不本意ながら前科が一つ増えました

※『今、繋ぎ止めた想いを確かめて』の続きです。

 事務所のドアが開いた瞬間に元気な少女の声が響いた。
「戻りました!」
「おう、お疲れさん」
ヴァンはソファーに座って一息ついている所だった。
とある案件で手分けをして聞き込みをしていたが、数十分ほど前に戻ってきたばかりだ。
「トリオンモールの方はどうだっ……ん?」
彼は状況の確認をしようとしたが、すぐに眉を顰めた。
二人で向かわせたはずの助手が一人足りない。
「おい、三号はどうした?」
「えっと……アーロンさんなら自分の部屋に直行してしまいました」
フェリが申し訳なさそうな顔をする。
「はぁ?何やってんだ、あのクソガキは」
「でもっ、聞き込み自体は真面目にやってくました」
ヴァンが険しい声音で立ち上がり、小さな助手は慌てて同僚を擁護した。
それもあってか、彼の瞬発的な憤りはあっさりと形を潜めた。
「あの野郎、報告までが仕事だっつーの……で、なんか問題でも起きたのか?」
「特にこれといっては……あっ」
少女は大きな瞳を上方に向け、トリオンモールでの行動を反芻する。
そこで、一つ気になることを見つけた。
「そう言えば……トリオンタワーの辺りを通った時に、アーロンさんが急に立ち止まってしまって」
それからずっと不機嫌そうだったという。
「……トリオンタワーねぇ」
ヴァンは腕組みをして思案する素振りをしたが、それも僅かな間だけだった。
「よく分かんねぇが、ちょいと様子を見てくるか」
「あっ、私も行きます」
フェリもアーロンのことが気がかりなのだろう。その言葉にすかさず飛びついてくる。
そんな小さな助手を見下ろし、ヴァンが優しい笑みを浮かべた。
「お前さんは休んどけ。朝から働きづめだったしな」
そう言って彼女の頭をぽんぽんと叩き、真面目な仕事ぶりを労った。

 

 室内には確かな人の気配がある。
ヴァンは軽く息を吐いてからドアをノックした。
「アーロン、入るぞ」
どうせ相手も気づいているだろうと思い、遠慮なく足を踏み入れる。
後ろ手にドアを閉めながら声を向けると、部屋の中央に立っている背中が振り返った。
「……なんだよ、オッサン」
「なんだよじゃねぇ。フェリが心配してんぞ」
「あー、そうかよ」
これは明らかに虫の居所が悪い時の態度だ。
元から感情が表に出やすい彼のこと。見慣れた光景だが、先ほどフェリから聞いた経緯が気になってしまう。
「なんかあったのか?」
ヴァンは直球で問いかけたが、彼からの応答はなかなか返ってこない。
暫く沈黙が続き、心配げな瞳と刺々しい瞳が絡み合う。
「いちいち保護者面してんじゃねぇ」
先に耐えきれなくなったのはアーロンの方だった。
勢いよく顔を背け、あからさまに視線を外す。
それから少しの間を置いて唇が動き出した。
「過ぎたことをグダグダ言うタチでもねぇんだが……」
こめかみに指を当てながら俯き、思いきり顰めっ面をしている。
「あの時は、アニエスのヤツがきっちりシメてくれたしよ」
珍しく歯切れが悪いばかりか、まるで独り言のようだ。
彼が何を言いたいのかが分からず、ヴァンは目を眇めて首を傾げる。
「おい……さっぱりなんだが」
しかし、零れた言葉はアーロンの神経を逆なでするには十分だったらしい。
ぎらりと光った金色が、剣呑さを剥き出してヴァンに突き刺さる。
「ハッ、どの口がほざきやがる」
締まりのない愚痴から一転、彼は足音を荒げながら目の前に立つ男へ詰め寄った。
「前科二だろ、あれは」
両肩を掴んで容赦なくドアに押し付ける。そこへ凄みのある声が重なった。
「な、なんのことだ?」
いきなりの衝撃を受けたヴァンは、驚きのあまり何度も目を瞬かせた。やはり彼の言いたいことが分からない。
頭をフル回転させてみるものの、それらしき事柄に心当たりがなかった。
その態度が気に入らなかったのか、それとも埒があかないと思ったのか、アーロンは吐き捨てるように言ってやった。
「てめぇが学藝祭を途中で抜け出した件だ」

 

 軽く十を数えるくらいには時が止まった。
革命記念祭の後、それぞれが多忙な日々を過ごしていた中での一夜を思い出す。
情欲の名残が漂うベッドの上で、独り消えようとしたことを責めてくる恋人の声を聞いた。
勝手に前科持ち認定をされたあの時から、きっとどこまでも疑われ続ける予感がした。
だから──『捕まえておいてくれよ』と囁いた。

 肩に走る痛みが更に強くなり、ヴァンはそこで我に返った。
「いや、まて!あれは未遂だろ!?」
勝手に前科が追加されていく流れを受け、思わず声を強めて抗議した。
「お前らに最初から怪しまれてた時点で未遂だって!」
「隠してたことには違いねぇだろうが」
慌てるヴァンに対し、アーロンは言葉少なに睨みを利かす。
いくらかの身長差があるせいで見上げる形になっているが、それを物ともしない強烈さだ。
「それは、その……あくまで前向きな単独行動っつーか」
ヴァンの目が見事なまでに泳ぎ、しどろもどろな弁解を始める。
てっきりアーロンから手痛い反撃を食らうものと覚悟したが、なぜか黙って睨めてくるだけだ。
「前みたいな『逃げ』じゃねぇし……」
それがやけに不気味で、どんどん声が小さくなっていく。
「大体、なんで今さら怒ってんだよ……あの時は呆れてたくせに」
しかし、身が縮みそうな気持ちを何とか堪えて不平不満をチラつかせてみせた。
その話題は時間差にも程がある。理不尽すぎやしないかと。
「うるせぇな」
アーロンは耳障りな言葉の羅列を一刀で切り伏せた。
しかし、ヴァンの様子に多少は絆されたのか、肩を掴む手が緩くなる。
「思い出しちまったんだよ。あそこを通ったら」

 あの時は裏解決事務所の一員としての顔が強かった。
同じことを繰り返しては周囲に突っ込まれる所長に対し、心底呆れたのは確かだ。
ついにボケが始まったと揶揄したくなるくらいに。
けれど、今は明らかに違う。
繋ぎ止めているはずの恋人が、簡単に腕の中からすり抜けていく感覚。
トリオンタワーの付近でフラッシュバックした記憶は、全く別の感情を呼び起こした。

「……俺の物のくせに一人でふらふらするんじゃねぇ」
肩から離した一方の手を首元に添え、力を込めて自分の方へ引き寄せる。
「お、おい!?」
不意を突かれたヴァンの身体は抵抗もなく降ってきた。
バランスを崩して覆い被さってきた背中に片腕を回し、逃げ道を塞いでやる。
「だから、未遂だって言ってんだろっ」
「信用度ゼロなんだよ、てめぇは。いっそのこと首に縄でも付けてやろうか?」
あくまで前科一を貫きたい男は抵抗したが、至近距離で危険な物言いをされて息を詰まらせた。
「な、なに言ってんだよ!?」
首の後ろを指先でなぞられ、ゾクリと肌が粟立つ。
密着しているせいで表情を窺えないのが余計に怖い。脅迫じみた低音からは、冗談めかした色を全く感じなかった。
「なんなら鎖でも構わねぇぜ。好きな方を選ばせてやる」
冷や汗がだただらと流れ落ちる中、ヴァンはついに観念をした。
「あー!もう、いい!前科二でいいから!!」
悲鳴にも似た声が室内に響き渡り、そこでようやくアーロンの険が緩んだ。
「くくっ、落ちるの早ぇなぁ」
「シャレになんねぇんだよ。お前が言うと」
完全に諦めた紺青の頭が擦り寄ってくるのを、不敵な笑みが受け止める。
「なぁ、もし……あ、いや、なんでもねぇ」
そんな恋人に身を預けながらヴァンはふと思った。
今でさえこれなのに、また前科が増えたらどうなるのだろう?
しかし、想像するだけでも恐ろしさが込み上げてくる。
言いかけはしたものの、どう頑張っても訊ける質問ではなかった。

 

 少し前。
優しい所長から休息を与えられたフェリは、ソファーに腰を下ろしていた。
戦士の常として、休める時にはしっかり休むのが鉄則である。
「……う~ん」
ヴァンが様子を見に行ってくれたとはいえ、やはり落ち着かない。
すぐにアーロンを連れて戻ってくるのではと思っていたが、未だ事務所の中には彼女一人だ。
「やっぱり気になります」
少し迷った後、小さな身体を勢いよく起こした。
部屋を出た足で上層に続く階段へ向かう。
だが、あと一歩で三階に着くという所で大きな声が聞こえてきた。
「あっ、ヴァンさん?」
動きを止めたフェリは、壁際から恐る恐る大きな瞳を覗かせる。
発生元はアーロンの部屋からだったが、ドアが閉まっているので様子が分からない。
声の調子から不穏な空気を察したので、二人のことが心配になってきてしまう。
かといって、いきなりあの部屋を訪ねる勇気は出なかった。

「あれ、フェリちゃん?」

 そこへ、別の地区を回っていたカトルが戻って来た。
偵察をしているような少女の後ろ姿を見て目を丸くする。
「カトルさん!お帰りなさい」
二階の廊下からの声は、不安げだったフェリの顔色を一気に明るくさせた。
「えっと……そんな所で何やってるの?」
カトルが階段を上って近づくと、彼女は事のいきさつを説明してくれた。
その最中、再びヴァンの大きな声がした。今度はどこか切羽詰まったような雰囲気がある。
「……ぜん、か……に?ってなんでしょうか?」
二人が聞き取れたのは断片的な言葉だけで、フェリの方は難しそうに眉間に皺を寄せてしまった。
「『前科』かな。でも、これって……ただの痴話喧嘩な気がするなぁ」
カトルの方は正確に言葉を把握したが、そのお堅い響きに反して彼らがじゃれ合っている想像しか浮かんでこなかった。
今の叫び声はどう考えてもヴァンが劣勢だとしか思えない。
「ちわげんか、ですか?」
「うん、仲が良すぎて喧嘩しているだけだよ。心配しなくてもいいんじゃないかな」
小さな同僚を安心させようと、カトルが微笑する。
「あ、なるほど!お二人とも仲良しですからね!」
まだ幼いフェリの言う『仲良し』がどの程度なのかはさておき、彼女はそれで素直に納得したらしい。
「そのうち部屋から出てくるだろうし、僕たちは事務所に戻ろう」
「はい、そうですね」
カトルが階段を下り始めてフェリもそれに続く。
「途中で美味しそうなお菓子を買ってきたんだ。お茶にしようよ」
元々みんなで食べるつもりの物だったが、何となくあの二人を待っている時間が勿体ない。
それでも彼は優しかった。
アーロンにやり込められて疲弊しているであろうヴァンへ、いつもより多めにお菓子を残してあげることにした。

 

2023.01.03

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