秘密の観察手帳

 何気なく円庭を歩いていたランディは、通路の端に何かが落ちているのを見つけた。
「なんだ……これ?」
それは手帳のようで、拾い上げた手に収まるくらいに小さい。
表紙には何も書かれておらず、一見して持ち主が分かる状態ではなかった。
すぐ側にはテーブルと椅子が設置されている。座っていた誰かが落としたのかもしれないが、今は空席になっていた。
ランディは辺りを見回してから小さな息を吐く。
「聞いて回るしかねぇか」
さすがに中身を確認することは憚られる。
この閉ざされた空間での落とし物なら、持ち主は必ずいるはずだ。
面倒なのには違いないが、片っ端から声をかけていくのが手っ取り早いだろう。
運が良ければすぐに見つかるかもしれない。
そんな淡い期待を抱きつつ、彼は手帳を手に歩き出した。

 下層を一巡りし、もう結構な人数に声をかけたような気がする。
当の本人でなくても持ち主を知る人くらいは見つかっても良さそうだが、皆が揃いも揃って首を横に振ってくる。
「ここまで聞いて成果なしとか、ありえねぇだろ」
今度は上層へ移動しようと、愚痴を零しながら螺旋階段を上り始めた。
「あれ?どうしたんだい?」
そこへ、上から涼やかな青年の声が降ってきた。
数段の間を取り、軽く腕組みをして相手を覗う。
「君、なんだか疲れた顔してるね」
「あー、ワジか。なんか落とし物拾っちまってさぁ……持ち主探してんだよ」
バッタリと会った人物が身内だったこともあり、ランディは取り繕おうともしなかった。
「落とし物?……あぁ、その手帳のこと?」
急にだらけた彼の手に目を留め、ワジは黄金の双眸に可笑しげな色を滲ませる。
「それって、ロイドのだよね」
「──はぁ!?」
まさに寝耳に水だった。咄嗟に二の句が継げなくなる。
「いつもは捜査手帳に挟んでるんじゃないかな」
確かにこの大きさだったら、彼の推測通りかもしれない。
ランディは小振りの手帳に視線を寄せてやっと声を押し出した。
「つまりは隠してるってことか……なんでお前は知ってるんだよ?」
「偶然見かけただけさ。中身は教えてくれなかったけどね」
面白くないと眉を顰めた彼を気にするでもなく、ワジは軽やかに答えた。
「あぁ、ノエルも見かけたとか言ってたかな。一人で楽しそうに何か書いてたって」
更なる情報を放り投げてみると、赤毛の男は穴が開く程に手帳を見つめ始めてしまった。
「ロイドならもうすぐ戻ってくるんじゃない?事情はどうあれ、ちゃんと返してあげないとね」
そんな彼の肩を一つ叩き、ワジはどこか意地悪げで綺麗な笑みを浮かべながら階段を降りていく。
「……楽しそうって何だよ?」
次第に遠退く足音は耳を流れ去り、立ち止まったままのランディは不満げに呟いた。
胸の奥に言いようのないわだかまりが広がっていくのを感じた。

 

 螺旋階段を降りたワジは、視線の先にノエルの姿を見つけた。
彼女はエリィと談笑しているようで、楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「やぁ、二人とも。なんだか面白いことになりそうだよ」
意味ありげな呼びかけをしながら話の輪に入ると、
「あ、ワジ君……って、うわっ、なにその笑い方」
ノエルには後ずさりをされたが、エリィの方はすぐに察したようだった。
「またロイドたちを引っかき回してきたの?」
特務支援課の中では、相棒同士である彼らのもう一つの関係性は周知の事実だ。
そんな二人を玩具代わりにするのは、ワジの楽しみでもある。
「聞き捨てならないね。僕は情報を提供してあげただけさ」
彼は悪びれもせず、事の成り行きを同僚たちに説明してみせた。
「あの手帳……ランディは知らなかったのね」
「その言い方だと、エリィも知ってるんだ」
「えぇ。私もティオちゃんも何度か見たことはあるけれど、中身は頑なに教えてくれないのよね」
エリィは細い顎に綺麗な指を当て、考え込むような仕草をする。
「それにしても、ランディ先輩だけ見たことがないって……わざと隠してるんでしょうか?」
ノエルも腕を組んで難しい顔を浮かべた。
「だろうね。それなら彼がらみの内容かな」
「ロイドったら、肝心な所で脇が甘いのよね。タダでさえ隠し事が苦手なのに」
普段は頼りがいのある支援課のリーダーだが、自分のことになると、途端に墓穴を掘りまくってしまう。
呆れ顔を隠しもせず、エリィは美しい銀髪を優雅に掻き上げた。
「……中身は確実に見られてしまうわね」
更に続いた言葉は予想などではなく確信めいていて、ワジとノエルも深く頷いた。

 

 一方、その頃。
ランディは不誠実な誘惑と葛藤していた。
階段を上りきった後、人気のない一画を見つけて外壁に寄りかかる。
もちろん、拾った物は持ち主に返すつもりだ。
ロイドは夢幻回廊を探索中だが、ワジも言っていた通りそろそろ戻ってくる頃合いだろう。
彼の反応はどうあれ、当たり障りのない軽い調子ですぐに返してしまえばいい。
それが最良だと分かっているのに、どうしても感情が付いてこなかった。
ワジからもたらされた情報が、ぐるぐると頭の中を回る。
あの話しぶりだったら、他の同僚たちも手帳の存在を知っている可能性がある。
なのに、どうして一番身近にいるはずの自分が知らないのか?
書いている姿どころか、それを手に持っているのすら見たことがない。
「……俺に対して隠してんのか?」
そう勘繰ってしまうのも仕方がない状況だ。
「しかも楽しそうとか……」
考えれば考えるほど胸中に黒い霧が立ちこめ、手帳の内容が気になってしまう。
『ロイドが自分に隠れて楽しそうにしてる』
単純に言えばそういうことだ。
公私に渡り親密な間柄であるランディにしてみれば、中身を盗み見る動機としては十分だった。
彼は無断で人の秘密を暴くことに罪悪感を覚えながらも、手帳の表紙に手をかけた。
「……悪ぃな」
一度だけ逡巡し、小さく頭を振る。
良心の呵責に耐えかね、今は不在のロイドへ謝った後、慎重に最初の頁をめくった。

 

──間近で見ると余計にカッコよく見える

 それは確かにロイドの筆跡だった。
目に飛び込んできた一文は普段よりも少し崩れている。
どこか浮かれているような雰囲気があり、ランディは少しばかり面食らった。

──ブレードの切れ味すごくて見惚れそう

 小振りな手帳なので一頁の行数は少ないが、そこに隙間なく書かれているわけではなく、箇条書きのように気持ちを連ねている。
頁をめくっても好意的な表現は続き、思わず顔を歪めた。
「誰のこと言ってんだ?」
どうやら一緒に戦っている仲間のことを書いているようだ。しかも、全て同じ人物ではないかと思わせる部分が多々ある。

──あの銃撃音って耳にくるけど、頼もしくて落ち着くんだよな

 次第に不愉快さが増していく中、ランディはこの文章たちに該当する『誰か』を探し始めた。
脳内で候補を挙げては外すを繰り返しながら、手帳の先を読み進める。

──とっておきじゃなくなったことが嬉しいんだ

 少し内容が変わってきた。
相変わらず楽しげにカッコイイを連発しているが、時折しみじみとした顔を見せてくる。
「あー、くそっ、わけわかんねぇ」
人物の詳細が出てこないどころか、逆に答えから遠退いているような気がしてきた。
ランディは苛立たしげに前髪を掻き上げる。
それでも、頁をめくる手は止まらない。ここまでくれば最後まで見てやろうと、半ばやけくそ気味だった。

──あれを防ぎきるなんて、やっぱ強くて頑丈で惚れ惚れする。でも、あんまりやって欲しくないって……矛盾してるな。あの時みたいに壊れる所は二度と見たくないんだ

 ふと、珍しく長い一文が目に留まった。
普段通りの冷静さがあれば、それが決定的な文言になるはずだった。
しかし、疑念と嫉妬を抱えて盲目的な思考から抜け出せない。
最初から『誰か』を探し、人物以外の可能性に思い当たりもしなかった。
「……あのバカ。どんだけ惚れてんだよ」
気にはなったものの、今の彼にとっては火に油を注ぐような文字の羅列だ。
忌々しげに吐き捨てながら、指で乱暴に紙面を弾く。
結局ランディは答えを掴めないまま、ロイドが綴った文章を全て読み終えた。
落とし物を返すことよりも、彼を問い詰めることの方が優先事項になってしまっていた。

 

 夢幻回廊を探索していたメンバーたちが戻ってきた。
リーダーを任されていたロイドが解散を告げると、皆が思い思いの場所へと散っていく。
それを見送った彼は、近くの空いている席に腰を下ろした。
テーブルに愛用のトンファーを置き、ポケットから取り出した布で丁寧に磨き始める。
『武器っていうのは、磨いてやるだけでも随分と違うもんだぜ』
いつだったか、ランディがそんなことを言っていた。
相棒として肩を並べる今となっても、戦士としての意識の高さに学ぶべきことは多い。
「最近は一緒に戦えてなくて寂しいな」
頼りがいのある大きな背中を思い浮かべ、ポツリと言葉通りの感情が零れ落ちた。

「──誰と戦えなくて寂しいって?」

 すると、不意に上から影が落ちてきた。
自分の世界に没入していたせいか、まったく気配に気が付かなかった。
耳に馴染んでいるはずの声は低く重い響きを伴い、ロイドが驚いて顔を上げる。
「ラ、ランディ……?」
剣呑さをはらんだ瞳に見下ろされ、唖然として口が半開きになる。
どこからどう見ても、怒っているとしか形容できない表情だった。
(な、なんで?俺、何かしちゃったか?)
記憶を辿っても身に覚えがなく、頭の中が混乱する。
そんな彼の前に何かが突き出された。
「これについて、聞かせてもらおうじゃねぇか」
「あ!そ、それ……!?」
ロイドはこれでもかと言わんばかりに目を見開いた。
慌てて上着から捜査手帳を取り出して開いたが、本来ならそこに挟まっている物がない。その瞬間、一気に冷や汗が流れ落ちた。
「落としたことにも気が付かなかったのかよ。間抜けなヤツだな」
ランディは棘のある言葉を浴びせつつ、真向かいの席に足を組んで座った。
それから持っていた手帳をテーブルの上に置き、指先で不快げに数回叩く。
「で、色々と楽しいことが書いてあったんだが?」
「勝手に見たのかよ!?」
「それに関しちゃ悪いとは思ってる。けど、気になる情報を貰っちまったもんでな」
ロイドは手帳の中身を見られてしまったことを知り、声を荒立てた。
これについてはランディの方に全面的な非があるので、本人も素直に認める形だ。
けれど、だからといって今の感情が収まるわけではなく、その眼光は険しい。
「そんなにお熱い視線を送ってるヤツがいるとは知らなかったぜ」
「──え?」
あくまで静かな口調は鋭利な刃のようで、聞いた途端に背筋が寒くなる。
しかし、そんな言葉の端に疑問を感じ、ロイドは不思議そうに相手を見返した。
「今、なんて……」
「単刀直入に聞く。そいつは誰だ?」
ランディの方にはその声に耳を傾けるほどの余裕はなく、一方的に自分の嫉妬だけを突き付けてくる。
「誰って……なに言ってんだよ。手帳、見たんじゃないのか?」
明らかに勘違いをしている。それに気が付いたロイドは困惑を隠せなかった。
そもそも、彼に対してこの手帳の存在を徹底的に隠していたのは、見られたらすぐに分かってしまうと思ったからだ。
そうなれば確実に弄られる。まさか、怒るとは予想していなかったが。
「ほんとに、ほんとに分からないのか?」
「こっちは分かんねぇから聞いてんだよ」
嘘だろ?と言いたげなロイドに向かって、強い声が投げつけられた。
見えない相手に牙を向けているランディの思考は頑なで、考え直してくれる余地はなさそうだ。
このまま平行線に陥ってしまうは避けたいと、ロイドは躊躇いながらも仕方なく口を開いた。

「……それ、ベルゼルガーのこと」

 未だ相手の手元にある手帳から気まずそうに顔を逸らし、ぼそりと一言。
「嬉しかったんだ。切り札とかじゃなくて、普通に使い始めたことが」
今まではずっと、使うタイミングを慎重に見計らっている節があった。
一度壊れていることもあり、強度の問題もあったかもしれない。
けれど、それ以上にランディ自身の中で様々な葛藤があったのだろう。
「どこかに吐き出したくて書き始めたら、止まらなくなっちゃって」
夢幻回廊を探索中、初めてそれを見た時は驚いて頭が真っ白になりかけた。
重厚な黒い本体から繰り出された斬撃と、豪快に火を噴いて薬莢を飛び散らせる様を前に、雷でも落ちたかのような衝撃を受けたのを覚えている。
『ちょいと派手にやりすぎちまったぜ』
あの時、そう言って笑った横顔を見た途端に沸々と嬉しさが込み上げてきた。
彼は長年連れ添ってきた無機質な相棒との対話を、やっと終わらせることができたのだと。
「最近は密かな楽しみだったっていうか…………あ~!もう、無理!!」
向こう側からの相槌はなく、一人で言葉を続ければ続けるほど恥ずかしくなってくる。
耐えきれなくなったロイドは首を激しく左右に振り、テーブルの上に突っ伏してしまった。

 

 茶色い頭は微動だにしない。
ランディはそれを呆然と見つめていた。
攻撃的な感情が行き場を失い、少しずつ四散して解けていく。
頭の回転が鈍っていてあれこれと考えられないが、自分が誤解をしていることだけは分かった。
「…………マジかよ」
片肘を付いてその手の平で顔を覆いながら、声を絞り出す。
彼の嫉妬の対象は円庭に集っている仲間たちではなく、自らが扱っている武器だった。
ランディは相棒の青年が伏せってるのを確認し、もう一度手帳を開いた。
覚めた目で見直してみれば、どの頁も明らかにベルゼルガーについての記述だった。
これではロイドが困惑するのも無理はない。
煮えたぎる感情で目がくらんでいたことは誤魔化しようがなく、情けなさが膨らんでいく。
彼は盛大な溜息を吐きながら手帳を閉じようとしたが、ふとある一文が目に飛び込んきてしまい、手を止めた。それは筆跡がある中では最後の頁だ。

──メンテナンスを見ていたらニヤけるなと怒られた。だってしょうがないだろ?されてる方は気持ち良さそうだし、してる方は嬉しそうだったから。そういうの、ほんとに好きなんだ

 これを書いている最中の楽しげな様子が易々と想像できてしまう。
どうやら、お熱い視線を送っているヤツではなく『ヤツら』だったらしい。
吐き出す溜息も底をつき、ランディはほとほと参ったといった様子だった。
「隠してるからってデレまくってんじゃねぇよ」
なんとか開いた口からは毒づく言葉しか出てこない。
確かにロイドはベルゼルガーのことを書いていた。
しかし、武器はただの武器であって使い手がいてこその魅力だという部分が大きい。
その溢れる気持ちの行き先が分かってしまったランディは、込み上げてくる熱情を無言で噛みしめて堪えた。
先に沈没したロイドはまだ起き上がる気配を見せない。
そんな彼よりは優位でいたいと虚勢を張り、自分も突っ伏してしまうことだけはなんとか回避した。

 

 水色の髪の少女は、通りがかりに珍しい光景を目撃してしまった。
普段は動きの少ない表情筋が驚きを形作る。
一瞬声をかけようとしたが、どうにも近寄りがたい雰囲気があって諦めた。
「これは……皆さんに報告ですね」
彼らの奇妙な姿はすぐさま同僚たちと共有するべきである。
そう思ったティオは再び歩き出した。

 下層に降りた彼女は、すぐに気心知れた仲間たちを見つけ小走りで駆け寄った。
「あら、ティオちゃん。どうしたの?」
それが急いでいるように見えたのか、最初に気づいたエリィがわずかに驚く。
「エリィさん、上でロイドさんとランディさんを見かけたのですが……」
ティオが口を開くと、一緒にいたワジとノエルが食い付いてきた。
「もしかして面白いことになってなかったかい?」
「まさか、喧嘩とかしてませんよね!?」
「あの……珍しくロイドさんの方が撃沈していました」
その勢いに押されつつ、戸惑い気味に答えたティオはチラリと銀髪の同僚を見上げた。
この状況に対しての説明を求めているようで、それを察したエリィが事の経緯を伝える。
「あぁ、なるほど。ちなみにランディさんは沈没こそしていませんでしたが、ダメージは相当なものかと」
最年少の少女は納得して頷き、淡々と彼らの状態を皆に報告した。
「へぇ?いつもはランディの方がロイドの天然攻撃にやられてるのに」
ワジの瞳が興味深げな光を宿す。
「でも、ランディ先輩もダメージ受けてるってことは……相打ち?」
隣にいるノエルは小さく唸りながら考え込んだ。
「それは手帳の中身によるわね。あまり詮索するのは良くないけれど」
「…………とても気になります」
そこにエリィが尤もな意見を入れると、矢継ぎ早にティオが正直な声を上げ、四人は無言で顔を見合わせた。

 沈黙の中、最初に動いたのはワジだった。
「ここはやっぱり様子を見に行くべきだよね」
「えっ、えぇ!?ほんとに行っちゃうの!?」
涼やかな声は明らかに愉快なリズムを刻み、ノエルの反応をよそに軽やかな足取りで輪の中から出ていく。
「あ、ワジさん。私もご一緒します」
「もう……ティオちゃんったら」
それを追いかけ始めた少女の後ろ姿を、エリィが少しばかり呆れた様子で見送る。
四人の性格の違いが浮き彫りになり、強行派と慎重派に分かれる形になってしまった。
「あの二人ってちょっと似てる所がある気がするわ」
「あ、あははっ……確かに」
嬉々として上層へ向かう二人の姿はあっという間に小さくなり、真面目なエリィとノエルはどことなく疲れた顔をしてそれを眺めやっていた。

 その後。ロイドのベルゼルガー観察手帳が禁止になってしまったのは言うまでもない。

 

2021.08.25

 

 

『禁断症状』(後日談)

 夢幻回廊の一画での戦いは、緊迫した攻防の末に見事勝利に終わった。
リィンは共に戦っていた仲間たちの安否を確認し、ホッと胸を撫で下ろした。
「……ん?」
しかし、一人だけ腕を組んでブツブツと言っている青年の背中が目に留まる。
特に負傷しているようには見えないが、もしかしたらどこかに不調があるのかもしれない。
「ロイド?どうしたんだ?」
心配になったリィンは、後ろから近寄って青年の名前を呼んだ。
「あの距離ならやっぱ銃撃かなぁ」
しかし、彼は自分の世界に入り込んでいるのか、床の一転を見つめながら独りごちている。
「ありったけの弾薬で火吹かせまくりとか……格好良すぎないか」
その内容はさり気なく物騒だ。
「ロイド、大丈夫か?」
「へ!?あ、あぁ、リィンか」
もう一度名前を呼ぶと、今度は肩を跳ね上げた後に勢いよく振り返った。
「どこかやられたのか?」
「俺なら問題ないよ。ちょっと考えごとしてただけ」
仲間の身を案じているリィンに柔らかい笑顔を向けたロイドだったが、すぐに視線が元の場所に戻ってしまう。
「さっきのヤツ、ベルゼルガーならどう……っ、あ、いや、なんでもない」
寂しそうな色を漂わせているのは無意識だったのか、ハッと我に返って頭を振る。
「ほ、ほら!そろそろ探索を再開するぞ」
ロイドは無理に口角を引き上げ、他の仲間たちに声をかけながら歩き始めた。
その誤魔化しきれない後ろ姿を見つめ、リィンは首を傾げた。
「……ランディさんと何かあったのかな?」
ベルゼルガーと言えば、彼の代名詞だ。教官仲間でもあるその男を思い浮かべ、ふとあることが気になった。
「そういえば、最近二人で探索メンバーに入っているのを見てないな」
少し前までは共に夢幻回廊を巡っていたのを考えれば、どうしても違和感がある。
わざと距離を置いているようにしか思えなかった。

 探索を再開した後。
強敵との戦いを終えるたびに、ロイドは一人はぼやいていた。
中身は先ほどと同じようなことばかりで、寂しさの中に拗ねた表情が入り交じる。
リィンには、その姿がとても不安定に見えた。

 

 今度は別の探索でランディと組む機会があった。
彼は特に気になるような言動はしていない。しかし、武器を操る腕が少し重そうだ。
「ランディさん、調子悪いんですか?」
ロイドの件もあり、気になったリィンは赤毛の男に問いかけた。
「いや、悪いっつーか。こう、ノリがいまいちっていうか」
彼は自分の肩に手をかけ、首を一つ鳴らす。
「まぁ……色々あってよ」
それから自嘲気味な笑みを浮かべた。
リィンは更に言葉を続けるべきか悩んだ。二人の関係は知っているが、ここで出しゃばるのもどうかと思う。
けれど、多少なりとも戦いに支障が出ていることが気に掛かってしまう。
「……この間、ロイドと一緒だったんですけど、なんだか様子がおかしくて」
その懸念が先に立ち思いきって口を開くと、ランディが真顔になって動きを止めた。
「──おかしい?」
「大きな戦闘が終わる度に、やたらとベルゼルガーのことを呟いてましたよ」
状況を聞いた彼は瞠目したが、一転してすぐに両肩から脱力してしまった。
「あのバカ……何やってんだよ」
やはり、二人の間で何かがあったらしい。
リィンはそう確信してランディの様子を覗ったが、ふとその背後に水色の頭が顔を覗かせた。
「それはベルゼルガー禁断症状ですね」
「お、おまっ!?どっから出てきやがった?」
「私の気配に気づかないなんて、グダグダすぎです。ランディさん」
不意を突かれて慌てた同僚に対し、ティオは顔色一つ変えずに言葉を返した。
「な、なんか凄い言葉が出てきたな」
気心知れた二人のやり取りを眺めつつ、リィンが大きく息を吐き出した。
「ロイドさんはあれが大好きなので、しばらくお目にかかれていないせいで妄想が始まったと思われます」
それを聞き逃さなかった少女は、淡々とした口調で説明をする。
「ティオすけ。余計なことぬかすなっつーの」
手強い相手の登場で体の悪くなったランディは、煩わしそうに頭を掻いて踵を返した。
「あー、ほら、次行くぞ、次!」
そう言って武器を担いで歩き出した後ろ姿へ、ティオのジト目が向けられる。
「逃げましたね」
「あれ、大丈夫なのか?」
「ラブラブすぎて距離を取っているだけなので、問題ありません」
心配そうなリィンをよそに、少女の声は相変わらず平坦だ。
「結局のところ、ランディさんはロイドさんに甘々ですから」
けれど、ほんの少しだけ口元を綻ばせた。

 

「おい、メンテするから付き合え」
突然かけられた言葉に、ロイドは自分の耳を疑った。
半信半疑で付いていくと、テーブルの上にベルゼルガーが横たわっていて、それを見た瞬間に嬉しさが込み上げてくる。
吸い寄せられるように椅子へ座り、ちらりとランディを見た。
彼はロイドとほぼ同時に向かいの席へ座り、すぐに複雑な形状をした武器の一部を解体し始める。
「あ、あのさ……ランディ?」
嬉しさも束の間。急に降ってきた幸運に相手の意図が読めず、ロイドが戸惑いを滲ませた。
そもそも、今までこんな風に誘われることなんてなかった。
メンテナンスの兆候を嗅ぎつけて見学に押しかけているのは、いつだってロイドの方だ。
「これ、しっかり磨いとけ」
すると、返事代わりなのか、ランディが片手に収まる大きさの部品を布に包んで差し出してきた。
「え?わ、分かった」
また耳を疑うような言葉を聞き、ロイドは驚きと共に慌ててそれを両手で受け取った。
緊張して手が震えそうになるのを何とか押さえ込む。
あまりに突然すぎたせいで、夢でも見ているのではないかとすら思ってしまう。
ベルゼルガーの一部が自分の手にあることが俄に信じられず、彼は何度もランディと交互に見比べた。
「なぁ、急にどうしたんだ?今まで俺に触らせたことなんてなかったのに」
「どうって、譲歩してやってんだよ。あ、ついでにこいつもな」
今度は変わった形の留め具を数個、わずかに身を乗り出してロイドの前に置いた。
「……寂しすぎてイカれちまってるっていうから、充電させてやろうかと思ってな」
近づいた顔は困惑を浮かべていて、引き際にその頬へ掠めるようなキスをする。
「そ、それっ、どこから聞いたんだよ!?」
「さぁな」
ランディはまたすぐに武器を弄り始めたが、狼狽えているロイドが可笑しくて小刻みに肩を揺らした。
「それはそうとしっかり充電しとけよ?まだしばらく現状維持だからな」
軽くあしらいながら話の矛先を変えると、その途端に栗色の頭がガクリと項垂れる。
落ちた前髪の先が僅かにベルゼルガーに触れ、大好きな黒を覗き見る瞳が悲しそうに揺れた。
「まだ、ダメなのか……?」
「ダメージでかすぎたんだよ。少しは我慢しろ」

 あの手帳の中身を知ってしまったランディは、すぐさまその使用を禁止させた。
それと同時に、ほとぼりが冷めるまで一緒に夢幻回廊には入れないとも言った。
あんな風に見られていては、気になって戦うどころの話ではない。
もちろんロイドは反対したが、隠し事には後ろめたさがあったのだろう。
不本意ながら了承して今に至っている。
ランディは現状維持を解く気はなさそうだ。
しかし、ティオ曰く『ロイドさんに甘々』な彼のこと、絆されて折れてしまうのは目に見えて明らかだった。

 

2021.09.02
2021.11.16 加筆・修正

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