その剣先に宿るは金彩の気色

 小一時間ぶりに地上の光を浴びた一行は、眩しさで目を細めた。
地下特有のひんやりとした空気から一転、暖かい外気に晒されて安堵する。
午後も少しばかり過ぎた時間帯、リバーサイドにはゆったりとした風が流れていた。
「お前ら、お疲れさんだったな」
ヴァンは助手たちを労い、整備路へ続く扉を閉めて慎重に施錠をする。
一般人が誤って入り込んでしまっては大事だ。
「お疲れさまです!」
「ヴァンさんもお疲れ様でした」
すぐに元気な声と優しげな声が返ってきたが、あと一人足りない気がする。
そこにいるはずなのに、常日頃の強気で生意気な応答が聞こえてこない。
しかし、雇い主として助手たちの性格を把握しているヴァンは、特に気分を害した様子もなかった。
そんな彼の上着の裾をフェリが小さく引っ張る。
「アーロンさん、機嫌が悪そうですね」
「あー、だろうなぁ……」
困ったような色をした大きな瞳に見上げられ、ヴァンは苦笑いをしながら頭を掻いた。

 

 地下鉄の整備路には何度も出入りしているが、構造的に立ち回りやすい環境とは言えなかった。
照明があっても視界はそこそこで、狭い場所も多く足場が悪い。
ただ歩くだけならまだしも、戦うとなれば多少のストレスは伴ってしまうものだ。
それはこの顔ぶれの中で最も好戦的なアーロンにはてきめんだった。
彼は苛つきが蓄積するような連戦を繰り広げた後、大きな空間へ出た途端に爛々と両眼を輝かせた。
「ハッ、ぶっ潰してやるぜ!」
蠢く大型の魔獣たちを見つけた足が、意気揚々と地面を蹴る。
「アーロン、突っ走るな!」
ヴァンはその背中に向かって怒鳴り、追撃の体勢に入った。
「フェリ、攪乱しろ。アニエスは援護を」
シャードを展開させながら二人に指示を出す。
小さな身体が銃口を構えて走り出したと同時に、アーツの駆動が始まった。
響き渡る銃声がアーロンに集中していた敵意を散らす。
その隙を突き、双剣が溜まった鬱憤を吐き出すように苛烈な斬撃を叩き込んだ。
「ガキみたいな戦い方するんじゃねぇ!」
体勢を崩した魔獣に止めの強打をお見舞いしたヴァンは、烈火にも似た青年を制しようとした。
しかし、彼は聞く耳を持たない。
「うるせぇ!!」
アーロンは残っている相手に狙いを定め、息つく間もなく強襲をかける。
だが、その刹那。
側面からの重い衝撃波が彼を襲った。
「ぐはっ!?」
不意を突かれ、受け身を取り損ねた身体が吹き飛ばされる。
よろめきながらもすぐに立ち上がろうとする彼に、容赦なく追い打ちの牙が襲いかかった。
それを目に捉えたヴァンの足が脊髄反射で動き出す。
この距離なら間に合う。
彼は不確定なシールドの発動よりも、自分の身体能力を選んだ。
「やらせるかよ!!」
武器を顔の前で構えながら魔獣に突進する様は躊躇なく、自らの負傷など顧みない。
間一髪で凶刃を食い止め、のし掛かる重圧を押し返す勢いで腕に力を込めて薙ぎ払った。
その直後。アニエスの声が響き渡りアーツが駆動する。
「皆さん、伏せて下さい!」
激しく螺旋を描いた水流が水飛沫を上げ、一直線に魔獣たちを貫いた。

 戦闘が終わると、アニエスが心配げにアーロンの元へ駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?アーロンさん」
しかし、彼はそれを無視して目の前にいるヴァンを睨みつけた。
「……余計なマネしやがって。ウゼェんだよ」
「悪ぃな。身体が勝手に動いちまったもんで」
アーロンの性格上、庇われるのは本意ではないだろう。
ただ、あの状況では仕方なかった。
ヴァンは鋭い眼光を真正面から受け止め、肩を竦めるしかなかった。

 

 歯切れの悪い言葉の片隅には、年長者の穏やかな響きが見え隠れする。
フェリはそんな雇い主の男を見上げたまま眉を寄せた。
彼はアーロンが不機嫌な理由を分かっているようだが、自分には見当が付かない。
「フェリちゃん。もし、戦闘中に誰かに庇われたらどう思いますか?」
そこへ、アニエスから助け船が入った。
「えっと、戦士としての未熟さは感じますけど……あっ!」
一番小さな助手は素直な気持ちを口にし始め、途中で何かに気づいてハッと目を見開いた。
「アーロンさんはヴァンさんに庇われちゃったから、面白くないんですね」
答えを見つけた顔が嬉しそうに輝く。
「こら、フェリ。あんまり大きな声で言うなって。あいつに聞こえちまう」
渦中の人物の背中は少し先を歩いていて、振り返る気配はなさそうだ。
「ダメなんですか?」
「こういう時はそっとしておきましょうね」
小首を傾げた妹のような少女の問いに、アニエスは人差し指を唇に当てながら微笑んだ。

 

 この日の業務は厄介な案件こそなかったが、件数は多かった。
所長であるヴァンが解散を告げる頃には、すっかり茜色の空が広がっていた。
アーロンはそれを聞くやいなや、夕暮れ時で賑わい始めた街へと姿を消してしまった。
別に昼間のことあったからではない。いつのもことだ。
大君にも由来する強いカリスマ性のせいか、気性のわりに人好きのする雰囲気のせいか、彼の周りには自然と人が集まる。
本人もそうやって仲間たちと戯れるのが好きなのだろう。
「ハメを外しすぎなければ、勝手にやってろってな」
ヴァンは事務所へと続く階段を上りながら独りごちる。
帰宅してホッとするも束の間、机の上に溜まった書類の束が目に入り、思いきり脱力した。
「……さすがに片付けねぇと、ヤバそうだ」
自業自得だが、つい面倒くさくて後回しにしてしまう。
事務所に人が増えれば、それだけ諸々の手続きも増えていく。
最近はアニエスが書類の整理などをしてくれているので、これでも以前よりかは大分マシな状態なのだが。
「今度はあのガキにもやらせるか」
最年少のフェリでさえ、難しい顔をしながらも手伝ってくれる時がある。
彼女より年上のアーロンができない作業ではないだろうと、ヴァンは思った。
彼はなかなかに癖が強いが、根本的な所では真面目だ。
何かと文句を言いつつも、与えられた仕事を途中で投げ出したりはしない。
今日も地下を出て以降は不機嫌さを隠しもしなかったが、最後まで同行していた。
所長として、そういう部分はきちんと評価している。
「どうせウザがられるだけだから言わねぇけど……な」
生意気な助手について思いを巡らせた後、ヴァンはようやく机に向かい合った。
今までの経験上、この量では深夜までかかりそうだ。
もう腹をくくるしかなかった。

 

 今夜もいつものように遊び明かすつもりだった。
軽く夕飯を済ませている最中。チラホラと集まってきた仲間たちと共に、繁華街へと繰り出し享楽にふける。
もちろん酒は美味いし、気分も上がる。
けれど、どこか純粋に楽しみ切れていない自分がいることを、アーロンは薄々感じていた。
この胸のわだかまりは説明できなくても、原因だけははっきりと分かる。
結局、彼は時計が深夜を回ったあたりで酒の席を立った。
「なんか、ノリきれねぇな」
そう言葉少なに漏らした声を仲間たちは珍しがったが、しつこく詮索するような輩はいなかった。

 アーロンの感覚ではさして遅い時間帯でもないが、旧市街はすっかり静まりかえっていた。
どこか悶々としながら戻って来た彼は、自室がある三階へ上がる寸前で足を止め、ふと事務所の扉に目をやった。
部屋の中には動いている人の気配があり、思わず顔を顰めて舌打ちをする。
今日はどうしてもあの雇い主のことを意識してしまう。
いつものなら、盛り場の喧噪で忘れてしまえるような感情が燻っていた。
階段を上り始めた足は次第に早くなり、いささか乱暴な仕草で自室の扉に手をかける。
不本意な帰宅をした彼は、そのままの勢いでベッドに身体を投げ出した。
「……やっぱりウゼェ」
苦々しい吐息を吐きながら薄暗い天井を見つめ、片手の甲を押し当てて視界を閉ざした。
眠気など襲ってくるはずもなく、脳裏に昼間の光景が蘇る。
あの時、魔獣との間に割って入るようにヴァンの身体が飛び込んできた。
不意打ちをされたのは完全に自分の失態であり、追撃を受けて多少の負傷をするのは覚悟の上だった。
頼まれもしないのに大きな背中が視界を占領し、庇われたと認識した途端に喉元がチリチリと焼け付いた。
矜持が傷付いたというよりも、また一つ借りが積み重なっていくことが嫌だった。
煌都の一件からこの方、あの背中ばかりを見ている気がする。
勝手に何かを与えてくるくせに、いざという時でさえ自分から何かを求めてこようとはしない。
それは戦闘中に限った話ではなく、まるで保護者のような眼差しを見るたびに苛立たしさが募った。
「所長さんの責任感ってか?」
考えれば考えるほど、刺々しい感情の渦に飲み込まれてしまいそうになる。
アーロンはこの思考を遮断したくて、わざと声を出して毒づいてみせた。

──今はただ無心になりたい。

ふと、そんな思いに捕らわれる。
彼はおもむろにベッドから起き上がり、側に置いていた愛用の双剣を掴んだ。
それから、ふらりと部屋を出て行った。

 

 デスクワークのお供に用意したマグカップの中身は、もう残りわずかになっている。
砂糖とミルクがたっぷりと入ったコーヒーは、事務作業の進捗と比例して順調に減っていた。
楽しいとは思えないが、不本意ながらも雇い主の立場にあるので、いい加減なことはできない。
「やれやれ。なんでこうも立て続けに押しかけてくるんだか」
最後の書類に目を通しながら、ヴァンは困ったように目尻を下げた。
自分が年若い助手たちに懐かれていることには、全くの無自覚だった。
「まぁ、ここにいる間は面倒見てやるけどよ」
ようやく全ての書類に目を通した後、どこか愁いを含んで人知れず呟く。
彼は残りのコーヒーを一気に飲み干し、長らく座っていた椅子から立ち上がった。
凝り固まった身体を解す為に大きな伸びをすると、気持ち良さからか思わず息が零れる。
「はぁ……さすがに溜めすぎたぜ」
綺麗になった机に胸を撫で下ろし、自業自得と言わんばかりの表情を浮かべた。
部屋の時計に目を向ければ、すでに夜も深い時間を回っていた。
ずっと部屋に籠もっていたせいか、無性に外の空気を吸いたくなってくる。
「さて……と、屋上にでも出てみるか」
さすがに今から外出する気分にはなれず、だとしたら選択肢は一つだけ。
ヴァンは椅子の背もたれにかけていた上着を掴み、それを羽織りながら屋上へ足を向けた。

 

 この時間帯なら誰もいないはずだと思っていた。
フェリはとっくに就寝しているだろうし、アーロンはまだ遊び歩いているだろう。
だから、屋上の扉を開けた瞬間に目を疑った。
何かが空を切る音が聞こえる。
薄暗い場所でさえも鮮やかな赤い髪が、視界へ飛び込んできた。
(おいおい……これは予想外すぎんだろうが)
毎日のように夜遊びをしているくせに、なぜ今夜に限ってこんな所にいるのか?
思わず悪態の一つも吐きたくなったが、彼の唇が動き出すことはなかった。
寝静まった旧市街の夜を、銀色の弧を描いた二つの軌跡が乱舞する。
それに合わせて床を蹴る音は、羽が生えたように軽やかだ。
煌都での舞台が脳裏をかすめる。
華劇場の観客たちを魅了して止まない、光彩を放つ役者としての姿。
よほど世界に入り込んでいるのか、屋上に来た男の存在にも気づいていない。
これは誰かに見せるものではなく、ただ自身の為だけの舞いだ。
それを理解したヴァンはこの場から去ろうとしたが、どうしても足が動かなかった。
鋭い光を放つ双剣から目を逸らせなくなる。
そんな最中。次第にアーロンの動作は収束し、やがて綺麗に止まった。
深く息は吐きながら剣を鞘に収め、濃紺が広がる空を見上げる。
そこで、ようやく自分以外の気配に気がついた。
勢いよく振り返った先には見慣れた男がいて、驚きが露わになる。
「……いたのかよ」
「あぁ、邪魔しちまったみたいだな」
ヴァンはばつが悪そうに視線を反らし、落ち着きなく身体を揺らした。
「タダ見っつーのはいただけねぇなぁ」
その姿を見ても、先刻までのヒリつくような苛立ちを感じなかった。
今は随分と心が落ち着いている。
「ま、残念だったな。女の格好じゃなくて」
双剣を持ったまま腕を組み、手摺りに背中を預けた顔が皮肉めいて笑う。
「は?そこは関係ねぇだろ」
てっきり機嫌を損ねたかと思ったが、そうでもないらしい。
普段と変わりなく話しかけてきた助手に対し、ヴァンは内心で安堵する。
「着飾ってた方が客の気分も上がるってもんだ」
「いや、客じゃねぇし」
軽い応酬をしている間に自分の調子も戻り、自然と年長者の顔が前に出る。
「大体、舞台の上では外見が全てじゃねぇし。観客を魅了するのは、お前の内面から生まれ出るものが大半だろ」
諭すような口振りは、この年下の青年が鬱陶しがるであろう最たるものだ。
しかし、彼は虚を突かれた様子でヴァンを見た。
数拍を置いてから発した声が、喉の奥に笑いを絡めて響く。
「ほんと、ウゼェな……だが、悪くねぇ」
別に自分を卑下したつもりはないし、役者としての自尊心は高く持ち合わせている。
彼にしてみれば、その言葉は的外れにしか思えなかったが、声に出して認められるのは満更でもないのだろう。
アーロンは手摺りから身体を離し、鞘に収めていた刃を抜き放った。
手元で器用に一回転させてから息を整える。
「滅多にやらねぇものを見せたくなるくらいには」
そう言って静かに口角をつり上げた。

 

 お世辞にでも広いとは言えない舞台に、ただ一人。
ゆっくりと双剣を振るい始めたアーロンの雰囲気は、さっきとはまるで違っていた。
ヴァンが最初に見た演舞は、華美で派手な演出が映える剣捌きだった。
それを動と例えるならば、今は静。
凪いだ水面の上に立ち、波紋の一つも広がることはない。
正直、戸惑いを隠せなかった。それと同時に感嘆の息が漏れる。
(……こいつ、こんな動きもするのかよ)
微かな月明かりの空を夜景にして、しなやかな手足が音もなく流れる。
今度もまた、見入ってしまうのを止められなかった。

ふと、目が合った。
すぐに離れてもう一度。
振り向きざま、乱れた髪の隙間から真っ直ぐに見つめてくる。
今度は静かな刃を真横に振るい、思わせぶりに顔を逸らした。
それは挑発か。はたまた誘惑か。
幽玄な空気さえも漂う演舞の中、金彩色の両眼だけが鮮烈な光を放つ。
そのアンバランスさがひどく印象的だった。
視線の糸が絡んでは解ける度に、否応なく引きずり込まれてしまう。
『オレを見ろ』と言わんばかりに。

 

 屋上に来てからどのくらいの時間が経過しただろう。
たった一人の客へ向けられた剣舞は、この小さな舞台にこそ映える。
ヴァンは完全にその世界に没入していた。
いつの間にか、美しい弧を描き続けていた刃が止まったことにも気が付かなかった。
そんな彼の耳に聞き慣れた声が入ってくる。
「なぁ、所長さん」
突如、風を切る鋭利な音がした。
鼻先すれすれの所でピタリと切っ先が止まる。
「──っ!?」
そこで、一気に現実に引き戻された。
大きく目を見開けば、突き出された剣を一本隔てた場所にアーロンが立っている。

「……見とれたかよ?」

 彼は年長の男に対し、自信たっぷりな微笑を浮かべつつも意地悪げな色を滲ませた。
「て、てめぇは……っ」
ヴァンは思わず一歩後退し、相手を睨み付ける。
してやられたと思った。
流麗な舞いに吸い寄せられ、強い情を宿した主張に心臓を掴まれたような気さえする。
「はぁ……このクソガキが」
急激に居たたまれない気分に襲われた彼は、大きく頭を振ってから片手で髪を掻き乱した。
「こんな所で俺相手に無駄遣いしまくってんじゃねぇよ」
見入ってしまった事実を誤魔化したいのか、顔を背けて吐き捨てる。
アーロンはそんな様子を可笑しげに見つめながら、抜き身の剣を鞘に収めた。
今夜、一時でもこの男より優位に立てたのなら上々だ。
「それは心外ってもんだぜ。これでも使う相手は選んでる」
赤髪の青年は意味深げに呟き、軽い足取りでヴァンの横をすり抜けた。
このまま部屋に戻ってさっさとベッドに潜り込むのも一興。
さぞかし気持ち良く眠れるに違いない。
余裕綽々で去っていく背中は、一度も振り返らなかった。

 

 気分転換のつもりが、とんだ失態を晒してしまった。これでは所長の面子も形無しである。
ようやく一人になったヴァンは、ぐったりと手摺りにもたれて大きな溜息を吐いた。
「なんで、そうくるんだよ。意味が分かんねぇ」
昼間の不機嫌ぶりが嘘のようだった。
アーロンが珍しいものを披露したくなる程に気を良くしたのはなぜだろう?
無意識に人たらしな言動をするこの男には、皆目見当が付かなかった。
「……くそ、調子が狂っちまった」
夜の空気で冷えている手摺りが心地良く、額を押し付けて瞳を閉じる。
面倒な事務処理で消耗をしているはずなのに、今は眠気の一つも襲ってはこなかった。
冴え冴えとした頭は、嫌みなくらい心身を休ませてはくれない。

夜のしじまに双剣が空を切る残響がする。
あの突き刺さるような金色が胸に焼き付いて離れなかった。

 

2021.12.31

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