見たくなかったお前の背中
創・恋人設定
戦闘中につい庇ってしまうロイドと庇われるのには慣れてないランディが喧嘩をする話。
夢幻回廊を探索中でワジとリーシャが同行しています。
2022年リクエスト③
【文字数:6200】
「おい、おい……さすがに群れすぎだろ?」
入り組んだ通路を駆け抜け、少しばかり拓けた場所に出た途端、ランディがげんなりと口を開いた。
視線の先には小型の魔獣たちが所狭しと蠢いている。
「あははっ、パーティーの真っ最中ってところかな?」
両手に装備している武具の調子を確かめ、ワジが楽しげに笑い立てた。
「マジかよ。そのわりには綺麗どころがいねぇじゃねーか」
緊張感がない彼らのやり取りは、まるで潜むことを知らない。
案の定、魔獣たちは一斉に殺気立ち、けたたましい威嚇の音が鳴り響いた。
「何やってんだよ!二人とも」
奇襲どころか先制すらもし損ねて、一行を取り纏めているロイドが二人を睨み付ける。
「ロイドさん、来ます!」
その横で臨戦態勢を取っているリーシャが鋭い声を上げた。
「仕方ないな。正面から迎え撃つ!ワジはアーツでいけるな?」
魔獣の群れが迫る中、ロイドは同僚たちに指示を出す。
「OK、リーダー。広範囲で一網打尽にしてしまおうか」
言うが早いか、ワジは流れるような動作でアーツの駆動に入った。
淡い光が足元から発生し、彼の身を包み込む。
かなり高位のアーツを使うつもりのようだと、皆が肌感覚で捉えていた。
「リーシャ、周囲を頼む!」
「はい、お任せ下さい!」
精神統一をしている仲間の安全を考慮した後、ロイドはようやく相棒の方を見た。
「行くぞ、ランディ!」
「おうよ!パーティーに乱入と洒落込もうぜ!」
真剣な表情をしているリーダーとは対照的で、赤毛の男は嬉々として目を輝かせた。
先陣を切った足が走り、重量級のスタンハルバードが唸りをあげる。
大きく真横に薙ぎ払えば炎の軌跡が弧を描き、密集している魔獣たちを一気に吹き飛ばした。
「ロイド、あんまり突っ込むんじゃねーぞ」
「そっちこそ、懐に入られるなよ」
互いの戦闘スタイルを熟知しているからこその応酬。
数多の戦場を共にしてきた彼らの息はぴったりだった。
相手の動きが手に取るように分かる。それこそ目を閉じていても支障がないくらいに。
――だから、その瞬間はあまりにも自然すぎた。
地面に打痕を刻み、後方からの強襲を振り向きざまに対処しようとする。
その刹那、視界の端を栗色の頭がかすめた。
「危ない!ランディ!!」
鈍い音と共に名前を呼ばれ、赤毛の男は目をむいた。
数に物を言わせて急接近してくる魔獣たちの歯牙を、ロイドが正面から受け止める。
間髪を入れずに身体を旋回させ、一対のトンファーが風刃と化した。
巻き込んだ数体を地に沈めたのも一時、流れるような動作で次の相手に打撃を繰り出す。
「──は?今の」
ランディは無意識に相棒と連動しながらも、ちりちりと焼け付く何かが込み上げてくるのを感じた。
だが、そんなわだかまりが生じた直後、真上の空が黄金色に輝く。
「さぁ、宴もお開きといこうか」
ワジの高らかな声が響き渡り、神々しくも威圧的な剣たちが容赦なく地面へと降り注ぐ。
その爆発的なエネルギーの奔流は、群れを成していた魔獣たちを跡形もなく消し飛ばした。
有言実行とばかりに敵を一掃した仲間へ、ロイドとリーシャから労いの言葉がかけられる。
しかし、ランディは一人腑に落ちない顔で顎に手を当てていた。
「……さっきの、庇われたのか?」
声に出した途端、胸中が不快な色に染まっていく。
正面切って堂々と庇われたわけではなく、あくまで混戦状態だった一連の流れからの動きだ。
けれど、自分に向けられていた敵意をロイドが肩代わりしていたのは確かだった。
先刻の群れよりもはるかに強いプレッシャーが一行に向けられていた。
ひとたび巨体からの咆吼が轟けば、ビリビリとした強い振動が全身を襲う。
美しくも威風堂々たる姿の幻獣だ。
今度はワジのみならず、リーシャの方もアーツの駆動に入っていた。
二人が攻撃の標的にされるのを防ぐため、ロイドとランディが前線を張っている。
立て続けに、鋭い凶刃がロイドへと振り下ろされた。
「ぐっ……う!」
防御の構えを取った身体に、強烈な重みが容赦なく襲いかかる。
両足で踏ん張り、吹き飛ばされそうになるのをなんとか凌いだ。
「おい!てめぇの相手はこっちだ!!」
そこへ、赤い闘気を纏う一撃が敵の側面に打ち込まれた。
幻獣は不意打ちを食らって激昂したのか、即座に赤毛の男へと的を切り替える。
「俺の相棒に色目使ってんじゃねぇよ」
臆するどころかギラついた眼光をしたランディが、不敵に唇を歪めてみせた。
敵を引き付ける役目には自分の方が相応しい。
確かにロイドの防御力は優れているが、体力面で言えばランディの方に分がある。
そして、何よりも。
支援課の柱であり相棒であり──大切な恋人である彼を矢面に立たせることが嫌だった。
「なんなら、タイマンでもいいんだぜ?」
「ランディ!」
真っ向から交戦状態に入ったランディの姿を見て、ロイドが叫ぶ。
彼のポテンシャルを考えればそこまでの危機感はないのだが、戦場での油断は禁物だ。
リーダとしての冷静な頭が戦況を俯瞰する。
ちらりと後方を覗えば、丁度リーシャのアーツが放たれる所だった。
「行きます!」
凜としたかけ声に誘われて鈍色の暗雲が一面に広がった。
不気味な空の唸りと地を這う振動が歌い、長大な建造物が瞬く間にせり上がる。
上層部からの一斉砲火が、地面を引き裂くほどの威力で幻獣へと襲いかかった。
その余波が収まるよりも早く、ワジが時間差で全く同じアーツを発動させて畳み掛ける。
「これはどうだい?」
二人の攻撃は確実に相手の弱点を突き、巨躯の膝を付かせる程の大ダメージを与えた。
「流石だぜ、お二人さん!」
ランディは軽く口笛を吹きながら、一端後ろへ飛び退いた。
仲間の集中砲火で少しは溜飲が下がったのかもしれない。
だが、その直後。
痛みに我を忘れた幻獣が、絶叫を上げて彼に襲いかかってきた。
「やらせない!!」
切迫したロイドの声が地面を蹴り出す足と重なる。
金属のような鋭い爪と硬質なトンファーがぶつかり合い、大きな音が響いた。
「──っ!?」
いきなり面前で広がった相棒の後ろ姿に、ランディは息を詰まらせた。
既視感。
頭の中で今よりも小さかったロイドの背中がフラッシュバックする。
久しぶりに粉塵と血の匂いを嗅いだような気がした。
マインツの山道でベルゼルガーが真っ二つに砕けた衝撃と。
獰猛な従姉妹と自分の間に割って入ってきた無鉄砲で熱すぎる姿と。
情けないくらいに中途半端で、みっともない姿を曝け出してしまったあの時のことを。
軋むくらいに奥を噛みしめる憤りは、誰に対してなのか?
先刻の戦闘とは違い、明らかに庇われている。
もやもやとしていた胸中の淀みが、一気に沸点を超えた。
「くそがっ!」
激情した彼は片手でロイドの肩を掴み、乱暴に自分の前から押し退けた。
そのまま無言で弱っている巨躯に突進し、猛り狂った焔を容赦なく叩き付ける。
辺り一面の空気を裂くような断末魔が、男の耳を貫いた。
「ロイド!何で庇いやがった!?」
幻獣が消滅していく様を見届ける間もなく、ランディは年下の相棒に詰め寄った。
襟首を掴まれたロイドは突然の激昂に驚き、睨み付けてくる彼を凝視する。
「何でって……」
そんなことを問われても上手く説明ができない。
あの状況は不意打ちでも何でもなかった。
ランディの意識はしっかりと相手に向けられていたし、彼ならば手負いの猛攻を最小限のダメージで凌いでいただろう。
「大丈夫だとは思ったけど」
だが、冷静な頭とは裏腹で身体は勝手に動き出してしまった。
「余計なことをするな。てめぇの背中なんか見たくもねぇんだよ」
上から降ってくる低音が、腹の奥にずしりと響いた。
なまじ荒ぶるよりも数段上の凄みがある。
ロイドはわずかに怯んだが、それも一瞬だった。
気聞き捨てならない台詞に、カッと全身が熱くなる。
「何だよ、それ!俺がランディを庇ったら駄目なのか!?」
首元を締め上げてくる腕を掴み、爪が食い込むほど強く指先に力を込める。
「相棒なら対等だろ!背中を見るのも見せられるのも!」
「そういう問題じゃねぇ!」
「だったら、どういう問題なんだよ!?」
互いを掴んだままの口論はヒートアップし、収拾が付かなくなってきた。
挙げ句の果てに罵詈雑言までもが飛び交い始め、それまで静観していたワジとリーシャは顔を見合わせた。
「やれやれ、お熱くなっちゃって……」
「どうしましょう?こんな時に限ってエリィさんやティオさんが居ないなんて」
やはり頼りになるのは、初期からの支援課メンバーたちである。
特にその場の乱れを正すエリィの雷は効果覿面だ。
「う~ん、ここはやっぱり彼女に習って荒療治といこうか」
心底困り果てた表情をしているリーシャに対し、ワジは名案が浮かんだとばかりに意地悪げな微笑をみせた。
そもそも彼女は控えめな性格なのだから、到底乗り気になれるはずがない。
しかし、このまま夢幻回廊の真っ只中で足止めを食うのも本意ではなかった。
「……ごめんなさい。二人とも」
リーシャは小さな謝罪をして、一つ息を吸った。
懐から暗器を取り出し、加熱する両者の足元に狙いを定める。
「──はっ!」
鋭利な銀色が空気を切り裂き、丁度彼らの間を割って地面に突き刺さった。
それは、エリィの一喝と遜色はない。
周りが見えなくなっていた男たちの応酬はピタリと止み、まるで機械仕掛けのように刃が飛んできた方へ首を向ける。
「あ、あの、すいません」
「あははっ、リーシャが怒ってるよ。先に進めないってさ」
瞬間冷凍された二人の表情は実に愉快で、ワジが軽やかな笑い声を立てる。
「ち、違います!ワジさんったら」
その横でリーシャが必死に抗議をするも、彼は余裕綽々で自らの髪を軽く払っただけだった。
結局、少し距離を置いた方が良いというワジの提案で、一時的に彼らの戦術リンクを外すことになった。
今の状態では、連携の強化が逆効果になりかねない。
ロイドとランディは互いに口をきこうともせず、一行は回廊の探索を再開させた。
だが、度重なる戦闘で武器を振るうも、二人の間にはどこかぎこちなさが残る。
大きな支障はないにせよ、普段に比べれば精彩を欠いているのは明らかだった。
ランディはリーシャと戦術リンクを結んでいる。
共に卓越した戦闘能力を有している二人の手並みは見事だ。
「ランディさん、そちらはお願いします!」
「おっしゃ、まかせとけ!」
迫り来る魔獣たちを危なげなく薙ぎ倒していく。
それを横目にしているロイドは明らかにご機嫌斜めだった。
彼の瞳には二人の様子がとても楽しげに映っていることだろう。
(やれやれ、思いっきり顔に出まくっているよねぇ)
ロイドの心情が手に取るように分かってしまい、ワジは密かに肩を竦ませた。
このメンバー構成であれば、どうしてもアーツを主体とする機会が増えてくる。
戦闘が始まり駆動の体勢に入ったワジを気にかけ、ロイドがトンファーを振るっていた。
リンクを繋いでいる影響もあってか、その安心感は計り知れない。
「ワジ、大丈夫か?」
「ふふっ、問題ないよ。君に守って貰えるなんて嬉しいね」
発動直後の隙を狙われたワジをすかさずロイドが庇う。
彼の性質からしても、アーツを使う仲間との相性は良いようだ。
不意にそのやり取りを目撃してしまったランディが、無意識の舌打ちをする。
(えっと……ランディさん、とっても分かりやすいです)
リーシャはこの男が胸中で漏らした言葉をすぐに察してしまった。
面白くない。つまりはそういうことだ。
この階層の終着地点はもうすぐだ。
いい加減に仲直りをして欲しいものだと、同僚たちが目配せをした矢先。
現状に耐えきれなくなったのか、ロイドが動き出した。
「……ランディ。俺、やっぱり一緒がいい」
歩み寄ってきた最初の言葉に、ランディはさほど驚かなかった。
二人の頭からは感情的な昂ぶりが抜け落ち、今なら面と向かって対話ができる。
「でも、どうしてあんなに怒ったのかだけは聞かせて欲しい」
こんな時、ロイドは真っ直ぐで強い瞳を向けてくる。
どうやっても逃げられないそれが、ランディは苦手だった。
「あ~、その目は反則だ」
ガシガシと頭を掻き、そっぽを向いて唇を小さく動かす。
「既視感っつーかさ、嫌なこと思い出しちまったんだよ。お前の背中を見て」
「嫌なこと?」
オウム返しで小首を傾げた相棒を直視できず、苦い顔で目を閉じる。
「マインツで俺の獲物が真っ二つになった時……飛び出してきただろ」
彼は事細かに語ろうとはしないが、ロイドにはしっかり伝わっているようだった。
「──あっ」
すぐに小さな声が上がった。
あの一件を忘れられるはずがない。
シャーリィのテスタロッサが狂気を放つ中、無我夢中で二人の争いに割り込んだ。
今思えば、仲間の身を案じる感情だけが手足を動かしていたのだろう。
ただ、ただ、ランディを失いたくない一心で。
「ごめん……俺」
ロイドはそれ以上言葉を続けられなくなった。
身体が勝手に動いたとはいえ、自分の行動が彼の過去を蒸し返してしまったのは確かだ。
気持ちが沈み、肩を落として黙り込む。
そんな彼の頭上から、静かな声音が降ってきた。
「馬鹿、お前のせいじゃねぇよ。完全に俺の八つ当たりだ」
閉じていた翠の両眼を開けば、視界に癖のある栗色の髪が広がった。
詫びる意味を込めてくしゃりと髪を掻き混ぜ、ランディが自嘲気味に笑う。
「悪かったな」
武骨な指先は、思いのほか優しかった。
くすぐったそうに首を竦めたロイドが、上目遣いで男の様子を覗う。
「あ……うん。でも、俺、またランディのこと庇うかもしれないぞ?」
こと戦闘面に関して言えば、いつだって彼の方に雄がある。
さり気ないフォローは的確で、そんな姿に羨望と少しばかりの悔しさが入り混じる。
対等に肩を並べて立つならば、自分にだってこの相棒を補える部分があるのだと証明したい。
そんな一方的な思いもあり、身体は勝手に動き出すはずだ。
「ランディは凄くタフだし、大丈夫だって分かってるんだけどさ」
ロイドは言外に「ごめんな」と、眉尻を下げた。
もしかしたら、何度も嫌な思いをさせてしまうかもしれない。
「だったら、その直感を信じろよ」
そんな彼に対し、ランディは静かにはっきりと応じた。
触り心地のいい頭部をわざと乱暴に掻き乱す。
この素直な口から打たれた先手は、きっといつもの天然節なのだろう。
元から自分の方に非がある上、そう言われてしまってはどうしようもない。
彼は一端ロイドから手を離し、改めて目の前の童顔に指先を伸ばした。
「まぁ、どうしようもねぇ時は庇われてやるからよ。頼むぜ、相棒」
不器用な表情を形作る頬に触れ、軽く叩きながら微笑する様は穏やかだった。
少し離れた所で渦中の人物たちを覗っていた二人は、互いに安堵した様子だった。
「……まったく、人騒がせな痴話喧嘩だよね」
「やっぱりロイドさんとランディさんは仲良しなのが一番です」
「それは同感かな。あれじゃ、からかい甲斐がないからね」
ワジが端末を取り出してカバーを開くと、リーシャも同じような動作をした。
仲直りをした彼らが開口一番に言うであろう台詞が、容易に想像できてしまう。
「この階層もあと一戦ですね。ワジさん、よろしくお願いします」
「こちらこそ。前線は彼らが楽しそうに暴れてくれるはずだから、任せちゃっていいんじゃない?」
律儀な言葉に戯けた返事が重なり、つい小さな笑みが零れ落ちる。
そんな二人の瞳には、合流しようとして歩いてくる男たちの姿が映っていた。
2022.07.03
#創畳む
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戦闘中につい庇ってしまうロイドと庇われるのには慣れてないランディが喧嘩をする話。
夢幻回廊を探索中でワジとリーシャが同行しています。
2022年リクエスト③
【文字数:6200】
「おい、おい……さすがに群れすぎだろ?」
入り組んだ通路を駆け抜け、少しばかり拓けた場所に出た途端、ランディがげんなりと口を開いた。
視線の先には小型の魔獣たちが所狭しと蠢いている。
「あははっ、パーティーの真っ最中ってところかな?」
両手に装備している武具の調子を確かめ、ワジが楽しげに笑い立てた。
「マジかよ。そのわりには綺麗どころがいねぇじゃねーか」
緊張感がない彼らのやり取りは、まるで潜むことを知らない。
案の定、魔獣たちは一斉に殺気立ち、けたたましい威嚇の音が鳴り響いた。
「何やってんだよ!二人とも」
奇襲どころか先制すらもし損ねて、一行を取り纏めているロイドが二人を睨み付ける。
「ロイドさん、来ます!」
その横で臨戦態勢を取っているリーシャが鋭い声を上げた。
「仕方ないな。正面から迎え撃つ!ワジはアーツでいけるな?」
魔獣の群れが迫る中、ロイドは同僚たちに指示を出す。
「OK、リーダー。広範囲で一網打尽にしてしまおうか」
言うが早いか、ワジは流れるような動作でアーツの駆動に入った。
淡い光が足元から発生し、彼の身を包み込む。
かなり高位のアーツを使うつもりのようだと、皆が肌感覚で捉えていた。
「リーシャ、周囲を頼む!」
「はい、お任せ下さい!」
精神統一をしている仲間の安全を考慮した後、ロイドはようやく相棒の方を見た。
「行くぞ、ランディ!」
「おうよ!パーティーに乱入と洒落込もうぜ!」
真剣な表情をしているリーダーとは対照的で、赤毛の男は嬉々として目を輝かせた。
先陣を切った足が走り、重量級のスタンハルバードが唸りをあげる。
大きく真横に薙ぎ払えば炎の軌跡が弧を描き、密集している魔獣たちを一気に吹き飛ばした。
「ロイド、あんまり突っ込むんじゃねーぞ」
「そっちこそ、懐に入られるなよ」
互いの戦闘スタイルを熟知しているからこその応酬。
数多の戦場を共にしてきた彼らの息はぴったりだった。
相手の動きが手に取るように分かる。それこそ目を閉じていても支障がないくらいに。
――だから、その瞬間はあまりにも自然すぎた。
地面に打痕を刻み、後方からの強襲を振り向きざまに対処しようとする。
その刹那、視界の端を栗色の頭がかすめた。
「危ない!ランディ!!」
鈍い音と共に名前を呼ばれ、赤毛の男は目をむいた。
数に物を言わせて急接近してくる魔獣たちの歯牙を、ロイドが正面から受け止める。
間髪を入れずに身体を旋回させ、一対のトンファーが風刃と化した。
巻き込んだ数体を地に沈めたのも一時、流れるような動作で次の相手に打撃を繰り出す。
「──は?今の」
ランディは無意識に相棒と連動しながらも、ちりちりと焼け付く何かが込み上げてくるのを感じた。
だが、そんなわだかまりが生じた直後、真上の空が黄金色に輝く。
「さぁ、宴もお開きといこうか」
ワジの高らかな声が響き渡り、神々しくも威圧的な剣たちが容赦なく地面へと降り注ぐ。
その爆発的なエネルギーの奔流は、群れを成していた魔獣たちを跡形もなく消し飛ばした。
有言実行とばかりに敵を一掃した仲間へ、ロイドとリーシャから労いの言葉がかけられる。
しかし、ランディは一人腑に落ちない顔で顎に手を当てていた。
「……さっきの、庇われたのか?」
声に出した途端、胸中が不快な色に染まっていく。
正面切って堂々と庇われたわけではなく、あくまで混戦状態だった一連の流れからの動きだ。
けれど、自分に向けられていた敵意をロイドが肩代わりしていたのは確かだった。
先刻の群れよりもはるかに強いプレッシャーが一行に向けられていた。
ひとたび巨体からの咆吼が轟けば、ビリビリとした強い振動が全身を襲う。
美しくも威風堂々たる姿の幻獣だ。
今度はワジのみならず、リーシャの方もアーツの駆動に入っていた。
二人が攻撃の標的にされるのを防ぐため、ロイドとランディが前線を張っている。
立て続けに、鋭い凶刃がロイドへと振り下ろされた。
「ぐっ……う!」
防御の構えを取った身体に、強烈な重みが容赦なく襲いかかる。
両足で踏ん張り、吹き飛ばされそうになるのをなんとか凌いだ。
「おい!てめぇの相手はこっちだ!!」
そこへ、赤い闘気を纏う一撃が敵の側面に打ち込まれた。
幻獣は不意打ちを食らって激昂したのか、即座に赤毛の男へと的を切り替える。
「俺の相棒に色目使ってんじゃねぇよ」
臆するどころかギラついた眼光をしたランディが、不敵に唇を歪めてみせた。
敵を引き付ける役目には自分の方が相応しい。
確かにロイドの防御力は優れているが、体力面で言えばランディの方に分がある。
そして、何よりも。
支援課の柱であり相棒であり──大切な恋人である彼を矢面に立たせることが嫌だった。
「なんなら、タイマンでもいいんだぜ?」
「ランディ!」
真っ向から交戦状態に入ったランディの姿を見て、ロイドが叫ぶ。
彼のポテンシャルを考えればそこまでの危機感はないのだが、戦場での油断は禁物だ。
リーダとしての冷静な頭が戦況を俯瞰する。
ちらりと後方を覗えば、丁度リーシャのアーツが放たれる所だった。
「行きます!」
凜としたかけ声に誘われて鈍色の暗雲が一面に広がった。
不気味な空の唸りと地を這う振動が歌い、長大な建造物が瞬く間にせり上がる。
上層部からの一斉砲火が、地面を引き裂くほどの威力で幻獣へと襲いかかった。
その余波が収まるよりも早く、ワジが時間差で全く同じアーツを発動させて畳み掛ける。
「これはどうだい?」
二人の攻撃は確実に相手の弱点を突き、巨躯の膝を付かせる程の大ダメージを与えた。
「流石だぜ、お二人さん!」
ランディは軽く口笛を吹きながら、一端後ろへ飛び退いた。
仲間の集中砲火で少しは溜飲が下がったのかもしれない。
だが、その直後。
痛みに我を忘れた幻獣が、絶叫を上げて彼に襲いかかってきた。
「やらせない!!」
切迫したロイドの声が地面を蹴り出す足と重なる。
金属のような鋭い爪と硬質なトンファーがぶつかり合い、大きな音が響いた。
「──っ!?」
いきなり面前で広がった相棒の後ろ姿に、ランディは息を詰まらせた。
既視感。
頭の中で今よりも小さかったロイドの背中がフラッシュバックする。
久しぶりに粉塵と血の匂いを嗅いだような気がした。
マインツの山道でベルゼルガーが真っ二つに砕けた衝撃と。
獰猛な従姉妹と自分の間に割って入ってきた無鉄砲で熱すぎる姿と。
情けないくらいに中途半端で、みっともない姿を曝け出してしまったあの時のことを。
軋むくらいに奥を噛みしめる憤りは、誰に対してなのか?
先刻の戦闘とは違い、明らかに庇われている。
もやもやとしていた胸中の淀みが、一気に沸点を超えた。
「くそがっ!」
激情した彼は片手でロイドの肩を掴み、乱暴に自分の前から押し退けた。
そのまま無言で弱っている巨躯に突進し、猛り狂った焔を容赦なく叩き付ける。
辺り一面の空気を裂くような断末魔が、男の耳を貫いた。
「ロイド!何で庇いやがった!?」
幻獣が消滅していく様を見届ける間もなく、ランディは年下の相棒に詰め寄った。
襟首を掴まれたロイドは突然の激昂に驚き、睨み付けてくる彼を凝視する。
「何でって……」
そんなことを問われても上手く説明ができない。
あの状況は不意打ちでも何でもなかった。
ランディの意識はしっかりと相手に向けられていたし、彼ならば手負いの猛攻を最小限のダメージで凌いでいただろう。
「大丈夫だとは思ったけど」
だが、冷静な頭とは裏腹で身体は勝手に動き出してしまった。
「余計なことをするな。てめぇの背中なんか見たくもねぇんだよ」
上から降ってくる低音が、腹の奥にずしりと響いた。
なまじ荒ぶるよりも数段上の凄みがある。
ロイドはわずかに怯んだが、それも一瞬だった。
気聞き捨てならない台詞に、カッと全身が熱くなる。
「何だよ、それ!俺がランディを庇ったら駄目なのか!?」
首元を締め上げてくる腕を掴み、爪が食い込むほど強く指先に力を込める。
「相棒なら対等だろ!背中を見るのも見せられるのも!」
「そういう問題じゃねぇ!」
「だったら、どういう問題なんだよ!?」
互いを掴んだままの口論はヒートアップし、収拾が付かなくなってきた。
挙げ句の果てに罵詈雑言までもが飛び交い始め、それまで静観していたワジとリーシャは顔を見合わせた。
「やれやれ、お熱くなっちゃって……」
「どうしましょう?こんな時に限ってエリィさんやティオさんが居ないなんて」
やはり頼りになるのは、初期からの支援課メンバーたちである。
特にその場の乱れを正すエリィの雷は効果覿面だ。
「う~ん、ここはやっぱり彼女に習って荒療治といこうか」
心底困り果てた表情をしているリーシャに対し、ワジは名案が浮かんだとばかりに意地悪げな微笑をみせた。
そもそも彼女は控えめな性格なのだから、到底乗り気になれるはずがない。
しかし、このまま夢幻回廊の真っ只中で足止めを食うのも本意ではなかった。
「……ごめんなさい。二人とも」
リーシャは小さな謝罪をして、一つ息を吸った。
懐から暗器を取り出し、加熱する両者の足元に狙いを定める。
「──はっ!」
鋭利な銀色が空気を切り裂き、丁度彼らの間を割って地面に突き刺さった。
それは、エリィの一喝と遜色はない。
周りが見えなくなっていた男たちの応酬はピタリと止み、まるで機械仕掛けのように刃が飛んできた方へ首を向ける。
「あ、あの、すいません」
「あははっ、リーシャが怒ってるよ。先に進めないってさ」
瞬間冷凍された二人の表情は実に愉快で、ワジが軽やかな笑い声を立てる。
「ち、違います!ワジさんったら」
その横でリーシャが必死に抗議をするも、彼は余裕綽々で自らの髪を軽く払っただけだった。
結局、少し距離を置いた方が良いというワジの提案で、一時的に彼らの戦術リンクを外すことになった。
今の状態では、連携の強化が逆効果になりかねない。
ロイドとランディは互いに口をきこうともせず、一行は回廊の探索を再開させた。
だが、度重なる戦闘で武器を振るうも、二人の間にはどこかぎこちなさが残る。
大きな支障はないにせよ、普段に比べれば精彩を欠いているのは明らかだった。
ランディはリーシャと戦術リンクを結んでいる。
共に卓越した戦闘能力を有している二人の手並みは見事だ。
「ランディさん、そちらはお願いします!」
「おっしゃ、まかせとけ!」
迫り来る魔獣たちを危なげなく薙ぎ倒していく。
それを横目にしているロイドは明らかにご機嫌斜めだった。
彼の瞳には二人の様子がとても楽しげに映っていることだろう。
(やれやれ、思いっきり顔に出まくっているよねぇ)
ロイドの心情が手に取るように分かってしまい、ワジは密かに肩を竦ませた。
このメンバー構成であれば、どうしてもアーツを主体とする機会が増えてくる。
戦闘が始まり駆動の体勢に入ったワジを気にかけ、ロイドがトンファーを振るっていた。
リンクを繋いでいる影響もあってか、その安心感は計り知れない。
「ワジ、大丈夫か?」
「ふふっ、問題ないよ。君に守って貰えるなんて嬉しいね」
発動直後の隙を狙われたワジをすかさずロイドが庇う。
彼の性質からしても、アーツを使う仲間との相性は良いようだ。
不意にそのやり取りを目撃してしまったランディが、無意識の舌打ちをする。
(えっと……ランディさん、とっても分かりやすいです)
リーシャはこの男が胸中で漏らした言葉をすぐに察してしまった。
面白くない。つまりはそういうことだ。
この階層の終着地点はもうすぐだ。
いい加減に仲直りをして欲しいものだと、同僚たちが目配せをした矢先。
現状に耐えきれなくなったのか、ロイドが動き出した。
「……ランディ。俺、やっぱり一緒がいい」
歩み寄ってきた最初の言葉に、ランディはさほど驚かなかった。
二人の頭からは感情的な昂ぶりが抜け落ち、今なら面と向かって対話ができる。
「でも、どうしてあんなに怒ったのかだけは聞かせて欲しい」
こんな時、ロイドは真っ直ぐで強い瞳を向けてくる。
どうやっても逃げられないそれが、ランディは苦手だった。
「あ~、その目は反則だ」
ガシガシと頭を掻き、そっぽを向いて唇を小さく動かす。
「既視感っつーかさ、嫌なこと思い出しちまったんだよ。お前の背中を見て」
「嫌なこと?」
オウム返しで小首を傾げた相棒を直視できず、苦い顔で目を閉じる。
「マインツで俺の獲物が真っ二つになった時……飛び出してきただろ」
彼は事細かに語ろうとはしないが、ロイドにはしっかり伝わっているようだった。
「──あっ」
すぐに小さな声が上がった。
あの一件を忘れられるはずがない。
シャーリィのテスタロッサが狂気を放つ中、無我夢中で二人の争いに割り込んだ。
今思えば、仲間の身を案じる感情だけが手足を動かしていたのだろう。
ただ、ただ、ランディを失いたくない一心で。
「ごめん……俺」
ロイドはそれ以上言葉を続けられなくなった。
身体が勝手に動いたとはいえ、自分の行動が彼の過去を蒸し返してしまったのは確かだ。
気持ちが沈み、肩を落として黙り込む。
そんな彼の頭上から、静かな声音が降ってきた。
「馬鹿、お前のせいじゃねぇよ。完全に俺の八つ当たりだ」
閉じていた翠の両眼を開けば、視界に癖のある栗色の髪が広がった。
詫びる意味を込めてくしゃりと髪を掻き混ぜ、ランディが自嘲気味に笑う。
「悪かったな」
武骨な指先は、思いのほか優しかった。
くすぐったそうに首を竦めたロイドが、上目遣いで男の様子を覗う。
「あ……うん。でも、俺、またランディのこと庇うかもしれないぞ?」
こと戦闘面に関して言えば、いつだって彼の方に雄がある。
さり気ないフォローは的確で、そんな姿に羨望と少しばかりの悔しさが入り混じる。
対等に肩を並べて立つならば、自分にだってこの相棒を補える部分があるのだと証明したい。
そんな一方的な思いもあり、身体は勝手に動き出すはずだ。
「ランディは凄くタフだし、大丈夫だって分かってるんだけどさ」
ロイドは言外に「ごめんな」と、眉尻を下げた。
もしかしたら、何度も嫌な思いをさせてしまうかもしれない。
「だったら、その直感を信じろよ」
そんな彼に対し、ランディは静かにはっきりと応じた。
触り心地のいい頭部をわざと乱暴に掻き乱す。
この素直な口から打たれた先手は、きっといつもの天然節なのだろう。
元から自分の方に非がある上、そう言われてしまってはどうしようもない。
彼は一端ロイドから手を離し、改めて目の前の童顔に指先を伸ばした。
「まぁ、どうしようもねぇ時は庇われてやるからよ。頼むぜ、相棒」
不器用な表情を形作る頬に触れ、軽く叩きながら微笑する様は穏やかだった。
少し離れた所で渦中の人物たちを覗っていた二人は、互いに安堵した様子だった。
「……まったく、人騒がせな痴話喧嘩だよね」
「やっぱりロイドさんとランディさんは仲良しなのが一番です」
「それは同感かな。あれじゃ、からかい甲斐がないからね」
ワジが端末を取り出してカバーを開くと、リーシャも同じような動作をした。
仲直りをした彼らが開口一番に言うであろう台詞が、容易に想像できてしまう。
「この階層もあと一戦ですね。ワジさん、よろしくお願いします」
「こちらこそ。前線は彼らが楽しそうに暴れてくれるはずだから、任せちゃっていいんじゃない?」
律儀な言葉に戯けた返事が重なり、つい小さな笑みが零れ落ちる。
そんな二人の瞳には、合流しようとして歩いてくる男たちの姿が映っていた。
2022.07.03
#創畳む
硬貨一枚分の恋人たち
碧・恋人設定
待ち合わせをしていると言っただけで周囲からデート認定される二人の話。
【文字数:12000】
東通りの町並みには、雑多な賑わいが良く映える。
今は昼時とあって、そこかしこから美味しそうな匂いが漂ってきていた。
そんな中を涼しげな容姿の少年が歩いている。
旧市街と隣接しているこの地区の住民たち、こと女性には有名な顔だ。
色付いた視線や声に対する仕草は洗練されたもので、それだけでも周囲から感嘆の息が零れる。
ワジは久しぶりにトリニティへ顔を出すつもりだった。
特務支援課の一員となってからは忙しい日々が続いていたが、幸いにも思わぬ形で空白が生まれた。
今は『本来の仕事』も小康状態になっている。
「ふふっ、折角のオフだからね。ゆっくりさせてもらおうかな」
普段は大人びた流麗な眼差しが、少しだけ幼さを見せて緩む。
そんな中、彼の耳を聞き覚えのある声が掠めた。
「はい、着いたよ。ここでいいのかな?」
「うん!ありがとう。お兄ちゃん」
とある民家の玄関先で、栗色の髪をした青年が小さな少女と言葉を交わしていた。
腰を屈めて目線を合わせている姿に、彼のさりげない配慮が垣間見える。
その後、少女はぺこりと可愛らしいお辞儀をし、家の中へ入っていった。
「やあ、リーダー。まだお仕事中かい?」
一部始終を微笑ましく眺めやっていたワジが声をかける。
「えっ?あ、ワジか」
不意を突かれた青年の肩が大きく跳ね上がった。
「いや、こっちも終わってる。あの子、港湾区で見つけたんだ。帰り道が分からなくなっちゃったみたいでさ」
「なるほどね。困ってる市民を助けるのは支援課の勤めといったところかな」
ロイドの説明を聞いたワジは、腕組みをしつつ納得した様子で何度か頷いたが、
「あ、やっぱり訂正。君ってばお人好しだから、肩書きとか関係ないよね」
すぐに意地悪げな微笑で上書きをした。
「……うっ。だって泣きそうな顔してたし、放っておけないだろ」
そんな揶揄に図星を指されつつ、ロイドは膨れっ面で年下の同僚を睨めた。
「はいはい。だけど、程々にしておいたら?午後が空く日なんて貴重なわけだし」
ワジは真面目で優しい彼の心根を宥め、やんわりと釘を刺す。
すると、機嫌を損ねているロイドの表情がいきなり喜色へ変化した。
「それ!そうだよな、貴重なんだよな!早く戻らないと」
「あれ?なんだか楽しそうだね」
あまりの急変ぶりに面食らったワジが、表面上は平静に探りを入れる。
人のプライベートを詮索する趣味はないが、こうも嬉しそうな顔をされては気になってしまうのも無理はない。
「港湾区で何かあるのかい?」
言葉の端々から推測し、彼がその場に用があるのは間違いないだろう。
すると、ロイドは弾む声を抑えようともせずに返答してきた。
「ランディと待ち合わせをしてるんだ!」
「──へぇ?」
ワジは目を瞬かせてから無言になったが、その後で堪えきれずにくすくすと笑い出した。
「デートってわけか。相変わらずお熱いね」
「え?違うって。ちょっと付き合って欲しいことがあるんだ」
しかし、茶化したつもりが意外にも真顔で返されてしまった。
嬉々とした雰囲気は変わらず、そこには照れ隠しの意図が一切感じられない。
「……彼、仕事中は何も言ってなかったけど」
午前中はランディと一緒にいたが、特に浮かれた様子はなかった。
あの性格なら惚気て吹聴してきそうなものだが。
ワジは眉を顰めて考え込んでしまった。
今日の午後が休みになると決まったのは、昨日の夕飯時のことだった。
なんでも、通信設備に不具合が生じたため、緊急のメンテナンスが入る予定になったとのことだった。
支援課で使用している端末も影響を受けるので、一時的に支援要請のやり取りができなくなる。
そこで、通信環境が維持される午前中で仕事を切り上げる運びとなったのだ。
一夜明けて、今日の朝。
朝食とミーティングを兼ねて支援課の全員が顔を揃えた時も、二人はいつも通りだった。
どうにも腑に落ちない。
改めてロイドを覗うと、はやる気持ちを抑えきれないのか、面白いくらいにそわそわしていた。
「あのさ、ワジ。そろそろ行きたいんだけど」
「あぁ、これからお楽しみだっていうのに引き止めて悪かったね」
「だから、そういうのじゃない」
ワジがわざとらしくからかうと、ロイドの口がへの字に曲がる。
だが、それも一瞬。すぐに軽やかな足取りで港湾区へ向かって行った。
「……あの浮かれっぷりでデートじゃないって、どうなのさ?」
そんな彼の後ろ姿を見送ったワジは、人知れず肩を竦めて苦笑した。
今日は朝から良い天気で、街中に柔らかな陽光が降り注いでいる。
オープンカフェで食事をするには絶好の環境だ。
向かいに座っている最年少の同僚は、さっきから食事の手が止まっている。
ランディは頬杖を付きながら、半ば呆れた様子で口を開いた。
「なぁ、いい加減食っちまえよ」
「……この絶妙なフォルムが可愛すぎます。さすがはオスカーさんですね」
みっしぃの顔を模ったパンを凝視している少女から、賞賛の息が漏れる。
「気持ちは分かるけどな、そういうのは食ってこそじゃね?」
「それはもちろん……ですが。なかなか心の準備ができません」
どうやら見た目に絆されてしまい、パンを囓る決心が付かないようだ。
モルジュの店内で昼食用のパンを吟味している時、つい条件反射でトングが伸びてしまった。
今は嬉しさの中で、ほんのちょっぴり後悔をしている。
ティオはさり気なくランディのトレーを見た。
彼は早々と食事を済ませ、残り少なくなったジュースを啜っている。
「ランディさんはこれから歓楽街ですか?でしたら、私にお構いなく」
なんだか待たせているような気がしてしまい、申し訳なさが先に立った。
「遊びっつーか、これからロイドくんと待ち合わせ」
すると、予想だにしていなかった返事があった。
大きな瞳は完全にみっしぃから外れ、目の前にいる男へまじまじと注がれる。
「……デートですか?」
「そう言いたいとこだが、残念ながら違うんだよなぁ」
ランディは言葉通りの感情を顔面に滲ませた。
「でも、待ち合わせですよね?」
疑問符を浮かべる少女を一瞥し、口角を歪めながら腕時計を確認する。
「まぁ、な……おっと、さすがにやべぇか」
どうやら時間が迫っているようで、寛いでいる姿から一転、勢いよく椅子から立ち上がった。
「先に行くぜ。それ、ちゃんと食えよ」
空になったトレーを片手で持ち、もう一方の手で水色の頭をぽんぽんと叩く。
そして、まだ首を傾げている彼女に小声で何かを言った後、その場から去っていった。
「なんというか……ロイドさんらしいですね」
離席した大きな背中がちっとも嬉しそうには見えず、それが可笑しくて堪らない。
「でも、やっぱりデートだと思います」
ティオは密かに微笑みつつ、再びみっしぃのパンと向かい合った。
自覚のない恋人たちの緩さに当てられ、睨めっこの緊張感はどこへやら。
このまま気負いなく最初の一口を囓ることができそうだった。
真面目なロイドとの待ち合わせで遅刻など、極力したいとは思わなかった。
後からどんなお小言が飛んでくるか分からない。
ランディは足早に港湾区へ向かったが、残念ながら約束の時間は数分ほど過ぎてしまっていた。
「はぁ……のんびりしすぎちまったな」
ベンチの側で落ち着きなく彷徨いている青年を見つけ、彼は腹を括った。
非があるのはこちら側なので、怒られるのは仕方がない。
──はずだったのだが。
開口一番で謝るつもりだったランディよりも早く、ロイドが駆け寄ってきた。
「ランディ!お疲れさま」
「お、おう……お疲れさん」
礼儀正しく相手を労う声が元気に響く。
「遅れちまって悪かったな」
出鼻をくじかれて戸惑いながらも謝罪をすると、ロイドは目を丸くして近くの時計を見上げた。
「あれ?過ぎてたのか。全然気がつかなかったよ」
「なんだ、それ。いつもは時間にうるさいくせに」
珍しいこともあるものだ。
ランディは一気に肩から力が抜けていくのを感じた。
そこへ、抱き付きそうな勢いのロイドが距離を詰めてくる。
「だって、嬉しすぎてさ。時間なんて頭から抜けてた」
その場で飛び跳ねてしまいそうなくらいに、感情が溢れ出していた。
全開の笑顔がきらきらと輝いている。
(……なんか、犬っぽくね?)
危うく声に出そうになる所をなんとか抑え、ランディは胸の内でぼそりと呟いた。
ロイドの姿が、これでもかと言わんばかりに喜びを表現する犬と重なる。
ぶんぶんと尻尾を振りまくっている幻覚が見えてきそうだ。
(くそっ、可愛いとか言っちまいてぇ)
思いも寄らない態度を取られ、栗色の髪を思いっきり掻き混ぜてやりたい衝動に駆られる。
「どうしたんだよ?早く行こう」
急に唇を引き結んで無言になってしまった彼を、ロイドが訝しんだ。
しかし、こんなやり取りをする時間さえも惜しいのか、すぐさま袖を掴んで急かす。
まるで飼い主との散歩を待ちきれない犬のようだ。
ランディは頭を振って強引に惚気た妄想をリセットするしかなかった。
「──それで、どこでやるんだ?」
「東クロスベル街道だな。あの辺なら奥に行けば拓けてるし」
ロイドは考え込むような仕草を見せたが、きっと『その場所』は予め決まっているに違いない。
ランディは浮かれた足取りの青年を宥め、道中を彼に委ねることにした。
他愛のない会話を交わしながら、綺麗に舗装された街道を並んで歩く。
途中で定期運行のバスや数台の導力車とすれ違ったが、それ以外は静かなものだった。
昔と比べれば移動手段も増え、徒歩で街道を行く一般市民はまばらだ。
長閑な風情の中、時折吹き抜けていく風が心地良い。
相変わらず嬉しそうにしているロイドの横で、ランディは今朝のことを思い出していた。
一階でミーティングを終えた後、身支度を整えるためにそれぞれが自室へ戻っていった。
ロイドとセルゲイはテーブルの横で立ち話をしていたが、それはいつもの朝の風景だ。
ランディはさして気にも留めず二階へ上がり、自室のドアノブに手をかけた。
すると、急に慌ただしい足音が駆け上がってた。
「ランディ、ちょっと待ってくれ」
「なんかあったのか?」
何事かと顔を引き締めたが、ロイドの表情にそこまでの緊迫感はなかった。
「あ、そうじゃなくて。今日の午後って空いてるかな?」
彼はわずかに逡巡したが、率直に用件を切り出してきた。
「ちょいと遊びに歩こうかってくらいで、特に用はねぇな」
こうやってロイドの方から声をかけてくることは珍しい。
ランディは驚きと嬉しさが混じり合う中で、恋人としての淡い期待を隠せなかった。
「で、なんのお誘いをしてくれるわけ?」
そんな心情もあり、意味深げな問いを返してみたくなったのだが。
次に聞こえたロイドの言葉は彼を大きく裏切るものだった。
朝っぱらから、これ以上ないくらい盛大な溜息が出てしまうほどに。
まるでつい数分前のやり取りだったような気がする。
いつの間にか街道から脇に逸れ、草を踏み締める音が深くなっていた。
(……ぬか喜びさせやがって。マジで色気の欠片もねぇな)
彼としてはもう少し大人のお付き合いをしたいのだが、相手はまだまだお子様だと認識せざるを得ない。
木々がさざめく合間に小鳥の囀りが聞こえ、ランディは微かに表情を緩めた。
(それはそれで、可愛いことには違いないんだが)
徐々に視界が明るくなり、拓けた場所へ駆け出していく愛しい背中を眺めやる。
「しょうがねぇから、いっちょ揉んでやるか」
彼は手元でスタンハルバードの感触を確かめ、一度軽く振ってからのんびりとロイドの後を追った。
街道から離れた閑散とした場所で、今は二人きり。
どんな形であれ彼を独占できる状況なのは事実で、沸々と嬉しさが込み上げてきた。
「こうやってランディとやり合うのは久しぶりだな。付き合ってくれてありがとう」
互いに距離を取って対峙する。
ロイドは愛用のトンファーを器用に一回転させ、律儀に礼を口にした。
「まぁ……イチャつけないのは残念だが、たまにはこういうのも悪くねぇ」
どうしても未練が残り、それを言葉の端に滲ませたランディは、おもむろに上着のポケットを弄った。
「それじゃ、早速……」
「おっと。そんなに急くなよ」
すぐにでも始めたいロイドは武器を構えたが、相手は悠長に立ったままで体勢を整えようともしない。
「どうせなら、こいつで始めようぜ」
彼はポケットから何かを取り出し、それを親指で真上に弾いた。
「それ……コイン?」
頂点で太陽を受けた金属が輝き、そのまま重力に任せて落下する。
ランディは胸元のあたりで容易く硬貨を掴み取って、にやりと笑った。
「こいつを弾いて地面に落ちた瞬間、互いに仕掛けるってことでどうよ?」
「でも、それってランディの方が不利じゃないか?」
彼の提案に乗ろうとしたロイドだが、ふとした疑問が生じた。
硬貨を弾いた後では、動き出しが遅くなってしまう可能性がある。
それでは対等と言えない気がした。
「リーチの差を考えたら、妥当だと思うぜ」
「……ハンデのつもりなら、いらない」
ランディは互いの戦闘スタイルを鑑みて返答をしたが、ロイドにはそれが面白くなかった。
トンファーを強く握りしめ、仏頂面で相手を睨みつける。
「ははっ、そうじゃねぇよ。ちょっとした遊び心ってやつ」
別に軽んじているわけではなく、手を抜くつもりなど毛頭ないのだが、この手のやり取りにロイドはいつも過剰な反応を示す。
ただ真っ直ぐに背中を追ってくる気配は心地良く、ランディは嬉しそうに自らの獲物を構えた。
「手加減はなしだ。覚悟しとけよ」
「分かった」
陽気な翠に宿った好戦的な眼差しは、ロイドを納得させるのには十分だった。
改めて臨戦態勢を取った彼に向けて硬貨を握った手を突き出す。
勢いよく親指で弾き飛ばした硬貨が空中で煌めいた。
スタートはほんの一刻。
背の低い草むらに落ちた微かな合図を聞く。
刹那。互いの足が勢いよく地面を蹴り上げた。
住民たちが出払っている支援課ビルに、一つだけ人の気配がある。
迷いなくキーボードを叩く音が静かな部屋に響いていた。
無事にみっしぃパンとの格闘を終えたティオが、端末の前に座っている。
半日が休みになったとはいえ、メンテナンスが入るとなれば気になってしまうようだ。
昼食の時、ランディに午後の予定を聞かれて返答したが、
「お仕事は程々にて楽しいことしとけよ~」
などと言われてしまい、少々納得がいかない。
彼女にとって、画面を流れる数字や文字列の羅列は落ち着く光景だ。
今は、いつも面倒を見ている端末とじゃれ合っている感覚すらあった。
そんな風に遊んでいる最中。
玄関の扉が開き、おっとりした声が室内に広がった。
「こんにちは~。お邪魔しますね」
「こら、フラン。待ちなさいってば!」
柔らかなピンクブラウンの髪が、扉の隙間から顔を覗かせる。
「あっ、ティオちゃん」
「お二人とも、どうしたんですか?」
仲睦まじい姉妹の登場に、ティオが驚いて腰を浮かす。
「お疲れさまです。えっと……この子があたしの部屋見たいって言い出しちゃって」
妹の後を追って入ってきたノエルが困り顔で笑った。
「なるほど。フランさんは前々から休日だと言ってましたね」
「あたしの方が空いたのは急だったので、重なるのはほんと偶然ですけど」
「えへへっ、お姉ちゃんと一緒~」
大好きな姉と過ごせるとあって、フランの喜びようは傍から見ても微笑ましいくらいだ。
ついティオの口元も綻ぶ。
「うるさくてすいません。あ、もうメンテナンスは終わったんですか?」
ノエルは申し訳なさそうに言いながら、端末のディスプレイが煌々としているのを目に留める。
「はい、予定よりも随分早かったみたいですね。こちらの方も問題なさそうです」
彼女はすでに一通りの動作確認を済ませていた。
すっかり寛ぎモードに入っているのが姉妹の目から見てもよく分かる。
「それじゃ、ティオちゃんも一緒にお茶しよ~」
フランは手に持っている可愛らしい紙袋を胸元に引き上げ、綿菓子のように笑った。
テーブルの上に広げた焼き菓子を頬張り、紅茶をひとくち。
女性が数人集まれば話に花が咲くものである。
その中でもフランの浮かれっぷりは最高潮だ。
「うん、うん。お姉ちゃんって感じの部屋だよね」
「もう……別に初めてじゃないでしょ」
落ち着きのない妹の言動は、自然とノエルの溜息を誘う。
「あっ」
しかし、彼女はその姿にある既視感を覚えた。
「そう言えば、午前中のロイドさんもなぜか浮かれていたような……エリィさんも怪しんでいました」
「え~、何か良いことあったのかな?」
なんとなく天井を見上げて呟くと、フランが目を瞬かせる。
「──それは、ランディさんと待ち合わせの予定があったからではないかと」
姉妹の疑問はティオの一言で瞬時にして解決へ向かった。
思わず身を乗り出してきた二人に対し、彼女は淡々とモルジュでのやり取りを説明してみせた。
「う~ん、ランディ先輩が嬉しそうじゃないなんて意外です」
「恋人同士で待ち合わせしてるなら、デートだと思うなぁ」
「……ですよね」
どうやら、全会一致のデート認定が下ったようだ。
ティオは自分の認識が間違っていないと分かり、ホッと胸を撫で下ろした。
始まったばかりの頃は、羽根を持つ観客たちが木々の上で明るく歌っていた。
次第に白熱して空気が振動する度、一羽また一羽と羽ばたき去っていく。
しかし、二人には関係のないことだった。
硬貨が落ちた瞬間から、互いの姿しか目に映っていない。
金属同士が激しくぶつかり火花を散らす。
『手加減はなしだ』と言ったのは本当だったのだろうか?
ロイドは熱を発する中でわずかに戸惑っていた。
スタンハルバードの柄が真っ向からトンファーとかち合っている。
赤色と栗色の前髪が今にも触れそうな至近距離。
ここまで詰められては攻勢に出られず、角度を変えて力を受け流す。
その隙に間を作ろうとしたが、またすぐにランディが突進してきた。
「おいおい、逃がさねぇぜ」
勢いよく振り下ろされた打撃は予想以上に重く、ロイドが歯を食いしばりながら踏ん張る。
ギシギシと全身が軋み、トンファーにヒビが入るのではないかとすら危惧した。
「ぐっ!なん……だよ!?俺みたいなことしやがって!」
燻っていた違和感が荒ぶる声になって吐き出される。
ランディの戦いぶりは、完全にリーチの差を無視したものだった。
しきりに近接戦へ持ち込もうとする動きは、ロイドの戦闘スタイルに近い。
「そんなに熱いかよ?」
憤慨して火が灯る瞳をあざ笑っているかのように、唇の端がつり上がった。
「だが、そこまで真っ直ぐじゃねぇんだよな」
押し付けるようなプレッシャーがほんの一拍だけ弱くなる。
直後、長い柄の先端が地面すれすれでロイドの足元を強襲した。
「うわっ!?」
不意打ちの足払いだ。
ロイドは機転を利かせ、咄嗟に後方へ飛び退いてそれを回避する。
「ランディ!それ、卑怯だろ!?」
「禁止事項のすり合わせはしてねぇぜ。少しは狡くなれよ」
ようやく距離を取れたロイドは、トンファーの持ち手を爪が食い込むくらいに強く握りしめた。
ランディの言うことは尤もで、無意識に唇を噛んだ。
命のやり取りをする戦場では、ある種の狡猾さも必要だと理解している。
彼自身、それが苦手であることは自覚しているつもりだが、面と向かって言われると腹が立つ。
相手が『今』を楽しんでいるのが明白なだけに、尚更だった。
まだ──彼の背中には届かない。
そう思うと、一気に悔しさが込み上げてきた。
そろそろ、じゃれ合うのも終わりだろう。
対峙するロイドの表情は、観察するまでもなく分かりやすかった。
「……そのまま突っ込んでこいよ」
ぺろりと唇をひと舐めし、ランディが小さな呟きを残す。
待ってやるつもりなど一切なかった。
ロイドが動き出す兆候を察知し、スタンハルバードが唸りを上げる。
火竜にも似た焔が威嚇の大口を開けて放たれた。
先手を撃った後、間髪を入れずに脚が走って追撃の構えに切り替える。
彼は、ロイドなら真っ向から受け止めてくるだろうと思っていた。
そのまま力任せに吹き飛ばすつもりで、渾身の一振りを打ち下ろす。
だが、
ほんの一瞬、視界から彼の姿が消えた。
「はっ!?」
質量のある武器の上部が振り落ちる間際、そこを紙一重で栗色の頭がすり抜けてくる。
強打による風圧で数本の髪の毛が散ったが、気にも留めず一気に懐へ潜り込んできた。
「お返しだ!!」
息を吐く間もなく身体を屈め、片脚で容赦なく相手の足首を真横に払う。
「うおっ、マジかよ!?」
大音声がランディの耳を貫き、視界がぐるりと回った。
反射的に受け身を取ろうとした矢先、トンファーを構えたロイドに体当たりをされ、もつれるようにして地面に背中を打ち付ける。
「あー、くそっ……お前は猪かっつーの」
彼はすぐさま身体を起こそうとしたが、それよりも早く上から人の重みがのし掛かってきた。
「よし、取ったぞ!」
嬉々としたロイドの声が、二人だけの空間で天を突く。
驚いて見開いた翠色の両眼が、身体を乗り上げて見下ろしてくる得意げな童顔を捉えた。
片方のトンファーで首元を押さえ付けられ、見事に動きを封じられている。
完全にしてやられた気分だった。
あの僅かな隙間へ入り込もうとしてきた度胸に舌を巻く。
タイミングを誤れば致命傷になりかねない行動を、ロイドは難なくやってのけてみせた。
それは、恐怖に打ち勝つ強い心を持っていることの顕れでもある。
本当に、惚れ惚れするくらい格好良い相棒だ。
「……ランディ?あれ?俺、やりすぎちゃったか?」
組み伏せた男はただジッと見つめてくるだけで、心配になったロイドが眉を寄せて覗き込んだ。
「そんなにヤワじゃねぇよ。だが……」
ようやく口を開いたランディは、好戦的な野味が薄れて普段の顔に戻りつつあった。
「まだまだ詰めが甘いな。このまま形勢逆転してやろうか?」
しかし、体勢が崩れた状態でも自分の武器と戦意は手放していない。
しっかりと手に持っているそれをわざとらしくひと撫でしてみせた。
「何言ってんだよ。それ以上動いたら首の骨が折れるぞ」
途端に首元にかかる力がじわりと強くなる。
「くくっ……過激なこと言ってくれるねぇ。そういうのは嫌いじゃないぜ」
ロイドの警告をどう捉えたのか、彼は嬉しそうでいてどこか意地悪げな色を滲ませた。
「それと、真っ昼間から堂々と押し倒してくるのも大歓迎だ」
「へっ?あ、いや、それは……っ」
急にそんなことを言われてしまい、ロイドは驚いて前のめりになっている上半身を勢いよく引き上げた。
「そ、そういうつもりじゃなくて!」
そのまま、脱兎のごとく飛び退いて距離を取る。
だが、慌てた彼の視界へ焔の色が一気に躍り込んできた。
力の緩んだ手元に打撃を受け、一対のトンファーが弾け飛ぶ。
瞬きをする間もないくらいの速さだった。
ロイドは自分の身に何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
「つれねぇな。そこはキスの一つくらい落としてくれよ」
地面に響いた落下音の後、上から笑いを含んだ声が降ってきた。
首元にひんやりとした金属の感触がして、彼の顔が驚愕を露わにする。
「なっ、なんでこうなるんだよ!?」
「悪ぃな~。お返しのお返しっつーことで」
ついさっきの状況が、人物と武器が入れ替わった形で見事に再現される。
一つだけ違うのは、スタンハルバードの柄で押さえ付けてきた男の中に、色情めいた香りがあることだけだ。
「……やっぱり狡い」
体格と腕力で勝る相手に動きを封じられたら、お手上げた。
ロイドは顔いっぱいに不満を広げ、恨めしげな声を絞り出す。
「お前は反応が素直すぎんだよ」
「そんなこと言ったって……」
放っておけば延々と文句を言いそうな唇を、かさついた親指が宥めるように撫でてくる。
拗ねた瞳が少しだけ穏やかになって揺らめいた。
ランディの意図が分からないほど子供ではないし、悔しいけれどこうやって触れられるのは心地良い。
「まぁ、そういうのは──」
赤い髪の先が頬をかすめ、指ではない柔らかな肉感が静かに重なる。
『好きだけどな』と、声には出さない言葉の続きが、口づけを伝って聞こえてくるような気がした。
姿を消していた小さな観客たちが、いつの間にか戻り始めていた。
二人が甘い舌先で睦み合っているを見ているのか、いないのか。
一際澄んだ鳴き声が色鮮やかに響き渡る。
(……っ?あ、ここ……)
頭の中まで痺れそうな熱に浮かされていたロイドは、この場所が外だということをすっかり失念していた。
鳥の音で一気に覚醒した途端、怒濤のように羞恥が押し寄せてくる。
「ラン……ディ、だめだ……って!」
濡れた吐息が混ざり合う中、覆い被さる身体を退けようと必死に腕を伸ばす。
「ここ……外だから!」
「ん~、別に誰もいねぇしなぁ」
そんな彼に対し、ランディは暢気なものだった。
器用に体重をかけ、片腕だけでスタンハルバードを押し付けたまま、もう片方でロイドの制止を難なく遮る。
指先に小さく歯を立ててみれば、首元からの熱が密着した武器に伝導していくような錯覚を起こした。
気楽に戯れるだけなら、この欲情はどうしたって危うすぎる。
赤毛の男はそれを承知の上で、恋人の身体に触れていた。
もちろん、自制できるギリギリの線はきっちりと見極めているつもりだ。
「そ、そういう問題じゃない!」
組み伏せた幼い顔が視線を彷徨わせ、ここから逃れる言葉を必死に探している。
それを見つめるランディの双眸が、にわかに優しく崩れた。
「お前さぁ、必死すぎんだろ。軽く遊んでただけだからな」
弄っていたロイドの指を名残惜しそうに手放し、ゆっくりと身体を引き起こす。
二人を重ねていた基点を握って持ち上げると、不意にロイドが声を上げた。
「──あっ、そうだ。さっきのあれ!」
彼はこの難局を回避するため、一心不乱で頭を回転させている最中だった。
そのせいか、熱っぽい束縛が解かれていることに気が付いていない。
「ランディが投げたやつ、探さないと」
圧迫感がなくなった身体を跳ね上げた後、地面に膝を落とした姿勢で辺りを見回す。
「……おい、なんなんだよ……そのタイミング」
その横から気の抜けた溜息が返ってきた。
いつの間にかランディは、地に胡座をかいて寛いでいる。
「だって、あれはランディのコインだろ?」
「一枚くらい大したことねぇよ。そもそも、俺が言い出したことだしな」
「でも、お金はお金だし」
当人はまるで気にしていないのだが、ロイドの方は納得がいかないらしい。
跳ね飛ばされたトンファーを拾ってから、手合わせを始めた地点へ足を向ける。
「う~ん……この辺だと思うんだけどなぁ」
しゃがみ込んで探してはみるものの、短い草が生えているせいで見つけるのは容易ではなさそうだ。
ランディはその様子をしばらく眺めていたが、ついには痺れを切らして腰を上げた。
「いい加減に諦めろよ。日が暮れちまう」
地面と睨めっこをしている背中へ歩み寄り、首根っこを掴んで強引に起立させる。
「だったら、俺が返すよ」
彼の言うとおり、空を見上げてみれば太陽は大分傾いてきている。
しかし、ロイドは真面目な性分だ。全てをなかったことにはできそうもない。
振り向いて年長の男を見上げた顔は、申し訳なさでいっぱいだった。
「あ~、そういうのはいらねぇから」
ランディは栗色の髪を一つ掻き混ぜてそう言ったが、この青年がわりと頑固なことも熟知していた。
だから、代わりの案を提示してみせる。とびきり自分に有利な方向へと。
「なら……この後、コイン一枚分の時間は俺によこせよ。それでチャラだ」
「え?それって……」
言葉の意味を図りかねたロイドを前にして、ランディは少しばかり強引に話を切り上げた。
愛用のスタンハルバードを肩に担ぎ、この場から去るべく踵を返して歩き出す。
「取りあえず、なんか軽く食いに行こうぜ」
まだ夕食には早い時間帯だが、実戦さながらの手合わせをすれば多少は腹が減るものだ。
特に急いでいるわけではなく、のんびりと草地を踏んで歩みを進める。
困惑してその場に立ち尽くしている相手を待つつもりはないらしい。
「えっと、奢れってこと……じゃないな」
一方、置いてけぼりのロイドは頭の中を整理しようとしていた。
わざわざ『時間』と言った意味を考えてみる。
そんな彼の耳が、わずかな向かい風に乗ってくる鼻歌を捉えた。
なんとか聴き取れるくらいの小さなそれは、とてもご機嫌な曲調だ。
「……あっ、そうか」
そこで、やっとランディの胸中を垣間見る。
同時に、今朝の廊下で交わしたやり取りを思い出してしまった。
鍛錬に付き合って欲しいと言った時の、あからさまに落胆した様子を。
「ランディ!待てよ!」
ロイドは声を張り上げて走り出した。
少し遠退いた男の背中がピタリと止まる。
「なぁ、『一枚分』ってどれくらいなんだ?」
開いた距離はさほどでもなく、ものの数秒で追いついて問いかける。
ランディは意表を突かれて言葉を失った。
「大した時間にはならな……っ!?」
けれど、硬貨と時間を換算してくる律儀なロイドに反発し、素早く身体が動く。
噛みつくような口づけで声を塞ぎ、離れ際に不敵な笑みを浮かべてみせた。
「あれ、結構レア物なんだぜ?製造数が少ないらしくてよ」
「う、うそ……だろ?」
もしかして、とても高価な代物を放置してきてしまったのだろうか。
ロイドは半信半疑で今しがたまでいた場所を振り返った。
そのまま探しに戻ってしまいそうな気配すら窺える。
「さて、どうだか?ちなみにどれくらいってやつの答え……」
けれど、ランディの方はそれを許すほど寛容にはなれなかった。
いつまでもこんな味気のない場所に留まるよりは、さっさと街に戻りたい。
そんな気持ちが恋人の腕を掴み、耳元に唇を近づけさせる。
「さっきの続きが『本気の遊び』で終わるまでな」
どうせ周囲の仲間たちからはデートだと思われているのだ。
それならば、率先してご期待に添ってやればいい。
囁いた声音は蕩けそうに甘やかだった。
先刻まで二人の男が武器を絡ませていた一画は、すっかり静けさを取り戻していた。
暖色へ変わりつつある陽光が、荒れた草地を優しく撫で回す。
きらりと、何かが光った。
木々の枝先に止まった数羽の鳥たちが、興味深げに舞い降りてくる。
小首を傾げて草の隙間を覗く彼らにあるのは、ただの好奇心。
それがどれくらいの価値を有するかなど、どうでもいいことだった。
2022.05.04
#碧畳む
碧・恋人設定
待ち合わせをしていると言っただけで周囲からデート認定される二人の話。
【文字数:12000】
東通りの町並みには、雑多な賑わいが良く映える。
今は昼時とあって、そこかしこから美味しそうな匂いが漂ってきていた。
そんな中を涼しげな容姿の少年が歩いている。
旧市街と隣接しているこの地区の住民たち、こと女性には有名な顔だ。
色付いた視線や声に対する仕草は洗練されたもので、それだけでも周囲から感嘆の息が零れる。
ワジは久しぶりにトリニティへ顔を出すつもりだった。
特務支援課の一員となってからは忙しい日々が続いていたが、幸いにも思わぬ形で空白が生まれた。
今は『本来の仕事』も小康状態になっている。
「ふふっ、折角のオフだからね。ゆっくりさせてもらおうかな」
普段は大人びた流麗な眼差しが、少しだけ幼さを見せて緩む。
そんな中、彼の耳を聞き覚えのある声が掠めた。
「はい、着いたよ。ここでいいのかな?」
「うん!ありがとう。お兄ちゃん」
とある民家の玄関先で、栗色の髪をした青年が小さな少女と言葉を交わしていた。
腰を屈めて目線を合わせている姿に、彼のさりげない配慮が垣間見える。
その後、少女はぺこりと可愛らしいお辞儀をし、家の中へ入っていった。
「やあ、リーダー。まだお仕事中かい?」
一部始終を微笑ましく眺めやっていたワジが声をかける。
「えっ?あ、ワジか」
不意を突かれた青年の肩が大きく跳ね上がった。
「いや、こっちも終わってる。あの子、港湾区で見つけたんだ。帰り道が分からなくなっちゃったみたいでさ」
「なるほどね。困ってる市民を助けるのは支援課の勤めといったところかな」
ロイドの説明を聞いたワジは、腕組みをしつつ納得した様子で何度か頷いたが、
「あ、やっぱり訂正。君ってばお人好しだから、肩書きとか関係ないよね」
すぐに意地悪げな微笑で上書きをした。
「……うっ。だって泣きそうな顔してたし、放っておけないだろ」
そんな揶揄に図星を指されつつ、ロイドは膨れっ面で年下の同僚を睨めた。
「はいはい。だけど、程々にしておいたら?午後が空く日なんて貴重なわけだし」
ワジは真面目で優しい彼の心根を宥め、やんわりと釘を刺す。
すると、機嫌を損ねているロイドの表情がいきなり喜色へ変化した。
「それ!そうだよな、貴重なんだよな!早く戻らないと」
「あれ?なんだか楽しそうだね」
あまりの急変ぶりに面食らったワジが、表面上は平静に探りを入れる。
人のプライベートを詮索する趣味はないが、こうも嬉しそうな顔をされては気になってしまうのも無理はない。
「港湾区で何かあるのかい?」
言葉の端々から推測し、彼がその場に用があるのは間違いないだろう。
すると、ロイドは弾む声を抑えようともせずに返答してきた。
「ランディと待ち合わせをしてるんだ!」
「──へぇ?」
ワジは目を瞬かせてから無言になったが、その後で堪えきれずにくすくすと笑い出した。
「デートってわけか。相変わらずお熱いね」
「え?違うって。ちょっと付き合って欲しいことがあるんだ」
しかし、茶化したつもりが意外にも真顔で返されてしまった。
嬉々とした雰囲気は変わらず、そこには照れ隠しの意図が一切感じられない。
「……彼、仕事中は何も言ってなかったけど」
午前中はランディと一緒にいたが、特に浮かれた様子はなかった。
あの性格なら惚気て吹聴してきそうなものだが。
ワジは眉を顰めて考え込んでしまった。
今日の午後が休みになると決まったのは、昨日の夕飯時のことだった。
なんでも、通信設備に不具合が生じたため、緊急のメンテナンスが入る予定になったとのことだった。
支援課で使用している端末も影響を受けるので、一時的に支援要請のやり取りができなくなる。
そこで、通信環境が維持される午前中で仕事を切り上げる運びとなったのだ。
一夜明けて、今日の朝。
朝食とミーティングを兼ねて支援課の全員が顔を揃えた時も、二人はいつも通りだった。
どうにも腑に落ちない。
改めてロイドを覗うと、はやる気持ちを抑えきれないのか、面白いくらいにそわそわしていた。
「あのさ、ワジ。そろそろ行きたいんだけど」
「あぁ、これからお楽しみだっていうのに引き止めて悪かったね」
「だから、そういうのじゃない」
ワジがわざとらしくからかうと、ロイドの口がへの字に曲がる。
だが、それも一瞬。すぐに軽やかな足取りで港湾区へ向かって行った。
「……あの浮かれっぷりでデートじゃないって、どうなのさ?」
そんな彼の後ろ姿を見送ったワジは、人知れず肩を竦めて苦笑した。
今日は朝から良い天気で、街中に柔らかな陽光が降り注いでいる。
オープンカフェで食事をするには絶好の環境だ。
向かいに座っている最年少の同僚は、さっきから食事の手が止まっている。
ランディは頬杖を付きながら、半ば呆れた様子で口を開いた。
「なぁ、いい加減食っちまえよ」
「……この絶妙なフォルムが可愛すぎます。さすがはオスカーさんですね」
みっしぃの顔を模ったパンを凝視している少女から、賞賛の息が漏れる。
「気持ちは分かるけどな、そういうのは食ってこそじゃね?」
「それはもちろん……ですが。なかなか心の準備ができません」
どうやら見た目に絆されてしまい、パンを囓る決心が付かないようだ。
モルジュの店内で昼食用のパンを吟味している時、つい条件反射でトングが伸びてしまった。
今は嬉しさの中で、ほんのちょっぴり後悔をしている。
ティオはさり気なくランディのトレーを見た。
彼は早々と食事を済ませ、残り少なくなったジュースを啜っている。
「ランディさんはこれから歓楽街ですか?でしたら、私にお構いなく」
なんだか待たせているような気がしてしまい、申し訳なさが先に立った。
「遊びっつーか、これからロイドくんと待ち合わせ」
すると、予想だにしていなかった返事があった。
大きな瞳は完全にみっしぃから外れ、目の前にいる男へまじまじと注がれる。
「……デートですか?」
「そう言いたいとこだが、残念ながら違うんだよなぁ」
ランディは言葉通りの感情を顔面に滲ませた。
「でも、待ち合わせですよね?」
疑問符を浮かべる少女を一瞥し、口角を歪めながら腕時計を確認する。
「まぁ、な……おっと、さすがにやべぇか」
どうやら時間が迫っているようで、寛いでいる姿から一転、勢いよく椅子から立ち上がった。
「先に行くぜ。それ、ちゃんと食えよ」
空になったトレーを片手で持ち、もう一方の手で水色の頭をぽんぽんと叩く。
そして、まだ首を傾げている彼女に小声で何かを言った後、その場から去っていった。
「なんというか……ロイドさんらしいですね」
離席した大きな背中がちっとも嬉しそうには見えず、それが可笑しくて堪らない。
「でも、やっぱりデートだと思います」
ティオは密かに微笑みつつ、再びみっしぃのパンと向かい合った。
自覚のない恋人たちの緩さに当てられ、睨めっこの緊張感はどこへやら。
このまま気負いなく最初の一口を囓ることができそうだった。
真面目なロイドとの待ち合わせで遅刻など、極力したいとは思わなかった。
後からどんなお小言が飛んでくるか分からない。
ランディは足早に港湾区へ向かったが、残念ながら約束の時間は数分ほど過ぎてしまっていた。
「はぁ……のんびりしすぎちまったな」
ベンチの側で落ち着きなく彷徨いている青年を見つけ、彼は腹を括った。
非があるのはこちら側なので、怒られるのは仕方がない。
──はずだったのだが。
開口一番で謝るつもりだったランディよりも早く、ロイドが駆け寄ってきた。
「ランディ!お疲れさま」
「お、おう……お疲れさん」
礼儀正しく相手を労う声が元気に響く。
「遅れちまって悪かったな」
出鼻をくじかれて戸惑いながらも謝罪をすると、ロイドは目を丸くして近くの時計を見上げた。
「あれ?過ぎてたのか。全然気がつかなかったよ」
「なんだ、それ。いつもは時間にうるさいくせに」
珍しいこともあるものだ。
ランディは一気に肩から力が抜けていくのを感じた。
そこへ、抱き付きそうな勢いのロイドが距離を詰めてくる。
「だって、嬉しすぎてさ。時間なんて頭から抜けてた」
その場で飛び跳ねてしまいそうなくらいに、感情が溢れ出していた。
全開の笑顔がきらきらと輝いている。
(……なんか、犬っぽくね?)
危うく声に出そうになる所をなんとか抑え、ランディは胸の内でぼそりと呟いた。
ロイドの姿が、これでもかと言わんばかりに喜びを表現する犬と重なる。
ぶんぶんと尻尾を振りまくっている幻覚が見えてきそうだ。
(くそっ、可愛いとか言っちまいてぇ)
思いも寄らない態度を取られ、栗色の髪を思いっきり掻き混ぜてやりたい衝動に駆られる。
「どうしたんだよ?早く行こう」
急に唇を引き結んで無言になってしまった彼を、ロイドが訝しんだ。
しかし、こんなやり取りをする時間さえも惜しいのか、すぐさま袖を掴んで急かす。
まるで飼い主との散歩を待ちきれない犬のようだ。
ランディは頭を振って強引に惚気た妄想をリセットするしかなかった。
「──それで、どこでやるんだ?」
「東クロスベル街道だな。あの辺なら奥に行けば拓けてるし」
ロイドは考え込むような仕草を見せたが、きっと『その場所』は予め決まっているに違いない。
ランディは浮かれた足取りの青年を宥め、道中を彼に委ねることにした。
他愛のない会話を交わしながら、綺麗に舗装された街道を並んで歩く。
途中で定期運行のバスや数台の導力車とすれ違ったが、それ以外は静かなものだった。
昔と比べれば移動手段も増え、徒歩で街道を行く一般市民はまばらだ。
長閑な風情の中、時折吹き抜けていく風が心地良い。
相変わらず嬉しそうにしているロイドの横で、ランディは今朝のことを思い出していた。
一階でミーティングを終えた後、身支度を整えるためにそれぞれが自室へ戻っていった。
ロイドとセルゲイはテーブルの横で立ち話をしていたが、それはいつもの朝の風景だ。
ランディはさして気にも留めず二階へ上がり、自室のドアノブに手をかけた。
すると、急に慌ただしい足音が駆け上がってた。
「ランディ、ちょっと待ってくれ」
「なんかあったのか?」
何事かと顔を引き締めたが、ロイドの表情にそこまでの緊迫感はなかった。
「あ、そうじゃなくて。今日の午後って空いてるかな?」
彼はわずかに逡巡したが、率直に用件を切り出してきた。
「ちょいと遊びに歩こうかってくらいで、特に用はねぇな」
こうやってロイドの方から声をかけてくることは珍しい。
ランディは驚きと嬉しさが混じり合う中で、恋人としての淡い期待を隠せなかった。
「で、なんのお誘いをしてくれるわけ?」
そんな心情もあり、意味深げな問いを返してみたくなったのだが。
次に聞こえたロイドの言葉は彼を大きく裏切るものだった。
朝っぱらから、これ以上ないくらい盛大な溜息が出てしまうほどに。
まるでつい数分前のやり取りだったような気がする。
いつの間にか街道から脇に逸れ、草を踏み締める音が深くなっていた。
(……ぬか喜びさせやがって。マジで色気の欠片もねぇな)
彼としてはもう少し大人のお付き合いをしたいのだが、相手はまだまだお子様だと認識せざるを得ない。
木々がさざめく合間に小鳥の囀りが聞こえ、ランディは微かに表情を緩めた。
(それはそれで、可愛いことには違いないんだが)
徐々に視界が明るくなり、拓けた場所へ駆け出していく愛しい背中を眺めやる。
「しょうがねぇから、いっちょ揉んでやるか」
彼は手元でスタンハルバードの感触を確かめ、一度軽く振ってからのんびりとロイドの後を追った。
街道から離れた閑散とした場所で、今は二人きり。
どんな形であれ彼を独占できる状況なのは事実で、沸々と嬉しさが込み上げてきた。
「こうやってランディとやり合うのは久しぶりだな。付き合ってくれてありがとう」
互いに距離を取って対峙する。
ロイドは愛用のトンファーを器用に一回転させ、律儀に礼を口にした。
「まぁ……イチャつけないのは残念だが、たまにはこういうのも悪くねぇ」
どうしても未練が残り、それを言葉の端に滲ませたランディは、おもむろに上着のポケットを弄った。
「それじゃ、早速……」
「おっと。そんなに急くなよ」
すぐにでも始めたいロイドは武器を構えたが、相手は悠長に立ったままで体勢を整えようともしない。
「どうせなら、こいつで始めようぜ」
彼はポケットから何かを取り出し、それを親指で真上に弾いた。
「それ……コイン?」
頂点で太陽を受けた金属が輝き、そのまま重力に任せて落下する。
ランディは胸元のあたりで容易く硬貨を掴み取って、にやりと笑った。
「こいつを弾いて地面に落ちた瞬間、互いに仕掛けるってことでどうよ?」
「でも、それってランディの方が不利じゃないか?」
彼の提案に乗ろうとしたロイドだが、ふとした疑問が生じた。
硬貨を弾いた後では、動き出しが遅くなってしまう可能性がある。
それでは対等と言えない気がした。
「リーチの差を考えたら、妥当だと思うぜ」
「……ハンデのつもりなら、いらない」
ランディは互いの戦闘スタイルを鑑みて返答をしたが、ロイドにはそれが面白くなかった。
トンファーを強く握りしめ、仏頂面で相手を睨みつける。
「ははっ、そうじゃねぇよ。ちょっとした遊び心ってやつ」
別に軽んじているわけではなく、手を抜くつもりなど毛頭ないのだが、この手のやり取りにロイドはいつも過剰な反応を示す。
ただ真っ直ぐに背中を追ってくる気配は心地良く、ランディは嬉しそうに自らの獲物を構えた。
「手加減はなしだ。覚悟しとけよ」
「分かった」
陽気な翠に宿った好戦的な眼差しは、ロイドを納得させるのには十分だった。
改めて臨戦態勢を取った彼に向けて硬貨を握った手を突き出す。
勢いよく親指で弾き飛ばした硬貨が空中で煌めいた。
スタートはほんの一刻。
背の低い草むらに落ちた微かな合図を聞く。
刹那。互いの足が勢いよく地面を蹴り上げた。
住民たちが出払っている支援課ビルに、一つだけ人の気配がある。
迷いなくキーボードを叩く音が静かな部屋に響いていた。
無事にみっしぃパンとの格闘を終えたティオが、端末の前に座っている。
半日が休みになったとはいえ、メンテナンスが入るとなれば気になってしまうようだ。
昼食の時、ランディに午後の予定を聞かれて返答したが、
「お仕事は程々にて楽しいことしとけよ~」
などと言われてしまい、少々納得がいかない。
彼女にとって、画面を流れる数字や文字列の羅列は落ち着く光景だ。
今は、いつも面倒を見ている端末とじゃれ合っている感覚すらあった。
そんな風に遊んでいる最中。
玄関の扉が開き、おっとりした声が室内に広がった。
「こんにちは~。お邪魔しますね」
「こら、フラン。待ちなさいってば!」
柔らかなピンクブラウンの髪が、扉の隙間から顔を覗かせる。
「あっ、ティオちゃん」
「お二人とも、どうしたんですか?」
仲睦まじい姉妹の登場に、ティオが驚いて腰を浮かす。
「お疲れさまです。えっと……この子があたしの部屋見たいって言い出しちゃって」
妹の後を追って入ってきたノエルが困り顔で笑った。
「なるほど。フランさんは前々から休日だと言ってましたね」
「あたしの方が空いたのは急だったので、重なるのはほんと偶然ですけど」
「えへへっ、お姉ちゃんと一緒~」
大好きな姉と過ごせるとあって、フランの喜びようは傍から見ても微笑ましいくらいだ。
ついティオの口元も綻ぶ。
「うるさくてすいません。あ、もうメンテナンスは終わったんですか?」
ノエルは申し訳なさそうに言いながら、端末のディスプレイが煌々としているのを目に留める。
「はい、予定よりも随分早かったみたいですね。こちらの方も問題なさそうです」
彼女はすでに一通りの動作確認を済ませていた。
すっかり寛ぎモードに入っているのが姉妹の目から見てもよく分かる。
「それじゃ、ティオちゃんも一緒にお茶しよ~」
フランは手に持っている可愛らしい紙袋を胸元に引き上げ、綿菓子のように笑った。
テーブルの上に広げた焼き菓子を頬張り、紅茶をひとくち。
女性が数人集まれば話に花が咲くものである。
その中でもフランの浮かれっぷりは最高潮だ。
「うん、うん。お姉ちゃんって感じの部屋だよね」
「もう……別に初めてじゃないでしょ」
落ち着きのない妹の言動は、自然とノエルの溜息を誘う。
「あっ」
しかし、彼女はその姿にある既視感を覚えた。
「そう言えば、午前中のロイドさんもなぜか浮かれていたような……エリィさんも怪しんでいました」
「え~、何か良いことあったのかな?」
なんとなく天井を見上げて呟くと、フランが目を瞬かせる。
「──それは、ランディさんと待ち合わせの予定があったからではないかと」
姉妹の疑問はティオの一言で瞬時にして解決へ向かった。
思わず身を乗り出してきた二人に対し、彼女は淡々とモルジュでのやり取りを説明してみせた。
「う~ん、ランディ先輩が嬉しそうじゃないなんて意外です」
「恋人同士で待ち合わせしてるなら、デートだと思うなぁ」
「……ですよね」
どうやら、全会一致のデート認定が下ったようだ。
ティオは自分の認識が間違っていないと分かり、ホッと胸を撫で下ろした。
始まったばかりの頃は、羽根を持つ観客たちが木々の上で明るく歌っていた。
次第に白熱して空気が振動する度、一羽また一羽と羽ばたき去っていく。
しかし、二人には関係のないことだった。
硬貨が落ちた瞬間から、互いの姿しか目に映っていない。
金属同士が激しくぶつかり火花を散らす。
『手加減はなしだ』と言ったのは本当だったのだろうか?
ロイドは熱を発する中でわずかに戸惑っていた。
スタンハルバードの柄が真っ向からトンファーとかち合っている。
赤色と栗色の前髪が今にも触れそうな至近距離。
ここまで詰められては攻勢に出られず、角度を変えて力を受け流す。
その隙に間を作ろうとしたが、またすぐにランディが突進してきた。
「おいおい、逃がさねぇぜ」
勢いよく振り下ろされた打撃は予想以上に重く、ロイドが歯を食いしばりながら踏ん張る。
ギシギシと全身が軋み、トンファーにヒビが入るのではないかとすら危惧した。
「ぐっ!なん……だよ!?俺みたいなことしやがって!」
燻っていた違和感が荒ぶる声になって吐き出される。
ランディの戦いぶりは、完全にリーチの差を無視したものだった。
しきりに近接戦へ持ち込もうとする動きは、ロイドの戦闘スタイルに近い。
「そんなに熱いかよ?」
憤慨して火が灯る瞳をあざ笑っているかのように、唇の端がつり上がった。
「だが、そこまで真っ直ぐじゃねぇんだよな」
押し付けるようなプレッシャーがほんの一拍だけ弱くなる。
直後、長い柄の先端が地面すれすれでロイドの足元を強襲した。
「うわっ!?」
不意打ちの足払いだ。
ロイドは機転を利かせ、咄嗟に後方へ飛び退いてそれを回避する。
「ランディ!それ、卑怯だろ!?」
「禁止事項のすり合わせはしてねぇぜ。少しは狡くなれよ」
ようやく距離を取れたロイドは、トンファーの持ち手を爪が食い込むくらいに強く握りしめた。
ランディの言うことは尤もで、無意識に唇を噛んだ。
命のやり取りをする戦場では、ある種の狡猾さも必要だと理解している。
彼自身、それが苦手であることは自覚しているつもりだが、面と向かって言われると腹が立つ。
相手が『今』を楽しんでいるのが明白なだけに、尚更だった。
まだ──彼の背中には届かない。
そう思うと、一気に悔しさが込み上げてきた。
そろそろ、じゃれ合うのも終わりだろう。
対峙するロイドの表情は、観察するまでもなく分かりやすかった。
「……そのまま突っ込んでこいよ」
ぺろりと唇をひと舐めし、ランディが小さな呟きを残す。
待ってやるつもりなど一切なかった。
ロイドが動き出す兆候を察知し、スタンハルバードが唸りを上げる。
火竜にも似た焔が威嚇の大口を開けて放たれた。
先手を撃った後、間髪を入れずに脚が走って追撃の構えに切り替える。
彼は、ロイドなら真っ向から受け止めてくるだろうと思っていた。
そのまま力任せに吹き飛ばすつもりで、渾身の一振りを打ち下ろす。
だが、
ほんの一瞬、視界から彼の姿が消えた。
「はっ!?」
質量のある武器の上部が振り落ちる間際、そこを紙一重で栗色の頭がすり抜けてくる。
強打による風圧で数本の髪の毛が散ったが、気にも留めず一気に懐へ潜り込んできた。
「お返しだ!!」
息を吐く間もなく身体を屈め、片脚で容赦なく相手の足首を真横に払う。
「うおっ、マジかよ!?」
大音声がランディの耳を貫き、視界がぐるりと回った。
反射的に受け身を取ろうとした矢先、トンファーを構えたロイドに体当たりをされ、もつれるようにして地面に背中を打ち付ける。
「あー、くそっ……お前は猪かっつーの」
彼はすぐさま身体を起こそうとしたが、それよりも早く上から人の重みがのし掛かってきた。
「よし、取ったぞ!」
嬉々としたロイドの声が、二人だけの空間で天を突く。
驚いて見開いた翠色の両眼が、身体を乗り上げて見下ろしてくる得意げな童顔を捉えた。
片方のトンファーで首元を押さえ付けられ、見事に動きを封じられている。
完全にしてやられた気分だった。
あの僅かな隙間へ入り込もうとしてきた度胸に舌を巻く。
タイミングを誤れば致命傷になりかねない行動を、ロイドは難なくやってのけてみせた。
それは、恐怖に打ち勝つ強い心を持っていることの顕れでもある。
本当に、惚れ惚れするくらい格好良い相棒だ。
「……ランディ?あれ?俺、やりすぎちゃったか?」
組み伏せた男はただジッと見つめてくるだけで、心配になったロイドが眉を寄せて覗き込んだ。
「そんなにヤワじゃねぇよ。だが……」
ようやく口を開いたランディは、好戦的な野味が薄れて普段の顔に戻りつつあった。
「まだまだ詰めが甘いな。このまま形勢逆転してやろうか?」
しかし、体勢が崩れた状態でも自分の武器と戦意は手放していない。
しっかりと手に持っているそれをわざとらしくひと撫でしてみせた。
「何言ってんだよ。それ以上動いたら首の骨が折れるぞ」
途端に首元にかかる力がじわりと強くなる。
「くくっ……過激なこと言ってくれるねぇ。そういうのは嫌いじゃないぜ」
ロイドの警告をどう捉えたのか、彼は嬉しそうでいてどこか意地悪げな色を滲ませた。
「それと、真っ昼間から堂々と押し倒してくるのも大歓迎だ」
「へっ?あ、いや、それは……っ」
急にそんなことを言われてしまい、ロイドは驚いて前のめりになっている上半身を勢いよく引き上げた。
「そ、そういうつもりじゃなくて!」
そのまま、脱兎のごとく飛び退いて距離を取る。
だが、慌てた彼の視界へ焔の色が一気に躍り込んできた。
力の緩んだ手元に打撃を受け、一対のトンファーが弾け飛ぶ。
瞬きをする間もないくらいの速さだった。
ロイドは自分の身に何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
「つれねぇな。そこはキスの一つくらい落としてくれよ」
地面に響いた落下音の後、上から笑いを含んだ声が降ってきた。
首元にひんやりとした金属の感触がして、彼の顔が驚愕を露わにする。
「なっ、なんでこうなるんだよ!?」
「悪ぃな~。お返しのお返しっつーことで」
ついさっきの状況が、人物と武器が入れ替わった形で見事に再現される。
一つだけ違うのは、スタンハルバードの柄で押さえ付けてきた男の中に、色情めいた香りがあることだけだ。
「……やっぱり狡い」
体格と腕力で勝る相手に動きを封じられたら、お手上げた。
ロイドは顔いっぱいに不満を広げ、恨めしげな声を絞り出す。
「お前は反応が素直すぎんだよ」
「そんなこと言ったって……」
放っておけば延々と文句を言いそうな唇を、かさついた親指が宥めるように撫でてくる。
拗ねた瞳が少しだけ穏やかになって揺らめいた。
ランディの意図が分からないほど子供ではないし、悔しいけれどこうやって触れられるのは心地良い。
「まぁ、そういうのは──」
赤い髪の先が頬をかすめ、指ではない柔らかな肉感が静かに重なる。
『好きだけどな』と、声には出さない言葉の続きが、口づけを伝って聞こえてくるような気がした。
姿を消していた小さな観客たちが、いつの間にか戻り始めていた。
二人が甘い舌先で睦み合っているを見ているのか、いないのか。
一際澄んだ鳴き声が色鮮やかに響き渡る。
(……っ?あ、ここ……)
頭の中まで痺れそうな熱に浮かされていたロイドは、この場所が外だということをすっかり失念していた。
鳥の音で一気に覚醒した途端、怒濤のように羞恥が押し寄せてくる。
「ラン……ディ、だめだ……って!」
濡れた吐息が混ざり合う中、覆い被さる身体を退けようと必死に腕を伸ばす。
「ここ……外だから!」
「ん~、別に誰もいねぇしなぁ」
そんな彼に対し、ランディは暢気なものだった。
器用に体重をかけ、片腕だけでスタンハルバードを押し付けたまま、もう片方でロイドの制止を難なく遮る。
指先に小さく歯を立ててみれば、首元からの熱が密着した武器に伝導していくような錯覚を起こした。
気楽に戯れるだけなら、この欲情はどうしたって危うすぎる。
赤毛の男はそれを承知の上で、恋人の身体に触れていた。
もちろん、自制できるギリギリの線はきっちりと見極めているつもりだ。
「そ、そういう問題じゃない!」
組み伏せた幼い顔が視線を彷徨わせ、ここから逃れる言葉を必死に探している。
それを見つめるランディの双眸が、にわかに優しく崩れた。
「お前さぁ、必死すぎんだろ。軽く遊んでただけだからな」
弄っていたロイドの指を名残惜しそうに手放し、ゆっくりと身体を引き起こす。
二人を重ねていた基点を握って持ち上げると、不意にロイドが声を上げた。
「──あっ、そうだ。さっきのあれ!」
彼はこの難局を回避するため、一心不乱で頭を回転させている最中だった。
そのせいか、熱っぽい束縛が解かれていることに気が付いていない。
「ランディが投げたやつ、探さないと」
圧迫感がなくなった身体を跳ね上げた後、地面に膝を落とした姿勢で辺りを見回す。
「……おい、なんなんだよ……そのタイミング」
その横から気の抜けた溜息が返ってきた。
いつの間にかランディは、地に胡座をかいて寛いでいる。
「だって、あれはランディのコインだろ?」
「一枚くらい大したことねぇよ。そもそも、俺が言い出したことだしな」
「でも、お金はお金だし」
当人はまるで気にしていないのだが、ロイドの方は納得がいかないらしい。
跳ね飛ばされたトンファーを拾ってから、手合わせを始めた地点へ足を向ける。
「う~ん……この辺だと思うんだけどなぁ」
しゃがみ込んで探してはみるものの、短い草が生えているせいで見つけるのは容易ではなさそうだ。
ランディはその様子をしばらく眺めていたが、ついには痺れを切らして腰を上げた。
「いい加減に諦めろよ。日が暮れちまう」
地面と睨めっこをしている背中へ歩み寄り、首根っこを掴んで強引に起立させる。
「だったら、俺が返すよ」
彼の言うとおり、空を見上げてみれば太陽は大分傾いてきている。
しかし、ロイドは真面目な性分だ。全てをなかったことにはできそうもない。
振り向いて年長の男を見上げた顔は、申し訳なさでいっぱいだった。
「あ~、そういうのはいらねぇから」
ランディは栗色の髪を一つ掻き混ぜてそう言ったが、この青年がわりと頑固なことも熟知していた。
だから、代わりの案を提示してみせる。とびきり自分に有利な方向へと。
「なら……この後、コイン一枚分の時間は俺によこせよ。それでチャラだ」
「え?それって……」
言葉の意味を図りかねたロイドを前にして、ランディは少しばかり強引に話を切り上げた。
愛用のスタンハルバードを肩に担ぎ、この場から去るべく踵を返して歩き出す。
「取りあえず、なんか軽く食いに行こうぜ」
まだ夕食には早い時間帯だが、実戦さながらの手合わせをすれば多少は腹が減るものだ。
特に急いでいるわけではなく、のんびりと草地を踏んで歩みを進める。
困惑してその場に立ち尽くしている相手を待つつもりはないらしい。
「えっと、奢れってこと……じゃないな」
一方、置いてけぼりのロイドは頭の中を整理しようとしていた。
わざわざ『時間』と言った意味を考えてみる。
そんな彼の耳が、わずかな向かい風に乗ってくる鼻歌を捉えた。
なんとか聴き取れるくらいの小さなそれは、とてもご機嫌な曲調だ。
「……あっ、そうか」
そこで、やっとランディの胸中を垣間見る。
同時に、今朝の廊下で交わしたやり取りを思い出してしまった。
鍛錬に付き合って欲しいと言った時の、あからさまに落胆した様子を。
「ランディ!待てよ!」
ロイドは声を張り上げて走り出した。
少し遠退いた男の背中がピタリと止まる。
「なぁ、『一枚分』ってどれくらいなんだ?」
開いた距離はさほどでもなく、ものの数秒で追いついて問いかける。
ランディは意表を突かれて言葉を失った。
「大した時間にはならな……っ!?」
けれど、硬貨と時間を換算してくる律儀なロイドに反発し、素早く身体が動く。
噛みつくような口づけで声を塞ぎ、離れ際に不敵な笑みを浮かべてみせた。
「あれ、結構レア物なんだぜ?製造数が少ないらしくてよ」
「う、うそ……だろ?」
もしかして、とても高価な代物を放置してきてしまったのだろうか。
ロイドは半信半疑で今しがたまでいた場所を振り返った。
そのまま探しに戻ってしまいそうな気配すら窺える。
「さて、どうだか?ちなみにどれくらいってやつの答え……」
けれど、ランディの方はそれを許すほど寛容にはなれなかった。
いつまでもこんな味気のない場所に留まるよりは、さっさと街に戻りたい。
そんな気持ちが恋人の腕を掴み、耳元に唇を近づけさせる。
「さっきの続きが『本気の遊び』で終わるまでな」
どうせ周囲の仲間たちからはデートだと思われているのだ。
それならば、率先してご期待に添ってやればいい。
囁いた声音は蕩けそうに甘やかだった。
先刻まで二人の男が武器を絡ませていた一画は、すっかり静けさを取り戻していた。
暖色へ変わりつつある陽光が、荒れた草地を優しく撫で回す。
きらりと、何かが光った。
木々の枝先に止まった数羽の鳥たちが、興味深げに舞い降りてくる。
小首を傾げて草の隙間を覗く彼らにあるのは、ただの好奇心。
それがどれくらいの価値を有するかなど、どうでもいいことだった。
2022.05.04
#碧畳む
幸せな失態
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うっかり手を繋いでしまって恥ずかしいランディと何だか嬉しいロイドの話。
【文字数:4400】
どうせ振り払えないなら、さっさと帰ってしまいたかった。
けれど、隣にある嬉しそうな顔は暢気な足取りを崩そうともしない。
ランディはいつもなら軽妙な唇を引き結び、ただ前を向いて歩いた。
薄闇を纏った街中を微かな夜風が通り過ぎていく。
夜陰に紛れているとはいえ、それを涼しいと感じてしまうくらいに彼は赤面していた。
──話は少し前に遡る。
歓楽街の夜は今が最高潮といった様相だ。
煌びやかなネオンの下、享楽に浮かれた人々が集まっている。
そんな中を彼らは肩を並べて歩いていた。
「う~ん、これ以上は何もなさそうだな」
「ま、それなりに収穫はあったからいいんじゃね?」
真剣な面持ちで唸っているロイドとは対照的に、ランディはすれ違う夜の蝶たちを緩やかな笑みで眺めやっている。
二人はとある任務で情報収集の為にここを訪れていた。
当たりを付けた数軒の店を回り、いくつかの有益な情報を得られたので、結果は上々といったところだろう。
「──で、この後どうする?」
「帰るに決まってんだろ」
仕事の終わりを察知した陽気な声を、ロイドは言葉少なに切り捨てた。
夜遊び好きな相棒の言いたいことなんて分かりきっている。
「なんだよ。つまんねぇヤツだな」
ランディはわざとらしく肩を竦めてみせた。
「そんなに行きたいなら、一人でブラついてこい」
「あいにくと、お一人様って気分じゃねぇから」
仕事の一環とはいえ、折角二人で歓楽街に来ているのだ。
彼にしてみれば又とない機会なのだから、飲みに行きたくなるのは当然だろう。
しかし、ロイドの態度は素っ気ない。
色よい返事は貰えそうになく、それでも諦めきれなくて声をかけ続ける。
「たまには付き合えよ。一杯だけでいいから」
「さっきの情報、帰って整理しとかないと」
「そのくらい飲みながらでもできんだろ?」
雑多な人並みの中をのんびりと歩みながら、男たちは軽く押し問答を繰り広げた。
もちろんそこに険悪な雰囲気はなく、会話だけでじゃれ合っているようにも見える。
二人はそのまましばらく絡んでいたが、肝心の話はずっと平行線のままだった。
「はぁ……真面目すぎるっつーか、頑固っつーか」
頑なに誘いを突っぱねられ、さすがのランディも消沈の溜息で首を左右に振る。
「お前さぁ、もうちょい緩くなれねぇのかよ」
無駄だと解っていても、つい愚痴っぽくなってしまう。
「帰宅するまでがお仕事ですとか……マジで思ってそうだよなぁ」
しかし、いつの間にかテンポ良く返ってきていたロイドの声が聞こえなくなっていた。
「──おい?」
隣に彼の気配はなく、気色ばんで立ち止まる。
一方的に不満を零していたせいで注意散漫だったのか、まるで気が付かなかった。
その場で振り返り、賑わう通りの中へ鋭い視線を走らせる。
幸いにも栗色の頭をした相棒の姿はすぐに見つかった。
だが、その状況を察した途端に張り詰めた緊張感が崩れ落ちていく。
「……何やってんだよ、あいつは」
街路に立ち並ぶ店の一画。
ロイドが艶やかに着飾っている女に捕まっていた。
どうにも彼は妙齢の女性に対して及び腰だ。
日頃、セシルやイリヤに構われている影響があるのかもしれない。
ランディは少し離れた所からロイドの様子を覗った。
明らかに年上であろう女に迫られ、あたふたしている姿が笑いを誘う。
「いっそのこと、放置してみるか?」
ふと意地悪げな思考が過ぎったが、あの困り顔ではさすがに可哀想になってくる。
しかも、落ち着きのない視線は明らかに『誰か』を探して助けを求めていた。
そんなものを見てしまっては、とてもじゃないが放っておける気がしない。
「ったく、世話のかかるヤツだぜ」
どこか楽しげに呟いたランディは、助け船を出してやることにした。
彼はゆったりと二人の方へ歩み寄り、人懐っこい笑みを浮かべながら声をかけた。
「あー、悪ぃな。こいつウブだからさぁ……それくらいにしといてやってくれよ」
同時にロイドの首根っこを掴み、女との距離を取らせる。
「あら、ランディさんじゃない。随分とご無沙汰だったわね」
「ここしばらく忙しかったんでな」
どうやら彼女とランディは顔見知りの間柄らしい。
親しげなやり取りが耳に届き、ロイドはホッと胸を撫で下ろした。
こういった空気が苦手な彼にとって、この界隈に慣れている相棒の存在は頼もしい。
首に掛かっていた手は外れているが、側にいてくれるだけで不安が和らいでいくのを感じた。
「──今夜は寄るとこ決まってんだよ。また今度顔を出すぜ」
「つれないわね。まぁ、期待せずに待ってるわ」
安堵したせいか気が抜けてしまっていたらしく、男女の会話はいつの間にか収束に向かっている。
「そっちの可愛いあなたもね」
「……へ?」
だが、急に女から魅惑的な微笑みを投げかけられ、ロイドは目を丸くして固まってしまった。
それを横で見ていたランディが、わずかに顔を歪める。
歓楽街ではありふれた接客の光景だが、やたらと不愉快さが込み上げてきた。
「おい、行くぞ」
「え、あ……」
ロイドに軽く目配せをしたものの、戸惑い気味な足は動き出そうとしない。
一刻も早くこの場から立ち去りたくなったランディは、強引に彼の手を引いた。
表面上は平静を装い、軟派な笑顔を浮かべながら馴染みの女にひと声。
「それじゃぁな」
彼女からの応答も聞かず、さっさと踵を返して童顔の青年を引きずっていく。
そんな後ろ姿を興味深げに見送った女は、鮮やかな色の唇で意味深げな笑みを浮かべた。
「もしかして……ご執心なのかしら?」
あの赤毛の男は上手くこの夜の街を遊び歩いている。
戯けた言動の裏で、誰に深入りすることもなく、誰かを懐に入れることもなく。
それがほんの一瞬だけ崩れた。
珍しいものを見てしまったと、彼女は思った。
乱れていた足取りが段々と落ち着いてきた。
引っ張られる感覚は薄れたが、未だに温もりは伴ったまま。
「お前さぁ、少しはあしらい方くらい覚えとけよ?」
ロイドの戸惑いをよそに、ランディはいつもの調子で口を開いた。
「そ、そうだ…な」
茶色の瞳は落ち着きなく彷徨っていたが、どうしても手元に意識が行ってしまうのを止められない。
(こんなの……初めてだ)
しっかりと繋がれて密着した手の平からは、熱が零れ落ちそうだ。
向こうが強く握ってくるせいで、より捕らわれている感覚が強くなる。
「無下にできないのは、年上の綺麗なお姉様たちに可愛がられてる弊害っていうやつかねぇ」
胸の鼓動が忙しなくなり、それが相手に伝わってしまいそうな気がしたが、耳に入ってきた言葉は存外に嫌み混じりなものだった。
(あれ?もしかして気が付いてない?)
困惑も最高潮になり、なんとか冷静になろうと苦慮する中、ロイドはふとあることに思い当たった。
日頃から、ランディに身体を引っ張られること自体は珍しくない。
そして、その時に掴む場所は腕やせいぜい手首のあたりだ。
(まさか、咄嗟に間違えたんじゃ……)
考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなってきた。
次第に歓楽街の喧噪が遠退き、景色が静かな街並みに移り変わっていく。
それでも二人の手は離れる気配がなかった。
「おい、こら。聞いてんのか?」
「聞いてるけど……」
少しだけ低い声が降ってきて、ロイドは上目遣いで傍らの表情を探った。
本当は指摘してあげた方がいいのかもしれない。
けれど、緊張と恥ずかしさで弾む心音にも慣れてきてしまい、大きな手の温もりが心地良くなってくる。
彼には悪いと思いながらも、まだこのままでいたいという気持ちは強まっていた。
「けど……なんだよ?」
ランディはさっきから鈍い反応ばかりの相手を訝しみ、その場で立ち止まった。
見下ろした顔は困っているような、それでいて嬉しそうな不思議な色合いをしている。
不意にきゅっと小さく手を握られた。
「なっ……!?」
ようやく『それ』に気が付いた彼は、手元を見て唖然とした。
雷に打たれたかのような衝撃が、四肢の動きと思考を停止させる。
「やっぱり手首と間違えたんだな」
硬直してしまった赤毛の男に対し、ロイドはただ苦笑した。
本当に珍しいことだ。
そうやって揶揄したい気持ちもゼロではなかったが、事の経緯を考えれば安易な言葉を吐きたくはなかった。
だって、彼はあの女への対応に苦慮していた所を助けてくれたのだから。
「……てめぇ、分かってたならさっさとツッコめよ」
しばらくして、ランディの口からくぐもった声が発せられた。
彼にしてみれば大きな失態であり、その羞恥を誤魔化そうとする口調は少し荒っぽい。
気もそぞろな両眼が、不自然なくらいに街の風景ばかりを映し出していた。
「こういうの……柄じゃねぇんだよ」
「うん、知ってる」
ランディは振り解こうとして腕に力を込めた。
だが、その瞬間。明快な言葉と共に、さっきよりも更に強く手を握られた。
ロイドはこの状況の継続を望んでいる。
それを態度で示されたことで、彼は苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「離せ。お前だってそういう性格じゃねぇだろうが」
「確かにそうだけど」
「だったら……」
移ろいでいた視線は、やっと相手を正面から捉える形に収まった。
こんな児戯のような束縛だったら、強引にでも振り解ける。
そう思って身体を動かそうとした矢先、ロイドが肩を震わせて笑った。
「でもさ、なんか意外に悪くないかもなって」
恥ずかしいには違いないけれど、こんな些細な触れ合いでも幸福感でいっぱいになれるのだと、気が付いてしまった。
「ランディの手って、凄く落ち着くから安心する」
はにかみながら微笑みを形作る唇は、穏やかな声を紡ぎ出した。
住宅が立ち並ぶ閑静な一画に、素直な言葉だけが響く。
手を繋いだままの距離はあまりにも近かった。
聞こえなかったなんて、見えなかったなんて言えるはずがない。
(こいつ……マジでタチが悪すぎんだろ)
ランディはこれ以上ロイドと対面し続けることができなかった。
あんなに満たされた表情の恋人には、どう頑張っても抗えない。
「──今だけだからな」
視線どころか顔まで反らし、そのまま夜の街を歩き出す。
ぶっきらぼうな声は独り言のように小さく、観念して握り返した手には汗が滲んでいた。
「うん、分かってる」
街灯の下を通っている最中。
赤い長髪から覗く耳がほんのりと色付いているのを見つけ、ロイドは密かに目元を緩めた。
こんな可愛いじゃれ合い方なんて、互いに知らない。
柄じゃないからと、今まで頭の片隅にも過ぎらなかった。
会話らしい会話もなく、ただ手を繋いで歩いている時間がとても新鮮に感じる。
この空気を少しでも長く堪能したいロイドに対し、何よりも羞恥心が勝るランディは早く帰りたい様子だった。
つい急いでしまう足が恋人の手を強く引っ張るが、すぐに気が付いて速度を落とす。
そんな行動を何度も繰り返す男に身をまかせ、ロイドは居心地が悪そうな横顔を盗み見た。
(俺が言うのもなんだけど……甘やかしすぎだよな)
しかし、その大きな要因が率直すぎる自分の言動にあるのだとは知る由もなかった。
2021.11.11畳む
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うっかり手を繋いでしまって恥ずかしいランディと何だか嬉しいロイドの話。
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どうせ振り払えないなら、さっさと帰ってしまいたかった。
けれど、隣にある嬉しそうな顔は暢気な足取りを崩そうともしない。
ランディはいつもなら軽妙な唇を引き結び、ただ前を向いて歩いた。
薄闇を纏った街中を微かな夜風が通り過ぎていく。
夜陰に紛れているとはいえ、それを涼しいと感じてしまうくらいに彼は赤面していた。
──話は少し前に遡る。
歓楽街の夜は今が最高潮といった様相だ。
煌びやかなネオンの下、享楽に浮かれた人々が集まっている。
そんな中を彼らは肩を並べて歩いていた。
「う~ん、これ以上は何もなさそうだな」
「ま、それなりに収穫はあったからいいんじゃね?」
真剣な面持ちで唸っているロイドとは対照的に、ランディはすれ違う夜の蝶たちを緩やかな笑みで眺めやっている。
二人はとある任務で情報収集の為にここを訪れていた。
当たりを付けた数軒の店を回り、いくつかの有益な情報を得られたので、結果は上々といったところだろう。
「──で、この後どうする?」
「帰るに決まってんだろ」
仕事の終わりを察知した陽気な声を、ロイドは言葉少なに切り捨てた。
夜遊び好きな相棒の言いたいことなんて分かりきっている。
「なんだよ。つまんねぇヤツだな」
ランディはわざとらしく肩を竦めてみせた。
「そんなに行きたいなら、一人でブラついてこい」
「あいにくと、お一人様って気分じゃねぇから」
仕事の一環とはいえ、折角二人で歓楽街に来ているのだ。
彼にしてみれば又とない機会なのだから、飲みに行きたくなるのは当然だろう。
しかし、ロイドの態度は素っ気ない。
色よい返事は貰えそうになく、それでも諦めきれなくて声をかけ続ける。
「たまには付き合えよ。一杯だけでいいから」
「さっきの情報、帰って整理しとかないと」
「そのくらい飲みながらでもできんだろ?」
雑多な人並みの中をのんびりと歩みながら、男たちは軽く押し問答を繰り広げた。
もちろんそこに険悪な雰囲気はなく、会話だけでじゃれ合っているようにも見える。
二人はそのまましばらく絡んでいたが、肝心の話はずっと平行線のままだった。
「はぁ……真面目すぎるっつーか、頑固っつーか」
頑なに誘いを突っぱねられ、さすがのランディも消沈の溜息で首を左右に振る。
「お前さぁ、もうちょい緩くなれねぇのかよ」
無駄だと解っていても、つい愚痴っぽくなってしまう。
「帰宅するまでがお仕事ですとか……マジで思ってそうだよなぁ」
しかし、いつの間にかテンポ良く返ってきていたロイドの声が聞こえなくなっていた。
「──おい?」
隣に彼の気配はなく、気色ばんで立ち止まる。
一方的に不満を零していたせいで注意散漫だったのか、まるで気が付かなかった。
その場で振り返り、賑わう通りの中へ鋭い視線を走らせる。
幸いにも栗色の頭をした相棒の姿はすぐに見つかった。
だが、その状況を察した途端に張り詰めた緊張感が崩れ落ちていく。
「……何やってんだよ、あいつは」
街路に立ち並ぶ店の一画。
ロイドが艶やかに着飾っている女に捕まっていた。
どうにも彼は妙齢の女性に対して及び腰だ。
日頃、セシルやイリヤに構われている影響があるのかもしれない。
ランディは少し離れた所からロイドの様子を覗った。
明らかに年上であろう女に迫られ、あたふたしている姿が笑いを誘う。
「いっそのこと、放置してみるか?」
ふと意地悪げな思考が過ぎったが、あの困り顔ではさすがに可哀想になってくる。
しかも、落ち着きのない視線は明らかに『誰か』を探して助けを求めていた。
そんなものを見てしまっては、とてもじゃないが放っておける気がしない。
「ったく、世話のかかるヤツだぜ」
どこか楽しげに呟いたランディは、助け船を出してやることにした。
彼はゆったりと二人の方へ歩み寄り、人懐っこい笑みを浮かべながら声をかけた。
「あー、悪ぃな。こいつウブだからさぁ……それくらいにしといてやってくれよ」
同時にロイドの首根っこを掴み、女との距離を取らせる。
「あら、ランディさんじゃない。随分とご無沙汰だったわね」
「ここしばらく忙しかったんでな」
どうやら彼女とランディは顔見知りの間柄らしい。
親しげなやり取りが耳に届き、ロイドはホッと胸を撫で下ろした。
こういった空気が苦手な彼にとって、この界隈に慣れている相棒の存在は頼もしい。
首に掛かっていた手は外れているが、側にいてくれるだけで不安が和らいでいくのを感じた。
「──今夜は寄るとこ決まってんだよ。また今度顔を出すぜ」
「つれないわね。まぁ、期待せずに待ってるわ」
安堵したせいか気が抜けてしまっていたらしく、男女の会話はいつの間にか収束に向かっている。
「そっちの可愛いあなたもね」
「……へ?」
だが、急に女から魅惑的な微笑みを投げかけられ、ロイドは目を丸くして固まってしまった。
それを横で見ていたランディが、わずかに顔を歪める。
歓楽街ではありふれた接客の光景だが、やたらと不愉快さが込み上げてきた。
「おい、行くぞ」
「え、あ……」
ロイドに軽く目配せをしたものの、戸惑い気味な足は動き出そうとしない。
一刻も早くこの場から立ち去りたくなったランディは、強引に彼の手を引いた。
表面上は平静を装い、軟派な笑顔を浮かべながら馴染みの女にひと声。
「それじゃぁな」
彼女からの応答も聞かず、さっさと踵を返して童顔の青年を引きずっていく。
そんな後ろ姿を興味深げに見送った女は、鮮やかな色の唇で意味深げな笑みを浮かべた。
「もしかして……ご執心なのかしら?」
あの赤毛の男は上手くこの夜の街を遊び歩いている。
戯けた言動の裏で、誰に深入りすることもなく、誰かを懐に入れることもなく。
それがほんの一瞬だけ崩れた。
珍しいものを見てしまったと、彼女は思った。
乱れていた足取りが段々と落ち着いてきた。
引っ張られる感覚は薄れたが、未だに温もりは伴ったまま。
「お前さぁ、少しはあしらい方くらい覚えとけよ?」
ロイドの戸惑いをよそに、ランディはいつもの調子で口を開いた。
「そ、そうだ…な」
茶色の瞳は落ち着きなく彷徨っていたが、どうしても手元に意識が行ってしまうのを止められない。
(こんなの……初めてだ)
しっかりと繋がれて密着した手の平からは、熱が零れ落ちそうだ。
向こうが強く握ってくるせいで、より捕らわれている感覚が強くなる。
「無下にできないのは、年上の綺麗なお姉様たちに可愛がられてる弊害っていうやつかねぇ」
胸の鼓動が忙しなくなり、それが相手に伝わってしまいそうな気がしたが、耳に入ってきた言葉は存外に嫌み混じりなものだった。
(あれ?もしかして気が付いてない?)
困惑も最高潮になり、なんとか冷静になろうと苦慮する中、ロイドはふとあることに思い当たった。
日頃から、ランディに身体を引っ張られること自体は珍しくない。
そして、その時に掴む場所は腕やせいぜい手首のあたりだ。
(まさか、咄嗟に間違えたんじゃ……)
考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなってきた。
次第に歓楽街の喧噪が遠退き、景色が静かな街並みに移り変わっていく。
それでも二人の手は離れる気配がなかった。
「おい、こら。聞いてんのか?」
「聞いてるけど……」
少しだけ低い声が降ってきて、ロイドは上目遣いで傍らの表情を探った。
本当は指摘してあげた方がいいのかもしれない。
けれど、緊張と恥ずかしさで弾む心音にも慣れてきてしまい、大きな手の温もりが心地良くなってくる。
彼には悪いと思いながらも、まだこのままでいたいという気持ちは強まっていた。
「けど……なんだよ?」
ランディはさっきから鈍い反応ばかりの相手を訝しみ、その場で立ち止まった。
見下ろした顔は困っているような、それでいて嬉しそうな不思議な色合いをしている。
不意にきゅっと小さく手を握られた。
「なっ……!?」
ようやく『それ』に気が付いた彼は、手元を見て唖然とした。
雷に打たれたかのような衝撃が、四肢の動きと思考を停止させる。
「やっぱり手首と間違えたんだな」
硬直してしまった赤毛の男に対し、ロイドはただ苦笑した。
本当に珍しいことだ。
そうやって揶揄したい気持ちもゼロではなかったが、事の経緯を考えれば安易な言葉を吐きたくはなかった。
だって、彼はあの女への対応に苦慮していた所を助けてくれたのだから。
「……てめぇ、分かってたならさっさとツッコめよ」
しばらくして、ランディの口からくぐもった声が発せられた。
彼にしてみれば大きな失態であり、その羞恥を誤魔化そうとする口調は少し荒っぽい。
気もそぞろな両眼が、不自然なくらいに街の風景ばかりを映し出していた。
「こういうの……柄じゃねぇんだよ」
「うん、知ってる」
ランディは振り解こうとして腕に力を込めた。
だが、その瞬間。明快な言葉と共に、さっきよりも更に強く手を握られた。
ロイドはこの状況の継続を望んでいる。
それを態度で示されたことで、彼は苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「離せ。お前だってそういう性格じゃねぇだろうが」
「確かにそうだけど」
「だったら……」
移ろいでいた視線は、やっと相手を正面から捉える形に収まった。
こんな児戯のような束縛だったら、強引にでも振り解ける。
そう思って身体を動かそうとした矢先、ロイドが肩を震わせて笑った。
「でもさ、なんか意外に悪くないかもなって」
恥ずかしいには違いないけれど、こんな些細な触れ合いでも幸福感でいっぱいになれるのだと、気が付いてしまった。
「ランディの手って、凄く落ち着くから安心する」
はにかみながら微笑みを形作る唇は、穏やかな声を紡ぎ出した。
住宅が立ち並ぶ閑静な一画に、素直な言葉だけが響く。
手を繋いだままの距離はあまりにも近かった。
聞こえなかったなんて、見えなかったなんて言えるはずがない。
(こいつ……マジでタチが悪すぎんだろ)
ランディはこれ以上ロイドと対面し続けることができなかった。
あんなに満たされた表情の恋人には、どう頑張っても抗えない。
「──今だけだからな」
視線どころか顔まで反らし、そのまま夜の街を歩き出す。
ぶっきらぼうな声は独り言のように小さく、観念して握り返した手には汗が滲んでいた。
「うん、分かってる」
街灯の下を通っている最中。
赤い長髪から覗く耳がほんのりと色付いているのを見つけ、ロイドは密かに目元を緩めた。
こんな可愛いじゃれ合い方なんて、互いに知らない。
柄じゃないからと、今まで頭の片隅にも過ぎらなかった。
会話らしい会話もなく、ただ手を繋いで歩いている時間がとても新鮮に感じる。
この空気を少しでも長く堪能したいロイドに対し、何よりも羞恥心が勝るランディは早く帰りたい様子だった。
つい急いでしまう足が恋人の手を強く引っ張るが、すぐに気が付いて速度を落とす。
そんな行動を何度も繰り返す男に身をまかせ、ロイドは居心地が悪そうな横顔を盗み見た。
(俺が言うのもなんだけど……甘やかしすぎだよな)
しかし、その大きな要因が率直すぎる自分の言動にあるのだとは知る由もなかった。
2021.11.11畳む
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戦いの熱に当てられたロイドが自分の方からランディに仕掛ける話。
【文字数:4300】
静まりかえった暗い森の中から二人分の目が覗く。
茂った木々の先は拓け、そこにはいかにも不審な建物があった。
元は廃工場だったとのことらしいが、今は随分と物々しい雰囲気だ。
可動式のサーチライトが一定の間隔で辺りを照らしている。
ランディはその動きを観察していたが、しばらくして光源から視線を逸らした。
「……ったく。なんで一課のヤマに俺たちが駆り出されてんだか」
真剣な顔から一転、砕けた口調で木に寄りかかって座っている。
「文句言うなよ。それだけダドリーさんが認めてくれてるってことだろ」
彼の向かいで立て膝を付いているロイドが相棒をたしなめた。
今回の任務はテロ行為を企てている武装組織の強制捜査──もとい、無力化と鎮圧だ。
クロスベルの裏社会は長年ルバーチェの存在があり、一種の治安が保たれていた。
それがなくなった今、この界隈では黒月が勢力を広めているが、それ以外にも大小様々な組織が活発に動き始めている。
今夜のターゲットもそんな組織の中の一つだった。
作戦開始までにはまだ少し時間があり、待機しているランディの愚痴が続く。
「こき使うなら、特別手当でも寄こせって」
「そんなの出るわけないだろ」
「いや、いや。俺はそれなりの対価は必要だと思うぜ」
元猟兵として報酬に見合った仕事をしていた彼らしい言葉だ。
「俺に交渉してこいとか言うなよ?行かないからな」
やる気がなさそうな口振りだが、その声は明るい。
久しぶりに血が騒いでいるのかもしれない、とロイドは思った。
ランディにしてみれば、この程度のミッションは子供の遊びと同じようなものだ。
それでも魔獣相手の時とは違い、対人戦であるがゆえの独特な空気が漂う。
再び建物の様子を覗う彼を、ロイドがちらりと盗み見た。
静かで余裕がある男の横顔は、自然と安心感を与えてくれる。
しかし、裏を返せばそれだけ自分が不安と緊張を抱えているということにもなる。
こういった状況の場数はそれなりに踏んでいるが、どうしても身体が固くなっていくのが止められなかった。
「……思ったより内部は暗そうだな。でも、見取り図は頭に叩き込んだし」
ロイドは今回の作戦の段取りを反芻し、独り言のように呟き始めた。
それが耳に入ってきたランディは思わず苦笑いをする。
(あ~あ、ガチガチじゃねぇかよ)
声だけでも緊張の様子が伝わってくる。
彼は腰をかがめながら相手に近寄り、気安く茶色の頭に片手を乗せた。
「なぁ、ロイド。ちょいとお兄さんからの頼みごと聞いてほしいんだけど」
「なんだよ、こんな時に」
わざとらしく前置きをしながら髪の毛を何度か掻き混ぜると、真面目な相棒が眉を顰めた。
「景気づけにキスの一つでもくれよ」
暗闇の中、光の軌跡が反射している翡翠色が戯けて笑った。
とても作戦前とは思えない緩さを見せられ、ロイドは呆気にとられてしまう。
戦場に慣れ親しんできた故の感覚なのか、まるで普段と変わらない言動だ。
「バカ。ふざけてる場合じゃないだろ」
「──少しはほぐれたか?お前さん、さっきから力みまくってんぞ」
ようやく声が出たロイドに対し、年長の男はやんわりと指摘をした。
適度な緊張感は必要だが、強すぎるそれは逆に悪影響を及ぼしかねない。
下手をすれば命に関わることもある。
「……あっ」
ロイドはハッとして目を瞬かせた。
傍からでも分かってしまうくらいに固まっていたのだと実感させられる。
それと同時に、自然と肩の力が抜けていくのが分かった。
「それで?キスはくれねぇの?」
そんな彼の変化に安堵したランディは、ふざけたついでに軽く迫ってみた。
今は全面に出ている相棒としての顔の下、隠れている恋人を掠め取りたい衝動に駆られる。
しかし、更に距離を詰めた瞬間、ロイドの手がランディの口元を塞ぎにかかった。
「今はお預けだ」
じゃれつく大型犬へ『待て』をかけるようなひと睨み。
「調子に乗って無茶しそうだからな」
そう短めに言い放ち、塞いだ手を離して一人分くらいの距離を取る。
ランディの要求を完全に拒否してもよかったのに、そうしたいとは思えなかった。
発端になった言葉は彼流の気遣いであって、この状況で側にいてくれることに嬉しさが募る。
けれど、やはりロイドは真面目だ。
作戦の直前にそんな行為ができるような性格ではなく、あんな風にしか言えなかった。
「おっ、よく分かってんな」
それを良く知るランディは、なんの未練もなくあっさりと身を引いた。
ただ、ロイドが譲歩してくれたことが意外すぎて、まだ何も貰えていない内から調子に乗りたくなってくる。
「でも、お預け食らうんならキスだけじゃ足りねぇな」
携帯している時計を確認すれば、作戦の開始まであと数分。
ランディがわずかに身を起こし、臨戦態勢に入った。
同調して愛用のトンファーを握りしめた相棒を一瞥し、ニヤリと笑う。
「なぁ、知ってた?戦場の高揚感と性欲って結構似てるんだぜ」
時計が開始時刻を刻んだ瞬間、敷地内で複数の大きな爆発音が響き渡る。
二人は味方の陽動を受けて建物に突入する手筈になっていた。
森の中から勢いよく踊り出したランディが、一直線に目的地へ向かう。
「そんなの知るか!お預けは前言撤回だ!」
彼の問題発言のせいで一瞬出遅れてしまったロイドは、活き活きとした背中に向けて怒鳴った。
そして、自らも戦いの場へと走り出した。
段取りは完璧だった。
陽動から突入、そして組織の鎮圧までの流れは滞りなく進んだ。
二人は鎮圧後の後始末の諸々まで手伝わされ、ようやく解放された時には夜も深まりきっていた。
街へと戻る導力車に乗せてもらい、入り口に降り立った直後にランディが脱力する。
「はぁ~、やっと終わったな。相変わらず人使いの荒いヤツらぜ」
支援課ビルに帰ってひと眠りする頃には朝日が昇ってきてしまいそうだ。
「お疲れ様、ランディ」
「あぁ、お前もな」
まだ静か街中を歩きながらロイドが労うと、お返しとばかりに大きな手が背中を叩いてきた。
「……っ!」
すると、大した衝撃でもないのに彼の肩が小さく跳ねた。
「なんだ?どっかやられてんのか?」
「あ、いや。ちょっと考え事してて……」
その反応に違和感を覚えたランディが問いかけたが、ロイドは驚いただけだと答える。
「ふ~ん。ま、徹夜みたいなもんだしな。ぼーっとしても仕方ねぇか」
赤毛の男は訝しげな瞳で相手の全身を舐め回したが、負傷ではないと分かってすぐに元の調子に戻った。
早朝になろうかという帰宅なこともあり、二人は西通りから裏口の方へ向かった。
最初からその予定で鍵を持ち出していたロイドは、ポケットの中を探る。
だが、指先がそれを捉えた瞬間に彼の足が止まった。
「なぁ、ランディ」
呼び止めると、数歩ほど距離が広がってしまった背中が振り返る。
「どうした?」
「俺さ……なんか、ちょっと分かった気がする」
ロイドはポケットの中の鍵を弄りながら口を開いた。
目線が下へ落ち、綺麗に舗装された地面を彷徨う。
「突入前に言ってた戦場の高揚感と……ってやつ」
あの時は随分とふざけたことを言うものだと思ったのだ。
けれど、怒号と銃声が飛び交う緊迫感の中で、確かに胸の奥で昂ぶる何かがあった。
それは身体を重ねた時に全身を巡る熱と似ているような気がする。
「あぁ、あれな。ちょっとは実感したとか?」
まさかその話題が出てくるとは思わず、ランディは内心驚いた。
あれはただの戯れ言というよりも、戦いを生業とする者であれば別に珍しくもない体感を述べただけだった。
彼の心中を図りかね、次にどう出るべきかと思案する。
探るような目を向ければ、ふと上向きになった強い視線とぶつかった。
「……キスぐらいならしてやってもいい」
どこかぶっきらぼうな声がランディの耳を打つ。
そこで彼は理解した。ロイドが何を欲しているのかを。
「なんだよ。撤回したんじゃなかったのか?」
珍しく遠回しな言い方をしているのが可笑しくて笑いが込み上げてきたが、それを見たロイドは膨れっ面になってしまった。
「そうだけど、そうじゃない」
ずっと密かに触れているだけだった鍵を握りしめると、手の平にじわりと汗が滲んだ。
このままでいるのが酷くもどかしい。
もしも一人だったら、気を紛らわせる方法なんていくらでも思い付いていたのだろう。
けれど、今は目の前に彼がいる。
そんな状況でこの熱っぽい疼きを静める手段は、たった一つしか知らなかった。
「訳わかんねぇこと言いやがって。素直じゃねぇな」
いつもの真っ直ぐさが形を潜めているのは、初めての感覚に戸惑っているからなのか。
立ち止まったまま一歩を踏み出してこない姿が、自然とランディの目元を緩ませる。
「ほら、裏口開けるんだろ?のんびりしてると朝になっちまう」
残夜もすぎ、いよいよ空も白み始めてくる頃合いだろう。
ランディが薄まる紺色を見上げながら急かし、ようやくロイドの足は動き出した。
西通りから支援課ビルへと続くわずかな道のりは、まるで情欲に急き立てられるようだった。
裏口の鍵を開け、やっと居心地の良い住処に帰ってきたはずなのに、肝心の心は落ち着かない。
「……なんで黙ってるんだよ」
ランディはさっきから無言のまま、薄暗い廊下を進むロイドに添っている。
立ち止まって上目遣いで睨んだ途端、意地悪げな笑みとぶつかった。
「お前、余裕なさそうだからさぁ。喋ってんの無駄だろ?」
「余計なお世話だ」
完全に見抜かれている。
声だけでなく、触れてこないのもそういう理由なのだろう。
この手のやり取りでは分が悪すぎて、つい悔しさが込み上げてくる。
やられてばかりなのは癪だと、ロイドはさっきの言葉を実行に移す為に手を伸ばした。
相手の胸ぐらを掴んで顔を引き寄せ、強引に唇を重ねてみせる。
これで歯止めが利かなくなるのは承知の上だった。
「いきなり突撃してくんなよ。ギリギリまで抑えてやろうかと思ってたのに」
廊下の真ん中で口火を切ってきた彼に対し、ランディが皮肉めいた言葉を吐く。
どうやら一切の気遣いは不要なようだ。
真っ向から見据えてくる瞳が官能的な火を灯し、こんな煽られ方も悪くないとさえ思う。
「ほら、さっさとこいよ」
ロイドの腕を捉え、自分の部屋へ引きずり込む彼の動きに遠慮はなかった。
『待て』をしたはずの大型犬が、猛々しい獣に変貌する様を見た。
部屋に入って早々、上着を脱いでソファーの上に投げ捨てる。
後ろで束ねている髪を勢いよく解き、頭を振った後で赤が乱れた。
「そっちだって……余裕がないくせに」
その姿はロイドの高揚を加速させ、憎まれ口を叩く声が吐息混じりで揺れる。
「あぁ?お前のせいじゃねぇかよ」
二人してもつれるようにして転がり込んだベッドの上は、熱を帯びてはいても甘ったるい空気とは程遠かった。
互いに微かな火薬と粉塵の匂いを纏わせ、戦いの名残を共有する。
ロイドは「分かった気がする」という言い方を訂正したくなった。
気がするのではなく──今、それを完全に理解した。
2021.09.18畳む
恋人設定
戦いの熱に当てられたロイドが自分の方からランディに仕掛ける話。
【文字数:4300】
静まりかえった暗い森の中から二人分の目が覗く。
茂った木々の先は拓け、そこにはいかにも不審な建物があった。
元は廃工場だったとのことらしいが、今は随分と物々しい雰囲気だ。
可動式のサーチライトが一定の間隔で辺りを照らしている。
ランディはその動きを観察していたが、しばらくして光源から視線を逸らした。
「……ったく。なんで一課のヤマに俺たちが駆り出されてんだか」
真剣な顔から一転、砕けた口調で木に寄りかかって座っている。
「文句言うなよ。それだけダドリーさんが認めてくれてるってことだろ」
彼の向かいで立て膝を付いているロイドが相棒をたしなめた。
今回の任務はテロ行為を企てている武装組織の強制捜査──もとい、無力化と鎮圧だ。
クロスベルの裏社会は長年ルバーチェの存在があり、一種の治安が保たれていた。
それがなくなった今、この界隈では黒月が勢力を広めているが、それ以外にも大小様々な組織が活発に動き始めている。
今夜のターゲットもそんな組織の中の一つだった。
作戦開始までにはまだ少し時間があり、待機しているランディの愚痴が続く。
「こき使うなら、特別手当でも寄こせって」
「そんなの出るわけないだろ」
「いや、いや。俺はそれなりの対価は必要だと思うぜ」
元猟兵として報酬に見合った仕事をしていた彼らしい言葉だ。
「俺に交渉してこいとか言うなよ?行かないからな」
やる気がなさそうな口振りだが、その声は明るい。
久しぶりに血が騒いでいるのかもしれない、とロイドは思った。
ランディにしてみれば、この程度のミッションは子供の遊びと同じようなものだ。
それでも魔獣相手の時とは違い、対人戦であるがゆえの独特な空気が漂う。
再び建物の様子を覗う彼を、ロイドがちらりと盗み見た。
静かで余裕がある男の横顔は、自然と安心感を与えてくれる。
しかし、裏を返せばそれだけ自分が不安と緊張を抱えているということにもなる。
こういった状況の場数はそれなりに踏んでいるが、どうしても身体が固くなっていくのが止められなかった。
「……思ったより内部は暗そうだな。でも、見取り図は頭に叩き込んだし」
ロイドは今回の作戦の段取りを反芻し、独り言のように呟き始めた。
それが耳に入ってきたランディは思わず苦笑いをする。
(あ~あ、ガチガチじゃねぇかよ)
声だけでも緊張の様子が伝わってくる。
彼は腰をかがめながら相手に近寄り、気安く茶色の頭に片手を乗せた。
「なぁ、ロイド。ちょいとお兄さんからの頼みごと聞いてほしいんだけど」
「なんだよ、こんな時に」
わざとらしく前置きをしながら髪の毛を何度か掻き混ぜると、真面目な相棒が眉を顰めた。
「景気づけにキスの一つでもくれよ」
暗闇の中、光の軌跡が反射している翡翠色が戯けて笑った。
とても作戦前とは思えない緩さを見せられ、ロイドは呆気にとられてしまう。
戦場に慣れ親しんできた故の感覚なのか、まるで普段と変わらない言動だ。
「バカ。ふざけてる場合じゃないだろ」
「──少しはほぐれたか?お前さん、さっきから力みまくってんぞ」
ようやく声が出たロイドに対し、年長の男はやんわりと指摘をした。
適度な緊張感は必要だが、強すぎるそれは逆に悪影響を及ぼしかねない。
下手をすれば命に関わることもある。
「……あっ」
ロイドはハッとして目を瞬かせた。
傍からでも分かってしまうくらいに固まっていたのだと実感させられる。
それと同時に、自然と肩の力が抜けていくのが分かった。
「それで?キスはくれねぇの?」
そんな彼の変化に安堵したランディは、ふざけたついでに軽く迫ってみた。
今は全面に出ている相棒としての顔の下、隠れている恋人を掠め取りたい衝動に駆られる。
しかし、更に距離を詰めた瞬間、ロイドの手がランディの口元を塞ぎにかかった。
「今はお預けだ」
じゃれつく大型犬へ『待て』をかけるようなひと睨み。
「調子に乗って無茶しそうだからな」
そう短めに言い放ち、塞いだ手を離して一人分くらいの距離を取る。
ランディの要求を完全に拒否してもよかったのに、そうしたいとは思えなかった。
発端になった言葉は彼流の気遣いであって、この状況で側にいてくれることに嬉しさが募る。
けれど、やはりロイドは真面目だ。
作戦の直前にそんな行為ができるような性格ではなく、あんな風にしか言えなかった。
「おっ、よく分かってんな」
それを良く知るランディは、なんの未練もなくあっさりと身を引いた。
ただ、ロイドが譲歩してくれたことが意外すぎて、まだ何も貰えていない内から調子に乗りたくなってくる。
「でも、お預け食らうんならキスだけじゃ足りねぇな」
携帯している時計を確認すれば、作戦の開始まであと数分。
ランディがわずかに身を起こし、臨戦態勢に入った。
同調して愛用のトンファーを握りしめた相棒を一瞥し、ニヤリと笑う。
「なぁ、知ってた?戦場の高揚感と性欲って結構似てるんだぜ」
時計が開始時刻を刻んだ瞬間、敷地内で複数の大きな爆発音が響き渡る。
二人は味方の陽動を受けて建物に突入する手筈になっていた。
森の中から勢いよく踊り出したランディが、一直線に目的地へ向かう。
「そんなの知るか!お預けは前言撤回だ!」
彼の問題発言のせいで一瞬出遅れてしまったロイドは、活き活きとした背中に向けて怒鳴った。
そして、自らも戦いの場へと走り出した。
段取りは完璧だった。
陽動から突入、そして組織の鎮圧までの流れは滞りなく進んだ。
二人は鎮圧後の後始末の諸々まで手伝わされ、ようやく解放された時には夜も深まりきっていた。
街へと戻る導力車に乗せてもらい、入り口に降り立った直後にランディが脱力する。
「はぁ~、やっと終わったな。相変わらず人使いの荒いヤツらぜ」
支援課ビルに帰ってひと眠りする頃には朝日が昇ってきてしまいそうだ。
「お疲れ様、ランディ」
「あぁ、お前もな」
まだ静か街中を歩きながらロイドが労うと、お返しとばかりに大きな手が背中を叩いてきた。
「……っ!」
すると、大した衝撃でもないのに彼の肩が小さく跳ねた。
「なんだ?どっかやられてんのか?」
「あ、いや。ちょっと考え事してて……」
その反応に違和感を覚えたランディが問いかけたが、ロイドは驚いただけだと答える。
「ふ~ん。ま、徹夜みたいなもんだしな。ぼーっとしても仕方ねぇか」
赤毛の男は訝しげな瞳で相手の全身を舐め回したが、負傷ではないと分かってすぐに元の調子に戻った。
早朝になろうかという帰宅なこともあり、二人は西通りから裏口の方へ向かった。
最初からその予定で鍵を持ち出していたロイドは、ポケットの中を探る。
だが、指先がそれを捉えた瞬間に彼の足が止まった。
「なぁ、ランディ」
呼び止めると、数歩ほど距離が広がってしまった背中が振り返る。
「どうした?」
「俺さ……なんか、ちょっと分かった気がする」
ロイドはポケットの中の鍵を弄りながら口を開いた。
目線が下へ落ち、綺麗に舗装された地面を彷徨う。
「突入前に言ってた戦場の高揚感と……ってやつ」
あの時は随分とふざけたことを言うものだと思ったのだ。
けれど、怒号と銃声が飛び交う緊迫感の中で、確かに胸の奥で昂ぶる何かがあった。
それは身体を重ねた時に全身を巡る熱と似ているような気がする。
「あぁ、あれな。ちょっとは実感したとか?」
まさかその話題が出てくるとは思わず、ランディは内心驚いた。
あれはただの戯れ言というよりも、戦いを生業とする者であれば別に珍しくもない体感を述べただけだった。
彼の心中を図りかね、次にどう出るべきかと思案する。
探るような目を向ければ、ふと上向きになった強い視線とぶつかった。
「……キスぐらいならしてやってもいい」
どこかぶっきらぼうな声がランディの耳を打つ。
そこで彼は理解した。ロイドが何を欲しているのかを。
「なんだよ。撤回したんじゃなかったのか?」
珍しく遠回しな言い方をしているのが可笑しくて笑いが込み上げてきたが、それを見たロイドは膨れっ面になってしまった。
「そうだけど、そうじゃない」
ずっと密かに触れているだけだった鍵を握りしめると、手の平にじわりと汗が滲んだ。
このままでいるのが酷くもどかしい。
もしも一人だったら、気を紛らわせる方法なんていくらでも思い付いていたのだろう。
けれど、今は目の前に彼がいる。
そんな状況でこの熱っぽい疼きを静める手段は、たった一つしか知らなかった。
「訳わかんねぇこと言いやがって。素直じゃねぇな」
いつもの真っ直ぐさが形を潜めているのは、初めての感覚に戸惑っているからなのか。
立ち止まったまま一歩を踏み出してこない姿が、自然とランディの目元を緩ませる。
「ほら、裏口開けるんだろ?のんびりしてると朝になっちまう」
残夜もすぎ、いよいよ空も白み始めてくる頃合いだろう。
ランディが薄まる紺色を見上げながら急かし、ようやくロイドの足は動き出した。
西通りから支援課ビルへと続くわずかな道のりは、まるで情欲に急き立てられるようだった。
裏口の鍵を開け、やっと居心地の良い住処に帰ってきたはずなのに、肝心の心は落ち着かない。
「……なんで黙ってるんだよ」
ランディはさっきから無言のまま、薄暗い廊下を進むロイドに添っている。
立ち止まって上目遣いで睨んだ途端、意地悪げな笑みとぶつかった。
「お前、余裕なさそうだからさぁ。喋ってんの無駄だろ?」
「余計なお世話だ」
完全に見抜かれている。
声だけでなく、触れてこないのもそういう理由なのだろう。
この手のやり取りでは分が悪すぎて、つい悔しさが込み上げてくる。
やられてばかりなのは癪だと、ロイドはさっきの言葉を実行に移す為に手を伸ばした。
相手の胸ぐらを掴んで顔を引き寄せ、強引に唇を重ねてみせる。
これで歯止めが利かなくなるのは承知の上だった。
「いきなり突撃してくんなよ。ギリギリまで抑えてやろうかと思ってたのに」
廊下の真ん中で口火を切ってきた彼に対し、ランディが皮肉めいた言葉を吐く。
どうやら一切の気遣いは不要なようだ。
真っ向から見据えてくる瞳が官能的な火を灯し、こんな煽られ方も悪くないとさえ思う。
「ほら、さっさとこいよ」
ロイドの腕を捉え、自分の部屋へ引きずり込む彼の動きに遠慮はなかった。
『待て』をしたはずの大型犬が、猛々しい獣に変貌する様を見た。
部屋に入って早々、上着を脱いでソファーの上に投げ捨てる。
後ろで束ねている髪を勢いよく解き、頭を振った後で赤が乱れた。
「そっちだって……余裕がないくせに」
その姿はロイドの高揚を加速させ、憎まれ口を叩く声が吐息混じりで揺れる。
「あぁ?お前のせいじゃねぇかよ」
二人してもつれるようにして転がり込んだベッドの上は、熱を帯びてはいても甘ったるい空気とは程遠かった。
互いに微かな火薬と粉塵の匂いを纏わせ、戦いの名残を共有する。
ロイドは「分かった気がする」という言い方を訂正したくなった。
気がするのではなく──今、それを完全に理解した。
2021.09.18畳む
秘密の観察手帳
創・恋人設定
ロイドの手帳を拾ったランディが勘違いをして嫉妬してしまう話。
【文字数:10000】
何気なく円庭を歩いていたランディは、通路の端に何かが落ちているのを見つけた。
「なんだ……これ?」
それは手帳のようで、拾い上げた手に収まるくらいに小さい。
表紙には何も書かれておらず、一見して持ち主が分かる状態ではなかった。
すぐ側にはテーブルと椅子が設置されている。座っていた誰かが落としたのかもしれないが、今は空席になっていた。
ランディは辺りを見回してから小さな息を吐く。
「聞いて回るしかねぇか」
さすがに中身を確認することは憚られる。
この閉ざされた空間での落とし物なら、持ち主は必ずいるはずだ。
面倒なのには違いないが、片っ端から声をかけていくのが手っ取り早いだろう。
運が良ければすぐに見つかるかもしれない。
そんな淡い期待を抱きつつ、彼は手帳を手に歩き出した。
下層を一巡りし、もう結構な人数に声をかけたような気がする。
当の本人でなくても持ち主を知る人くらいは見つかっても良さそうだが、皆が揃いも揃って首を横に振ってくる。
「ここまで聞いて成果なしとか、ありえねぇだろ」
今度は上層へ移動しようと、愚痴を零しながら螺旋階段を上り始めた。
「あれ?どうしたんだい?」
そこへ、上から涼やかな青年の声が降ってきた。
数段の間を取り、軽く腕組みをして相手を覗う。
「君、なんだか疲れた顔してるね」
「あー、ワジか。なんか落とし物拾っちまってさぁ……持ち主探してんだよ」
バッタリと会った人物が身内だったこともあり、ランディは取り繕おうともしなかった。
「落とし物?……あぁ、その手帳のこと?」
急にだらけた彼の手に目を留め、ワジは黄金の双眸に可笑しげな色を滲ませる。
「それって、ロイドのだよね」
「──はぁ!?」
まさに寝耳に水だった。咄嗟に二の句が継げなくなる。
「いつもは捜査手帳に挟んでるんじゃないかな」
確かにこの大きさだったら、彼の推測通りかもしれない。
ランディは小振りの手帳に視線を寄せてやっと声を押し出した。
「つまりは隠してるってことか……なんでお前は知ってるんだよ?」
「偶然見かけただけさ。中身は教えてくれなかったけどね」
面白くないと眉を顰めた彼を気にするでもなく、ワジは軽やかに答えた。
「あぁ、ノエルも見かけたとか言ってたかな。一人で楽しそうに何か書いてたって」
更なる情報を放り投げてみると、赤毛の男は穴が開く程に手帳を見つめ始めてしまった。
「ロイドならもうすぐ戻ってくるんじゃない?事情はどうあれ、ちゃんと返してあげないとね」
そんな彼の肩を一つ叩き、ワジはどこか意地悪げで綺麗な笑みを浮かべながら階段を降りていく。
「……楽しそうって何だよ?」
次第に遠退く足音は耳を流れ去り、立ち止まったままのランディは不満げに呟いた。
胸の奥に言いようのないわだかまりが広がっていくのを感じた。
螺旋階段を降りたワジは、視線の先にノエルの姿を見つけた。
彼女はエリィと談笑しているようで、楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「やぁ、二人とも。なんだか面白いことになりそうだよ」
意味ありげな呼びかけをしながら話の輪に入ると、
「あ、ワジ君……って、うわっ、なにその笑い方」
ノエルには後ずさりをされたが、エリィの方はすぐに察したようだった。
「またロイドたちを引っかき回してきたの?」
特務支援課の中では、相棒同士である彼らのもう一つの関係性は周知の事実だ。
そんな二人を玩具代わりにするのは、ワジの楽しみでもある。
「聞き捨てならないね。僕は情報を提供してあげただけさ」
彼は悪びれもせず、事の成り行きを同僚たちに説明してみせた。
「あの手帳……ランディは知らなかったのね」
「その言い方だと、エリィも知ってるんだ」
「えぇ。私もティオちゃんも何度か見たことはあるけれど、中身は頑なに教えてくれないのよね」
エリィは細い顎に綺麗な指を当て、考え込むような仕草をする。
「それにしても、ランディ先輩だけ見たことがないって……わざと隠してるんでしょうか?」
ノエルも腕を組んで難しい顔を浮かべた。
「だろうね。それなら彼がらみの内容かな」
「ロイドったら、肝心な所で脇が甘いのよね。タダでさえ隠し事が苦手なのに」
普段は頼りがいのある支援課のリーダーだが、自分のことになると、途端に墓穴を掘りまくってしまう。
呆れ顔を隠しもせず、エリィは美しい銀髪を優雅に掻き上げた。
「……中身は確実に見られてしまうわね」
更に続いた言葉は予想などではなく確信めいていて、ワジとノエルも深く頷いた。
一方、その頃。
ランディは不誠実な誘惑と葛藤していた。
階段を上りきった後、人気のない一画を見つけて外壁に寄りかかる。
もちろん、拾った物は持ち主に返すつもりだ。
ロイドは夢幻回廊を探索中だが、ワジも言っていた通りそろそろ戻ってくる頃合いだろう。
彼の反応はどうあれ、当たり障りのない軽い調子ですぐに返してしまえばいい。
それが最良だと分かっているのに、どうしても感情が付いてこなかった。
ワジからもたらされた情報が、ぐるぐると頭の中を回る。
あの話しぶりだったら、他の同僚たちも手帳の存在を知っている可能性がある。
なのに、どうして一番身近にいるはずの自分が知らないのか?
書いている姿どころか、それを手に持っているのすら見たことがない。
「……俺に対して隠してんのか?」
そう勘繰ってしまうのも仕方がない状況だ。
「しかも楽しそうとか……」
考えれば考えるほど胸中に黒い霧が立ちこめ、手帳の内容が気になってしまう。
『ロイドが自分に隠れて楽しそうにしてる』
単純に言えばそういうことだ。
公私に渡り親密な間柄であるランディにしてみれば、中身を盗み見る動機としては十分だった。
彼は無断で人の秘密を暴くことに罪悪感を覚えながらも、手帳の表紙に手をかけた。
「……悪ぃな」
一度だけ逡巡し、小さく頭を振る。
良心の呵責に耐えかね、今は不在のロイドへ謝った後、慎重に最初の頁をめくった。
──間近で見ると余計にカッコよく見える
それは確かにロイドの筆跡だった。
目に飛び込んできた一文は普段よりも少し崩れている。
どこか浮かれているような雰囲気があり、ランディは少しばかり面食らった。
──ブレードの切れ味すごくて見惚れそう
小振りな手帳なので一頁の行数は少ないが、そこに隙間なく書かれているわけではなく、箇条書きのように気持ちを連ねている。
頁をめくっても好意的な表現は続き、思わず顔を歪めた。
「誰のこと言ってんだ?」
どうやら一緒に戦っている仲間のことを書いているようだ。しかも、全て同じ人物ではないかと思わせる部分が多々ある。
──あの銃撃音って耳にくるけど、頼もしくて落ち着くんだよな
次第に不愉快さが増していく中、ランディはこの文章たちに該当する『誰か』を探し始めた。
脳内で候補を挙げては外すを繰り返しながら、手帳の先を読み進める。
──とっておきじゃなくなったことが嬉しいんだ
少し内容が変わってきた。
相変わらず楽しげにカッコイイを連発しているが、時折しみじみとした顔を見せてくる。
「あー、くそっ、わけわかんねぇ」
人物の詳細が出てこないどころか、逆に答えから遠退いているような気がしてきた。
ランディは苛立たしげに前髪を掻き上げる。
それでも、頁をめくる手は止まらない。ここまでくれば最後まで見てやろうと、半ばやけくそ気味だった。
──あれを防ぎきるなんて、やっぱ強くて頑丈で惚れ惚れする。でも、あんまりやって欲しくないって……矛盾してるな。あの時みたいに壊れる所は二度と見たくないんだ
ふと、珍しく長い一文が目に留まった。
普段通りの冷静さがあれば、それが決定的な文言になるはずだった。
しかし、疑念と嫉妬を抱えて盲目的な思考から抜け出せない。
最初から『誰か』を探し、人物以外の可能性に思い当たりもしなかった。
「……あのバカ。どんだけ惚れてんだよ」
気にはなったものの、今の彼にとっては火に油を注ぐような文字の羅列だ。
忌々しげに吐き捨てながら、指で乱暴に紙面を弾く。
結局ランディは答えを掴めないまま、ロイドが綴った文章を全て読み終えた。
落とし物を返すことよりも、彼を問い詰めることの方が優先事項になってしまっていた。
夢幻回廊を探索していたメンバーたちが戻ってきた。
リーダーを任されていたロイドが解散を告げると、皆が思い思いの場所へと散っていく。
それを見送った彼は、近くの空いている席に腰を下ろした。
テーブルに愛用のトンファーを置き、ポケットから取り出した布で丁寧に磨き始める。
『武器っていうのは、磨いてやるだけでも随分と違うもんだぜ』
いつだったか、ランディがそんなことを言っていた。
相棒として肩を並べる今となっても、戦士としての意識の高さに学ぶべきことは多い。
「最近は一緒に戦えてなくて寂しいな」
頼りがいのある大きな背中を思い浮かべ、ポツリと言葉通りの感情が零れ落ちた。
「──誰と戦えなくて寂しいって?」
すると、不意に上から影が落ちてきた。
自分の世界に没入していたせいか、まったく気配に気が付かなかった。
耳に馴染んでいるはずの声は低く重い響きを伴い、ロイドが驚いて顔を上げる。
「ラ、ランディ……?」
剣呑さをはらんだ瞳に見下ろされ、唖然として口が半開きになる。
どこからどう見ても、怒っているとしか形容できない表情だった。
(な、なんで?俺、何かしちゃったか?)
記憶を辿っても身に覚えがなく、頭の中が混乱する。
そんな彼の前に何かが突き出された。
「これについて、聞かせてもらおうじゃねぇか」
「あ!そ、それ……!?」
ロイドはこれでもかと言わんばかりに目を見開いた。
慌てて上着から捜査手帳を取り出して開いたが、本来ならそこに挟まっている物がない。その瞬間、一気に冷や汗が流れ落ちた。
「落としたことにも気が付かなかったのかよ。間抜けなヤツだな」
ランディは棘のある言葉を浴びせつつ、真向かいの席に足を組んで座った。
それから持っていた手帳をテーブルの上に置き、指先で不快げに数回叩く。
「で、色々と楽しいことが書いてあったんだが?」
「勝手に見たのかよ!?」
「それに関しちゃ悪いとは思ってる。けど、気になる情報を貰っちまったもんでな」
ロイドは手帳の中身を見られてしまったことを知り、声を荒立てた。
これについてはランディの方に全面的な非があるので、本人も素直に認める形だ。
けれど、だからといって今の感情が収まるわけではなく、その眼光は険しい。
「そんなにお熱い視線を送ってるヤツがいるとは知らなかったぜ」
「──え?」
あくまで静かな口調は鋭利な刃のようで、聞いた途端に背筋が寒くなる。
しかし、そんな言葉の端に疑問を感じ、ロイドは不思議そうに相手を見返した。
「今、なんて……」
「単刀直入に聞く。そいつは誰だ?」
ランディの方にはその声に耳を傾けるほどの余裕はなく、一方的に自分の嫉妬だけを突き付けてくる。
「誰って……なに言ってんだよ。手帳、見たんじゃないのか?」
明らかに勘違いをしている。それに気が付いたロイドは困惑を隠せなかった。
そもそも、彼に対してこの手帳の存在を徹底的に隠していたのは、見られたらすぐに分かってしまうと思ったからだ。
そうなれば確実に弄られる。まさか、怒るとは予想していなかったが。
「ほんとに、ほんとに分からないのか?」
「こっちは分かんねぇから聞いてんだよ」
嘘だろ?と言いたげなロイドに向かって、強い声が投げつけられた。
見えない相手に牙を向けているランディの思考は頑なで、考え直してくれる余地はなさそうだ。
このまま平行線に陥ってしまうは避けたいと、ロイドは躊躇いながらも仕方なく口を開いた。
「……それ、ベルゼルガーのこと」
未だ相手の手元にある手帳から気まずそうに顔を逸らし、ぼそりと一言。
「嬉しかったんだ。切り札とかじゃなくて、普通に使い始めたことが」
今まではずっと、使うタイミングを慎重に見計らっている節があった。
一度壊れていることもあり、強度の問題もあったかもしれない。
けれど、それ以上にランディ自身の中で様々な葛藤があったのだろう。
「どこかに吐き出したくて書き始めたら、止まらなくなっちゃって」
夢幻回廊を探索中、初めてそれを見た時は驚いて頭が真っ白になりかけた。
重厚な黒い本体から繰り出された斬撃と、豪快に火を噴いて薬莢を飛び散らせる様を前に、雷でも落ちたかのような衝撃を受けたのを覚えている。
『ちょいと派手にやりすぎちまったぜ』
あの時、そう言って笑った横顔を見た途端に沸々と嬉しさが込み上げてきた。
彼は長年連れ添ってきた無機質な相棒との対話を、やっと終わらせることができたのだと。
「最近は密かな楽しみだったっていうか…………あ~!もう、無理!!」
向こう側からの相槌はなく、一人で言葉を続ければ続けるほど恥ずかしくなってくる。
耐えきれなくなったロイドは首を激しく左右に振り、テーブルの上に突っ伏してしまった。
茶色い頭は微動だにしない。
ランディはそれを呆然と見つめていた。
攻撃的な感情が行き場を失い、少しずつ四散して解けていく。
頭の回転が鈍っていてあれこれと考えられないが、自分が誤解をしていることだけは分かった。
「…………マジかよ」
片肘を付いてその手の平で顔を覆いながら、声を絞り出す。
彼の嫉妬の対象は円庭に集っている仲間たちではなく、自らが扱っている武器だった。
ランディは相棒の青年が伏せってるのを確認し、もう一度手帳を開いた。
覚めた目で見直してみれば、どの頁も明らかにベルゼルガーについての記述だった。
これではロイドが困惑するのも無理はない。
煮えたぎる感情で目がくらんでいたことは誤魔化しようがなく、情けなさが膨らんでいく。
彼は盛大な溜息を吐きながら手帳を閉じようとしたが、ふとある一文が目に飛び込んきてしまい、手を止めた。それは筆跡がある中では最後の頁だ。
──メンテナンスを見ていたらニヤけるなと怒られた。だってしょうがないだろ?されてる方は気持ち良さそうだし、してる方は嬉しそうだったから。そういうの、ほんとに好きなんだ
これを書いている最中の楽しげな様子が易々と想像できてしまう。
どうやら、お熱い視線を送っているヤツではなく『ヤツら』だったらしい。
吐き出す溜息も底をつき、ランディはほとほと参ったといった様子だった。
「隠してるからってデレまくってんじゃねぇよ」
なんとか開いた口からは毒づく言葉しか出てこない。
確かにロイドはベルゼルガーのことを書いていた。
しかし、武器はただの武器であって使い手がいてこその魅力だという部分が大きい。
その溢れる気持ちの行き先が分かってしまったランディは、込み上げてくる熱情を無言で噛みしめて堪えた。
先に沈没したロイドはまだ起き上がる気配を見せない。
そんな彼よりは優位でいたいと虚勢を張り、自分も突っ伏してしまうことだけはなんとか回避した。
水色の髪の少女は、通りがかりに珍しい光景を目撃してしまった。
普段は動きの少ない表情筋が驚きを形作る。
一瞬声をかけようとしたが、どうにも近寄りがたい雰囲気があって諦めた。
「これは……皆さんに報告ですね」
彼らの奇妙な姿はすぐさま同僚たちと共有するべきである。
そう思ったティオは再び歩き出した。
下層に降りた彼女は、すぐに気心知れた仲間たちを見つけ小走りで駆け寄った。
「あら、ティオちゃん。どうしたの?」
それが急いでいるように見えたのか、最初に気づいたエリィがわずかに驚く。
「エリィさん、上でロイドさんとランディさんを見かけたのですが……」
ティオが口を開くと、一緒にいたワジとノエルが食い付いてきた。
「もしかして面白いことになってなかったかい?」
「まさか、喧嘩とかしてませんよね!?」
「あの……珍しくロイドさんの方が撃沈していました」
その勢いに押されつつ、戸惑い気味に答えたティオはチラリと銀髪の同僚を見上げた。
この状況に対しての説明を求めているようで、それを察したエリィが事の経緯を伝える。
「あぁ、なるほど。ちなみにランディさんは沈没こそしていませんでしたが、ダメージは相当なものかと」
最年少の少女は納得して頷き、淡々と彼らの状態を皆に報告した。
「へぇ?いつもはランディの方がロイドの天然攻撃にやられてるのに」
ワジの瞳が興味深げな光を宿す。
「でも、ランディ先輩もダメージ受けてるってことは……相打ち?」
隣にいるノエルは小さく唸りながら考え込んだ。
「それは手帳の中身によるわね。あまり詮索するのは良くないけれど」
「……とても気になります」
そこにエリィが尤もな意見を入れると、矢継ぎ早にティオが正直な声を上げ、四人は無言で顔を見合わせた。
沈黙の中、最初に動いたのはワジだった。
「ここはやっぱり様子を見に行くべきだよね」
「えっ、えぇ!?ほんとに行っちゃうの!?」
涼やかな声は明らかに愉快なリズムを刻み、ノエルの反応をよそに軽やかな足取りで輪の中から出ていく。
「あ、ワジさん。私もご一緒します」
「もう……ティオちゃんったら」
それを追いかけ始めた少女の後ろ姿を、エリィが少しばかり呆れた様子で見送る。
四人の性格の違いが浮き彫りになり、強行派と慎重派に分かれる形になってしまった。
「あの二人ってちょっと似てる所がある気がするわ」
「あ、あははっ……確かに」
嬉々として上層へ向かう二人の姿はあっという間に小さくなり、真面目なエリィとノエルはどことなく疲れた顔をしてそれを眺めやっていた。
その後。ロイドのベルゼルガー観察手帳が禁止になってしまったのは言うまでもない。
2021.08.25
『禁断症状』(後日談)
夢幻回廊の一画での戦いは、緊迫した攻防の末に見事勝利に終わった。
リィンは共に戦っていた仲間たちの安否を確認し、ホッと胸を撫で下ろした。
「……ん?」
しかし、一人だけ腕を組んでブツブツと言っている青年の背中が目に留まる。
特に負傷しているようには見えないが、もしかしたらどこかに不調があるのかもしれない。
「ロイド?どうしたんだ?」
心配になったリィンは、後ろから近寄って青年の名前を呼んだ。
「あの距離ならやっぱ銃撃かなぁ」
しかし、彼は自分の世界に入り込んでいるのか、床の一転を見つめながら独りごちている。
「ありったけの弾薬で火吹かせまくりとか……格好良すぎないか」
その内容はさり気なく物騒だ。
「ロイド、大丈夫か?」
「へ!?あ、あぁ、リィンか」
もう一度名前を呼ぶと、今度は肩を跳ね上げた後に勢いよく振り返った。
「どこかやられたのか?」
「俺なら問題ないよ。ちょっと考えごとしてただけ」
仲間の身を案じているリィンに柔らかい笑顔を向けたロイドだったが、すぐに視線が元の場所に戻ってしまう。
「さっきのヤツ、ベルゼルガーならどう……っ、あ、いや、なんでもない」
寂しそうな色を漂わせているのは無意識だったのか、ハッと我に返って頭を振る。
「ほ、ほら!そろそろ探索を再開するぞ」
ロイドは無理に口角を引き上げ、他の仲間たちに声をかけながら歩き始めた。
その誤魔化しきれない後ろ姿を見つめ、リィンは首を傾げた。
「……ランディさんと何かあったのかな?」
ベルゼルガーと言えば、彼の代名詞だ。教官仲間でもあるその男を思い浮かべ、ふとあることが気になった。
「そういえば、最近二人で探索メンバーに入っているのを見てないな」
少し前までは共に夢幻回廊を巡っていたのを考えれば、どうしても違和感がある。
わざと距離を置いているようにしか思えなかった。
探索を再開した後。
強敵との戦いを終えるたびに、ロイドは一人はぼやいていた。
中身は先ほどと同じようなことばかりで、寂しさの中に拗ねた表情が入り交じる。
リィンには、その姿がとても不安定に見えた。
今度は別の探索でランディと組む機会があった。
彼は特に気になるような言動はしていない。しかし、武器を操る腕が少し重そうだ。
「ランディさん、調子悪いんですか?」
ロイドの件もあり、気になったリィンは赤毛の男に問いかけた。
「いや、悪いっつーか。こう、ノリがいまいちっていうか」
彼は自分の肩に手をかけ、首を一つ鳴らす。
「まぁ……色々あってよ」
それから自嘲気味な笑みを浮かべた。
リィンは更に言葉を続けるべきか悩んだ。二人の関係は知っているが、ここで出しゃばるのもどうかと思う。
けれど、多少なりとも戦いに支障が出ていることが気に掛かってしまう。
「……この間、ロイドと一緒だったんですけど、なんだか様子がおかしくて」
その懸念が先に立ち思いきって口を開くと、ランディが真顔になって動きを止めた。
「──おかしい?」
「大きな戦闘が終わる度に、やたらとベルゼルガーのことを呟いてましたよ」
状況を聞いた彼は瞠目したが、一転してすぐに両肩から脱力してしまった。
「あのバカ……何やってんだよ」
やはり、二人の間で何かがあったらしい。
リィンはそう確信してランディの様子を覗ったが、ふとその背後に水色の頭が顔を覗かせた。
「それはベルゼルガー禁断症状ですね」
「お、おまっ!?どっから出てきやがった?」
「私の気配に気づかないなんて、グダグダすぎです。ランディさん」
不意を突かれて慌てた同僚に対し、ティオは顔色一つ変えずに言葉を返した。
「な、なんか凄い言葉が出てきたな」
気心知れた二人のやり取りを眺めつつ、リィンが大きく息を吐き出した。
「ロイドさんはあれが大好きなので、しばらくお目にかかれていないせいで妄想が始まったと思われます」
それを聞き逃さなかった少女は、淡々とした口調で説明をする。
「ティオすけ。余計なことぬかすなっつーの」
手強い相手の登場で体の悪くなったランディは、煩わしそうに頭を掻いて踵を返した。
「あー、ほら、次行くぞ、次!」
そう言って武器を担いで歩き出した後ろ姿へ、ティオのジト目が向けられる。
「逃げましたね」
「あれ、大丈夫なのか?」
「ラブラブすぎて距離を取っているだけなので、問題ありません」
心配そうなリィンをよそに、少女の声は相変わらず平坦だ。
「結局のところ、ランディさんはロイドさんに甘々ですから」
けれど、ほんの少しだけ口元を綻ばせた。
「おい、メンテするから付き合え」
突然かけられた言葉に、ロイドは自分の耳を疑った。
半信半疑で付いていくと、テーブルの上にベルゼルガーが横たわっていて、それを見た瞬間に嬉しさが込み上げてくる。
吸い寄せられるように椅子へ座り、ちらりとランディを見た。
彼はロイドとほぼ同時に向かいの席へ座り、すぐに複雑な形状をした武器の一部を解体し始める。
「あ、あのさ……ランディ?」
嬉しさも束の間。急に降ってきた幸運に相手の意図が読めず、ロイドが戸惑いを滲ませた。
そもそも、今までこんな風に誘われることなんてなかった。
メンテナンスの兆候を嗅ぎつけて見学に押しかけているのは、いつだってロイドの方だ。
「これ、しっかり磨いとけ」
すると、返事代わりなのか、ランディが片手に収まる大きさの部品を布に包んで差し出してきた。
「え?わ、分かった」
また耳を疑うような言葉を聞き、ロイドは驚きと共に慌ててそれを両手で受け取った。
緊張して手が震えそうになるのを何とか押さえ込む。
あまりに突然すぎたせいで、夢でも見ているのではないかとすら思ってしまう。
ベルゼルガーの一部が自分の手にあることが俄に信じられず、彼は何度もランディと交互に見比べた。
「なぁ、急にどうしたんだ?今まで俺に触らせたことなんてなかったのに」
「どうって、譲歩してやってんだよ。あ、ついでにこいつもな」
今度は変わった形の留め具を数個、わずかに身を乗り出してロイドの前に置いた。
「……寂しすぎてイカれちまってるっていうから、充電させてやろうかと思ってな」
近づいた顔は困惑を浮かべていて、引き際にその頬へ掠めるようなキスをする。
「そ、それっ、どこから聞いたんだよ!?」
「さぁな」
ランディはまたすぐに武器を弄り始めたが、狼狽えているロイドが可笑しくて小刻みに肩を揺らした。
「それはそうとしっかり充電しとけよ?まだしばらく現状維持だからな」
軽くあしらいながら話の矛先を変えると、その途端に栗色の頭がガクリと項垂れる。
落ちた前髪の先が僅かにベルゼルガーに触れ、大好きな黒を覗き見る瞳が悲しそうに揺れた。
「まだ、ダメなのか……?」
「ダメージでかすぎたんだよ。少しは我慢しろ」
あの手帳の中身を知ってしまったランディは、すぐさまその使用を禁止させた。
それと同時に、ほとぼりが冷めるまで一緒に夢幻回廊には入れないとも言った。
あんな風に見られていては、気になって戦うどころの話ではない。
もちろんロイドは反対したが、隠し事には後ろめたさがあったのだろう。
不本意ながら了承して今に至っている。
ランディは現状維持を解く気はなさそうだ。
しかし、ティオ曰く『ロイドさんに甘々』な彼のこと、絆されて折れてしまうのは目に見えて明らかだった。
2021.09.02
#創畳む
創・恋人設定
ロイドの手帳を拾ったランディが勘違いをして嫉妬してしまう話。
【文字数:10000】
何気なく円庭を歩いていたランディは、通路の端に何かが落ちているのを見つけた。
「なんだ……これ?」
それは手帳のようで、拾い上げた手に収まるくらいに小さい。
表紙には何も書かれておらず、一見して持ち主が分かる状態ではなかった。
すぐ側にはテーブルと椅子が設置されている。座っていた誰かが落としたのかもしれないが、今は空席になっていた。
ランディは辺りを見回してから小さな息を吐く。
「聞いて回るしかねぇか」
さすがに中身を確認することは憚られる。
この閉ざされた空間での落とし物なら、持ち主は必ずいるはずだ。
面倒なのには違いないが、片っ端から声をかけていくのが手っ取り早いだろう。
運が良ければすぐに見つかるかもしれない。
そんな淡い期待を抱きつつ、彼は手帳を手に歩き出した。
下層を一巡りし、もう結構な人数に声をかけたような気がする。
当の本人でなくても持ち主を知る人くらいは見つかっても良さそうだが、皆が揃いも揃って首を横に振ってくる。
「ここまで聞いて成果なしとか、ありえねぇだろ」
今度は上層へ移動しようと、愚痴を零しながら螺旋階段を上り始めた。
「あれ?どうしたんだい?」
そこへ、上から涼やかな青年の声が降ってきた。
数段の間を取り、軽く腕組みをして相手を覗う。
「君、なんだか疲れた顔してるね」
「あー、ワジか。なんか落とし物拾っちまってさぁ……持ち主探してんだよ」
バッタリと会った人物が身内だったこともあり、ランディは取り繕おうともしなかった。
「落とし物?……あぁ、その手帳のこと?」
急にだらけた彼の手に目を留め、ワジは黄金の双眸に可笑しげな色を滲ませる。
「それって、ロイドのだよね」
「──はぁ!?」
まさに寝耳に水だった。咄嗟に二の句が継げなくなる。
「いつもは捜査手帳に挟んでるんじゃないかな」
確かにこの大きさだったら、彼の推測通りかもしれない。
ランディは小振りの手帳に視線を寄せてやっと声を押し出した。
「つまりは隠してるってことか……なんでお前は知ってるんだよ?」
「偶然見かけただけさ。中身は教えてくれなかったけどね」
面白くないと眉を顰めた彼を気にするでもなく、ワジは軽やかに答えた。
「あぁ、ノエルも見かけたとか言ってたかな。一人で楽しそうに何か書いてたって」
更なる情報を放り投げてみると、赤毛の男は穴が開く程に手帳を見つめ始めてしまった。
「ロイドならもうすぐ戻ってくるんじゃない?事情はどうあれ、ちゃんと返してあげないとね」
そんな彼の肩を一つ叩き、ワジはどこか意地悪げで綺麗な笑みを浮かべながら階段を降りていく。
「……楽しそうって何だよ?」
次第に遠退く足音は耳を流れ去り、立ち止まったままのランディは不満げに呟いた。
胸の奥に言いようのないわだかまりが広がっていくのを感じた。
螺旋階段を降りたワジは、視線の先にノエルの姿を見つけた。
彼女はエリィと談笑しているようで、楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「やぁ、二人とも。なんだか面白いことになりそうだよ」
意味ありげな呼びかけをしながら話の輪に入ると、
「あ、ワジ君……って、うわっ、なにその笑い方」
ノエルには後ずさりをされたが、エリィの方はすぐに察したようだった。
「またロイドたちを引っかき回してきたの?」
特務支援課の中では、相棒同士である彼らのもう一つの関係性は周知の事実だ。
そんな二人を玩具代わりにするのは、ワジの楽しみでもある。
「聞き捨てならないね。僕は情報を提供してあげただけさ」
彼は悪びれもせず、事の成り行きを同僚たちに説明してみせた。
「あの手帳……ランディは知らなかったのね」
「その言い方だと、エリィも知ってるんだ」
「えぇ。私もティオちゃんも何度か見たことはあるけれど、中身は頑なに教えてくれないのよね」
エリィは細い顎に綺麗な指を当て、考え込むような仕草をする。
「それにしても、ランディ先輩だけ見たことがないって……わざと隠してるんでしょうか?」
ノエルも腕を組んで難しい顔を浮かべた。
「だろうね。それなら彼がらみの内容かな」
「ロイドったら、肝心な所で脇が甘いのよね。タダでさえ隠し事が苦手なのに」
普段は頼りがいのある支援課のリーダーだが、自分のことになると、途端に墓穴を掘りまくってしまう。
呆れ顔を隠しもせず、エリィは美しい銀髪を優雅に掻き上げた。
「……中身は確実に見られてしまうわね」
更に続いた言葉は予想などではなく確信めいていて、ワジとノエルも深く頷いた。
一方、その頃。
ランディは不誠実な誘惑と葛藤していた。
階段を上りきった後、人気のない一画を見つけて外壁に寄りかかる。
もちろん、拾った物は持ち主に返すつもりだ。
ロイドは夢幻回廊を探索中だが、ワジも言っていた通りそろそろ戻ってくる頃合いだろう。
彼の反応はどうあれ、当たり障りのない軽い調子ですぐに返してしまえばいい。
それが最良だと分かっているのに、どうしても感情が付いてこなかった。
ワジからもたらされた情報が、ぐるぐると頭の中を回る。
あの話しぶりだったら、他の同僚たちも手帳の存在を知っている可能性がある。
なのに、どうして一番身近にいるはずの自分が知らないのか?
書いている姿どころか、それを手に持っているのすら見たことがない。
「……俺に対して隠してんのか?」
そう勘繰ってしまうのも仕方がない状況だ。
「しかも楽しそうとか……」
考えれば考えるほど胸中に黒い霧が立ちこめ、手帳の内容が気になってしまう。
『ロイドが自分に隠れて楽しそうにしてる』
単純に言えばそういうことだ。
公私に渡り親密な間柄であるランディにしてみれば、中身を盗み見る動機としては十分だった。
彼は無断で人の秘密を暴くことに罪悪感を覚えながらも、手帳の表紙に手をかけた。
「……悪ぃな」
一度だけ逡巡し、小さく頭を振る。
良心の呵責に耐えかね、今は不在のロイドへ謝った後、慎重に最初の頁をめくった。
──間近で見ると余計にカッコよく見える
それは確かにロイドの筆跡だった。
目に飛び込んできた一文は普段よりも少し崩れている。
どこか浮かれているような雰囲気があり、ランディは少しばかり面食らった。
──ブレードの切れ味すごくて見惚れそう
小振りな手帳なので一頁の行数は少ないが、そこに隙間なく書かれているわけではなく、箇条書きのように気持ちを連ねている。
頁をめくっても好意的な表現は続き、思わず顔を歪めた。
「誰のこと言ってんだ?」
どうやら一緒に戦っている仲間のことを書いているようだ。しかも、全て同じ人物ではないかと思わせる部分が多々ある。
──あの銃撃音って耳にくるけど、頼もしくて落ち着くんだよな
次第に不愉快さが増していく中、ランディはこの文章たちに該当する『誰か』を探し始めた。
脳内で候補を挙げては外すを繰り返しながら、手帳の先を読み進める。
──とっておきじゃなくなったことが嬉しいんだ
少し内容が変わってきた。
相変わらず楽しげにカッコイイを連発しているが、時折しみじみとした顔を見せてくる。
「あー、くそっ、わけわかんねぇ」
人物の詳細が出てこないどころか、逆に答えから遠退いているような気がしてきた。
ランディは苛立たしげに前髪を掻き上げる。
それでも、頁をめくる手は止まらない。ここまでくれば最後まで見てやろうと、半ばやけくそ気味だった。
──あれを防ぎきるなんて、やっぱ強くて頑丈で惚れ惚れする。でも、あんまりやって欲しくないって……矛盾してるな。あの時みたいに壊れる所は二度と見たくないんだ
ふと、珍しく長い一文が目に留まった。
普段通りの冷静さがあれば、それが決定的な文言になるはずだった。
しかし、疑念と嫉妬を抱えて盲目的な思考から抜け出せない。
最初から『誰か』を探し、人物以外の可能性に思い当たりもしなかった。
「……あのバカ。どんだけ惚れてんだよ」
気にはなったものの、今の彼にとっては火に油を注ぐような文字の羅列だ。
忌々しげに吐き捨てながら、指で乱暴に紙面を弾く。
結局ランディは答えを掴めないまま、ロイドが綴った文章を全て読み終えた。
落とし物を返すことよりも、彼を問い詰めることの方が優先事項になってしまっていた。
夢幻回廊を探索していたメンバーたちが戻ってきた。
リーダーを任されていたロイドが解散を告げると、皆が思い思いの場所へと散っていく。
それを見送った彼は、近くの空いている席に腰を下ろした。
テーブルに愛用のトンファーを置き、ポケットから取り出した布で丁寧に磨き始める。
『武器っていうのは、磨いてやるだけでも随分と違うもんだぜ』
いつだったか、ランディがそんなことを言っていた。
相棒として肩を並べる今となっても、戦士としての意識の高さに学ぶべきことは多い。
「最近は一緒に戦えてなくて寂しいな」
頼りがいのある大きな背中を思い浮かべ、ポツリと言葉通りの感情が零れ落ちた。
「──誰と戦えなくて寂しいって?」
すると、不意に上から影が落ちてきた。
自分の世界に没入していたせいか、まったく気配に気が付かなかった。
耳に馴染んでいるはずの声は低く重い響きを伴い、ロイドが驚いて顔を上げる。
「ラ、ランディ……?」
剣呑さをはらんだ瞳に見下ろされ、唖然として口が半開きになる。
どこからどう見ても、怒っているとしか形容できない表情だった。
(な、なんで?俺、何かしちゃったか?)
記憶を辿っても身に覚えがなく、頭の中が混乱する。
そんな彼の前に何かが突き出された。
「これについて、聞かせてもらおうじゃねぇか」
「あ!そ、それ……!?」
ロイドはこれでもかと言わんばかりに目を見開いた。
慌てて上着から捜査手帳を取り出して開いたが、本来ならそこに挟まっている物がない。その瞬間、一気に冷や汗が流れ落ちた。
「落としたことにも気が付かなかったのかよ。間抜けなヤツだな」
ランディは棘のある言葉を浴びせつつ、真向かいの席に足を組んで座った。
それから持っていた手帳をテーブルの上に置き、指先で不快げに数回叩く。
「で、色々と楽しいことが書いてあったんだが?」
「勝手に見たのかよ!?」
「それに関しちゃ悪いとは思ってる。けど、気になる情報を貰っちまったもんでな」
ロイドは手帳の中身を見られてしまったことを知り、声を荒立てた。
これについてはランディの方に全面的な非があるので、本人も素直に認める形だ。
けれど、だからといって今の感情が収まるわけではなく、その眼光は険しい。
「そんなにお熱い視線を送ってるヤツがいるとは知らなかったぜ」
「──え?」
あくまで静かな口調は鋭利な刃のようで、聞いた途端に背筋が寒くなる。
しかし、そんな言葉の端に疑問を感じ、ロイドは不思議そうに相手を見返した。
「今、なんて……」
「単刀直入に聞く。そいつは誰だ?」
ランディの方にはその声に耳を傾けるほどの余裕はなく、一方的に自分の嫉妬だけを突き付けてくる。
「誰って……なに言ってんだよ。手帳、見たんじゃないのか?」
明らかに勘違いをしている。それに気が付いたロイドは困惑を隠せなかった。
そもそも、彼に対してこの手帳の存在を徹底的に隠していたのは、見られたらすぐに分かってしまうと思ったからだ。
そうなれば確実に弄られる。まさか、怒るとは予想していなかったが。
「ほんとに、ほんとに分からないのか?」
「こっちは分かんねぇから聞いてんだよ」
嘘だろ?と言いたげなロイドに向かって、強い声が投げつけられた。
見えない相手に牙を向けているランディの思考は頑なで、考え直してくれる余地はなさそうだ。
このまま平行線に陥ってしまうは避けたいと、ロイドは躊躇いながらも仕方なく口を開いた。
「……それ、ベルゼルガーのこと」
未だ相手の手元にある手帳から気まずそうに顔を逸らし、ぼそりと一言。
「嬉しかったんだ。切り札とかじゃなくて、普通に使い始めたことが」
今まではずっと、使うタイミングを慎重に見計らっている節があった。
一度壊れていることもあり、強度の問題もあったかもしれない。
けれど、それ以上にランディ自身の中で様々な葛藤があったのだろう。
「どこかに吐き出したくて書き始めたら、止まらなくなっちゃって」
夢幻回廊を探索中、初めてそれを見た時は驚いて頭が真っ白になりかけた。
重厚な黒い本体から繰り出された斬撃と、豪快に火を噴いて薬莢を飛び散らせる様を前に、雷でも落ちたかのような衝撃を受けたのを覚えている。
『ちょいと派手にやりすぎちまったぜ』
あの時、そう言って笑った横顔を見た途端に沸々と嬉しさが込み上げてきた。
彼は長年連れ添ってきた無機質な相棒との対話を、やっと終わらせることができたのだと。
「最近は密かな楽しみだったっていうか…………あ~!もう、無理!!」
向こう側からの相槌はなく、一人で言葉を続ければ続けるほど恥ずかしくなってくる。
耐えきれなくなったロイドは首を激しく左右に振り、テーブルの上に突っ伏してしまった。
茶色い頭は微動だにしない。
ランディはそれを呆然と見つめていた。
攻撃的な感情が行き場を失い、少しずつ四散して解けていく。
頭の回転が鈍っていてあれこれと考えられないが、自分が誤解をしていることだけは分かった。
「…………マジかよ」
片肘を付いてその手の平で顔を覆いながら、声を絞り出す。
彼の嫉妬の対象は円庭に集っている仲間たちではなく、自らが扱っている武器だった。
ランディは相棒の青年が伏せってるのを確認し、もう一度手帳を開いた。
覚めた目で見直してみれば、どの頁も明らかにベルゼルガーについての記述だった。
これではロイドが困惑するのも無理はない。
煮えたぎる感情で目がくらんでいたことは誤魔化しようがなく、情けなさが膨らんでいく。
彼は盛大な溜息を吐きながら手帳を閉じようとしたが、ふとある一文が目に飛び込んきてしまい、手を止めた。それは筆跡がある中では最後の頁だ。
──メンテナンスを見ていたらニヤけるなと怒られた。だってしょうがないだろ?されてる方は気持ち良さそうだし、してる方は嬉しそうだったから。そういうの、ほんとに好きなんだ
これを書いている最中の楽しげな様子が易々と想像できてしまう。
どうやら、お熱い視線を送っているヤツではなく『ヤツら』だったらしい。
吐き出す溜息も底をつき、ランディはほとほと参ったといった様子だった。
「隠してるからってデレまくってんじゃねぇよ」
なんとか開いた口からは毒づく言葉しか出てこない。
確かにロイドはベルゼルガーのことを書いていた。
しかし、武器はただの武器であって使い手がいてこその魅力だという部分が大きい。
その溢れる気持ちの行き先が分かってしまったランディは、込み上げてくる熱情を無言で噛みしめて堪えた。
先に沈没したロイドはまだ起き上がる気配を見せない。
そんな彼よりは優位でいたいと虚勢を張り、自分も突っ伏してしまうことだけはなんとか回避した。
水色の髪の少女は、通りがかりに珍しい光景を目撃してしまった。
普段は動きの少ない表情筋が驚きを形作る。
一瞬声をかけようとしたが、どうにも近寄りがたい雰囲気があって諦めた。
「これは……皆さんに報告ですね」
彼らの奇妙な姿はすぐさま同僚たちと共有するべきである。
そう思ったティオは再び歩き出した。
下層に降りた彼女は、すぐに気心知れた仲間たちを見つけ小走りで駆け寄った。
「あら、ティオちゃん。どうしたの?」
それが急いでいるように見えたのか、最初に気づいたエリィがわずかに驚く。
「エリィさん、上でロイドさんとランディさんを見かけたのですが……」
ティオが口を開くと、一緒にいたワジとノエルが食い付いてきた。
「もしかして面白いことになってなかったかい?」
「まさか、喧嘩とかしてませんよね!?」
「あの……珍しくロイドさんの方が撃沈していました」
その勢いに押されつつ、戸惑い気味に答えたティオはチラリと銀髪の同僚を見上げた。
この状況に対しての説明を求めているようで、それを察したエリィが事の経緯を伝える。
「あぁ、なるほど。ちなみにランディさんは沈没こそしていませんでしたが、ダメージは相当なものかと」
最年少の少女は納得して頷き、淡々と彼らの状態を皆に報告した。
「へぇ?いつもはランディの方がロイドの天然攻撃にやられてるのに」
ワジの瞳が興味深げな光を宿す。
「でも、ランディ先輩もダメージ受けてるってことは……相打ち?」
隣にいるノエルは小さく唸りながら考え込んだ。
「それは手帳の中身によるわね。あまり詮索するのは良くないけれど」
「……とても気になります」
そこにエリィが尤もな意見を入れると、矢継ぎ早にティオが正直な声を上げ、四人は無言で顔を見合わせた。
沈黙の中、最初に動いたのはワジだった。
「ここはやっぱり様子を見に行くべきだよね」
「えっ、えぇ!?ほんとに行っちゃうの!?」
涼やかな声は明らかに愉快なリズムを刻み、ノエルの反応をよそに軽やかな足取りで輪の中から出ていく。
「あ、ワジさん。私もご一緒します」
「もう……ティオちゃんったら」
それを追いかけ始めた少女の後ろ姿を、エリィが少しばかり呆れた様子で見送る。
四人の性格の違いが浮き彫りになり、強行派と慎重派に分かれる形になってしまった。
「あの二人ってちょっと似てる所がある気がするわ」
「あ、あははっ……確かに」
嬉々として上層へ向かう二人の姿はあっという間に小さくなり、真面目なエリィとノエルはどことなく疲れた顔をしてそれを眺めやっていた。
その後。ロイドのベルゼルガー観察手帳が禁止になってしまったのは言うまでもない。
2021.08.25
『禁断症状』(後日談)
夢幻回廊の一画での戦いは、緊迫した攻防の末に見事勝利に終わった。
リィンは共に戦っていた仲間たちの安否を確認し、ホッと胸を撫で下ろした。
「……ん?」
しかし、一人だけ腕を組んでブツブツと言っている青年の背中が目に留まる。
特に負傷しているようには見えないが、もしかしたらどこかに不調があるのかもしれない。
「ロイド?どうしたんだ?」
心配になったリィンは、後ろから近寄って青年の名前を呼んだ。
「あの距離ならやっぱ銃撃かなぁ」
しかし、彼は自分の世界に入り込んでいるのか、床の一転を見つめながら独りごちている。
「ありったけの弾薬で火吹かせまくりとか……格好良すぎないか」
その内容はさり気なく物騒だ。
「ロイド、大丈夫か?」
「へ!?あ、あぁ、リィンか」
もう一度名前を呼ぶと、今度は肩を跳ね上げた後に勢いよく振り返った。
「どこかやられたのか?」
「俺なら問題ないよ。ちょっと考えごとしてただけ」
仲間の身を案じているリィンに柔らかい笑顔を向けたロイドだったが、すぐに視線が元の場所に戻ってしまう。
「さっきのヤツ、ベルゼルガーならどう……っ、あ、いや、なんでもない」
寂しそうな色を漂わせているのは無意識だったのか、ハッと我に返って頭を振る。
「ほ、ほら!そろそろ探索を再開するぞ」
ロイドは無理に口角を引き上げ、他の仲間たちに声をかけながら歩き始めた。
その誤魔化しきれない後ろ姿を見つめ、リィンは首を傾げた。
「……ランディさんと何かあったのかな?」
ベルゼルガーと言えば、彼の代名詞だ。教官仲間でもあるその男を思い浮かべ、ふとあることが気になった。
「そういえば、最近二人で探索メンバーに入っているのを見てないな」
少し前までは共に夢幻回廊を巡っていたのを考えれば、どうしても違和感がある。
わざと距離を置いているようにしか思えなかった。
探索を再開した後。
強敵との戦いを終えるたびに、ロイドは一人はぼやいていた。
中身は先ほどと同じようなことばかりで、寂しさの中に拗ねた表情が入り交じる。
リィンには、その姿がとても不安定に見えた。
今度は別の探索でランディと組む機会があった。
彼は特に気になるような言動はしていない。しかし、武器を操る腕が少し重そうだ。
「ランディさん、調子悪いんですか?」
ロイドの件もあり、気になったリィンは赤毛の男に問いかけた。
「いや、悪いっつーか。こう、ノリがいまいちっていうか」
彼は自分の肩に手をかけ、首を一つ鳴らす。
「まぁ……色々あってよ」
それから自嘲気味な笑みを浮かべた。
リィンは更に言葉を続けるべきか悩んだ。二人の関係は知っているが、ここで出しゃばるのもどうかと思う。
けれど、多少なりとも戦いに支障が出ていることが気に掛かってしまう。
「……この間、ロイドと一緒だったんですけど、なんだか様子がおかしくて」
その懸念が先に立ち思いきって口を開くと、ランディが真顔になって動きを止めた。
「──おかしい?」
「大きな戦闘が終わる度に、やたらとベルゼルガーのことを呟いてましたよ」
状況を聞いた彼は瞠目したが、一転してすぐに両肩から脱力してしまった。
「あのバカ……何やってんだよ」
やはり、二人の間で何かがあったらしい。
リィンはそう確信してランディの様子を覗ったが、ふとその背後に水色の頭が顔を覗かせた。
「それはベルゼルガー禁断症状ですね」
「お、おまっ!?どっから出てきやがった?」
「私の気配に気づかないなんて、グダグダすぎです。ランディさん」
不意を突かれて慌てた同僚に対し、ティオは顔色一つ変えずに言葉を返した。
「な、なんか凄い言葉が出てきたな」
気心知れた二人のやり取りを眺めつつ、リィンが大きく息を吐き出した。
「ロイドさんはあれが大好きなので、しばらくお目にかかれていないせいで妄想が始まったと思われます」
それを聞き逃さなかった少女は、淡々とした口調で説明をする。
「ティオすけ。余計なことぬかすなっつーの」
手強い相手の登場で体の悪くなったランディは、煩わしそうに頭を掻いて踵を返した。
「あー、ほら、次行くぞ、次!」
そう言って武器を担いで歩き出した後ろ姿へ、ティオのジト目が向けられる。
「逃げましたね」
「あれ、大丈夫なのか?」
「ラブラブすぎて距離を取っているだけなので、問題ありません」
心配そうなリィンをよそに、少女の声は相変わらず平坦だ。
「結局のところ、ランディさんはロイドさんに甘々ですから」
けれど、ほんの少しだけ口元を綻ばせた。
「おい、メンテするから付き合え」
突然かけられた言葉に、ロイドは自分の耳を疑った。
半信半疑で付いていくと、テーブルの上にベルゼルガーが横たわっていて、それを見た瞬間に嬉しさが込み上げてくる。
吸い寄せられるように椅子へ座り、ちらりとランディを見た。
彼はロイドとほぼ同時に向かいの席へ座り、すぐに複雑な形状をした武器の一部を解体し始める。
「あ、あのさ……ランディ?」
嬉しさも束の間。急に降ってきた幸運に相手の意図が読めず、ロイドが戸惑いを滲ませた。
そもそも、今までこんな風に誘われることなんてなかった。
メンテナンスの兆候を嗅ぎつけて見学に押しかけているのは、いつだってロイドの方だ。
「これ、しっかり磨いとけ」
すると、返事代わりなのか、ランディが片手に収まる大きさの部品を布に包んで差し出してきた。
「え?わ、分かった」
また耳を疑うような言葉を聞き、ロイドは驚きと共に慌ててそれを両手で受け取った。
緊張して手が震えそうになるのを何とか押さえ込む。
あまりに突然すぎたせいで、夢でも見ているのではないかとすら思ってしまう。
ベルゼルガーの一部が自分の手にあることが俄に信じられず、彼は何度もランディと交互に見比べた。
「なぁ、急にどうしたんだ?今まで俺に触らせたことなんてなかったのに」
「どうって、譲歩してやってんだよ。あ、ついでにこいつもな」
今度は変わった形の留め具を数個、わずかに身を乗り出してロイドの前に置いた。
「……寂しすぎてイカれちまってるっていうから、充電させてやろうかと思ってな」
近づいた顔は困惑を浮かべていて、引き際にその頬へ掠めるようなキスをする。
「そ、それっ、どこから聞いたんだよ!?」
「さぁな」
ランディはまたすぐに武器を弄り始めたが、狼狽えているロイドが可笑しくて小刻みに肩を揺らした。
「それはそうとしっかり充電しとけよ?まだしばらく現状維持だからな」
軽くあしらいながら話の矛先を変えると、その途端に栗色の頭がガクリと項垂れる。
落ちた前髪の先が僅かにベルゼルガーに触れ、大好きな黒を覗き見る瞳が悲しそうに揺れた。
「まだ、ダメなのか……?」
「ダメージでかすぎたんだよ。少しは我慢しろ」
あの手帳の中身を知ってしまったランディは、すぐさまその使用を禁止させた。
それと同時に、ほとぼりが冷めるまで一緒に夢幻回廊には入れないとも言った。
あんな風に見られていては、気になって戦うどころの話ではない。
もちろんロイドは反対したが、隠し事には後ろめたさがあったのだろう。
不本意ながら了承して今に至っている。
ランディは現状維持を解く気はなさそうだ。
しかし、ティオ曰く『ロイドさんに甘々』な彼のこと、絆されて折れてしまうのは目に見えて明らかだった。
2021.09.02
#創畳む
タグの話・まとめ
お互いに意識し合っている両片想い(閃Ⅲ)→恋人同士になる話(創)
SS2本をまとめています。
【文字数:5500】
【小さな分身】
クロスベル駅。帝国方面のホームにアナウンスの声が流れた。
そろそろ列車が到着するようだ。
ベンチに腰を下ろしていた青年がゆったりと立ち上がる。
そこへ、彼の名前を呼ぶ声と共に一人の女が駆け寄ってきた。
「ランディさん!良かった……間に合ったわ」
「おっ、なんだよ。見送りとは嬉しいねぇ」
見知った顔を前にランディは陽気な応答をした。
彼女は歓楽街で贔屓にしている店での顔馴染みだ。
夜の華やかさとは一転してシンプルな装いをしていたが、すぐに分かった。
「ふふっ、しばらく顔を見れないなんて寂しいわ」
女はしなやかな両手を逞しい腕に絡ませ、艶めいた唇を耳元に寄せた。
「──『彼』からよ」
そう囁きながら、ランディの上着のポケットに何かを忍ばせた。
「……おう。ありがとな」
彼は一瞬だけ瞠目したが、すぐにニヤリと笑った。
程なくして定刻通りに列車がやってきた。
見送りに来た女と親しげなやり取りを交わし、車内へと乗り込む。
座席に身を落とし、動き始めた車窓を眺めながらポケットに手を突っ込んだ。
女から渡されたものは封筒のようだが、単純に手紙というわけではなさそうだ。
指先に硬い感触が当たる。
「どうせなら、ラブレターにしとけよ……色気がねぇな」
ランディは戯けた色を見せながら周囲の気配を探った。
自分の立場を考えれば、監視の目はどこかにあるはずだ。
最低限、リーヴスに到着して第Ⅱ分校を訪れるまでは。
これが他の仲間たちからであれば、そこまで神経を尖らせる必要はない。
しかし、送り主が指名手配中の『彼』であれば話は別だった。
本音を言えば、今すぐにでも開けてしまいたい。
そんな衝動を胸に押し隠した彼は、表面上は平静を装い、名残惜しげに封筒から手を離した。
住居として与えられた寮の一室に足を踏み入れた時、何の感慨も抱けなかった。
必要な家具は備え付けられており、予め送っていた私物の段ボール箱も届いている。
これからここでの生活をする上で、困ることはないだろう。
ランディは後ろ手にドアを閉め、綺麗に整えられたベッドの上に腰を下ろした。
「……ったく、厄介な場所に飛ばしやがって」
今回の出向は、打診という皮を被った半ば強制的なものだった。
先刻。挨拶がてら第Ⅱ分校へ向かい、軽く顔合わせを行ったが、初見から曲者揃いといった印象だ。一筋縄ではいかない職場になるのは間違いない。
「はぁ~、いきなりあいつらが恋しくなってきたぜ」
つい苦笑いを浮かべてしまうのも仕方がなかった。
彼は身内とも呼べる同僚たちの顔を思い浮かべ、上着のポケットに忍ばせていた封筒を取り出した。
クロスベル駅で受け取ってから大分時間が経ってしまったが、ようやく中身を確認できる。
はやる手元を落ち着かせ、丁寧に封を切ると、微かに金属の擦れるような音がした。
封筒の中には、短いチェーンが付いた金属製のタグと一枚の紙。
「こいつ……は」
手の平に収まる小さなタグに刻印された名前を認識した途端、ランディは言葉を詰まらせた。
それはロイドが携帯しているクロスベル警察の認識タグだった。
併合された今となっては機能しているか怪しいものだが、規則上は常に持ち歩いていなければならない。
普段は捜査官らしく真面目な性格の彼だが、時には周囲が驚くほど大胆な行動を起こすことがある。今回も例に漏れないようだ。
「これって、手放していいもんなのか?」
一人なのも相まって心情がストレートに言語化されてしまった。
少し戸惑いがちに同封された紙の方を取り出してみる。
こちらはお世辞にでも手紙を綴るような用紙ではなく、メモ帳を引きちぎったようにも見える。急いでいたのか、そこには短い走り書きがあった。
『預けておく。絶対に返しに来い』
詰まらせるどころか、完全に言葉を失った。
離れた相手に、自分が常に身につけているものを預けることへの重みを感じる。
ラブレターどころの色気ではなかった。
胸の中に熱いものが込み上げてくる。
「……ははっ。普通は預けた方が来るもんじゃねぇのかよ?」
ようやく発した声は、ロイドからのメッセージに突っ込みを入れる形になった。
だが、彼の言いたいことは手に通るように分かる。
潜伏活動をしているせいで、身動きが取りづらい故の言い回しなのだろう。
そして、帝国に行かざるを得ないランディへ向けての強い再会の約束だ。
仲間たちの誰よりも危険な状況にいるロイドからの想いが、ひしひしと伝わってきた。
ランディは乱れた筆跡を見つめた後、それを封筒の中へ戻した。
次に、手の中にあるタグへと視線を寄せる。
刻印されているロイドの名前に目元を緩め、親指の腹で愛おしげに何度もなぞった。
「行くに決まってんだろ。返すついでに、積もりまくった想いの丈を受け止めてもらうからな」
彼の代わりともいえる小さなタグへ、しっかりとした意思を告げる。
その後、何かを思い立った様子でベッドから離れ、まだ未開封の段ボール箱に手を付けた。
そこから取り出したのは装飾用の長めのチェーンだった。
器用な手つきでタグの穴に通されている短いものと付け替える。
それを首にかけ、大切なものを守るかのように衣服の内側へ隠した。
「まぁ、帝国の動向を探るには意外と良い場所かもしれねぇな」
ランディは窓の外を見据えながら口角をつり上げる。
果たすべき約束を得た彼の心は、明らかに浮上していた。
──後日。
ランディから預けたタグの扱いを聞き、ロイドは驚いた。
衣服のポケットにでも入れているのだろうと思っていたらしい。
あろうことか、胸元に潜ませていた事実を知ってしまい、妙に恥ずかしくなってしまった。
2021.06.17
【最後の逃げ道】
最初は久しぶりに顔を合わせた時、返してくれるものだと思っていた。
未だに戻ってこない預け物について、ロイドはわざと考えないようにしていた。
ずっと切迫した状況が続いていたせいもある。
ランディの方からもそれについての言及はなく、あの時はただ、目の前の窮地を打破する為に肩を並べて戦場を駆け抜けた。
今は、聞いてみてもいいのだろうか?
穏やかな日常を取り戻した街並みを瞳へ流し、隣で揺れる赤い髪を盗み見る。
両手をポケットに突っ込んで歩く姿は軽やかで、どうやらご機嫌なようだ。
「あのさ……ランディ」
「ん~、どっか寄ってくか?」
空は午後も幾分か回った様相をしている。夕食時にはまだ遠く、小腹が空いてくる時間帯になっていた。
ランディはそれを踏まえて話を振ってみたが、外れてしまったらしい。
「いや、そうじゃなくて」
はっきりと首を横に振られ、残念な顔をする。
「なんだ、違うのかよ」
しかし、特に気分を害したわけでもなく、声は明るい。
ロイドはそれに安心して口を開いた。
「あ、うん。その……まだ返してもらってないなって」
なんとなく主語を省いてしまったが、言いたいことはしっかりと伝わっているようだ。
ランディはほんの一瞬だけ顔を強張らせたが、すぐに応答してきた。
「……あれか」
彼は街中を行き交う人々に目をやり、辺りを気にしているような素振りを見せた。
「ここじゃ落ち着かねぇな。ちょっと付いてこい」
そして、軽く顎をしゃくりながら一言。
いつもより足早に歩き出した相棒の背中を、ロイドは慌てて追いかけた。
どうして場所を変えたいのだろう?
預けたタグは人目を気にするような代物ではないし、所持しているのならこの場で気楽に返してくれればいいだけの話だ。
そこまでを頭に巡らせたロイドは、ふと嫌なことに思い当たってしまった。
「まさか、なくしたとか言わないよな?」
人の気配が薄れて足音だけが鳴る細い路地に、焦った声が反射する。
「お前さぁ、さすがにそれは酷くね?」
ランディの足がピタリと止まった。
最初からこの場所だったのか。それとも薄情な言葉に足止めされたのか。
振り向きざま、わざとらしく傷心気味に口角をつり上げる。
「ご、ごめん……つい」
素直に受け止めたロイドはしょげてしまったが、ランディがおもむろに動かした手の行方を追いかけ、今度は目を丸くした。
首にかけているチェーンを衣服の内側から引っ張り出して、『それ』を摘まみ上げてみせる。
「なっ、なんで、そんなとこにあるんだよ!?」
自分の名前が刻印されたタグを見間違うはずもなく、ロイドは声を上げた。
まさか胸元から出てくるとは思わなくて、驚きと恥ずかしさが入り交じる。
「そりゃぁ、大事なもんだからな。肌身離さずに決まってんだろ」
ランディはそう言いながら小さな預かり物に唇を落とした。
出向の時から今の今までずっと共に居たせいか、愛おしさもひとしおだ。
「──っ!」
まるで恋人にでも囁いているような表情を浮かべている。
ロイドはそんな甘い仕草を見続けていることができず、彼に背を向けて目の前にある外壁へ額を押し付けた。
体温の上がった肌には、冷たくて硬い壁の感触が心地良かった。
両目を閉じながら、忙しない胸の鼓動を落ち着かせようとする。
何度か深い呼吸を繰り返し、ようやく形を成した言葉が微かな音になって地面へ落ちた。
「……なにやってんだよ、バカ」
街の賑わいから外れたこの場所では、否応なく相手の耳にまで届く。
ランディはタグを指先で弄りながら、独り言のような声を拾い上げた。
「お前だってそのつもりだっただろ?」
一切の軽さを削いだ瞳が、俯き気味の背中に向けられる。
「代わりを添わせる気なら、俺がどんな扱いをするのか……想像くらいはしたんじゃねぇの?」
「……あ」
彼の静かだが強い口振りは、壁と対面したままのロイドを振り返らせた。
違うとは言えなかった。
ランディが帝国へ赴くと知った時、一瞬真っ白になった頭の中でいつの間にか自分の認識タグを握りしめていた。
本当はあんな走り書きではなくて、きちんと手紙を綴りたかった。
今以上に離れてしまう彼への思慮と、小さな身代わりに載せた想いを込めて。
(想像なんかじゃない。俺はたぶん……分かってた)
タグを弄っているランディの姿はあまりにも自然体で、日常的に同じ動作をしているであろうことが窺える。
ずっと側に寄り添いながら、どれだけの情を注いでくれていたのだろう。
そう考えるだけで、胸の奥が痺れるように震えた。
何か言いたいのに喉がつかえて声が出ず、もどかしげに彼を見上げる。
それを真っ向から受け止めたランディは、ようやく手の動きを止めた。
彼もまた、言葉が出てこなかった。
逸らす術を知らず、絡み合った視線だけがやたらと熱っぽくなる。
今までずっと、この狂おしい気持ちを確かな言葉で伝えたことなどなかった。
それでも燻る火種は隠しようがなく、双方向に筒抜けの状態で、互いに強く意識し合っている。
路地に隠れた二人の影はまるで動かず、その時間は長いようにも短いようにも感じられた。
一歩踏み込む機会を覗っているのか、それとも牽制しているのか。
「俺としてはもうちょい場を整えたかったんだが……」
じりじりと焼け付く緊張感を破ったのは、この状況に不満を漏らすランディの声だった。
不本意だと言わんばかりの表情で頭を振って、小さく息を吐き出す。
もう、これ以上引き延ばす気にはなれなかったし、そんな空気感でもなかった。
「お前が相手じゃ、出し抜けになっても仕方ねぇか」
彼は自嘲気味に呟きながら、今や身体の一部のようになっている小さなタグを首から外した。
それをゆっくりとロイドの前に掲げる。
「こいつを返したら……マジで口説き落とすぞ。いいのか?」
一段低くなった声が狭い空間に響いた。
「なんだよ、それ」
金属に刻印された名前を懐かしげに見つめていたロイドが、思わず顔を歪めた。
ランディは、暗に「ただの相棒には戻れない」と言っている。
けれど、最後の最後に逃げ道を残す体を取り、わざわざ問いかけてきた。
それは真摯な想いゆえの優しさなのかもしれない。
「そんなの……聞くことじゃない」
だが、ロイドにとっては全く必要のない気遣いだ。
彼は手を伸ばし、視界にある自分の代わりを強引に掴み取った。
手の中を一瞥してから、真っ直ぐに相手を見上げる。
「いいもなにも、ずっと前から落ちてる」
どう足掻いてもこの気持ちを押し隠すことはできなかった。
用意してくれた逃げ道を一蹴し、真剣な眼差しを受け止める。
ようやく、表面上は片恋同士だった欠片が噛み合ったのを感じた。
嬉しさの中で体温が上昇して、身体が勝手に動き出す。
「今更、知らなかったなんて言わないよな?」
ロイドは珍しく少しだけ意地悪げな色を添えながら、目の前の男に抱き付いた。
彼の首筋に回した両腕には遠慮なく力が入る。
僅かな笑みが喉の奥に籠もり、小刻みに肩を震わせると、ランディが身動ぎをした。
「さすがに言えねぇな。好意がダダ漏れすぎなんで」
揺れている茶色の毛先が首筋に当たり、くすぐったくて目を細める。
預かり物を返して空になった手をロイドの背中に回し、彼の頭部に優しく唇を落とした。
しかし、すぐに不満げな視線を向けられてしまう。
「は?そっちだって同じくせに」
「お前と一緒にすんなよ。こっちは逆に色々と堪りまくってたんだからな」
ランディは強めな口調で応じ、密着しているロイドの身体をそのまま壁に押し付けた。
「いい加減……離れてる間に募った想いの丈を、吐き出させちゃくれねぇか?」
出向したあの時、愛おしいタグに告げた言葉を思い出した。
最後の逃げ道を気持ち良いくらいに振り払ってくれた『恋人』へ、深い口づけを贈る。
吐息を制され、力の緩んだロイドの手中からタグが落ちそうになった。
それを咄嗟に、彼の手ごと壁へ縫い付けたランディの掌が少し汗ばんでいる。
長らく添っていた分身と、ようやく引き寄せた本人と、どちらにもこの想いを受け止めて欲しかった。
2021.07.10
#閃Ⅲ #創畳む
お互いに意識し合っている両片想い(閃Ⅲ)→恋人同士になる話(創)
SS2本をまとめています。
【文字数:5500】
【小さな分身】
クロスベル駅。帝国方面のホームにアナウンスの声が流れた。
そろそろ列車が到着するようだ。
ベンチに腰を下ろしていた青年がゆったりと立ち上がる。
そこへ、彼の名前を呼ぶ声と共に一人の女が駆け寄ってきた。
「ランディさん!良かった……間に合ったわ」
「おっ、なんだよ。見送りとは嬉しいねぇ」
見知った顔を前にランディは陽気な応答をした。
彼女は歓楽街で贔屓にしている店での顔馴染みだ。
夜の華やかさとは一転してシンプルな装いをしていたが、すぐに分かった。
「ふふっ、しばらく顔を見れないなんて寂しいわ」
女はしなやかな両手を逞しい腕に絡ませ、艶めいた唇を耳元に寄せた。
「──『彼』からよ」
そう囁きながら、ランディの上着のポケットに何かを忍ばせた。
「……おう。ありがとな」
彼は一瞬だけ瞠目したが、すぐにニヤリと笑った。
程なくして定刻通りに列車がやってきた。
見送りに来た女と親しげなやり取りを交わし、車内へと乗り込む。
座席に身を落とし、動き始めた車窓を眺めながらポケットに手を突っ込んだ。
女から渡されたものは封筒のようだが、単純に手紙というわけではなさそうだ。
指先に硬い感触が当たる。
「どうせなら、ラブレターにしとけよ……色気がねぇな」
ランディは戯けた色を見せながら周囲の気配を探った。
自分の立場を考えれば、監視の目はどこかにあるはずだ。
最低限、リーヴスに到着して第Ⅱ分校を訪れるまでは。
これが他の仲間たちからであれば、そこまで神経を尖らせる必要はない。
しかし、送り主が指名手配中の『彼』であれば話は別だった。
本音を言えば、今すぐにでも開けてしまいたい。
そんな衝動を胸に押し隠した彼は、表面上は平静を装い、名残惜しげに封筒から手を離した。
住居として与えられた寮の一室に足を踏み入れた時、何の感慨も抱けなかった。
必要な家具は備え付けられており、予め送っていた私物の段ボール箱も届いている。
これからここでの生活をする上で、困ることはないだろう。
ランディは後ろ手にドアを閉め、綺麗に整えられたベッドの上に腰を下ろした。
「……ったく、厄介な場所に飛ばしやがって」
今回の出向は、打診という皮を被った半ば強制的なものだった。
先刻。挨拶がてら第Ⅱ分校へ向かい、軽く顔合わせを行ったが、初見から曲者揃いといった印象だ。一筋縄ではいかない職場になるのは間違いない。
「はぁ~、いきなりあいつらが恋しくなってきたぜ」
つい苦笑いを浮かべてしまうのも仕方がなかった。
彼は身内とも呼べる同僚たちの顔を思い浮かべ、上着のポケットに忍ばせていた封筒を取り出した。
クロスベル駅で受け取ってから大分時間が経ってしまったが、ようやく中身を確認できる。
はやる手元を落ち着かせ、丁寧に封を切ると、微かに金属の擦れるような音がした。
封筒の中には、短いチェーンが付いた金属製のタグと一枚の紙。
「こいつ……は」
手の平に収まる小さなタグに刻印された名前を認識した途端、ランディは言葉を詰まらせた。
それはロイドが携帯しているクロスベル警察の認識タグだった。
併合された今となっては機能しているか怪しいものだが、規則上は常に持ち歩いていなければならない。
普段は捜査官らしく真面目な性格の彼だが、時には周囲が驚くほど大胆な行動を起こすことがある。今回も例に漏れないようだ。
「これって、手放していいもんなのか?」
一人なのも相まって心情がストレートに言語化されてしまった。
少し戸惑いがちに同封された紙の方を取り出してみる。
こちらはお世辞にでも手紙を綴るような用紙ではなく、メモ帳を引きちぎったようにも見える。急いでいたのか、そこには短い走り書きがあった。
『預けておく。絶対に返しに来い』
詰まらせるどころか、完全に言葉を失った。
離れた相手に、自分が常に身につけているものを預けることへの重みを感じる。
ラブレターどころの色気ではなかった。
胸の中に熱いものが込み上げてくる。
「……ははっ。普通は預けた方が来るもんじゃねぇのかよ?」
ようやく発した声は、ロイドからのメッセージに突っ込みを入れる形になった。
だが、彼の言いたいことは手に通るように分かる。
潜伏活動をしているせいで、身動きが取りづらい故の言い回しなのだろう。
そして、帝国に行かざるを得ないランディへ向けての強い再会の約束だ。
仲間たちの誰よりも危険な状況にいるロイドからの想いが、ひしひしと伝わってきた。
ランディは乱れた筆跡を見つめた後、それを封筒の中へ戻した。
次に、手の中にあるタグへと視線を寄せる。
刻印されているロイドの名前に目元を緩め、親指の腹で愛おしげに何度もなぞった。
「行くに決まってんだろ。返すついでに、積もりまくった想いの丈を受け止めてもらうからな」
彼の代わりともいえる小さなタグへ、しっかりとした意思を告げる。
その後、何かを思い立った様子でベッドから離れ、まだ未開封の段ボール箱に手を付けた。
そこから取り出したのは装飾用の長めのチェーンだった。
器用な手つきでタグの穴に通されている短いものと付け替える。
それを首にかけ、大切なものを守るかのように衣服の内側へ隠した。
「まぁ、帝国の動向を探るには意外と良い場所かもしれねぇな」
ランディは窓の外を見据えながら口角をつり上げる。
果たすべき約束を得た彼の心は、明らかに浮上していた。
──後日。
ランディから預けたタグの扱いを聞き、ロイドは驚いた。
衣服のポケットにでも入れているのだろうと思っていたらしい。
あろうことか、胸元に潜ませていた事実を知ってしまい、妙に恥ずかしくなってしまった。
2021.06.17
【最後の逃げ道】
最初は久しぶりに顔を合わせた時、返してくれるものだと思っていた。
未だに戻ってこない預け物について、ロイドはわざと考えないようにしていた。
ずっと切迫した状況が続いていたせいもある。
ランディの方からもそれについての言及はなく、あの時はただ、目の前の窮地を打破する為に肩を並べて戦場を駆け抜けた。
今は、聞いてみてもいいのだろうか?
穏やかな日常を取り戻した街並みを瞳へ流し、隣で揺れる赤い髪を盗み見る。
両手をポケットに突っ込んで歩く姿は軽やかで、どうやらご機嫌なようだ。
「あのさ……ランディ」
「ん~、どっか寄ってくか?」
空は午後も幾分か回った様相をしている。夕食時にはまだ遠く、小腹が空いてくる時間帯になっていた。
ランディはそれを踏まえて話を振ってみたが、外れてしまったらしい。
「いや、そうじゃなくて」
はっきりと首を横に振られ、残念な顔をする。
「なんだ、違うのかよ」
しかし、特に気分を害したわけでもなく、声は明るい。
ロイドはそれに安心して口を開いた。
「あ、うん。その……まだ返してもらってないなって」
なんとなく主語を省いてしまったが、言いたいことはしっかりと伝わっているようだ。
ランディはほんの一瞬だけ顔を強張らせたが、すぐに応答してきた。
「……あれか」
彼は街中を行き交う人々に目をやり、辺りを気にしているような素振りを見せた。
「ここじゃ落ち着かねぇな。ちょっと付いてこい」
そして、軽く顎をしゃくりながら一言。
いつもより足早に歩き出した相棒の背中を、ロイドは慌てて追いかけた。
どうして場所を変えたいのだろう?
預けたタグは人目を気にするような代物ではないし、所持しているのならこの場で気楽に返してくれればいいだけの話だ。
そこまでを頭に巡らせたロイドは、ふと嫌なことに思い当たってしまった。
「まさか、なくしたとか言わないよな?」
人の気配が薄れて足音だけが鳴る細い路地に、焦った声が反射する。
「お前さぁ、さすがにそれは酷くね?」
ランディの足がピタリと止まった。
最初からこの場所だったのか。それとも薄情な言葉に足止めされたのか。
振り向きざま、わざとらしく傷心気味に口角をつり上げる。
「ご、ごめん……つい」
素直に受け止めたロイドはしょげてしまったが、ランディがおもむろに動かした手の行方を追いかけ、今度は目を丸くした。
首にかけているチェーンを衣服の内側から引っ張り出して、『それ』を摘まみ上げてみせる。
「なっ、なんで、そんなとこにあるんだよ!?」
自分の名前が刻印されたタグを見間違うはずもなく、ロイドは声を上げた。
まさか胸元から出てくるとは思わなくて、驚きと恥ずかしさが入り交じる。
「そりゃぁ、大事なもんだからな。肌身離さずに決まってんだろ」
ランディはそう言いながら小さな預かり物に唇を落とした。
出向の時から今の今までずっと共に居たせいか、愛おしさもひとしおだ。
「──っ!」
まるで恋人にでも囁いているような表情を浮かべている。
ロイドはそんな甘い仕草を見続けていることができず、彼に背を向けて目の前にある外壁へ額を押し付けた。
体温の上がった肌には、冷たくて硬い壁の感触が心地良かった。
両目を閉じながら、忙しない胸の鼓動を落ち着かせようとする。
何度か深い呼吸を繰り返し、ようやく形を成した言葉が微かな音になって地面へ落ちた。
「……なにやってんだよ、バカ」
街の賑わいから外れたこの場所では、否応なく相手の耳にまで届く。
ランディはタグを指先で弄りながら、独り言のような声を拾い上げた。
「お前だってそのつもりだっただろ?」
一切の軽さを削いだ瞳が、俯き気味の背中に向けられる。
「代わりを添わせる気なら、俺がどんな扱いをするのか……想像くらいはしたんじゃねぇの?」
「……あ」
彼の静かだが強い口振りは、壁と対面したままのロイドを振り返らせた。
違うとは言えなかった。
ランディが帝国へ赴くと知った時、一瞬真っ白になった頭の中でいつの間にか自分の認識タグを握りしめていた。
本当はあんな走り書きではなくて、きちんと手紙を綴りたかった。
今以上に離れてしまう彼への思慮と、小さな身代わりに載せた想いを込めて。
(想像なんかじゃない。俺はたぶん……分かってた)
タグを弄っているランディの姿はあまりにも自然体で、日常的に同じ動作をしているであろうことが窺える。
ずっと側に寄り添いながら、どれだけの情を注いでくれていたのだろう。
そう考えるだけで、胸の奥が痺れるように震えた。
何か言いたいのに喉がつかえて声が出ず、もどかしげに彼を見上げる。
それを真っ向から受け止めたランディは、ようやく手の動きを止めた。
彼もまた、言葉が出てこなかった。
逸らす術を知らず、絡み合った視線だけがやたらと熱っぽくなる。
今までずっと、この狂おしい気持ちを確かな言葉で伝えたことなどなかった。
それでも燻る火種は隠しようがなく、双方向に筒抜けの状態で、互いに強く意識し合っている。
路地に隠れた二人の影はまるで動かず、その時間は長いようにも短いようにも感じられた。
一歩踏み込む機会を覗っているのか、それとも牽制しているのか。
「俺としてはもうちょい場を整えたかったんだが……」
じりじりと焼け付く緊張感を破ったのは、この状況に不満を漏らすランディの声だった。
不本意だと言わんばかりの表情で頭を振って、小さく息を吐き出す。
もう、これ以上引き延ばす気にはなれなかったし、そんな空気感でもなかった。
「お前が相手じゃ、出し抜けになっても仕方ねぇか」
彼は自嘲気味に呟きながら、今や身体の一部のようになっている小さなタグを首から外した。
それをゆっくりとロイドの前に掲げる。
「こいつを返したら……マジで口説き落とすぞ。いいのか?」
一段低くなった声が狭い空間に響いた。
「なんだよ、それ」
金属に刻印された名前を懐かしげに見つめていたロイドが、思わず顔を歪めた。
ランディは、暗に「ただの相棒には戻れない」と言っている。
けれど、最後の最後に逃げ道を残す体を取り、わざわざ問いかけてきた。
それは真摯な想いゆえの優しさなのかもしれない。
「そんなの……聞くことじゃない」
だが、ロイドにとっては全く必要のない気遣いだ。
彼は手を伸ばし、視界にある自分の代わりを強引に掴み取った。
手の中を一瞥してから、真っ直ぐに相手を見上げる。
「いいもなにも、ずっと前から落ちてる」
どう足掻いてもこの気持ちを押し隠すことはできなかった。
用意してくれた逃げ道を一蹴し、真剣な眼差しを受け止める。
ようやく、表面上は片恋同士だった欠片が噛み合ったのを感じた。
嬉しさの中で体温が上昇して、身体が勝手に動き出す。
「今更、知らなかったなんて言わないよな?」
ロイドは珍しく少しだけ意地悪げな色を添えながら、目の前の男に抱き付いた。
彼の首筋に回した両腕には遠慮なく力が入る。
僅かな笑みが喉の奥に籠もり、小刻みに肩を震わせると、ランディが身動ぎをした。
「さすがに言えねぇな。好意がダダ漏れすぎなんで」
揺れている茶色の毛先が首筋に当たり、くすぐったくて目を細める。
預かり物を返して空になった手をロイドの背中に回し、彼の頭部に優しく唇を落とした。
しかし、すぐに不満げな視線を向けられてしまう。
「は?そっちだって同じくせに」
「お前と一緒にすんなよ。こっちは逆に色々と堪りまくってたんだからな」
ランディは強めな口調で応じ、密着しているロイドの身体をそのまま壁に押し付けた。
「いい加減……離れてる間に募った想いの丈を、吐き出させちゃくれねぇか?」
出向したあの時、愛おしいタグに告げた言葉を思い出した。
最後の逃げ道を気持ち良いくらいに振り払ってくれた『恋人』へ、深い口づけを贈る。
吐息を制され、力の緩んだロイドの手中からタグが落ちそうになった。
それを咄嗟に、彼の手ごと壁へ縫い付けたランディの掌が少し汗ばんでいる。
長らく添っていた分身と、ようやく引き寄せた本人と、どちらにもこの想いを受け止めて欲しかった。
2021.07.10
#閃Ⅲ #創畳む
碧・恋人設定
ロイドに買い出しの荷物持ちを頼まれて同行するランディが複雑な心境になってしまう話。
2022年リクエスト④
【文字数:4500】
正直、昼ぐらいまでは惰眠をむさぼりたい気分だった。
昨夜も日課とばかりに歓楽街へ繰り出していたのだが、つい盛り上がってしまい、帰宅した頃には空が白み始めていた。
翌日が久しぶりの休みだということもあって、気が緩んでいたのかもしれない。
ランディは覚めきらない頭のまま、気怠げに朝食を口に運んでいた。
(食ったら軽く寝直してぇなぁ~)
そもそも休日の食事は各々に任されているので、わざわざ揃って食べる必要はない。
とはいえ、この男以外はみな規則正しい生活習慣の持ち主たちだ。
普段よりものんびりしているが、自然と一階に集まって朝の団欒が始まる。
ランディとしては放っておいてくれても構わないのだが、支援課の愛娘はそれを許してはくれなかった。
勢いよく彼の部屋に突撃を敢行し、
「ランディー!おはよー!」
毛布にくるまった大きな身体へ向かって、元気いっぱいに飛び乗ってくるのだった。
「ランディ。荷物持ちしてくれると助かるんだけど」
まだぼんやりとした思考では、交わす会話も右から左になっている。
なんとなく話に加わっていた彼は、頭上から降ってきた影に食事の手を止めた。
「──は?何が?」
テーブル端の席を陣取っている男の横には、朝から明るい表情を浮かべた相棒が立っている。
「なんだよ。食べながら寝てたのか?」
「うちのお姫様は手荒いからなぁ……もうちょい寝かせて欲しかったぜ」
ランディは愚痴を零しつつも、柔らかな口調を崩さない。
辺りを見渡せば、朝の団欒はすでに後片付けの段階に入り、件の少女がちょこちょこと動き回っていた。
「それで、何が助かるって?」
「買い出しの話」
「あぁ、お嬢の荷物持ちってことか」
「……ほんとに寝てたんだな。さっき俺が代わるって言っただろ?」
短いやり取りを経て、ロイドは思いっきり溜息を吐いた。どうにも話が通じない。
もともと、今日の買い出しはエリィが行く予定だった。
しかし、朝食でその話題になり、女性では骨が折れそうな量だと思ったロイドが代わりを買って出たのだ。
しばらく多忙だったせいで、必要な物品のリストアップは多岐に渡っている。
その簡潔な説明を受けたランディは、状況を飲み込むと同時にようやく覚醒した。
「そりゃ、確かになぁ」
「だからさ、俺一人でも持てるけど……一緒に来てくれたら凄く助かる」
今度はしっかり彼の耳に届くはずだと、ロイドは再び同じ言葉を口にした。
朝から爽やかな青年と、朝から怠そうだった男の視線が綺麗に噛み合う。
「おう。そこまで言われちゃ、しょうがねぇな~」
間を置かずして陽気な男の声が室内に響き渡った。
一気に笑み崩れたランディは、どこからどう見ても上機嫌な様相になっていた。
残り一人分の食器がまだ片付いていなかった。
休日は食事の片付けも個々で行うが、時間が重なればついでにということもある。
共同生活は持ちつ持たれつで円滑に保たれているのだ。
今朝はティオが洗い物を一手に引き受けており、痺れを切らして台所から顔を覗かせると、キーアが駆け寄ってきた。
「ねぇ、ねぇ。ロイドたち、一緒に買い出し行くんだって!」
「……ランディさん、チョロすぎます」
最年長の同僚は、緩みまくった顔で朝食の皿にラストスパートをかけている。
さっきまでのかったるそうな食事態度とは雲泥の差で、ロイドからお声がかかったことが一目瞭然だ。
「買い出しであの喜びようは重傷よね」
すると、洗い物を手伝ってくれているエリィが、呆れた声と共に少女たちの元へやって来た。
「まぁ、最近は忙しかったですし……無理もないかと」
特にここ数日は仕事で各地を飛び回っていたので、二人で過ごす時間などなかったのだろう。それを思えば、常日頃のジト目もちょっとくらいは温かい色を覗かせる。
だらだらと食事をしているランディに小言を口にするつもりが、あんな様子を見てしまっては意気消沈だ。
「ティオ~。もうお片付けは終わった?」
そんな彼女のすぐ横で、キーアが問いかけてきた。
「そうですね。取りあえずは」
目線を下げて静かに笑った後、今度はエリィの方を覗ってみる。
「あら、元々『ついで』なのだから構わないわよ」
彼女は身に付けていたエプロンを外し、優しい瞳に少しだけの揶揄を添えて男たちを見た。
「それに、あそこへ声をかけるのは野暮だもの」
軽やかに降りてくる幼い足音を耳にし、ランディが階段へ意識を寄せる。
「ロイドってば、誰かとお話してるみたい。ちょっと待っててくれって言ってたよ」
「そうか。ありがとな、キー坊」
そのまま勢いよく近づいてきたキーアの頭を、大きな手が優しく撫でる。
「えへへっ」
この少女と接してると誰もが自然と柔らかな物腰になってしまう。それはランディも同様だった。
そろそろ買い出しに出かけようかという時間帯。
なかなか一階へ姿を現さないロイドが気になり、キーアが様子を見に行ってくれたところだった。
特に急ぐ用事でもない為、二人はのんびりとしたやり取りを交わして彼を待つ。
「キーアも一緒にお買い物に行きたかったなぁ」
「今日は前からみんなで遊ぶ約束してたんだろ?」
「うん、大聖堂の庭で鬼ごっことかするんだよ!」
キーアがランディの腕に纏わりつき、仔犬のようにじゃれてくる。
「ま、あそこなら安全だな。だったら、買い物はまた今度っつーことで」
「えっと……じゃぁ、後でロイドに言っておかなくちゃ」
少女はぶつぶつと言いながら、ふと赤毛の男を見上げた。
「キーアも荷物持ちしてみた……あれ?」
首が痛くなるくらいに上を向き、高い位置にある彼の表情を観察して首を傾げる。
「おっ、なんだ?」
「ん~、ランディの顔、なんか面白いよ~?」
少しでも近くで見たいのか、精一杯のつま先立ちをして眉間に皺を寄せている。
「なんだ、そりゃ。お兄さんはいつだってカッコイイだろ?」
そんな少女を軽々と抱き上げたランディは、不満を露わにして無邪気な瞳を覗き込んだ。
「う~ん、なんかね、嬉しそうなのに嬉しくなさそう」
するとキーアは、子供らしい語句を並べて率直な印象を口にした。
どうやら、一つの顔の中に正反対の感情が存在しているのが面白いらしい。
彼女は時々、こんな風に相手の心を見透かしてくることがある。
ランディは自分の胸中を的確に言語化されてしまい、思わず目を見開いた。
「あ~、そいつはなぁ……なんつーか、チョロすぎんだろ?俺って顔だな」
けれど、すぐに軽妙な口先で苦笑を浮かべ、誤魔化すように自虐をしてみせるのだった。
中央広場で待ち合わせをしていた子供たちを見送り、二人はようやく買い出しへと向かった。
「こことここを回って、最後に百貨店だな」
ロイドが買い物リストのメモを指差して段取りを確認する。
流麗な文字で見やすく書かれたこのメモは、エリィのお手製である。
几帳面な彼女らしく、店舗の名前から購入品まで細やかに書かれてあった。
「いいんじゃね?妥当なとこだろ」
それを横から覗き込んでいたランディが相槌を打つ。
「よし、買い忘れのないようにしないとな」
今日は久しぶりの買い出しだからと、気合いを入れたロイドが歩き出す。
「はい、はい。しっかりやれよ」
妙な所で力を入れる姿はランディの笑いを誘うのに十分だ。
彼は可笑しげに目を細めながら、久しぶりに添って歩ける幸せを噛みしめていた。
買い物を楽しむというよりは、与えられたミッションをクリアしていく過程を見ているような気がする。
エリィによる完璧なメモのお陰で悩む必要はないし、真面目なロイドのせいで寄り道すらもない。
そうこうしている内に、ランディの両手はしっかりと荷物で塞がっていた。
(これでも嬉しいとか……どんだけ飢えてんだよ、俺は)
活き活きとしているロイドを見つめながら、内心大きな溜息を吐く。
今朝。買い出しのお誘いを受けた時は、まるで脊髄反射の勢いで体温が上がった。
単純に自分を頼ってくれたことが嬉しかったし、二人だけで過ごせる機会を得て気分が高揚したのも事実だ。
ここ数日は特に多忙を極め、プライベートも何もあったものではなかったので尚更だった。
しかし、時間が経って冷静になると、素直には喜びきれない心境に陥ってくる。
──結局はただの荷物持ち。
そういうことである。
日頃からロイドの天然発言で苦労している彼にしてみれば、あの言葉に他意など見出せるはずもなかった。
「──ランディ?また寝てるのか?」
そんなジレンマと対話をしていたランディは、すぐ側で名前を呼ばれて我に返った。
「あぁ?いや、起きてるぜ?」
いつの間にかロイドが目の前に立っていて、どこか気遣わしげな視線を向けてくる。
「それとも、ちょっと持たせすぎか?」
どうやら、急に黙ってしまった彼が心配になったらしい。
覗うような上目遣いをされ、ランディは戯けた態度で口を開く。
「このくらい何ともねぇって。今日はロイドくん専用の荷物持ちだから好きに使えよ」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせると、それで安心したのか、ロイドは小さく息を吐いた。
「ありがとう。あ、でも、一通り回ったら俺も持つからな」
そう言って弾むように頬を緩ませる。
「お、おう……」
だが、久しぶりに恋人の笑顔と対面したランディの方はといえば、感極まってしゃがみ込みたくなる心境だった。
(はぁ~、マジで抱き締めたい。やっぱ嬉しい……荷物持ちでも嬉しい)
両手が塞がっている状態にもどかしさを覚えながらも、喜びは大きい。
もうこの際、ロイドと二人で過ごせるなら何でも良いとすら思う。
先刻、キーアに指摘された『面白い顔』のバランスが、ものの見事に崩れた瞬間だった。
全ての買い物が終わって百貨店を出る頃には、時計の針は昼を回っていた。
ランディの両手は相変わらず塞がったままだが、物量はそれ程でもないようだ。
さっきの言葉通り、ロイドの片手にも大きな紙袋がある。
「結構な量になったな。やっぱり二人で来て正解だった」
快晴の明るい空色に眩しさを覚え、目を細めたロイドが満足げに頷く。
「助かったよ。ランディ」
「お役に立てて何よりだぜ」
律儀にお礼を言われれば、ただでさえ緩み気味な顔が更にだらしなくなる。
思わず噴き出しそうになる男の表情を見つつ、ロイドはさり気なく用事の終わりを延長させた。
「なぁ、昼飯。どっかで食べていかないか?」
「おっ、いいね~」
てっきり買い出しだけだと予想していたランディは、思わぬ幸運で声のトーンを上げる。
「そんじゃ、店はお前に任せるぜ」
この時間帯なら大抵の飲食店は混んでいそうだが、食べる物に拘らなければ問題ないだろう。
「う~ん、そうだなぁ」
思案しながら街中を行くロイドの歩調に合わせ、ランディは浮ついた気分で付き従った。
しかし、彼と過ごせるなら目的は問わないと吹っ切れたはずの心に、未練たらしく僅かな欲が滲み出る。
「買い物してから飯なんて、言葉だけなら可愛いデートなんだよなぁ……」
つい冗談交じりで呟いた独り言のような願望は、傍らにいる恋人の耳にまで届いた。
ロイドがピタリとその場で立ち止まる。
「あの……さ。ちょっとくらいはそういうつもりなんだけど」
久しぶりの休日。雑踏の中で照れながら笑う姿は、いつにも増して破壊力がある。
ランディは両手に持っていた荷物を危うく落としてしまうところだった。
2022.07.18
#碧畳む