荷物持ちならご自由に

 正直、昼ぐらいまでは惰眠をむさぼりたい気分だった。
昨夜も日課とばかりに歓楽街へ繰り出していたのだが、つい盛り上がってしまい、帰宅した頃には空が白み始めていた。
翌日が久しぶりの休みだということもあって、気が緩んでいたのかもしれない。
ランディは覚めきらない頭のまま、気怠げに朝食を口に運んでいた。
(食ったら軽く寝直してぇなぁ~)
そもそも休日の食事は各々に任されているので、わざわざ揃って食べる必要はない。
とはいえ、この男以外はみな規則正しい生活習慣の持ち主たちだ。
普段よりものんびりしているが、自然と一階に集まって朝の団欒が始まる。
ランディとしては放っておいてくれても構わないのだが、支援課の愛娘はそれを許してはくれなかった。
勢いよく彼の部屋に突撃を敢行し、
「ランディー!おはよー!」
毛布にくるまった大きな身体へ向かって、元気いっぱいに飛び乗ってくるのだった。

「ランディ。荷物持ちしてくれると助かるんだけど」

 まだぼんやりとした思考では、交わす会話も右から左になっている。
なんとなく話に加わっていた彼は、頭上から降ってきた影に食事の手を止めた。
「──は?何が?」
テーブル端の席を陣取っている男の横には、朝から明るい表情を浮かべた相棒が立っている。
「なんだよ。食べながら寝てたのか?」
「うちのお姫様は手荒いからなぁ……もうちょい寝かせて欲しかったぜ」
ランディは愚痴を零しつつも、柔らかな口調を崩さない。
辺りを見渡せば、朝の団欒はすでに後片付けの段階に入り、件の少女がちょこちょこと動き回っていた。
「それで、何が助かるって?」
「買い出しの話」
「あぁ、お嬢の荷物持ちってことか」
「……ほんとに寝てたんだな。さっき俺が代わるって言っただろ?」
短いやり取りを経て、ロイドは思いっきり溜息を吐いた。どうにも話が通じない。
もともと、今日の買い出しはエリィが行く予定だった。
しかし、朝食でその話題になり、女性では骨が折れそうな量だと思ったロイドが代わりを買って出たのだ。
しばらく多忙だったせいで、必要な物品のリストアップは多岐に渡っている。
その簡潔な説明を受けたランディは、状況を飲み込むと同時にようやく覚醒した。
「そりゃ、確かになぁ」
「だからさ、俺一人でも持てるけど……一緒に来てくれたら凄く助かる」
今度はしっかり彼の耳に届くはずだと、ロイドは再び同じ言葉を口にした。
朝から爽やかな青年と、朝から怠そうだった男の視線が綺麗に噛み合う。
「おう。そこまで言われちゃ、しょうがねぇな~」
間を置かずして陽気な男の声が室内に響き渡った。
一気に笑み崩れたランディは、どこからどう見ても上機嫌な様相になっていた。

 

 残り一人分の食器がまだ片付いていなかった。
休日は食事の片付けも個々で行うが、時間が重なればついでにということもある。
共同生活は持ちつ持たれつで円滑に保たれているのだ。
今朝はティオが洗い物を一手に引き受けており、痺れを切らして台所から顔を覗かせると、キーアが駆け寄ってきた。
「ねぇ、ねぇ。ロイドたち、一緒に買い出し行くんだって!」
「……ランディさん、チョロすぎます」
最年長の同僚は、緩みまくった顔で朝食の皿にラストスパートをかけている。
さっきまでのかったるそうな食事態度とは雲泥の差で、ロイドからお声がかかったことが一目瞭然だ。
「買い出しであの喜びようは重傷よね」
すると、洗い物を手伝ってくれているエリィが、呆れた声と共に少女たちの元へやって来た。
「まぁ、最近は忙しかったですし……無理もないかと」
特にここ数日は仕事で各地を飛び回っていたので、二人で過ごす時間などなかったのだろう。それを思えば、常日頃のジト目もちょっとくらいは温かい色を覗かせる。
だらだらと食事をしているランディに小言を口にするつもりが、あんな様子を見てしまっては意気消沈だ。
「ティオ~。もうお片付けは終わった?」
そんな彼女のすぐ横で、キーアが問いかけてきた。
「そうですね。取りあえずは」
目線を下げて静かに笑った後、今度はエリィの方を覗ってみる。
「あら、元々『ついで』なのだから構わないわよ」
彼女は身に付けていたエプロンを外し、優しい瞳に少しだけの揶揄を添えて男たちを見た。
「それに、あそこへ声をかけるのは野暮だもの」

 

 軽やかに降りてくる幼い足音を耳にし、ランディが階段へ意識を寄せる。
「ロイドってば、誰かとお話してるみたい。ちょっと待っててくれって言ってたよ」
「そうか。ありがとな、キー坊」
そのまま勢いよく近づいてきたキーアの頭を、大きな手が優しく撫でる。
「えへへっ」
この少女と接してると誰もが自然と柔らかな物腰になってしまう。それはランディも同様だった。
そろそろ買い出しに出かけようかという時間帯。
なかなか一階へ姿を現さないロイドが気になり、キーアが様子を見に行ってくれたところだった。
特に急ぐ用事でもない為、二人はのんびりとしたやり取りを交わして彼を待つ。
「キーアも一緒にお買い物に行きたかったなぁ」
「今日は前からみんなで遊ぶ約束してたんだろ?」
「うん、大聖堂の庭で鬼ごっことかするんだよ!」
キーアがランディの腕に纏わりつき、仔犬のようにじゃれてくる。
「ま、あそこなら安全だな。だったら、買い物はまた今度っつーことで」
「えっと……じゃぁ、後でロイドに言っておかなくちゃ」
少女はぶつぶつと言いながら、ふと赤毛の男を見上げた。
「キーアも荷物持ちしてみた……あれ?」
首が痛くなるくらいに上を向き、高い位置にある彼の表情を観察して首を傾げる。
「おっ、なんだ?」
「ん~、ランディの顔、なんか面白いよ~?」
少しでも近くで見たいのか、精一杯のつま先立ちをして眉間に皺を寄せている。
「なんだ、そりゃ。お兄さんはいつだってカッコイイだろ?」
そんな少女を軽々と抱き上げたランディは、不満を露わにして無邪気な瞳を覗き込んだ。
「う~ん、なんかね、嬉しそうなのに嬉しくなさそう」
するとキーアは、子供らしい語句を並べて率直な印象を口にした。
どうやら、一つの顔の中に正反対の感情が存在しているのが面白いらしい。
彼女は時々、こんな風に相手の心を見透かしてくることがある。
ランディは自分の胸中を的確に言語化されてしまい、思わず目を見開いた。
「あ~、そいつはなぁ……なんつーか、チョロすぎんだろ?俺って顔だな」
けれど、すぐに軽妙な口先で苦笑を浮かべ、誤魔化すように自虐をしてみせるのだった。

 

 中央広場で待ち合わせをしていた子供たちを見送り、二人はようやく買い出しへと向かった。
「こことここを回って、最後に百貨店だな」
ロイドが買い物リストのメモを指差して段取りを確認する。
流麗な文字で見やすく書かれたこのメモは、エリィのお手製である。
几帳面な彼女らしく、店舗の名前から購入品まで細やかに書かれてあった。
「いいんじゃね?妥当なとこだろ」
それを横から覗き込んでいたランディが相槌を打つ。
「よし、買い忘れのないようにしないとな」
今日は久しぶりの買い出しだからと、気合いを入れたロイドが歩き出す。
「はい、はい。しっかりやれよ」
妙な所で力を入れる姿はランディの笑いを誘うのに十分だ。
彼は可笑しげに目を細めながら、久しぶりに添って歩ける幸せを噛みしめていた。

 買い物を楽しむというよりは、与えられたミッションをクリアしていく過程を見ているような気がする。
エリィによる完璧なメモのお陰で悩む必要はないし、真面目なロイドのせいで寄り道すらもない。
そうこうしている内に、ランディの両手はしっかりと荷物で塞がっていた。
(これでも嬉しいとか……どんだけ飢えてんだよ、俺は)
活き活きとしているロイドを見つめながら、内心大きな溜息を吐く。
今朝。買い出しのお誘いを受けた時は、まるで脊髄反射の勢いで体温が上がった。
単純に自分を頼ってくれたことが嬉しかったし、二人だけで過ごせる機会を得て気分が高揚したのも事実だ。
ここ数日は特に多忙を極め、プライベートも何もあったものではなかったので尚更だった。
しかし、時間が経って冷静になると、素直には喜びきれない心境に陥ってくる。
──結局はただの荷物持ち。
そういうことである。
日頃からロイドの天然発言で苦労している彼にしてみれば、あの言葉に他意など見出せるはずもなかった。

「──ランディ?また寝てるのか?」

 そんなジレンマと対話をしていたランディは、すぐ側で名前を呼ばれて我に返った。
「あぁ?いや、起きてるぜ?」
いつの間にかロイドが目の前に立っていて、どこか気遣わしげな視線を向けてくる。
「それとも、ちょっと持たせすぎか?」
どうやら、急に黙ってしまった彼が心配になったらしい。
覗うような上目遣いをされ、ランディは戯けた態度で口を開く。
「このくらい何ともねぇって。今日はロイドくん専用の荷物持ちだから好きに使えよ」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせると、それで安心したのか、ロイドは小さく息を吐いた。
「ありがとう。あ、でも、一通り回ったら俺も持つからな」
そう言って弾むように頬を緩ませる。
「お、おう……」
だが、久しぶりに恋人の笑顔と対面したランディの方はといえば、感極まってしゃがみ込みたくなる心境だった。
(はぁ~、マジで抱き締めたい。やっぱ嬉しい……荷物持ちでも嬉しい)
両手が塞がっている状態にもどかしさを覚えながらも、喜びは大きい。
もうこの際、ロイドと二人で過ごせるなら何でも良いとすら思う。
先刻、キーアに指摘された『面白い顔』のバランスが、ものの見事に崩れた瞬間だった。

 

 全ての買い物が終わって百貨店を出る頃には、時計の針は昼を回っていた。
ランディの両手は相変わらず塞がったままだが、物量はそれ程でもないようだ。
さっきの言葉通り、ロイドの片手にも大きな紙袋がある。
「結構な量になったな。やっぱり二人で来て正解だった」
快晴の明るい空色に眩しさを覚え、目を細めたロイドが満足げに頷く。
「助かったよ。ランディ」
「お役に立てて何よりだぜ」
律儀にお礼を言われれば、ただでさえ緩み気味な顔が更にだらしなくなる。
思わず噴き出しそうになる男の表情を見つつ、ロイドはさり気なく用事の終わりを延長させた。
「なぁ、昼飯。どっかで食べていかないか?」
「おっ、いいね~」
てっきり買い出しだけだと予想していたランディは、思わぬ幸運で声のトーンを上げる。
「そんじゃ、店はお前に任せるぜ」
この時間帯なら大抵の飲食店は混んでいそうだが、食べる物に拘らなければ問題ないだろう。
「う~ん、そうだなぁ」
思案しながら街中を行くロイドの歩調に合わせ、ランディは浮ついた気分で付き従った。
しかし、彼と過ごせるなら目的は問わないと吹っ切れたはずの心に、未練たらしく僅かな欲が滲み出る。
「買い物してから飯なんて、言葉だけなら可愛いデートなんだよなぁ……」
つい冗談交じりで呟いた独り言のような願望は、傍らにいる恋人の耳にまで届いた。
ロイドがピタリとその場で立ち止まる。

「あの……さ。ちょっとくらいはそういうつもりなんだけど」

 久しぶりの休日。雑踏の中で照れながら笑う姿は、いつにも増して破壊力がある。
ランディは両手に持っていた荷物を危うく落としてしまうところだった。

 

2022.07.18

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