彼の人となりは場所を問わない

 車窓の中を長閑な風景が流れている。
座席から伝わってくる規則的な列車の振動は、彼の眠気を誘うのに十分だった。
気持ち良さそうに船を漕いでいる栗色の頭が、一段と深く落ち込む。
「──っあ?」
「おいおい。随分と派手にいったな」
その重みで目を覚ましたロイドは、笑いを含んだ声に顔を上げた。
寝ぼけた視界に鮮やかな赤が入ってくる。
「ん~、問題ない……と思う」
首筋に手をやって何度か揉み込んでから、軽く回したり傾けたりしてみる。
まだ頭が覚めきっていないのか、少しばかり舌足らずな喋り方だ。
「眠いならもうちょい寝てれば?」
彼の真向かいに座っているランディは、窓辺に肘をかけ頬杖を付いている。
年下の相棒に寄せる眼差しは穏やかだ。
「いや。だいぶ寝てたみたいだし、大丈夫だ」
しかし、ロイドは寝落ちする直前の記憶を手繰りながらきっぱりとそう言った。
自然豊かな風景だった窓の外は、いつの間にか無機質な人工物が多くなり始めている。
カルバード共和国の首都・イーディスに近づいていることが分かる。
改めて気を引き締めようと、自分の頬を両手で叩いた。
「そうかよ。ま、こっちはお前の寝顔を堪能できたんで首尾は上々ってな」
そんな彼とは対照的で、赤毛の男には緊張感の欠片もない。
「な、何しに来たんだよっ、ランディは!」
咄嗟に噛みつきたくなったロイドだが、客車の中ということもあり、ぐっと堪えて声を抑えた。
「……そもそも、どうして俺に付いてきたんだ?」
のんびりと構えている男を真正面から睨め付ける。
今回の出張はロイド一人の予定だった。
以前から追っている密輸組織がイーディスに潜伏していると、共和国側からの情報があった。
組織自体は極々小規模な部類に属する。
共和国側の協力も考えれば、クロスベル側からの人員は最小限で支障はないとの判断だ。
そこで、捜査官であるロイドに白羽の矢が立てられた。
技量と経験値。それこそ潜り抜けてきた修羅場は数知れない。
この人選に異を唱える者は誰もいなかった。
近年は国を跨ぐ国際犯罪も増加の一途を辿っている。
隣国である共和国警察との情報交換も盛んで、今回のような協力案件も珍しくはなかった。
「そっちだって、警備隊の演習に声が掛かっていたんじゃないのか?」
出張までの経緯を頭に巡らせたロイドは、不思議そうに尋ねた。
「都合が良ければって話だったからな。っつーか、そこ聞いちゃうわけ?」
それが意外だったのか、ランディはわずかに瞠目した後で困ったように笑った。
「へ?まずかったか?だって演習の方が好きだろ?」
毎度のことながら鈍い反応をしてくるロイドに対し、盛大な溜息を吐いてみせる。
「はぁ~、お前さんってヤツは」
加えて、わざとらしく間を取りながら左右に首を振った。
「相棒が一人で外国に出張とか、気になりすぎて演習どころじゃねぇんだわ」
そのくらいは解ってくれよと。
少し身を乗り出したランディが、戯けた様子で目の前にある頭を軽く小突いた。
「えっと、あれ?それって……」
ロイドはその感触に思わず首を竦め、鳶色の瞳を何度も瞬かせる。
その時、イーディスへの到着予定を告げる車内アナウンスが響き渡った。

 

 久方ぶりに降り立った首都の駅前は、随分と様変わりしていた。
二人ともイーディスを訪れるのが初めてというわけではない。
ロイドは短いながらも共和国に住んでいた時期があるし、ランディの方も猟兵時代に足を運んだことがあるという。
しかし、それも今となっては懐かしむ程度に昔の話だった。
「……凄いなぁ。たった数年でこんなにも変わるなんて」
陸橋の向こうに設置されている大型モニターを見上げ、ロイドが感嘆の息を漏らした。
「お前はまだマシだろ?俺なんて軽く十年は経ってる。完全に別の街って気になるぜ」
もちろん、彼らは共和国の現状をしっかりと把握している。
だが、やはり実際に現地に行って五感で得る情報量には適わない。
クロスベルからの来訪者たちには、急速に発展した街並みの全てが新鮮だった。
そんな二人の元へ、浅黒い肌をした強面の男が近づいてきた。
「来たか。バニングス捜査官」
堅めの口調はいかにも警察の人間といった印象だ。
「お疲れ様です、ダスワニ警部。先日の通信以来ですね」
反射的にロイドの表情が引き締まる。
彼の横に添っているランディは、外面用の友好的な笑みを浮かべた。
「俺の方は初めまして……ってとこだな」
その緩い顔の下で、冷静に初対面の相手を品定めする。
「まさか、再事変の立役者が揃い踏みとはな」
対するダスワニの方は、たかだか数人規模の犯罪組織に大袈裟な、とでも言いたげだ。
「あくまでメインはこいつだ。俺が勝手に付いてきただけなんでな。軽く流しといてくれよ」
元よりお堅い警察畑の人種とは反りが合わない。
かといってロイドの面目を潰すわけにはいかず、彼の背中を叩いて前へと押し出した。
それをどう捉えたのか、ダスワニは表情一つ変えずに渋めのコートを翻し、駅前のロータリーへ歩き出す。
「すぐに顔合わせだ。署で他の奴らが待っているんでな」
彼は導力車で二人を出迎えに来ていた。
慌ててその後ろ姿を追う男たちが顔を見合わせる。
「なぁ……俺も出なきゃダメ?」
捜査官であるロイドはともかく、ランディにしてみれば息が詰まる空間になるのは確実だ。
急に甘えた口調でお伺いを立ててきた男に、真面目な青年の鋭い視線が突き刺さる。
「今更だぞ、ランディ。出張費は二人分出てるんだからしっかり働け」
ロイドは容赦ない肘鉄をお見舞いして、車の後部座席に大きな身体を押し入れる。
強引に逃げ道を塞いだ上で、自らもその隣に乗り込んだ。

 

 二時間ほど後。
警察署の建物から出てきた途端に、ランディはぐったりと脱力した。
「……堅い、堅すぎる」
「ははっ、うちの捜査一課とかもあんなもんだろ?」
イーディスに来て早々、大きなダメージを食らっている相方の姿が面白い。
ロイドは笑い声を立てながら、お疲れ様とばかりに彼の肩を叩いて労ってやった。
署内の一室で行われた合同会議は滞りなく終了した。
実際に潜伏現場に乗り込むのは明日の早朝。
ダスワニを含む数名の警察官とは、細部までのすり合わせが完了している。
事前の準備に抜かりはなかった。
「それにしても、意外に予定より早く終わったな。取りあえず、ホテルにチェックインしとくか」
目の前に広がる行政地区のビル群を見上げ、ロイドの足がきびきびと動き出す。
整然と建物が立ち並ぶこの区画は、奥まった場所を除けば比較的歩きやすい。
「確かこの道を真っ直ぐ行って……」
「おい。まさか、こんなお役所系が真っ只中で取ったのかよ?」
ぶつぶつと言っている彼と肩を並べ、ランディが眉を顰めて問いかけた。
「仕事で来てるから警察署の近くが良いかと思って。あ、でも安い所だからな。出張費も馬鹿にならないし」
それが当たり前だとばかりの返しをされ、赤毛の男は呆れを通り越して何とも言えない表情になってしまった。
「マジかよ……さすがはロイドくん。どうせなら賑わってる地区にしとけっつーの」
いくら仕事で出張だからとはいえ、多少の楽しみがあってもバチは当たらないだろうと思う。
しかし、そんなランディの気持ちは素通りだ。
彼の唯一無二である相棒は、とても真面目な性格の捜査官だった。

 

 当初、単身でイーディスに来るつもりだったロイドは、正直なところ安堵していた。
もちろん、自分だけでも仕事を完遂する自負と責任感はある。
とはいえ、今回の行き先はカルバード共和国だった。
知人の多い帝国方面ならまだしも、不慣れな場所では多少の不安が付きまとうものだ。
ふと隣を見上げれば、すぐに見慣れた横顔が視界に入ってきた。
(……やっぱり落ち着くなぁ)
彼がただ側にいてくれるだけで、こんなにも肩の力が抜けて自然体になれる。
その存在が頼もしくもあり、外国にまで付いてきてくれたことが嬉しかった。
「いや~、なかなか面白かった。ああいうド派手な演出は好きだぜ」
「大きなスクリーンだと迫力があるよな。ランディってば、綺麗なお姉さんが出てきてから凄く楽しそうだった」
「おうっ、やっぱ綺麗どころがいねぇとな!」
結局、予定よりも時間に余裕ができたロイドは、ランディのたっての希望で映画を鑑賞することにした。
ホテルにチェックインした後、あまりにも浮かれ調子で言ってきたので、つい甘やかしてしまったのだ。
基本的には真面目な彼だが、そこまで融通が利かないほど堅物ではない。
元々、会議が終わったら街中を散策するつもりだったので、全くの予定外というわけではなかった。
そして、何よりも大切な相棒と外国の街を歩くのが純粋に楽しみだった。
二人は映画館を出た後、冷めやらぬ興奮を会話にしながらメインストリートを歩いていた。
空は小一時間にすれば淡い暖色に染まりそうな頃合い。
昼間に比べれば人の量が増え始めている。日が落ちれば更に賑わいが増すだろう。
そんな中、ふとロイドが足を止めた。
「どうした?」
「今、あっちから怒鳴り声が聞こえたような……」
彼はそう言って視線を移動させる。
そこには、華やかな街灯からは外れた場所へ伸びている路地があった。
どことなく薄暗い雰囲気が漂っている。
「ま、ああいう路地裏なら多少の諍いは日常茶飯事だろ。どこの街も変わらねぇよ」
ホームグラウンドではないのだから余計な首は突っ込むなと、ランディが暗に釘を刺す。
「それはそうなんだけど」
しかし、ロイドの方はどうしても気になるらしく、立ち去る素振りを見せなかった。
「ったく、しょうがねぇな~」
そんな相棒の性格を熟知しているランディは、軽く頭を掻いてから息を吐く。
「少し様子を見に行くだけだからな」
こうなったら梃子でも動かないので、言い含めるのは無駄というものだ。
語尾の後にはゆったりと歩き出す男の足音が重なった。
「うん、分かってる」
何だかんだ言いながらも、こうやって寄り添ってくれる優しさが素直に嬉しい。
ロイドは小さく笑み、奥まった路地へ入っていくランディの背中を追いかけた。

 やはり、気のせいではなかったようだ。
今度はしっかりと荒ぶる男たちの声が聞こえてきた。
角を一つ曲がり、長く真っ直ぐに伸びた道の先から複数人の気配を感じる。
「おっ、ただの罵り合いじゃなさそうだな。やり合ってやがる」
二人がいる位置からは距離があり、しっかりとした視認はできないが、すぐにそう判断した。
幾多の修羅場を潜り抜けてきた彼らは、こういった手合いには敏感だ。
しかし、どこかに違和感を覚えた。
「……あぁ。でも、ただの喧嘩と言うよりは」
「二対四ってとこか。かなりの手練れだな。遊んでやってんのか、それとも……」
訝しげに呟いたロイドの横で、ランディが面白そうに頷く。
様子を見るだけに留めておくつもりが、いつの間にか興味をそそられてしまっていた。
その時。
路地裏の空気が一気に動いた。

「──てめぇ!待ちやがれ!!」

 一際鋭い男の声が辺りに響き渡った。
二人の緊張感は一気に高まり、路地の先を見据えて状況の把握に努める。
前方から脱兎のごとく、もの凄い勢いで一人の男が走ってきた。
手元に鋭利な刃が光ったの確認し、赤毛の男は陽気に口笛を鳴らす。
「物騒な物をお持ちのお客様~ってか?」
「こらっ、ふざけてる場合じゃないぞ」
楽しそうな相棒を咎めつつ、ロイドは瞬時に頭を働かせた。
この先はメインストリートに繋がっている。
刃物を所持して逃走している輩を野放しにするのは危険だ。
ここはクロスベルではないが、一般市民の安全を守るという使命感に国の違いは関係なかった。
ロイドはちらりと相棒に目配せをした。
生憎と観光がてらだったので武装はしていないが、いくらでもやりようはある。
彼の意図を察したランディは、無言で口角をつり上げた。

 必死の形相で走っている男には、周囲を気にする余裕などなかった。
狭い路地だというのに、すぐ前方にある人影たちを全く認識していない。
まさに一心不乱といった状態だ。
その迫力に押されたのか、彼らは道を譲る形で壁際に身を寄せる。
男はそこでようやく自分以外の人物の存在に気が付いた。
すれ違った刹那、楽しげな翠の瞳が三日月に歪むのを見る。
「おっと、悪ぃな」
わざとらしい戯けた声の後、彼は足元に強い衝撃を受けた。
勢いよく身体が吹っ飛び、堅い地面の上に突っ伏す形で叩き付けられる。
「うぐっ!!」
喉が潰れそうな呻きをあげ、持っていた刃物が鈍い音を立てて転がっていく。
彼は自分の身に何が起きたのか、すぐには分からなかった。
痛みに顔を歪ませ、のろのろと起き上がろうとする。
だが、その瞬間。
「──大人しくしろ!」
容赦のない重みが背中を襲う。
抵抗する間もなく床に押さえ付けられ、片腕を後ろへ捻られた。
鋭く引き締まった男の声が、耳の奥を突き抜けていった。

 

 双剣を振り払った視界の片隅に、逃走を謀ろうとするリーダー格の男が飛び込んできた。
「くそがっ!」
思いきり吐き捨てながら、刃を鞘に収めて追いかける。
「おい、三号!逃がすんじゃねぇぞ!!」
後方からのプレッシャーを受けた両足が更に速度を上げた。
自分と相手の力量を鑑みれば、この距離なら確実に身柄を抑えられる。
そう判断したアーロンだったが、
「チッ!なんだよ、あの野郎どもは!」
唐突に路地の先で始まった取り押さえ劇を見て、柳眉を逆立てた。

「おい!余計なことしてんじゃねぇよ!!」

 獲物を横取りされた獰猛な獣のごとく、アローンは二人組の男に牙を剥く。
「あぁ、やっぱり。ただの喧嘩じゃなかったみたいだ」
彼の標的を組み伏せている茶髪の青年は、穏やかな口調できつい怒声を見上げた。
その落ち着いた表情にカッとなり、収めた刃の柄に手がかかる。
「──まぁ、落ち着けよ。こっちは丸腰だぜ?」
そこへ、赤とオレンジの色彩が音もなく割り込んできた。
身動きが取れない青年を背にして、守るかのような立ち位置を取る。
がっしりとした体格と隙のない振る舞い。
一見して軟派な風貌だが、とても一般人とは思えなかった。
言葉とは裏腹、緩んだ笑みの中に挑発じみた色が見え隠れする。
「……てめぇら、何者だ」
それを感じ取ったアーロンの金彩が強い煌めきを放った。

 一触即発。そんな言葉が脳裏を過ぎる。
どことなく楽しげな相棒の背中を見上げ、ロイドは密かに溜息を吐いた。
(はぁ……俺はできるだけ穏便に済ませたいんだけどなぁ)
いつまでもこの男を抑えているわけにもいかない。
先方が彼を追ってきたのを考えれば、すんなりと引き渡した方が良いはずだ。
どうしたものかと思案していると、戦闘が起きていた場所からもう一人の男が走ってきた。
「アーロン!抜くんじゃねぇ」
彼は残りの三人を難なく地面に沈めてきたようだ。
撃剣を肩に担いで近づいてきたその姿に、ロイドは目を丸くした。
(あっ、もしかして……彼らは)
ランディの背中越しに相対する青年を覗い、その後方にいる男へと視線を戻す。
緋色と蒼黒を纏った男たちの正体にはすぐに見当がついた。
そこで、ようやく組み伏せていた男を解放する。
派手に飛ばされた身体には、打撲と擦り傷がいくつもできていた。
小さな呻き声を上げて力なく転がっている状態では、再び逃亡するおそれはないだろう。
ロイドは彼の身を路地の壁際に預けてから立ち上がった。
「すまなかった。余計なお世話だったみたいだな」
数歩分だけ前へ進み出て、ランディの真横に並び立つ。
殺気を放つ相手とは真っ向から対峙しつつ、爽やかな笑顔を投げかけた。
「……はぁ?」
アーロンは思わず口が半開きになってしまった。
予想外に素直な謝罪のせいで、あっさりと緊迫感が薄らいでいく。
溜飲が下がるというよりも、呆気にとられて怒気が消沈した形だ。
「くくっ、面白いだろ?俺の相棒は潔いのが玉にキズってな」
それを傍観していたランディは可笑しげに肩を揺らしたが、ふと何かに思い当たって隣の青年を見た。
「なぁ、ロイド。こいつらってあれか?リーシャちゃんが言ってた」
「そうだ。まさか、こんな所で会えるとは思ってなかったけど」
ロイドはそう言いながら、息も切らせずに走ってきた紺青の男を見つめた。
「……ったく、それはこっちの台詞だぜ」
真っ直ぐで何の淀みもない瞳の圧は、どうにも居心地が悪い。
彼はそれを誤魔化すように小さく首を鳴らし、苦笑いを浮かべた。
「おい、ヴァン。てめぇの知り合いかよ?」
すると、少しだけ険の取れたアーロンが胡散臭げに尋ねてくる。
「あー、間接的には……だけどな。クロスベルの再事変って言えば分かるだろ?」
ヴァンは何となく言葉を濁したが、この聡い青年ならすぐに察しが付くだろうと確信していた。
案の定、アーロンはすぐさま驚きを露わにし、目の前に立っている男たちを凝視したのだった。

 今は本当に偶然が重なり合っただけの状況だ。
予定していた顔合わせではなく、情報交換をする必要性もない。
ただ単に、街中ですれ違ったというだけ。
本音を言えば少し話をしてみたいところだったが、今は時期尚早だろう。
裏解決屋の二人も、そこまで踏み込んでくるつもりはないようだ。
「改めて、俺はロイド・バニングス。出張でイーディスに来ている身だ。君たちに会えて嬉しいよ」
それを踏まえた上で、彼は律儀に自己紹介をした。最低限の情報を言葉に紛れ込ませながら。
「こっちは相棒の……」
「あ~、わざわざ言わなくていいっつーの。あっちも分かってんだからよ」
いつどこにいても彼の真面目さは変わらないが、それは長所であり短所でもある。
ランディは面倒くさそうに手の平をひらひらと振った。
「……いかにも優等生ってツラしてんな。しかも天然かよ、こいつ」
そこへ、刺々しさを隠そうともしない勝ち気な声が向けられる。
さっきの潔さといい、どうにも調子が狂わされてばかりで苛立たしかった。
「おっ、おい!喧嘩売ってんじゃねぇ」
慌てたヴァンが、暴走しそうな助手の肩を掴んで止めようとする。
しかし、ロイドの方は微塵も気にしていない素振りだった。
「君は……あぁ、そう言えばリーシャが『とても舞台に映える』って」
興味深げにアーロンへ近づき、まじまじと彼の整った顔面を覗き込む。
「確かに華があるっていうか。う~ん、カッコイイなぁ」
「はっ……そりゃ、当然だろ」
感嘆の眼差しを注がれたアーロンは、わずかに狼狽えながらもキッパリと肯定した。
「これで技量も一流だって言うんだから、凄いよな。一度華劇場に──っ、うわ!?」
更に言葉を続けるロイドだったが、
「おい、こら!こんなとこでたらし込んでるんじゃねぇよ!」
突如、強い一声を放ったランディに襟首を掴まれ、役者の青年から引き剥がされてしまった。
「な、なんだよ!?急に!」
「外国だからって油断しちまったぜ。ほら、そろそろ行くぞ」
もう片方の腕で強引に抱き寄せられてしまえば、抗うのはなかなか難しい。
やはり、体格や腕力の面ではランディの方が有利だ。
「騒がしくしちまって悪ぃな。俺たちは退散させてもらうぜ」
彼は呆然としている裏解決屋の二人へを愛想笑い振りまき、陽気に片手を上げた。
「それじゃぁな~」
そして、さっさと別れの挨拶を告げながら来た道を引き返していく。
「待てよ、ランディ!俺、まだ挨拶してないし!!」
不本意な退場を余儀なくされ、半分は引きずられている状態のロイドが抗議の声を上げる。
普段は人気が少なく静かなはずの裏路地に、それは見事な反響音を残した。

 

 雑踏の賑わいから離れた薄暗い空間の中で、二人はしばらく立ち尽くしていた。
壁に寄りかかっている男の呻き声が聞こえ、ハッと我に返る。
「……あいつら、本人か?」
まるで嵐が去った後のようだった。
逃げた男を取り押さえていた時の面構えと、さっきの緩みまくった騒ぎようでは、まるで印象が違っている。
「だと思うんだが」
アーロンに問われたヴァンは、つい自信がなさそうな返答をしてしまった。
出張とは言っていたが、公私を使い分けているのかと言えば微妙なところだ。
「なんつーか、情報として聞いていた以上に人たらしだな……」
自分のことは棚に上げ、ヴァンの唇が小さく動いた。
ロイドがアーロンに向けた言葉には、なんの含みも感じられなかった。
あれは疑いようもなく本当に心からの賞賛だ。
「……ん?」
だが、直後に豹変したランディの言動が脳裏を掠め、とある可能性に思い当たる。
途端に両目を丸くした。
「あ~、そういうことか」
ヴァンはその理由に合点がいった様子で大きく頷いた。
「オッサン。一人で納得してんじゃねぇよ」
「あの二人、相棒同士らしいが……それだけじゃなさそうだ」
不満げなアーロンの声に応じた彼は、苦笑交じりの顔をする。
「お前に構っている相方が面白くない。独占欲剥き出しで嫉妬するような間柄ってことだな」
「なんだよ、つまりはデキてるってわけ?」
それが意外だったのか、助手の青年は金色の瞳を忙しなく瞬かせた。
言われてみれば確かに納得する部分はある。
だが、さっきの二人が恋人同士に見えたか?と問われれば、答えは否だった。
「……マジかよ」
「あいつらの中には色んな関係性が混在してるってことだろ」
ヴァンは当たり障りなく話をまとめ、本来の目的である男の元に屈み込んだ。
負傷の具合を確かめつつ、ポケットから携帯端末を取り出す。
どうやら、どこかへ連絡を取るつもりのようだ。
「さっきのお前……何気に絆されてたよな」
おもむろに端末を操作し始めたところで、ふと小さな愚痴が零れ落ちた。
「おいおい、ヴァン。てめぇも嫉妬かよ?ウゼェな」
「うるせぇ。ただの独り言だ」
辛辣に笑い飛ばされ、拗ねたような素振りで言葉を吐き捨てる。
アーロンはそんな姿を眺めやりながら、密かに笑みを浮かべた。
それは口先だけのこと。
彼にそんな感情を向けられて嫌な気分になるはずがなかった。

 

 あの後、怒りを露わにした相棒を宥めるにひと苦労した。
明日の決行は朝ということもあって早めの夕食を取ったが、恨めしげな愚痴や文句が食事の共となった。
ロイドがご立腹なのは、去り際の挨拶をまともにできなかったからだ。
真面目で律儀な彼は、礼を欠いたと感じているのだろう。
それに対してランディは、あれで二人分の挨拶をしたつもりだった。
裏解決屋の彼らもそんなことを気にする質だとは思えない。
「珍しく荒れやがったな。相手が相手だからかねぇ。まぁ、俺も強引すぎたけどな……」
ホテルの一室に戻ってきた直後の彼らは、明らかにぎこちない雰囲気だった。
ランディはそのままシャワールームに直行し、頭から熱い湯を一気に浴びて今に至る。
一人になれば、どうしても先刻の出来事を反芻してしまう。
脱衣所の鏡に映る顔は、自虐を露わにして歪んでいた。
あの時の感情は嫉妬以外の何ものでもない。
ロイドの天然ぶりは今に始まったことではないのに、一瞬で頭に血が上った。
暢気に他の男をカッコイイと褒める唇が気に入らなかった。
それこそ、強引に塞いでしまいたくなるくらいに。
「……やっぱり付いてきて正解だったぜ」
頭から大判のタオルを被り、滴る水気を少しばかり乱暴に拭い取る。
「あれはどう考えても悪癖だろ。もうちょいどうにかならねぇのかよ」
彼とて大人げない言動だったと反省しているし、夕食の席ではロイドに詫びた。
けれど、愚痴の一つも言いたくなってしまうのは仕方がない。
ランディは鏡の前でぼやきながら髪を乾かし、ようやく相棒の元へ足を向けた。

 

 柔らかな明かりが室内を照らし出している。
部屋の作りはいたってシンプルだ。
二台のベッドが横並びに設置され、窓際にはテーブルと椅子が一組だけ。
ロイドはその椅子に座り、トンファーの手入れをしていた。
丁寧に磨き込みつつ、合間に窓からの夜景を眺めている。
「──そろそろ頭が切り替わったんじゃねぇの?」
その落ち着いた横顔を見たランディは、静かに声をかけた。
ロイドはきちんと己を律することができる男だ。
一時の感情を未練たらしく引きずり、肝心の職務に支障をきたすような真似はしない。
だから、ホテルへ戻ってきてからはすぐに放置を決め込んだ。
今は少し時間が必要だろうと配慮した。
「……そうだな。ありがとう、ランディ」
タオルを肩にかけたままでベッドへ向かい、ゆったりと腰を下ろす。
その動作を目で追っていたロイドの頬がわずかに綻んだ。
この男が速攻でシャワールームへ向かった意図が解ってしまったからだ。
さり気ない気遣いを感じれば、それだけで胸の奥が温かくなる。
素直な感謝の言葉に飾り気などはなく、それを受けたランディはすぐに居心地が悪くなってしまった。
「もう一仕事終えちまった気分だぜ。なかなか濃い時間だったつーか」
気恥ずかしさを誤魔化したいのか、勢いよく仰向けになってベッドに転がってみる。
「あれはさすがに俺も驚いたな。出張じゃなかったら、ゆっくり話してみたかった」
「なかなかクセの強そうな奴らだけどなぁ」
彼らは裏路地での邂逅を思い返しながら笑い合う。
勝ち気で我の強そうなアーロンは、その外見も相まって鮮烈な印象を焼き付けてきた。
直情的だが聡い部分が見え隠れする。それは諸々の言動からも窺えた。
ヴァンの方は落ち着いた風貌だが、深みのある双眼の先は読めず、湾曲した色彩を揺らめかせていた。明らかに一筋縄ではいかない相手だ。搦め手が得意だというのも頷ける。
一見して正反対な二人だが、肩を並べれば様になる。そのアンバランスさが絶妙なスパイスになってた。
「他のメンバーも個性的だって聞いてるし、ますます気になるな」
ロイドは何気なく窓の外を見つめながら小さく呟いた。
武器のメンテナンスが終わり、綺麗に磨いたトンファーをテーブルの上に置く。
「──よし」
完璧な仕上がりだ。満足げに一つ頷く。
そして、不意に椅子から立ち上がり寝転がっている相棒に目を向けた。
「ランディ、明日の準備は?」
随分とのんびりしてる様子が気になった。
ベッドサイドに近づき、起き上がる気配のない身体を見下ろす。
「元々、頭数には入ってないんでな。必要最低限でいいだろ」
心配そうな顔をされたランディは、穏やかな口調で答えた。
今回の案件は、ロイドと共和国側の警察が数名で事足りる。
逆に人数が増えれば動きづらくなる可能性もあるだろう。
彼は昼間の会議には参加したものの、数には入れなくて良いと先手を打っていた。
今回は一歩引いて周囲の警戒をするくらいに留めるつもりだ。
「でも……」
「なんかあればフォローする。まぁ、うちの捜査官どのは優秀なんで問題ねぇだろうがな」
まだ自分の気持ちを納得させられないロイドと、あえて距離を置く姿勢を崩さないランディの視線が絡む。
「仕事は完遂させる。だけど……」
ロイドはきっぱりと言いながらも、眉を顰めた。
一人で良かったはずの出張に付いてきてくれた大切な相棒。
どうせなら、一緒にやつらの潜伏先に突入したいと思ってしまう。
もちろん、彼の言い分は理解しているし、だからこそ会議の場でも異論は唱えなかった。
「なんだよ、一人じゃ寂しい?」
慣れ親しんでいる翠色が、胸中を見透かすように戯けた笑みを浮かべた。
図らずも、夜のひと時にベッドを介して言葉を交わす。
白いシーツの上に広がった赤は鮮やかで、やたらと艶めかしくて目が離せなくなる。
そんなつもりはないのに、見えない手招きをされてるような錯覚に陥った。
「べ、別にそういうわけじゃない」
やましさを隠すかのように、ロイドは勢いよくそっぽを向いた。
「ランディの武器、いつもと違うから……準備とか気になっただけで」
一度咳払いをし、笑ってしまうくらいに分かりやすい話の逸らし方をする。
「あいつは列車移動に不向きだからなぁ。あんま目立ちたくねぇし」
ランディはごく自然な受け答えをして、相手の意図に乗った。
危うい雰囲気になりそうだったが、さすがに引くべき一線は弁えている。
今は出張中で仕事の本番は明日。ベッドの中で仲睦まじく過ごしている場合ではなかった。
「そんなに気になるなら、見てみるか?軽くメンテはするつもりだったからな」
完全に空気を切り替えたランディは、ゆっくりと身体を起こした。
ベッドサイドに立て掛けておいた黒いケースを掴み、窓際のテーブルにそれを置く。
「ほんとか?携帯式のってまだ見たことなくてさ」
椅子に腰掛けてから蓋を開けると、気を取り直したロイドが興味津々で床の上に座り込んできた。
ケースの中には、スタンハルバードの打撃ユニットと柄が別々に収納してある。
「あんま普及してねぇからな。警備隊でもレアらしいぜ」
彼はそう言いながら、手際よく打撃部分と柄の部分を組み立て始めた。
「導力変換ユニットが小振りだな。これでパワーが出るのか?あ、柄の方は折りたたみ式?強度的にはどうなんだ?」
その横から、ロイドが子供のような眼差しで質問攻めをしてくる。
「通常のに比べれば劣るが、実戦での運用に問題はねぇな」
ランディの方はきちんと説明をしているのだが、どうしても笑いが込み上げてくる。
「組み立ててから柄を畳んどけば、移動も楽だし潜伏しやすい。使い勝手は悪くねぇと思うぜ」
あまりに近くで覗き込んでくるので、手元に髪の毛が当たってくすぐったい。
彼はまるでそうするのが当たり前だと言うように、栗色の頭を軽く掻き混ぜた。
「ロイドくんよぉ、何がそんなに楽しいわけ?」
呆れた溜息で問いかけてみると、
「そんなの決まってるだろ。俺はそういう仕草が好きなんだ。ランディが武器の手入れをしてるの好きなんだ」
言葉通りの明るい声が跳ね返ってきた。
「……はいはい」
わざわざ表情を覗わなくても、真っ直ぐな感情が伝わってくる。
言われる側が羞恥にまみれることなんて、まるでお構いなしだ。
クロスベルだろうが共和国だろうが、彼の人となりは変わらない。
引きずられるように裏路地でのたらしっぷりを思い出し、辟易としてしまう。
(こんな所まで来て、俺にまで直球投げてくんのかよ……勘弁してくれ)
ふと、窓越しに行政地区の夜景を流し見る。
静かな夜色のガラスに二人の姿が映り、ランディはそこで諦めた。
傍らに佇んでいるロイドは、揶揄するのも気が引けるほどに幸せそうだ。
そんな雰囲気を壊せるはずもなく、自分の顔が存外に緩んでいる事実には気が付かないふりをした。

 

 明日になってしまえば、完全に仕事モードへ切り替わる。
密輸組織の身柄を取り押さえた後は、そのまま車でクロスベルまで移送する手筈だ。
捜査官であるロイドは同乗が鉄則なので、列車で来た時のような旅行気分とはいかない。
タングラム門で正式な引き渡しの手続きが行われるが、それまでは緊張感を強いられるだろう。
だったら、せめて今だけは。
出張先の夜。ランディはそんな風に想うことを止められなかった。

 

2022.09.19

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