偽ロイドとランディ

【欠けた紛い物】

 どこから視線を感じる。
それはとても好意的とは言えない類いのものだ。
ランディは気づかぬふりをして街道を歩いていたが、やがて足を止めた。
(この気配……似てるな)
わざと舗装された道を逸れ、背の低い草むらを踏み締めながら人々の往来から距離を取る。
少し拓けた場所に出たところで彼は声を発した。
「あいにくと、昨日お熱い夜を過ごしたばかりなんだが」
皮肉交じりに口元を歪めた瞬間、茂みの奥から黒い影が躍り出た。
そのまま突進するかのような勢いで瞬時に距離を詰め、一対のトンファーを振るう。
それはランディにとって見慣れた者の動きだった。
スタンハルバードで容易く受け流すと、間髪入れずに連撃を打ち込んでくる。
「はっ、随分と熱烈なラブコールじゃねぇかよ。ロイドくん」
小回りの利く武器で懐に潜り込まれるのは厄介だが、ランディは涼しい顔で軽口を叩きながら、僅かな隙を突いて自分の獲物を大きく振り払った。
その重い衝撃波が真正面からロイドに直撃した。
だが、咄嗟に防御の態勢を取っていた彼は、土煙を上げて後退しながらも倒れ込むことはなかった。
粉塵の中、顔の前で交差させたトンファーの隙間から鋭い眼光を覗かせている。
「おい、おい、怖い顔しやがって」
相手との距離ができたことで、ランディは改めてその姿を観察した。
やはり姿形も立ち振る舞いも寸分違わない。
戦闘中の動作や癖も完全に同じだ。
今まで情報として脳内にあった模倣擬体という存在が、目の前に実体としてある。
しかも、あろうことか彼の大切な人物の容姿を纏って。

 昨夜、腕の中に囲って睦言を囁いた。
乱れた吐息と火照った身体の感触がまざまざと蘇る。
久しぶりだったせいか、抑えが効かなくなりそうだった。
無意識で素肌に甘噛みの痕を散らし、朝になってから起きがけに怒られた。
「見える所につけるな」と。

 静かに、ランディの瞳に怒気が揺らめいた。武器を握る両手に力が籠もる。
「……足りねぇな。この出来損ないが!」
感情を乗せた言葉と共に相手へと肉迫し、強烈な一撃を放つ。
纏わりつく赤い闘気が地面を伝い、勢いよく爆ぜた。
ロイドが一瞬ひるんだのを見逃さず、すぐさま追撃を繰り出す。
防戦するトンファーと交わり、金属が擦れる耳障りな音が響いた。
「あいつの打撃は重くてバカみたいに熱い。そんなんでガワだけ使うんじゃねぇよ」
ランディは敵意も露わな茶色の眼を至近距離で捉え、襟元から覗く肌を一瞥してから冷笑した。
そのまま力任せに相手を押し切り、強引に吹き飛ばす。
「俺は紛い物に同情するほど優しい男でもないんでな」
よろめきながら立ち上がるロイドに、冷徹で容赦のない一撃が振り下ろされた。

 黒焦げになった地面には未だ煙が燻っている。
一切の物証を残さない身体なのだろうか。
彼は損傷した部位から発火し、高温の炎に巻かれて跡形もなく全てが消え失せた。
「……くそっ、後味悪すぎんだろうが」
しばらくその痕跡を見ていたランディは、頭を振りながら吐き捨てるように言った。
それから無言で周囲の様子を確認し、ようやくその場から離れる気になった。
これ以上ここに留まっていても得られる情報はないだろう。
さっき来た道を戻りながら街道へ向かう足は軽快とは言い難い。
掻き乱された感情を宥める最中、燃えさかる炎の中に立つロイドの姿がチラついた。
「あいつは……違う」
ランディはポケットの中からARCUSⅡを取り出した。
頭では分かっているのに、『本物』を確認したくなる。
回線を繋ぐと、程なくして欲していたものが聞こえてきた。
「ランディ、どうしたんだ?」
偵察中の仲間からの通信とあって、ロイドの声は少し硬い。
けれど、それだけでもランディの心を浮上させるには十分だった。
自然と口元が緩む。
「なんかお前の声聞きたくなっちまってさぁ」
「なんだよ、それ。何かあったんじゃないのか?」
訝しむ相手にいつもの調子が戻ってきた。
「お前の幻なら見たぜ。いやぁ、昨日の夜が激しすぎて余韻が抜けないんだよな~」
「バ、バカ!何言ってんだよ!!」
スピーカー越しにロイドの動揺が伝わってきて、今どんな顔をしているのかが容易に想像できた。
「気が緩みすぎだぞ。真面目にやれって」
「真面目も大真面目だぜ、こっちは」
小さな溜息が聞こえてきて、ランディは苦笑する。
草を踏み締める音が次第に小さくなり、綺麗に舗装された街道に出る手前で彼は足を止めた。
ふと、来た道を振り返る。
「帰ったら口直ししたいくらいにはな」
遠くで微かに立ち上る煙が見えた。
それを見つめる瞳からは軽妙さが消え、不快げな色の影が差し込んでいた。

 

 

【単純な男】

 ロイドがそれを聞いたのは、仲間内で情報交換をしている時だった。
驚いてランディの方を見たが、彼は淡々とした口調で模倣擬体と一戦交えた時の様子を語った。
(……なんでだよ?)
自分の偽物が存在した事実よりも、それを『今』知ったことの方がショックだった。
解散後。
いつもなら仲間たちと雑談の一つでもしていく赤毛の青年は、足早にその場を後にしてしまった。
ロイドは慌てて彼を追いかける。
「ランディ!待てよ!」
強い調子で呼び止めると、長身の身体が振り返った。
「ほんと分かりやすいヤツだよな」
ランディは明らかに怒っている同僚の顔を見て口角を歪めた。
「なんで、あの時言ってくれなかったんだ?」
「は?言っただろ?」
「幻なんてふざけたこと……実際にやり合ったくせに」
ロイドは強く拳を握りしめ、平然とあしらってくる相手を睨み付けた。
なぜ、そんな重大なことをすぐに言ってくれなかったのか?と。
そんなに信用がないのか?と
突き刺さるような視線は、まるで責めているかのようだった。
「どうせ情報交換するのが分かってるんだから、その時でいいだろ」
居心地の悪さを感じたランディは、再び背を向けた。
「……そう何度も話したい話題じゃないんでな」
低くなった声と共に立ち去ろうとする。

 その言葉を聞いた瞬間、ロイドは横っ面を張られたような気がした。
少しずつ遠退いていく姿に、あの時の問答を思い出す。
いつもの軽い調子だったから何も疑わなかった。
今考えれば、ランディが連絡を入れてきたこと自体を注視しなくてはいけなかったのに。
普段の言動はともかく、彼は偵察中に通信を使ってまで恋人の顔をするような男ではない。
どうして、それに違和感を覚えなかったのだろうか?
今更ながら、彼の心情を察してあげられなかった自分が嫌になってくる。
「俺……ほんとダメだな」
大きく息を吐き、距離ができてしまった不機嫌そうな後ろ姿に目をやる。
きっと、呼び止めてもさっきのように振り返ってはくれないだろう。
かといって、こんな状態のまま離れたくはなかった。
「──ランディ!」
地を蹴る足に力が籠もった。
その気配を感じているのに無視をする背中へ手を伸ばし、衣服を掴んで強引に動きを止める。
「おい、なにやって……」
ランディは呆れた様子で背後へ首を向けようとしたが、それよりも早くロイドに背中から抱き付かれ、一瞬にして身体が硬直した。
密着してくる体温が布越しに伝わってきてほのかに温かい。
脈打つ鼓動がわずかな振動を起こして背筋を這った。
「……ごめん、気付いてあげられなくて」
束縛の力が少しだけ強まり、それと同時に沈んだ声が唇から落ちた。
不甲斐なさを噛みしめて、ギュッと両目を閉じる。
「そりゃぁ、当然だろ?わざと勘繰られないように言ったんだからな」
だが、それに対して謝る必要はないと言外に滲ませたランディの表情は柔らかかった。
ふと、スピーカ越しのやり取りを思い出す。
あの時、声を聞いただけで心が浮上した。
今は身体の温もりを感じて、ざらついた感情が解けていく。
不愉快な出来事を頭の隅に追いやることは、意外にも簡単だったらしい。
「認めたくはねぇが……俺も案外、単純な男だったってわけかよ」
ランディは胸に回されたロイドの手を握りしめ、一つ呟いた。
恋人の一挙一動で面白いくらいに気分が変わる。
そんな自分が可笑しくて堪らなかった。

 

 

【幼稚な口直し】

 青空の中に流れる雲をぼんやりと見上げる。
木々の隙間からは鳥たちの囀りが聞こえ、長閑な時間が流れていた。
「……なぁ、さすがにこれはないんじゃないか?」
立て膝で座っているロイドの視線は、どこか遠くを彷徨っている。
横たえている方の太股に頭部の重みがかかり、まともに顔を見るのはどうにも気恥ずかしかった。
「ありだ、あり。つれねぇな~、ロイドくんは」
「はぁ~、まったく。ひと眠りしたいなら普通に寝ろよ」
こめかみに手をやり、大きな溜息を吐く。
ランディは夜間にも偵察任務が入っており、仮眠を取るつもりのようだった。
本音としてはまだ側にいたい気分のロイドだったが、邪魔をするのも悪いと思い身を引こうとしたのだが。
なぜか、いきなり「枕を貸せ」と言われた。
それから強引に腕を引っ張られ、あれよあれよという間に膝枕状態にされてしまった。
「俺はどこでも寝れるから、気にすんなって」
「こっちが気にするんだよ。そもそも、俺の足が痺れるのはどうでもいいんだな?」
話している内にこの状況に慣れてきたのか、ロイドはようやく眼下の顔と向かい合った。
「そこまで長くねぇよ。お前も色々と忙しいだろうしな」
それが嬉しくて、ランディの表情が自然と柔和になる。
常日頃から仲間たちの中心を担う彼の負担を慮り、そんな言葉が口をつく。
それを聞いたロイドは、何度か目を瞬かせた。
この不本意な現状を受け、少しは棘のある語句でも重ねてやろうかという中で、優しい声が耳を打つ。
(俺のことより……甘えたいのはそっちじゃないのか?)
わざわざこんな行動を起こしているのだから、模倣擬体のことについては完全に気持ちが浮上したわけではないのだろう。
そう思ったら、勝手に空いている手が動いてしまった。
足の上に乗っている赤い頭を遠慮がちに撫でてみる。
「ははっ、なんだよ。ガキ扱いか?」
ランディは一瞬ひどく驚いたようだったが、すぐに声を立てて笑った。
「その……嫌だったか?」
「まさか。珍しいこともあるもんだと思ってな」
引っ込めようとしている手首を掴んで、そのままでいいと態度で示す。
再び視線を泳がせ始めた顔を見上げ、そこから首を辿って襟元の肌に散る赤い痕跡を盗み見た。

──今、ここに在る。

何よりも確かなものを手に入れたランディは、満足げに目を閉じた。

2021.03.04
2021.03.10

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