どこか心配げな瞳が見下ろしてきた。
「お前……もし俺と同じ状況になったら、やれんのか?」
「当たり前だろ。偽物なんだから」
なぜそんなことを聞いてくるのかと、ロイドはわずかに顔を歪めた。
「まぁ、なんつーか……見た目も動作も同じだと結構やりづらいんでな」
偽物との一戦では憤りを抱えつつも冷静な立ち回りをしていたが、多少のぎこちなさを感じていたらしい。
だが、それを相手に悟らせないあたりは流石の力量だ。
幾多の戦場を走り抜けてきた男の言葉は、少しだけロイドを不安にさせた。
けれど、すぐにそれを振り払うようにして強い声を出す。
「でも、やらなきゃやられるだろ」
真っ向からの双眼がランディへと向けられた。
「そりゃ、ごもっともで」
年下の相棒は至極当然なことを言っていて、頷く以外にはない。
彼は真面目な表情を一転させて小さく笑った。
(分かってはいるんだがなぁ)
それでも、憂いが胸中を蝕んでいくのは止められなかった。
元より感情が表に出やすいロイドが、模倣擬体を目の前に平静を保っていられるだろうか?
動揺すれば、確実に攻撃の手が緩む。
戦闘中の思考回路が同じなら……と、脳内でシミュレーションをして暗澹たる気持ちになってしまった。
(勝っちまうんだよ……俺が)
ロイドの動きが鈍くなれば、結果は明白だ。相手には手を抜く道理はないのだから。
それでも、想定だけで彼の矜持を傷付けるのは忍びないと思い、
「あんまり俺がいい男だからって、見惚れて躊躇するんじゃねぇぞ?」
わざとふざけた調子でさりげなく釘を刺した。
山道を吹き抜ける風が冷たくなってきた。
先程までは暖かい陽光が降り注いでいたが、いつの間にか湧き始めた雲の合間に隠れてしまっている。
「う~ん、降りそうだなぁ」
ロイドは鈍色に変化した空を見上げながら独りごちた。
山の天気が変わりやすいのは知っているが、さっきまで青空だったのにと、愚痴を零して踵を返す。
特に不穏な痕跡も気配もなく、偵察を終えるには良い合図だったのかもしれない。
そのまま、起伏のある道を歩く。
周囲はやけに静かだった。
急に風が止んだのか、木々のざわめきさえ聞こえてこない。
── カチッ
不意に遠くで音がした。
「っ、今の!?」
聞き覚えのあるそれに、ロイドは顔を上げて空中を見る。
音がした方向から弧を描いて飛んでくる物体を捉え、脊髄反射でその場から飛び退いた。
直後、地面からの爆発音と共に白い煙が発生した。
「煙幕弾!」
それは『彼』が戦闘時に使用する手の一つ。
まさかと思い、ロイドは顔を袖で覆いながら気配を探った。
この煙幕の持続性はそう長くはない。
すぐに ── くる。
その瞬間。
空気中に四散していく煙を裂いて、殺意が現れた。
「後ろか!!」
後方の崖から降ってきた影が、着地と同時に攻撃を仕掛けてくる。
辛うじて防いだが威力は凄まじく、トンファーを構える腕に痛みが走った。
鮮やかな赤い長髪と派手なロングコートがロイドの視界をかすめる。
(──ランディ!)
思わず叫びそうになったが、そんな猶予すら与えてくれそうもなかった。
重量級のスタンハルバードを振り払うと、炎にも似た衝撃波が広がり、周りの草木さえも焼き尽くす。
ロイドは防戦を余儀なくされた。
あの時のやり取りが脳裏に浮かぶ。
ランディは憂慮していることを隠そうともしなかった。
「お前はやれるのか?」と。
偽物を相手に遅れを取るなど想像できなくて、不快げに応じたのを覚えている。
けれど、実際に模倣擬体と遭遇してしまった今、それが甘い認識だったと思い直さずにはいられなかった。
肉体的な戦闘能力は彼の方が上だが、本来ならここまで防戦一方になるはずがない。
無意識にどこかで戸惑っている。大切な人物の姿を前にして、身体が躊躇している。
本物の彼がわざわざ釘を刺してくれたのに。
ロイドは痛烈な波状攻撃を浴び続け、ついには吹き飛ばされた。
「ぐはっ!!」
地面に叩き付けられそうになったが、何とか受け身を取ってすぐに体勢を立て直す。
噛みしめていた奥歯には血が滲み、口の中に鉄の味が広がった。
「まだだ……まだいける」
立ち上がりながら、強い光を宿した瞳を相手に向ける。
と、その時。
彼の手元に黒光りする凶器が姿を現した。
刃を仕込ませた高火力の大型銃は、彼の代名詞と言っても過言ではないもの。
「なっ──!?」
それを目の当たりにした途端、ロイドはカッと熱くなった。
全身の血液が沸騰するかのような感覚に襲われる。
「なんで……お前が持っている」
怒りを噛みしめる声が微かに震えた。
明らかに模倣品だと頭では理解していても、この感情は抑えられそうにない。
「その姿を見せるな」
トンファーを握る手に爪が食い込む程の力が籠もる。
「ランディがどれだけ苦しんで、どれだけ葛藤してきたかも知らないくせに」
茶色の瞳から噴き出す激情が一気に沸点を突き破った。
「それはお前が持っていいものじゃない!」
ロイドは銃口が向けられているのを承知で、真正面から唸りを上げて突進した。
轟く銃声をもろともせず、急速に相手との距離を詰める。
弾丸が頬や四肢をかすめ、焼け付く痛みが走ったが気にも留めなかった。
「うおぉぉぉ!!」
相手の懐に潜り込み、間髪を入れずに凄まじい勢いで攻撃を叩き込む。
反撃の隙など一切与えない猛攻は青白い闘気の炎を纏い、牙を突き刺して炸裂した。
耳障りな音と共に模倣擬体の片腕が吹き飛んだ。
激しいダメージを受け、全身のいたるところで火花が爆ぜている。
残った片腕でベルゼルガーを抱え、よろめく身体を支えている姿が炎に巻かれていく。
「ランディの報告通りか」
情報交換の時、彼が言っていた最後と同じだった。
ロイドは肩で息をしながらその光景を見つめる。
彼の姿が失われていく間際、焔に焼かれた翡翠の色と目が合った。
「……あ」
唇が短い言葉を刻み、最後にニヤリと笑った。
立ち上る火柱を見送ったロイドは、力が抜けたように両膝から崩れ落ちた。
武器を持ったままの両手が小刻みに震えている。
「違う。本物じゃないのに」
声は聞こえずとも口の動きで読み取れた。
それは彼らしい簡潔な別れ。本当に彼が言いそうな言葉だった。
「……違う」
ロイドはしばらくその場から立ち上がれなかった。
静けさに包まれた山道を一際強い風が走り抜けた。
その冷たさに押された彼は、ようやく顔を上げた。
「俺、ほんとに情けないな」
少し落ち着いてきたせいか、今まで意識していなかった傷の痛みが蘇る。
「……帰らないと」
早く会いたいと思った。
この目で見て、この手で触れて、大切な存在を確かめたかった。
強い想いに囚われながら、立ち上がって歩き出す。
そんな矢先。
不意に携帯端末の呼び出し音が鳴り響いた。
「──はい、こちらロイ……」
「おい、そっちの状況はどうだ?」
応答に被ってくる声が耳元を通り、一瞬にして心臓が止まりかけた。
「え、あ……」
今、心から欲している人物の声を聞いてしまって動揺を隠せない。
脈打つ鼓動が次第に早くなっていく。
「俺の方は早く片が付いちまってよ。そっちに合流するか?」
「いや……」
それでも何とか冷静になろうと、両目を閉じて呼吸を整える。
「こっちは大丈夫だ。少し遅くなりそうだけど……ランディは先に戻っていてくれ」
誤魔化しきれるとは思わなかったが、震えそうになる声を抑え、極力リーダーらしく振る舞った。
「それじゃ、また後でな」
ロイドは訝しんでいるであろう彼からの追求を恐れ、強引に自分の方から通信を切った。
そして、大きく息を吐き出した。
なけなしの矜持が邪魔をして、喉から手が出るほどの申し出を受け入れられない。
弱音を吐き出したくなかった。
同じ状況でもランディは相手に悟らせないくらい冷静だったのに。
こんなにも余裕がない自分が不甲斐なくて仕方がなかった。
今にも雨が降ってきそうな空だった。
早く会いたいという気持ちよりも、あの声から逃げた後ろめたさが先に立ち、山道を行く歩みは遅い。
けれど、再び強襲を受ける危険は拭いきれず、周囲の警戒は怠らなかった。
そんな中、ロイドはピタリと足を止めた。
「……なんだ?」
何かが近づいてくる気配を感じて、一気に緊張感が高まる。
武器を構えて即座に動ける体勢を整えた。
「その反応……やっぱりな」
聞き慣れた声が上から降ってきて、反射的にその相手を睨み付ける。
「おいおい、見間違うなよ?『俺』の方がはるかにいい男だぜ」
軽い口調と共に、赤い髪の青年が切り立った崖の上から飛び降りてきた。
「ラン……ディ?」
人懐っこい笑みを浮かべたその顔を見て、ロイドは呆然としてしまった。
「お前ってほんと下手すぎ」
あれでは何かあったと言っているようなものだ。
スピーカー越しのやり取りを思い出し、ランディがわざとらしく肩を竦めてみせた。
彼はロイドが合流を断った時、直感的に模倣擬体とやり合ったのではないかと思った。
普段なら二つ返事で申し出を受け入れる場面で、わざわざ距離を置いたのだから。
「な、なんでいるんだよ?」
「ここいらには縁があるからな。ショートカットできる裏道なんていくらでも知ってるぜ」
もっともな疑問を受けて得意げに答えたランディは、ロイドの安否を確認して安堵した。
だが、彼の側へ歩み寄った途端に気色ばむ。
一戦交えたであろうロイドは、もちろん無傷ではなかった。
その傷の負い方を見て、ランディはすぐに戦闘時の状況を把握した。
「ロイド……」
戯けた色は消え失せ、静かな怒気を滲ませて相手の胸ぐらを乱暴に掴む。
「俺は躊躇するなとは言ったが、銃口に向かって突っ込めとは言ってねぇ」
発せられた低い声は、普段の軽さが嘘のように凄みがあった。
突き刺さるような鋭い眼光を受け、ロイドの身体が萎縮する。
ベルゼルガー相手に正面突破など、無謀としか言いようがない。
ランディが怒るのも当然だ。
それでも、あの時のロイドには決して譲れない想いがあった。
「……許せなかった」
軋むほど強く歯を噛みしめ、拳を握る。
「あいつが、あれを持っている姿が!どっちも偽物だと分かってても許せなかった!」
激昂した瞳で真正面から赤毛の青年を睨み返し、叫びにも似た声を上げる。
「ランディとベルゼルガーのことなんて、何一つ知らないくせに!」
感情が高ぶっているせいか目元が潤んでいたが、それでも顔を逸らそうとはしなかった。
束の間、質の違う互いの怒りがぶつかった。
静寂の中で無言のにらみ合いをする。
先に折れたのはランディの方だった。
わずかな吐息と共に、胸ぐらを掴んでいた手を離す。
「ったく、お前ってヤツは」
どこまでも真っ直ぐで熱の籠もった眼差しには、いつだって適わない。
それが強く想われているがゆえのこととなれば、尚更だった。
「分かったから、そんな目で見るなって」
彼は銃弾がかすめたロイドの頬へ、宥めるように唇を寄せた。
驚いて跳ねた身体を抱き寄せ、その頭部を優しく叩く。
(……本物だ)
その心地良い温もりを受けたロイドは、荒ぶっている心が一気に収まっていくのを感じた。
確かめたかった存在が今ここにある。
自分の方からも触れたくて、彼の背中に腕を回そうとした。
だが、その時。
空からポツリと落ちてきた雨粒に邪魔をされてしまった。
「あ~、やっぱり降ってきやがった」
ランディが嫌そうな声で薄暗い空を振り仰ぐ。
「いい加減、早く帰って手当てしないとな」
そう言葉を続け、ゆっくりと抱擁の腕を解いた。
「あ、うん……そうだな」
ロイドにしてみれば、その触れ合いは一瞬に等しかった。
物足りなさを感じてしまい、無意識の内に寂しそうな表情をする。
(仔犬みたいなツラしてんな)
それを見逃さなかったランディは苦笑したが、こんな時に彼をからかうのは酷だろうとも思った。
おもむろに自分の上着を脱ぎ、それをロイドに羽織らせる。
「代わりにこれで我慢しとけ」と言ってやりたい気持ちを抑えて、別の言葉を口にした。
「その身体で雨に濡れるのは良くねぇからな」
本降りになる気配はなさそうだが、雲の隙間からは不規則に雨が落ちてくる。
「これじゃ、ランディの方が濡れるだろ?」
「気にすんなよ。っていうか、帰るまで返却不可なんで」
ロイドはすぐにそう言ったが、上着の主には軽くあしらわれてしまった。
そのことを申し訳ないと思いつつも、密かに胸を撫で下ろす。
(これ……温かいな)
少し大きすぎるけれど、それが逆に包み込まれているという感覚をより強くさせる。
もっと感じていたくて、肩に掛かっているだけの上着を胸元に手繰り寄せた。
離れてしまった優しい腕の代わりを得たロイドは、嬉しげに目を細める。
満たされない寂しさが、ゆっくりと解けていくようだった。
肩を並べて歩く道すがら、ランディがふと口を開いた。
「あー、そうそう。さっきは折れてやったけど、俺はまだ怒ってんだよなぁ」
「え?」
聞こえてきた声は少し硬質で、不安になったロイドの足が止まってしまった。
「無謀なことやってくれた件は……後で『お仕置き』な」
「な、なに言ってんだよ」
不穏な言葉が耳に届き、思わず狼狽えながら後退る。
ランディは自分の上着の色に染まっているロイドを満足げに眺め、逃げる腕を掴んだ。
「今日一日、これでもかってくらいに甘やかしてやるから、覚悟しとけ」
負傷した彼の身体を気遣いながらも、そのまま引っ張って再び歩き出す。
為すがままにされているロイドは、垣間見た恋人の横顔に既視感を覚えた。
状況はまるで違ったが、不敵に口角を吊り上げる様が重なる。
(似てる……でも)
あの時。焔の中で別れを告げる彼を見て、両手の震えが止まらなかった。
けれど、今はその手に確かな温もりがある。
(でも、やっぱり違うんだ)
込み上げてくるものが目の端に滲み、赤い長髪を揺らしている背中がぼやけた。
悟られたら確実にからかわれるだろうと思って、強引に空いてる手でそれを拭う。
そして、ロイドはようやく小さな笑顔を見せた。
沈んでいた空は次第に明るさを帯び、そろそろ雨も上がりそうだった。
2021.04.07
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