それが彼なりの優しさ

 あそこまで全方位にイケメンすぎる男に対しては、嫉妬の感情すらも馬鹿馬鹿しい。

 オクトラディウムの最奥に響いたマリエルの慟哭は、その場にいた誰もの胸を締め付けた。
刹那の邂逅の先に訪れたのは永遠の別れ。
皆が伏し目がちになっている最中、アーロンはちらりとヴァンの様子を覗った。

まるで夕刻の様相を模したような、それでいて幾重もの色調が混ざり合う空間。
人型は淡い光の粒に変化し、緩やかに舞い上がりながら消えていった。
彼はただ一人、その軌跡を辿るように天空を見つめる。
ようやく女神の元へ逝くことができた、その旅立ちを。
葬送の横顔には、一言では言い表せない諸々の感情が混在していた。
悲しみや寂しさ、そして心からの安堵。
ヴァンは込み上げてくるものを抑えるかのように、強く唇を引き結んだ。
その後にほんの少しだけ、どこか泣き出しそうな笑みを浮かべる。
アーロンはその姿から目を離せなくなった。思わず抱きしめたい衝動に駆られる。
しかし、二本の足は床に張り付いたまま微動だにしない。
ヴァンの一人きりの弔いは、ただただ静かなものだった。
そこへ土足で足を踏み入れるような真似はしたくない、彼は素直にそう思った。

 

 学藝祭の初日は滞りなく終了し、特別ステージは素晴らしい盛り上がりをみせた。
この舞台のため、学生たちへの指南をしていたアーロンも満足げだ。
陽が落ちた広場には篝火が焚かれ、達成感と高揚感に満ちた若者たちの顔を赤々と照らし出している。
「まだ初日だってのに最終日の打ち上げみてぇだな」
アーロンは軽く一息とばかりにさり気なくダンスの輪から外れ、それらを浮ついた気分で眺めやっていた。
「……まぁ、悪くはねぇけど」
おもむろに近くの壁へ向かい、背を預けてゆったりと腕を組む。
柔らかく眦を下げた顔は、普段の彼よりも格段に穏やかだった。
弾む声たちは朗らかな笑い声を伴い、心地の良い音量でアーロンの耳元を通り過ぎていく。
視界は一点に留まらず、無造作に広場を見渡していた。
そのせいか、彼はすぐには気付かなかった。
ヴァンが少しばかり疲れた様子で自分の方へ歩いてくるのを。
「はぁ……やれやれ。あいつら、次から次へと……」
溜息交じりの声が近くで聞こえ、アーロンはわずかに目を見開いた。
「──モテまくりで良かったじゃねぇかよ、所長さん」
しかし、すぐに揶揄いを含んだ笑みを披露する。
実際のところ、ヴァンは顔馴染みの女性たちから引く手あまたの状態だった。
そこは人が良くて優しい彼のこと、もちろんダンスの誘いを断るはずはなかった。
「うるせぇ。どうせ弄られてんのは解ってんだよ」
「それなら訂正してやる。みんなに遊んでもらえて良かったな」
「ぐっ……このクソガキが」
この話題では分がないと思ったのか、負け惜しみと共に勢いよく背中を壁へ押し付けた。
男が二人、篝火の輪から外れて夜風から涼を取る。
しばらくの間、どちらからも声を発することはなかった。
数ヶ月ぶりに享受する平穏が、今になってじんわりと胸の奥へ染み入ってくる。

「……良い夜だな」

 不意にヴァンがぼそりと呟いた。
夜が始まった青黒い空を見上げ、点在する星々の煌めきに口元を綻ばせる。
その横顔にアーロンは既視感を覚えた。
誰もが俯く中、一人だけ空を見上げていた男の立ち姿を。

「今度こそ、本当に見送ってやれたんだろ」

クレイユ村で命を散らした時に比べれば。
あいつだって安心して女神の元へ旅立てただろう。
アーロンは消える間際のディンゴの穏やかな表情を思い出していた。
「弔いなら酒でも欲しいとこだが。まぁ、ガキどもの手前な」
「……アーロン、お前」
彼の口振りはヴァンの目を瞬かせた。
オクトラディウムでのことを吐露したつもりはないが、今の心情を的確に読み取られている。
それを踏まえた上での優しい声音。
存外な彼の言動を受け、ほんのりとした嬉しさが胸元を温かくさせていく。
空の星々から視線を外してアーロンの方を見たが、彼の顔は正面を向いたまま、両眼の表面には揺れる炎を映していた。
ヴァンが更に凝視を続ける。
「なんだよ?」
さすがに耐えかねたのか、彼はようやく傍らにいる男を振り仰いだ。
「えっ、あ、あぁ」
だが、ヴァンはほとんど無意識だったらしい。弾かれて声を上げた後、軽く咳払いをしてみせる。
会話の先は何も考えていなかった。
仄かな嬉しさを感じている自分が妙に気恥ずかしくなってきてしまい、誤魔化すようにして話題を捻り出す。
「お前ってさ、ディンゴにはあんまり突っかからなかったよなぁと思って」
「あそこまでイケメンすぎると単純にすげぇ男だなって感じになっちまうだろ?お手上げだぜ」
アーロンは肩を竦めて苦笑した。
彼は潔い青年だ。認めるに値する人物に対しては素直な称賛を口にする。
「確かにな……っつーか、あいつにはまだ貸しが山ほどあったのによ、結局全部返し切れてねぇ」
ヴァンは間髪を入れずに頷いて同意を示した。
しかし、心残りがあると言わんばかりの大きな溜息が続く。
「チッ、てめぇは貸し借りの話になると途端にうざくなるな。あの男はそんなことを気にするタマじゃねぇだろうが」
苦笑交じりの弔いだったはずが、急に湿っぽい空気が漂い始める。
出会った頃に比べれば、ヴァンは周囲の人々を頼ることへの抵抗感が薄らいできている。けれど、彼の生い立ちを考えれば相当に根は深いのだろう。
辟易したアーロンが、やや険のある言葉を投げつけた。
「そ、そりゃ……そうだけどな。俺にも矜持ってもんが……」
それでもヴァンはうじうじと口籠り、挙げ句には困り顔で肩を落としてしまった。
頭では解っているのに心がついてこない。
目線が足元へ落ちると、引きずられるように気持ちも下降しそうになった。
「──おい、ヴァン」
そんな矢先、鋭く名前を呼ばれた。
同時に平手で片頬を叩かれる。
驚いて顎を引き上げると、目の前には至近距離でアーロンが立っていた。
「終いにしろ。あいつへの借りは今夜でチャラだ」
「はぁ?何言ってんだよ」
「兄貴分への手向けなら、そんくらいで丁度良い」
全く予期していなかった物言いをされ、ヴァンが瞠目する。
「お前、意味分かんねぇぞ?そんな屁理屈みたいな」
そんな彼の動揺などお構いなしにアーロンが畳みかけてくる。
「まぁ、どうしても貸しが~とかぬかしてぇなら……他の奴らはどうでもいい。オレの分だけはきっちり返してもらうぜ」
仁王立ちよろしく、腕を組んだ姿勢でニヤリと笑う。
夜目にも鮮やかな金色は怖いくらいに強硬だ。
「今思い出してみるだけでもいくつかあるしな」
わざとらしく指折り数えてみせると、
「お、おい!そんなにいくつもねぇだろうが!」
あまりの強引さに口をパクパクとさせていたヴァンが、反射的に異議を唱えた。
途端、二人の視線が真っ向からぶつかる。
「なんなら、これから増やしてくれてもいいぜ?どうやって返してくれるのかも楽しみだ」
「だから……あぁっ、くそ!聞いちゃいねぇ」
ヴァンはアーロンの強行軍を抑えきれず頭を抱え込んだ。
いつの間にか、低落しつつあった気持ちが浮上したことにも気が付かなかった。

「オレはてめぇの兄貴分とは方向性が違うイケメンなんだよ」

まだ自分を曝け出して周囲を頼りきれないというならそれでもいい。
未練がましい些細な矜持にも付き合ってやる。
そのために、分かりやすい逃げ道を一本だけ用意してやった。

 アーロンの優しさは時に独占的な鋭利さをはらむ。
ただ寄り添っているだけなんて、全くもってこの青年の性格には合わないのだ。
ヴァンの気持ちが俯くのならば、無理矢理にでも引っ張り上げてしまえばいい。
それが彼なりの気遣いの方法だった。

2024.09.22

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