「おい、おい……さすがに群れすぎだろ?」
入り組んだ通路を駆け抜け、少しばかり拓けた場所に出た途端、ランディがげんなりと口を開いた。
視線の先には小型の魔獣たちが所狭しと蠢いている。
「あははっ、パーティーの真っ最中ってところかな?」
両手に装備している武具の調子を確かめ、ワジが楽しげに笑い立てた。
「マジかよ。そのわりには綺麗どころがいねぇじゃねーか」
緊張感がない彼らのやり取りは、まるで潜むことを知らない。
案の定、魔獣たちは一斉に殺気立ち、けたたましい威嚇の音が鳴り響いた。
「何やってんだよ!二人とも」
奇襲どころか先制すらもし損ねて、一行を取り纏めているロイドが二人を睨み付ける。
「ロイドさん、来ます!」
その横で臨戦態勢を取っているリーシャが鋭い声を上げた。
「仕方ないな。正面から迎え撃つ!ワジはアーツでいけるな?」
魔獣の群れが迫る中、ロイドは同僚たちに指示を出す。
「OK、リーダー。広範囲で一網打尽にしてしまおうか」
言うが早いか、ワジは流れるような動作でアーツの駆動に入った。
淡い光が足元から発生し、彼の身を包み込む。
かなり高位のアーツを使うつもりのようだと、皆が肌感覚で捉えていた。
「リーシャ、周囲を頼む!」
「はい、お任せ下さい!」
精神統一をしている仲間の安全を考慮した後、ロイドはようやく相棒の方を見た。
「行くぞ、ランディ!」
「おうよ!パーティーに乱入と洒落込もうぜ!」
真剣な表情をしているリーダーとは対照的で、赤毛の男は嬉々として目を輝かせた。
先陣を切った足が走り、重量級のスタンハルバードが唸りをあげる。
大きく真横に薙ぎ払えば炎の軌跡が弧を描き、密集している魔獣たちを一気に吹き飛ばした。
「ロイド、あんまり突っ込むんじゃねーぞ」
「そっちこそ、懐に入られるなよ」
互いの戦闘スタイルを熟知しているからこその応酬。
数多の戦場を共にしてきた彼らの息はぴったりだった。
相手の動きが手に取るように分かる。それこそ目を閉じていても支障がないくらいに。
――だから、その瞬間はあまりにも自然すぎた。
地面に打痕を刻み、後方からの強襲を振り向きざまに対処しようとする。
その刹那、視界の端を栗色の頭がかすめた。
「危ない!ランディ!!」
鈍い音と共に名前を呼ばれ、赤毛の男は目をむいた。
数に物を言わせて急接近してくる魔獣たちの歯牙を、ロイドが正面から受け止める。
間髪を入れずに身体を旋回させ、一対のトンファーが風刃と化した。
巻き込んだ数体を地に沈めたのも一時、流れるような動作で次の相手に打撃を繰り出す。
「──は?今の」
ランディは無意識に相棒と連動しながらも、ちりちりと焼け付く何かが込み上げてくるのを感じた。
だが、そんなわだかまりが生じた直後、真上の空が黄金色に輝く。
「さぁ、宴もお開きといこうか」
ワジの高らかな声が響き渡り、神々しくも威圧的な剣たちが容赦なく地面へと降り注ぐ。
その爆発的なエネルギーの奔流は、群れを成していた魔獣たちを跡形もなく消し飛ばした。
有言実行とばかりに敵を一掃した仲間へ、ロイドとリーシャから労いの言葉がかけられる。
しかし、ランディは一人腑に落ちない顔で顎に手を当てていた。
「……さっきの、庇われたのか?」
声に出した途端、胸中が不快な色に染まっていく。
正面切って堂々と庇われたわけではなく、あくまで混戦状態だった一連の流れからの動きだ。
けれど、自分に向けられていた敵意をロイドが肩代わりしていたのは確かだった。
先刻の群れよりもはるかに強いプレッシャーが一行に向けられていた。
ひとたび巨体からの咆吼が轟けば、ビリビリとした強い振動が全身を襲う。
美しくも威風堂々たる姿の幻獣だ。
今度はワジのみならず、リーシャの方もアーツの駆動に入っていた。
二人が攻撃の標的にされるのを防ぐため、ロイドとランディが前線を張っている。
立て続けに、鋭い凶刃がロイドへと振り下ろされた。
「ぐっ……う!」
防御の構えを取った身体に、強烈な重みが容赦なく襲いかかる。
両足で踏ん張り、吹き飛ばされそうになるのをなんとか凌いだ。
「おい!てめぇの相手はこっちだ!!」
そこへ、赤い闘気を纏う一撃が敵の側面に打ち込まれた。
幻獣は不意打ちを食らって激昂したのか、即座に赤毛の男へと的を切り替える。
「俺の相棒に色目使ってんじゃねぇよ」
臆するどころかギラついた眼光をしたランディが、不敵に唇を歪めてみせた。
敵を引き付ける役目には自分の方が相応しい。
確かにロイドの防御力は優れているが、体力面で言えばランディの方に分がある。
そして、何よりも。
支援課の柱であり相棒であり──大切な恋人である彼を矢面に立たせることが嫌だった。
「なんなら、タイマンでもいいんだぜ?」
「ランディ!」
真っ向から交戦状態に入ったランディの姿を見て、ロイドが叫ぶ。
彼のポテンシャルを考えればそこまでの危機感はないのだが、戦場での油断は禁物だ。
リーダとしての冷静な頭が戦況を俯瞰する。
ちらりと後方を覗えば、丁度リーシャのアーツが放たれる所だった。
「行きます!」
凜としたかけ声に誘われて鈍色の暗雲が一面に広がった。
不気味な空の唸りと地を這う振動が歌い、長大な建造物が瞬く間にせり上がる。
上層部からの一斉砲火が、地面を引き裂くほどの威力で幻獣へと襲いかかった。
その余波が収まるよりも早く、ワジが時間差で全く同じアーツを発動させて畳み掛ける。
「これはどうだい?」
二人の攻撃は確実に相手の弱点を突き、巨躯の膝を付かせる程の大ダメージを与えた。
「流石だぜ、お二人さん!」
ランディは軽く口笛を吹きながら、一端後ろへ飛び退いた。
仲間の集中砲火で少しは溜飲が下がったのかもしれない。
だが、その直後。
痛みに我を忘れた幻獣が、絶叫を上げて彼に襲いかかってきた。
「やらせない!!」
切迫したロイドの声が地面を蹴り出す足と重なる。
金属のような鋭い爪と硬質なトンファーがぶつかり合い、大きな音が響いた。
「──っ!?」
いきなり面前で広がった相棒の後ろ姿に、ランディは息を詰まらせた。
既視感。
頭の中で今よりも小さかったロイドの背中がフラッシュバックする。
久しぶりに粉塵と血の匂いを嗅いだような気がした。
マインツの山道でベルゼルガーが真っ二つに砕けた衝撃と。
獰猛な従姉妹と自分の間に割って入ってきた無鉄砲で熱すぎる姿と。
情けないくらいに中途半端で、みっともない姿を曝け出してしまったあの時のことを。
軋むくらいに奥を噛みしめる憤りは、誰に対してなのか?
先刻の戦闘とは違い、明らかに庇われている。
もやもやとしていた胸中の淀みが、一気に沸点を超えた。
「くそがっ!」
激情した彼は片手でロイドの肩を掴み、乱暴に自分の前から押し退けた。
そのまま無言で弱っている巨躯に突進し、猛り狂った焔を容赦なく叩き付ける。
辺り一面の空気を裂くような断末魔が、男の耳を貫いた。
「ロイド!何で庇いやがった!?」
幻獣が消滅していく様を見届ける間もなく、ランディは年下の相棒に詰め寄った。
襟首を掴まれたロイドは突然の激昂に驚き、睨み付けてくる彼を凝視する。
「何でって……」
そんなことを問われても上手く説明ができない。
あの状況は不意打ちでも何でもなかった。
ランディの意識はしっかりと相手に向けられていたし、彼ならば手負いの猛攻を最小限のダメージで凌いでいただろう。
「大丈夫だとは思ったけど」
だが、冷静な頭とは裏腹で身体は勝手に動き出してしまった。
「余計なことをするな。てめぇの背中なんか見たくもねぇんだよ」
上から降ってくる低音が、腹の奥にずしりと響いた。
なまじ荒ぶるよりも数段上の凄みがある。
ロイドはわずかに怯んだが、それも一瞬だった。
気聞き捨てならない台詞に、カッと全身が熱くなる。
「何だよ、それ!俺がランディを庇ったら駄目なのか!?」
首元を締め上げてくる腕を掴み、爪が食い込むほど強く指先に力を込める。
「相棒なら対等だろ!背中を見るのも見せられるのも!」
「そういう問題じゃねぇ!」
「だったら、どういう問題なんだよ!?」
互いを掴んだままの口論はヒートアップし、収拾が付かなくなってきた。
挙げ句の果てに罵詈雑言までもが飛び交い始め、それまで静観していたワジとリーシャは顔を見合わせた。
「やれやれ、お熱くなっちゃって……」
「どうしましょう?こんな時に限ってエリィさんやティオさんが居ないなんて」
やはり頼りになるのは、初期からの支援課メンバーたちである。
特にその場の乱れを正すエリィの雷は効果覿面だ。
「う~ん、ここはやっぱり彼女に習って荒療治といこうか」
心底困り果てた表情をしているリーシャに対し、ワジは名案が浮かんだとばかりに意地悪げな微笑をみせた。
そもそも彼女は控えめな性格なのだから、到底乗り気になれるはずがない。
しかし、このまま夢幻回廊の真っ只中で足止めを食うのも本意ではなかった。
「……ごめんなさい。二人とも」
リーシャは小さな謝罪をして、一つ息を吸った。
懐から暗器を取り出し、加熱する両者の足元に狙いを定める。
「──はっ!」
鋭利な銀色が空気を切り裂き、丁度彼らの間を割って地面に突き刺さった。
それは、エリィの一喝と遜色はない。
周りが見えなくなっていた男たちの応酬はピタリと止み、まるで機械仕掛けのように刃が飛んできた方へ首を向ける。
「あ、あの、すいません」
「あははっ、リーシャが怒ってるよ。先に進めないってさ」
瞬間冷凍された二人の表情は実に愉快で、ワジが軽やかな笑い声を立てる。
「ち、違います!ワジさんったら」
その横でリーシャが必死に抗議をするも、彼は余裕綽々で自らの髪を軽く払っただけだった。
結局、少し距離を置いた方が良いというワジの提案で、一時的に彼らの戦術リンクを外すことになった。
今の状態では、連携の強化が逆効果になりかねない。
ロイドとランディは互いに口をきこうともせず、一行は回廊の探索を再開させた。
だが、度重なる戦闘で武器を振るうも、二人の間にはどこかぎこちなさが残る。
大きな支障はないにせよ、普段に比べれば精彩を欠いているのは明らかだった。
ランディはリーシャと戦術リンクを結んでいる。
共に卓越した戦闘能力を有している二人の手並みは見事だ。
「ランディさん、そちらはお願いします!」
「おっしゃ、まかせとけ!」
迫り来る魔獣たちを危なげなく薙ぎ倒していく。
それを横目にしているロイドは明らかにご機嫌斜めだった。
彼の瞳には二人の様子がとても楽しげに映っていることだろう。
(やれやれ、思いっきり顔に出まくっているよねぇ)
ロイドの心情が手に取るように分かってしまい、ワジは密かに肩を竦ませた。
このメンバー構成であれば、どうしてもアーツを主体とする機会が増えてくる。
戦闘が始まり駆動の体勢に入ったワジを気にかけ、ロイドがトンファーを振るっていた。
リンクを繋いでいる影響もあってか、その安心感は計り知れない。
「ワジ、大丈夫か?」
「ふふっ、問題ないよ。君に守って貰えるなんて嬉しいね」
発動直後の隙を狙われたワジをすかさずロイドが庇う。
彼の性質からしても、アーツを使う仲間との相性は良いようだ。
不意にそのやり取りを目撃してしまったランディが、無意識の舌打ちをする。
(えっと……ランディさん、とっても分かりやすいです)
リーシャはこの男が胸中で漏らした言葉をすぐに察してしまった。
面白くない。つまりはそういうことだ。
この階層の終着地点はもうすぐだ。
いい加減に仲直りをして欲しいものだと、同僚たちが目配せをした矢先。
現状に耐えきれなくなったのか、ロイドが動き出した。
「……ランディ。俺、やっぱり一緒がいい」
歩み寄ってきた最初の言葉に、ランディはさほど驚かなかった。
二人の頭からは感情的な昂ぶりが抜け落ち、今なら面と向かって対話ができる。
「でも、どうしてあんなに怒ったのかだけは聞かせて欲しい」
こんな時、ロイドは真っ直ぐで強い瞳を向けてくる。
どうやっても逃げられないそれが、ランディは苦手だった。
「あ~、その目は反則だ」
ガシガシと頭を掻き、そっぽを向いて唇を小さく動かす。
「既視感っつーかさ、嫌なこと思い出しちまったんだよ。お前の背中を見て」
「嫌なこと?」
オウム返しで小首を傾げた相棒を直視できず、苦い顔で目を閉じる。
「マインツで俺の獲物が真っ二つになった時……飛び出してきただろ」
彼は事細かに語ろうとはしないが、ロイドにはしっかり伝わっているようだった。
「──あっ」
すぐに小さな声が上がった。
あの一件を忘れられるはずがない。
シャーリィのテスタロッサが狂気を放つ中、無我夢中で二人の争いに割り込んだ。
今思えば、仲間の身を案じる感情だけが手足を動かしていたのだろう。
ただ、ただ、ランディを失いたくない一心で。
「ごめん……俺」
ロイドはそれ以上言葉を続けられなくなった。
身体が勝手に動いたとはいえ、自分の行動が彼の過去を蒸し返してしまったのは確かだ。
気持ちが沈み、肩を落として黙り込む。
そんな彼の頭上から、静かな声音が降ってきた。
「馬鹿、お前のせいじゃねぇよ。完全に俺の八つ当たりだ」
閉じていた翠の両眼を開けば、視界に癖のある栗色の髪が広がった。
詫びる意味を込めてくしゃりと髪を掻き混ぜ、ランディが自嘲気味に笑う。
「悪かったな」
武骨な指先は、思いのほか優しかった。
くすぐったそうに首を竦めたロイドが、上目遣いで男の様子を覗う。
「あ……うん。でも、俺、またランディのこと庇うかもしれないぞ?」
こと戦闘面に関して言えば、いつだって彼の方に雄がある。
さり気ないフォローは的確で、そんな姿に羨望と少しばかりの悔しさが入り混じる。
対等に肩を並べて立つならば、自分にだってこの相棒を補える部分があるのだと証明したい。
そんな一方的な思いもあり、身体は勝手に動き出すはずだ。
「ランディは凄くタフだし、大丈夫だって分かってるんだけどさ」
ロイドは言外に「ごめんな」と、眉尻を下げた。
もしかしたら、何度も嫌な思いをさせてしまうかもしれない。
「だったら、その直感を信じろよ」
そんな彼に対し、ランディは静かにはっきりと応じた。
触り心地のいい頭部をわざと乱暴に掻き乱す。
この素直な口から打たれた先手は、きっといつもの天然節なのだろう。
元から自分の方に非がある上、そう言われてしまってはどうしようもない。
彼は一端ロイドから手を離し、改めて目の前の童顔に指先を伸ばした。
「まぁ、どうしようもねぇ時は庇われてやるからよ。頼むぜ、相棒」
不器用な表情を形作る頬に触れ、軽く叩きながら微笑する様は穏やかだった。
少し離れた所で渦中の人物たちを覗っていた二人は、互いに安堵した様子だった。
「……まったく、人騒がせな痴話喧嘩だよね」
「やっぱりロイドさんとランディさんは仲良しなのが一番です」
「それは同感かな。あれじゃ、からかい甲斐がないからね」
ワジが端末を取り出してカバーを開くと、リーシャも同じような動作をした。
仲直りをした彼らが開口一番に言うであろう台詞が、容易に想像できてしまう。
「この階層もあと一戦ですね。ワジさん、よろしくお願いします」
「こちらこそ。前線は彼らが楽しそうに暴れてくれるはずだから、任せちゃっていいんじゃない?」
律儀な言葉に戯けた返事が重なり、つい小さな笑みが零れ落ちる。
そんな二人の瞳には、合流しようとして歩いてくる男たちの姿が映っていた。
2022.07.03