと引き寄せた。そのまますぐに跳躍の体勢に入る。
「飛ぶぞ!」
「ああ!」
岩場の一体に凜とした声が響き合う。
刹那、黒い影が一閃。
正面にそびえる岩壁へ突き刺さった。
それが支点となり、瞬速で大きく口を開けた亀裂の上を飛び越える。
晴れ渡った空の下、鋭利な影はどこまでも楽しげな赤と漆黒を纏わせていた。
記憶はそこまでだった。
目を覚ましたアドルは、天井を見つめたまま残念そうに呻いた。
「なんだ……夢か」
せっかくの盛り上がりだったのに、もう終わりだなんて白状にも程がある。
身体的な寝覚めは悪くないのだが、気持ちの面では少しばかり消化不良気味だ。
彼はベッドから起き上がり、身仕度を整えながら今の夢を反芻してみた。
「どうせなら、一緒に上まで行きたかったな」
二人で見る岩場の頂からの風景は、きっと素晴らしいものに違いない。
それを堪能しながら会話をすれば、きっと際限なく弾んで広がっていくことだろう。
「本当に二人で冒険できたら、どんなに楽しいんだろう?」
アドルは胸元に手を当ててゆっくりと目を閉じた。
赤の王は確かに『ここ』にいる。
彼が歩んだバルドゥークでの冒険の軌跡は、五感や感情の全てを内包して共に存在している。
「……君もそう思うだろ?」
問いかけの形をした確信を言葉にすると、思わず笑みが溢れてくる。
そんな中、不意に寝室のドアを叩く音が聞こえてきた。
「おい、アドル!起きてるかー?」
長年の相棒であるドギの声だ。
「あぁっ、ごめん。すぐ行くよ」
内なる世界に没頭していたアドルは、ハッと我に返ってドアを開けた。
「ははっ、寝坊でもしたか?珍しいな」
大きな体躯を見上げると、戯けた表情が覗き込んでくる。
「まぁ、そんな所かな。ちょっとね、わくわくする夢を見たんだ」
アドルは明るい口調で応答をしながら寝室を出た。
ドギは厨房で使用する食材を運んでいる途中だったらしく、小脇には新鮮な野菜が入った大きな籠を抱えている。
立ち止まっていた彼が歩き出したので、アドルも横に並んで動き出す。心なしか足元が浮かれ調子になっていた。
そんな様子を見たドギは、さり気なく話題を振った。
「お前さんがそんな風に言う時はよ、おおかた冒険絡みだろ?」
きっと夢の中身を話したいのだろうと思ったのだ。
「さすがはドギ!そうなんだよ、赤の王と二人で難所を越たんだ!」
すると、アドルはまるで子供のように瞳を輝かせて食い付いてきた。
「ん?お前さんが二人ってことか。そりゃ、また……」
実際の所、バルドゥークに来てからはアドルが二人いた訳だが、彼らが連れ立って探索をすることなどなかったはずだ。
ドギはわずかに天を仰ぎながら、ぼそりと呟いた。
「そいつは、骨が折れそうだなぁ」
彼らと共に冒険をする自分を思い浮かべた途端、自然と苦笑いの顔になってしまう。
賑やかで楽しそうではあるが、色々と大変そうな気がする。上手く言葉にはできないが、それはもう色々と。
「今、何か言ったか?」
それは本当に小さな吐息のようで、肩を並べるくらいの距離でも聞き取れないものだった。
「いや、何でもねぇよ」
覗うような眼差しを受けたドギは、自分よりも低い位置にある赤い頭を大雑把にかき混ぜる。
軽く誤魔化してしまう形になったが、ご機嫌な相手に対してわざわざ水をかける必要はないだろう。
「楽しい夢が見られて良かったな」
ドギは白い歯を見せながら軽快に笑う。
「あぁ!でも、良いところで目が覚めてしまってさ。続きが見られたら嬉しいんだけどね」
すると、アドルは小気味良く応じた直後に少しだけ不満を露わにした。
もう一人の自分と一緒に冒険をしてみたい。
彼と融合してからは心の片隅にそんな思いが住み着いていた。
そんな現実では為し得ない願望があったからこそ、赤の王は夢となって現れ出たのかもしれない。
いつかあの冒険の続きを。
アドルはそう願わずにはいられなかった。
2025.08.31
#イース畳む
イースⅨ
リクエスト(アドルと赤の王の話)の作品です。
アドルが二人で冒険する夢を見て嬉しそうにしている話です。
【文字数:3000】
瑞々しい草木が生い茂る森の中、ふと足を止めて空を仰ぎ見る。
枝葉の隙間から覗く爽やかな蒼天は快晴の様相をしていた。
「ここを抜ければ視界が開けそうだ」
アドルは地図を広げながら薄く滲んだ額の汗を拭った。
しかし、立ち止まったのは一時だけですぐに動き出す。
すでに数時間は歩いているが疲労の色は見えなかった。
まだ見ぬ景色を想像するだけで、自然と心が踊り身も軽くなる。
利便性を求めて描かれた紙上の世界を眺めるだけでは、彼の好奇心と探究心は満たされない。
まだ道のない大地に足跡を残していくことの、なんと楽しいことか。
「──あっ」
しばらくすると、予想通りに前方が淡く白んできた。
小走りで森を抜けきり、途端に眩しい陽光の出迎えを受けて目を細める。
「やっぱり!ここなら、この辺り一帯を見渡せそうだ」
森の出口を境にして風景がガラリと変わった。
ゴツゴツとした岩肌が露出し始め、植物は草木がその隙間から生えている程度だ。
足元は緩やかな傾斜を含んだ上り坂で、全体像で言えば小高い岩場のような場所だった。
アドルは嬉々としながら歩む。
道中、遠慮がちに顔を覗かせている小花たちを目にしては、自然と口元が綻んだ。
だが、そんな矢先。明るかった表情が一変した。
「これは……」
数歩先の地面に大きな亀裂が走っている。
慎重に近づいて裂け目の状態を確認した後、彼は落胆の息を吐いた。
深さはそれ程でもないのだが、なにぶん幅がある。
例え全力で助走したとしても、飛び越えることは不可能だろう。
周囲を見渡してみたが迂回できるルートはなく、完全に手詰まり状態だった。
「はぁー、あともう少し登れば辿り着けそうなんだけど」
二度目の吐息は、残念がりつつもどこか苦笑交じりだった。
未知の領域を探索していれば、こんなことは珍しくもない。
アドルの冒険家魂は人並み外れているが、だからといって無謀な命知らずではなかった。
もう一度辺りを見回してから考え込む。
「ここを越える方法は……なさそうか」
現状ではどう頑張っても妙案が思い浮かばない。
前進する手段がなければ諦めるほかはなく、彼は名残惜しそうに道の先を見つめて踵を返そうとした。
と、その時。
「手段ならあるじゃないか」
不意にどこか馴染みのある声が聞こえてきた。
勢いよく振り返ると、十歩ほどの距離を隔てた所に一人の青年が佇んでいた。
やや陰のある衣服と鮮やかな赤い髪。片手を腰に当てた立ち姿は、穏やかな表情で相手を覗っている。
「君は……」
アドルは目を丸くした。
ここにあるのは大自然の営みだけで、今の今まで人の気配は全く感じなかった。
あまりに唐突な登場の仕方に数秒ほど声を失ってしまう。
けれど、唖然とした理由はそれだけだった。
「あまり驚かないんだね」
青年が意外そうに小首を傾げると、
「いや、さすがに驚いたよ。誰もいないと思っていたし」
アドルは可笑しげに肩を揺すった。
「でも、君は僕だからね。赤の王」
不可解な状況のはずだが、『なぜ?』よりも『嬉しい』が先に立つ。
自らの姿と対峙した瞬間、アドルの頭の中では全てが繋がった。
この難所を超える手段は彼が持っている。
だから二人で共に行けばいい。
前進できると分かったことで、心には再び明るい灯が宿った。
この道を登り切った先に広がるであろう、初めての眺めを想像するだけで居ても立ってもいられない。
今にも走り出しそうに煌めいた瞳が、真っ直ぐに赤の王へ向けられた。
彼はまるで鏡映しのごとくに同じ感情を浮かべていて、それが何とも言えずに胸をくすぐる。
──さぁ、行こう!
アドルは出立の合図とばかりに、片方の腕を彼へと伸ばした。
まさしく以心伝心。タイミングを計る必要はなかった。
赤の王の脚が力強く地面を蹴る。
瞬く間に至近距離まで来た彼は、アドルの腕を掴んで身体ごと引き寄せた。そのまますぐに跳躍の体勢に入る。
「飛ぶぞ!」
「ああ!」
岩場の一体に凜とした声が響き合う。
刹那、黒い影が一閃。
正面にそびえる岩壁へ突き刺さった。
それが支点となり、瞬速で大きく口を開けた亀裂の上を飛び越える。
晴れ渡った空の下、鋭利な影はどこまでも楽しげな赤と漆黒を纏わせていた。
記憶はそこまでだった。
目を覚ましたアドルは、天井を見つめたまま残念そうに呻いた。
「なんだ……夢か」
せっかくの盛り上がりだったのに、もう終わりだなんて白状にも程がある。
身体的な寝覚めは悪くないのだが、気持ちの面では少しばかり消化不良気味だ。
彼はベッドから起き上がり、身仕度を整えながら今の夢を反芻してみた。
「どうせなら、一緒に上まで行きたかったな」
二人で見る岩場の頂からの風景は、きっと素晴らしいものに違いない。
それを堪能しながら会話をすれば、きっと際限なく弾んで広がっていくことだろう。
「本当に二人で冒険できたら、どんなに楽しいんだろう?」
アドルは胸元に手を当ててゆっくりと目を閉じた。
赤の王は確かに『ここ』にいる。
彼が歩んだバルドゥークでの冒険の軌跡は、五感や感情の全てを内包して共に存在している。
「……君もそう思うだろ?」
問いかけの形をした確信を言葉にすると、思わず笑みが溢れてくる。
そんな中、不意に寝室のドアを叩く音が聞こえてきた。
「おい、アドル!起きてるかー?」
長年の相棒であるドギの声だ。
「あぁっ、ごめん。すぐ行くよ」
内なる世界に没頭していたアドルは、ハッと我に返ってドアを開けた。
「ははっ、寝坊でもしたか?珍しいな」
大きな体躯を見上げると、戯けた表情が覗き込んでくる。
「まぁ、そんな所かな。ちょっとね、わくわくする夢を見たんだ」
アドルは明るい口調で応答をしながら寝室を出た。
ドギは厨房で使用する食材を運んでいる途中だったらしく、小脇には新鮮な野菜が入った大きな籠を抱えている。
立ち止まっていた彼が歩き出したので、アドルも横に並んで動き出す。心なしか足元が浮かれ調子になっていた。
そんな様子を見たドギは、さり気なく話題を振った。
「お前さんがそんな風に言う時はよ、おおかた冒険絡みだろ?」
きっと夢の中身を話したいのだろうと思ったのだ。
「さすがはドギ!そうなんだよ、赤の王と二人で難所を越たんだ!」
すると、アドルはまるで子供のように瞳を輝かせて食い付いてきた。
「ん?お前さんが二人ってことか。そりゃ、また……」
実際の所、バルドゥークに来てからはアドルが二人いた訳だが、彼らが連れ立って探索をすることなどなかったはずだ。
ドギはわずかに天を仰ぎながら、ぼそりと呟いた。
「そいつは、骨が折れそうだなぁ」
彼らと共に冒険をする自分を思い浮かべた途端、自然と苦笑いの顔になってしまう。
賑やかで楽しそうではあるが、色々と大変そうな気がする。上手く言葉にはできないが、それはもう色々と。
「今、何か言ったか?」
それは本当に小さな吐息のようで、肩を並べるくらいの距離でも聞き取れないものだった。
「いや、何でもねぇよ」
覗うような眼差しを受けたドギは、自分よりも低い位置にある赤い頭を大雑把にかき混ぜる。
軽く誤魔化してしまう形になったが、ご機嫌な相手に対してわざわざ水をかける必要はないだろう。
「楽しい夢が見られて良かったな」
ドギは白い歯を見せながら軽快に笑う。
「あぁ!でも、良いところで目が覚めてしまってさ。続きが見られたら嬉しいんだけどね」
すると、アドルは小気味良く応じた直後に少しだけ不満を露わにした。
もう一人の自分と一緒に冒険をしてみたい。
彼と融合してからは心の片隅にそんな思いが住み着いていた。
そんな現実では為し得ない願望があったからこそ、赤の王は夢となって現れ出たのかもしれない。
いつかあの冒険の続きを。
アドルはそう願わずにはいられなかった。
2025.08.31
#イース畳む
📝『普通に心配させてくれ』
※ヴァン一人称。両想い前提の恋人未満