タグの話・まとめ

【小さな分身】

 クロスベル駅。帝国方面のホームにアナウンスの声が流れた。
そろそろ列車が到着するようだ。
ベンチに腰を下ろしていた青年がゆったりと立ち上がる。
そこへ、彼の名前を呼ぶ声と共に一人の女が駆け寄ってきた。
「ランディさん!良かった……間に合ったわ」
「おっ、なんだよ。見送りとは嬉しいねぇ」
見知った顔を前にランディは陽気な応答をした。
彼女は歓楽街で贔屓にしている店での顔馴染みだ。
夜の華やかさとは一転してシンプルな装いをしていたが、すぐに分かった。
「ふふっ、しばらく顔を見れないなんて寂しいわ」
女はしなやかな両手を逞しい腕に絡ませ、艶めいた唇を耳元に寄せた。
「──『彼』からよ」
そう囁きながら、ランディの上着のポケットに何かを忍ばせた。
「……おう。ありがとな」
彼は一瞬だけ瞠目したが、すぐにニヤリと笑った。
 程なくして定刻通りに列車がやってきた。
見送りに来た女と親しげなやり取りを交わし、車内へと乗り込む。
座席に身を落とし、動き始めた車窓を眺めながらポケットに手を突っ込んだ。
女から渡されたものは封筒のようだが、単純に手紙というわけではなさそうだ。
指先に硬い感触が当たる。
「どうせなら、ラブレターにしとけよ……色気がねぇな」
ランディは戯けた色を見せながら周囲の気配を探った。
自分の立場を考えれば、監視の目はどこかにあるはずだ。
最低限、リーヴスに到着して第Ⅱ分校を訪れるまでは。
これが他の仲間たちからであれば、そこまで神経を尖らせる必要はない。
しかし、送り主が指名手配中の『彼』であれば話は別だった。
本音を言えば、今すぐにでも開けてしまいたい。
そんな衝動を胸に押し隠した彼は、表面上は平静を装い、名残惜しげに封筒から手を離した。

 

 住居として与えられた寮の一室に足を踏み入れた時、何の感慨も抱けなかった。
必要な家具は備え付けられており、予め送っていた私物の段ボール箱も届いている。
これからここでの生活をする上で、困ることはないだろう。
ランディは後ろ手にドアを閉め、綺麗に整えられたベッドの上に腰を下ろした。
「……ったく、厄介な場所に飛ばしやがって」
今回の出向は、打診という皮を被った半ば強制的なものだった。
先刻。挨拶がてら第Ⅱ分校へ向かい、軽く顔合わせを行ったが、初見から曲者揃いといった印象だ。一筋縄ではいかない職場になるのは間違いない。
「はぁ~、いきなりあいつらが恋しくなってきたぜ」
つい苦笑いを浮かべてしまうのも仕方がなかった。
彼は身内とも呼べる同僚たちの顔を思い浮かべ、上着のポケットに忍ばせていた封筒を取り出した。
クロスベル駅で受け取ってから大分時間が経ってしまったが、ようやく中身を確認できる。
はやる手元を落ち着かせ、丁寧に封を切ると、微かに金属の擦れるような音がした。
封筒の中には、短いチェーンが付いた金属製のタグと一枚の紙。
「こいつ……は」
手の平に収まる小さなタグに刻印された名前を認識した途端、ランディは言葉を詰まらせた。
それはロイドが携帯しているクロスベル警察の認識タグだった。
併合された今となっては機能しているか怪しいものだが、規則上は常に持ち歩いていなければならない。
普段は捜査官らしく真面目な性格の彼だが、時には周囲が驚くほど大胆な行動を起こすことがある。今回も例に漏れないようだ。
「これって、手放していいもんなのか?」
一人なのも相まって心情がストレートに言語化されてしまった。
少し戸惑いがちに同封された紙の方を取り出してみる。
こちらはお世辞にでも手紙を綴るような用紙ではなく、メモ帳を引きちぎったようにも見える。急いでいたのか、そこには短い走り書きがあった。

『預けておく。絶対に返しに来い』

詰まらせるどころか、完全に言葉を失った。
離れた相手に、自分が常に身につけているものを預けることへの重みを感じる。
ラブレターどころの色気ではなかった。
胸の中に熱いものが込み上げてくる。
「……ははっ。普通は預けた方が来るもんじゃねぇのかよ?」
ようやく発した声は、ロイドからのメッセージに突っ込みを入れる形になった。
だが、彼の言いたいことは手に通るように分かる。
潜伏活動をしているせいで、身動きが取りづらい故の言い回しなのだろう。
そして、帝国に行かざるを得ないランディへ向けての強い再会の約束だ。
仲間たちの誰よりも危険な状況にいるロイドからの想いが、ひしひしと伝わってきた。
ランディは乱れた筆跡を見つめた後、それを封筒の中へ戻した。
次に、手の中にあるタグへと視線を寄せる。
刻印されているロイドの名前に目元を緩め、親指の腹で愛おしげに何度もなぞった。
「行くに決まってんだろ。返すついでに、積もりまくった想いの丈を受け止めてもらうからな」
彼の代わりともいえる小さなタグへ、しっかりとした意思を告げる。
その後、何かを思い立った様子でベッドから離れ、まだ未開封の段ボール箱に手を付けた。
そこから取り出したのは装飾用の長めのチェーンだった。
器用な手つきでタグの穴に通されている短いものと付け替える。
それを首にかけ、大切なものを守るかのように衣服の内側へ隠した。
「まぁ、帝国の動向を探るには意外と良い場所かもしれねぇな」
ランディは窓の外を見据えながら口角をつり上げる。
果たすべき約束を得た彼の心は、明らかに浮上していた。

 

──後日。
ランディから預けたタグの扱いを聞き、ロイドは驚いた。
衣服のポケットにでも入れているのだろうと思っていたらしい。
あろうことか、胸元に潜ませていた事実を知ってしまい、妙に恥ずかしくなってしまった。

 

2021.06.17

 

 

【最後の逃げ道】

 最初は久しぶりに顔を合わせた時、返してくれるものだと思っていた。
未だに戻ってこない預け物について、ロイドはわざと考えないようにしていた。
ずっと切迫した状況が続いていたせいもある。
ランディの方からもそれについての言及はなく、あの時はただ、目の前の窮地を打破する為に肩を並べて戦場を駆け抜けた。

今は、聞いてみてもいいのだろうか?

 穏やかな日常を取り戻した街並みを瞳へ流し、隣で揺れる赤い髪を盗み見る。
両手をポケットに突っ込んで歩く姿は軽やかで、どうやらご機嫌なようだ。
「あのさ……ランディ」
「ん~、どっか寄ってくか?」
空は午後も幾分か回った様相をしている。夕食時にはまだ遠く、小腹が空いてくる時間帯になっていた。
ランディはそれを踏まえて話を振ってみたが、外れてしまったらしい。
「いや、そうじゃなくて」
はっきりと首を横に振られ、残念な顔をする。
「なんだ、違うのかよ」
しかし、特に気分を害したわけでもなく、声は明るい。
ロイドはそれに安心して口を開いた。
「あ、うん。その……まだ返してもらってないなって」
なんとなく主語を省いてしまったが、言いたいことはしっかりと伝わっているようだ。
ランディはほんの一瞬だけ顔を強張らせたが、すぐに応答してきた。
「……あれか」
彼は街中を行き交う人々に目をやり、辺りを気にしているような素振りを見せた。
「ここじゃ落ち着かねぇな。ちょっと付いてこい」
そして、軽く顎をしゃくりながら一言。
いつもより足早に歩き出した相棒の背中を、ロイドは慌てて追いかけた。
どうして場所を変えたいのだろう?
預けたタグは人目を気にするような代物ではないし、所持しているのならこの場で気楽に返してくれればいいだけの話だ。
そこまでを頭に巡らせたロイドは、ふと嫌なことに思い当たってしまった。
「まさか、なくしたとか言わないよな?」
人の気配が薄れて足音だけが鳴る細い路地に、焦った声が反射する。
「お前さぁ、さすがにそれは酷くね?」
ランディの足がピタリと止まった。
最初からこの場所だったのか。それとも薄情な言葉に足止めされたのか。
振り向きざま、わざとらしく傷心気味に口角をつり上げる。
「ご、ごめん……つい」
素直に受け止めたロイドはしょげてしまったが、ランディがおもむろに動かした手の行方を追いかけ、今度は目を丸くした。
首にかけているチェーンを衣服の内側から引っ張り出して、『それ』を摘まみ上げてみせる。
「なっ、なんで、そんなとこにあるんだよ!?」
自分の名前が刻印されたタグを見間違うはずもなく、ロイドは声を上げた。
まさか胸元から出てくるとは思わなくて、驚きと恥ずかしさが入り交じる。
「そりゃぁ、大事なもんだからな。肌身離さずに決まってんだろ」
ランディはそう言いながら小さな預かり物に唇を落とした。
出向の時から今の今までずっと共に居たせいか、愛おしさもひとしおだ。
「──っ!」
まるで恋人にでも囁いているような表情を浮かべている。
ロイドはそんな甘い仕草を見続けていることができず、彼に背を向けて目の前にある外壁へ額を押し付けた。
体温の上がった肌には、冷たくて硬い壁の感触が心地良かった。
両目を閉じながら、忙しない胸の鼓動を落ち着かせようとする。
何度か深い呼吸を繰り返し、ようやく形を成した言葉が微かな音になって地面へ落ちた。
「……なにやってんだよ、バカ」
街の賑わいから外れたこの場所では、否応なく相手の耳にまで届く。
ランディはタグを指先で弄りながら、独り言のような声を拾い上げた。
「お前だってそのつもりだっただろ?」
一切の軽さを削いだ瞳が、俯き気味の背中に向けられる。
「代わりを添わせる気なら、俺がどんな扱いをするのか……想像くらいはしたんじゃねぇの?」
「……あ」
彼の静かだが強い口振りは、壁と対面したままのロイドを振り返らせた。
違うとは言えなかった。
ランディが帝国へ赴くと知った時、一瞬真っ白になった頭の中でいつの間にか自分の認識タグを握りしめていた。
本当はあんな走り書きではなくて、きちんと手紙を綴りたかった。
今以上に離れてしまう彼への思慮と、小さな身代わりに載せた想いを込めて。
(想像なんかじゃない。俺はたぶん……分かってた)
タグを弄っているランディの姿はあまりにも自然体で、日常的に同じ動作をしているであろうことが窺える。
ずっと側に寄り添いながら、どれだけの情を注いでくれていたのだろう。
そう考えるだけで、胸の奥が痺れるように震えた。
何か言いたいのに喉がつかえて声が出ず、もどかしげに彼を見上げる。
それを真っ向から受け止めたランディは、ようやく手の動きを止めた。
彼もまた、言葉が出てこなかった。
逸らす術を知らず、絡み合った視線だけがやたらと熱っぽくなる。
今までずっと、この狂おしい気持ちを確かな言葉で伝えたことなどなかった。
それでも燻る火種は隠しようがなく、双方向に筒抜けの状態で、互いに強く意識し合っている。
路地に隠れた二人の影はまるで動かず、その時間は長いようにも短いようにも感じられた。
一歩踏み込む機会を覗っているのか、それとも牽制しているのか。

「俺としてはもうちょい場を整えたかったんだが……」
じりじりと焼け付く緊張感を破ったのは、この状況に不満を漏らすランディの声だった。
不本意だと言わんばかりの表情で頭を振って、小さく息を吐き出す。
もう、これ以上引き延ばす気にはなれなかったし、そんな空気感でもなかった。
「お前が相手じゃ、出し抜けになっても仕方ねぇか」
彼は自嘲気味に呟きながら、今や身体の一部のようになっている小さなタグを首から外した。
それをゆっくりとロイドの前に掲げる。

「こいつを返したら……マジで口説き落とすぞ。いいのか?」

 一段低くなった声が狭い空間に響いた。
「なんだよ、それ」
金属に刻印された名前を懐かしげに見つめていたロイドが、思わず顔を歪めた。
ランディは、暗に「ただの相棒には戻れない」と言っている。
けれど、最後の最後に逃げ道を残す体を取り、わざわざ問いかけてきた。
それは真摯な想いゆえの優しさなのかもしれない。
「そんなの……聞くことじゃない」
だが、ロイドにとっては全く必要のない気遣いだ。
彼は手を伸ばし、視界にある自分の代わりを強引に掴み取った。
手の中を一瞥してから、真っ直ぐに相手を見上げる。

「いいもなにも、ずっと前から落ちてる」

 どう足掻いてもこの気持ちを押し隠すことはできなかった。
用意してくれた逃げ道を一蹴し、真剣な眼差しを受け止める。
ようやく、表面上は片恋同士だった欠片が噛み合ったのを感じた。
嬉しさの中で体温が上昇して、身体が勝手に動き出す。
「今更、知らなかったなんて言わないよな?」
ロイドは珍しく少しだけ意地悪げな色を添えながら、目の前の男に抱き付いた。
彼の首筋に回した両腕には遠慮なく力が入る。
僅かな笑みが喉の奥に籠もり、小刻みに肩を震わせると、ランディが身動ぎをした。
「さすがに言えねぇな。好意がダダ漏れすぎなんで」
揺れている茶色の毛先が首筋に当たり、くすぐったくて目を細める。
預かり物を返して空になった手をロイドの背中に回し、彼の頭部に優しく唇を落とした。
しかし、すぐに不満げな視線を向けられてしまう。
「は?そっちだって同じくせに」
「お前と一緒にすんなよ。こっちは逆に色々と堪りまくってたんだからな」
ランディは強めな口調で応じ、密着しているロイドの身体をそのまま壁に押し付けた。
「いい加減……離れてる間に募った想いの丈を、吐き出させちゃくれねぇか?」

 出向したあの時、愛おしいタグに告げた言葉を思い出した。
最後の逃げ道を気持ち良いくらいに振り払ってくれた『恋人』へ、深い口づけを贈る。
吐息を制され、力の緩んだロイドの手中からタグが落ちそうになった。
それを咄嗟に、彼の手ごと壁へ縫い付けたランディの掌が少し汗ばんでいる。
長らく添っていた分身と、ようやく引き寄せた本人と、どちらにもこの想いを受け止めて欲しかった。

 

2021.07.10

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