休日の遊び方

 最近、特務支援課のビルは閑散としていることが多い。
教団の事件で知名度も上がり、活動を再開してからは様々な支援要請が舞い込んでくるようになった。
オペレーターであるフランが調整して割り振ってくれているが、多忙なことには変わりなく、彼らは日々クロスベル中を飛び回っている。
そんな中、今日は久しぶりの休日だ。
ビルの一階では、女性たちの声が楽しげな空間を作り出している。
「お、もう出かけるのか?」
そこへ台所からランディがひょっこりと顔を出した。
本日の朝食当番だった彼は、後片付けをしている最中だった。
「そうね。色々と見て回りたいし」
それに応じたエリィが口元を綻ばせる。
支援課の女性陣はキーアを連れて百貨店へ買い物に行く予定だ。
「後でソフィーユのジェラートが食べたいです」
「あ、あそこの美味しいですよね。フランが大好きなんですよ」
ティオが遠慮がちに少しだけ声を弾ませると、ノエルが頷きながらこの場にいない妹のことを思い浮かべた。
ちなみフランは仕事があって今日は参加できない。
「ねーねー、ノエル。昨日フランがお昼休みに抜け出してくるって言ってたよ」
「えっ?もうっ、あの子ってば」
ノエルはキーアからの情報に驚いたが、怒るよりも呆れるといった様子で大きな溜息を吐いた。
そんな彼女たちのやり取りをランディは目元を緩めて眺めやる。
「いや~、平和だねぇ」
つい独りごちると、いきなり後ろからどつかれた。
「こら、さぼるな」
後片付けを手伝ってくれているロイドが睨んでくる。
「はい、はい。お嬢たち出かけるってよ」
「あれ、もうそんな時間?」
それをあしらってランディが話を振ると、ロイドはすぐに態度を一変させて台所から出てきた。
「あ、ロイド~!キーアたちお買い物に行ってくるね~!」
彼の姿を見つけた少女が、目を輝かせながら元気よくその場で飛び跳ねる。
「ははっ、いってらっしゃい」
そんな元気な姿につられ、ロイドは満面の笑顔で小さく手を振りながら彼女らを見送った。

 台所に戻った二人は、手際よく片付けを進めながら何気ない会話を交わしていた。
「そう言えば、ワジはもう出かけたのかな?」
「飯食った後、さっさと行っちまったぞ」
「課長は外せない会議があるとかで休み取れなかったんだよな」
「ま、いいんじゃねーの?普段から休んでるようなもんだし」
折角の休日だというのに皆のことを気にかけてしまうロイドに、ランディは軽い調子で応答した。
リーダーとして真面目なのは彼の長所だが、今日くらいは気を抜いてほしいと思う。
「そんなことより、お前も出かけるんだろ?」
「ん~、なんかエニグマの調子が悪いからウェンディに見てもらおうかと思ってさ」
そんな意味も込めて話題をロイド自身のことへ向けると、彼は眉を寄せて天井を見上げた。
「ウェンディちゃんにスパナとかで殴られそうだな。もっと大事に扱えとか言われて」
「……ありえそうで怖いんだけど」
ランディの言葉はやけに信憑性があってロイドは苦笑した。
けれど、相手が幼馴染みのせいか深刻さはなく、明るい色を浮かべている。
「あ、そうだ。外に出るなら『あれ』買ってきてくれよ」
それに気を良くしたランディが思い出したかのように言うと、ロイドは少しの間を置いてから瞠目した。
「『あれ』って……っ、ランディ!」
「今日、発売日なんだよな」
「なんで俺が買ってこなくちゃいけないんだよ。どうせ外出するんだろ?」
冷ややかな視線の中にも、どこか恥ずかしげな顔が見え隠れしている。
『あれ』で通じてしまうあたり、ランディの愛読書であるグラビア雑誌のお使いは初めてではないのだろう。
「冷たいこと言うなって。後で貸してやるから」
「見るわけないだろ!!」
ケラケラと笑う年長の同僚に対し、ロイドは赤面しながら声を荒げてしまった。

 

 朝食の片付けが済んだロイドは、軽く身支度を整えて玄関先から外へ出た。
今日は朝から好天に恵まれたおかげか人々の出足が早いようだ。
中央広場はすでに賑わっていて、活気のある風景が広がっている。
それらを目に映すロイドの表情が柔らかくなった。
多忙な中での貴重な休日だと思えば、自然と気持ちも解れていく。
「さて……と」
彼はしばらくその街並みを堪能していたが、やがて目的の場所である派手な看板に目をやった。
遠目からでも認識できるそれは、中央広場の中でも一際目立っている。
慣れた様子で店内に入ると、すぐに気が付いたウェンディがカウンター越しに声をかけてきた。
「ロイド、今日は一人?珍しいね」
「ああ、久しぶりに休日なんだ」
ロイドはそう答え、ここに来た理由を説明しながらエニグマをカウンターの上に置いた。
「まさか、壊したんじゃないでしょうね?」
案の定、ウェンディの目つきが怖くなっている。
「そ、そんなに乱暴には扱ってないはずだけど……」
思わず腰が引けてしまロイドだったが、彼女はそれに目もくれずにエニグマのカバーを開けた。
(はぁ、殴られずに済みそうかな)
彼女の意識はすでにエニグマの方へ向いているようで、ホッと胸を撫で下ろす。
ウェンディは繊細な手つきで中身を分解し、各部品のチェックを始めた。
ロイドはそれを興味深げに眺め、彼女と会話をしつつ時間を過ごす。
遠慮のない幼馴染みとのやり取りは、久しぶりに楽しいものとなった。

 エニグマの調整が終わって店を出る頃には、太陽が頭上に昇る時間帯になっていた。
昼食の予定は特に決めていなかったが、ウェンディと会ったせいかもう一人の幼馴染みの顔も見たくなり、西通りへ向かうことにした。
香ばしいパンの匂いが漂ってくる店のドアを開けると、爽やかな笑顔が出迎えてくれた。
「よっ、今日は一人か?」
「ウェンディにも同じこと言われたよ」
幼馴染みたちに同じ反応をされ、ロイドは笑いながら肩を竦めてみせた。
ゲンテンに立ち寄ったことを言うと、
「殴られなくてよかったな。あいつその手のことになると見境ないし」
彼は腕を組んで無駄に何度も頷いてくれた。同性同士、何か通じるものがあるのかもしれない。
「ところで、昼飯か?だったらこの辺がおすすめだぞ」
ひとしきり言葉を交わした後、オスカーがトレーの一画を指差した。
「ちょっと改良してみたんだ。これとこれもどうだ?」
パン職人一筋なオスカーだが、なかなかに商売上手な一面もあるようだ。
「今日は天気も良いし、たまには外で食べていくのもいいんじゃないか?」
さらにはそんな提案をされ、ロイドは可笑しげに頷いた。

 

 外での食事は開放的で良い気分展開にもなる。
ロイドはオスカーに勧められたパンを頬張りながら満足げな顔をした。
「う~ん、やっぱりここのパンは美味いな」
一緒に注文した搾りたてのオレンジジュースも新鮮な味わいだ。
「二人とも相変わらずだったなぁ」
年を経ても変わることのない幼馴染みたちとの関係は、大切な心の支えの一部でもある。
急速に変化していく環境の中にあって、それはとても貴重なものだ。
ロイドはふと、テーブルの端に置いた紙袋に目をやった。
いつの間にか、彼らとは違う形での支えが胸の中に住み着いている。
「ちょっと甘やかしすぎかも」
紙袋の中にはランディ御用達のグラビア雑誌が入っている。
ゲンテンを出て西通りに向かう途中で買ったものだ。
断り切れずに頼まれてしまったが、そもそもランディはそれを分かっていて声をかけてくるので、少し悔しくもある。
「今度は絶対断ってやるからな」
そんな風に彼のことを考えながら食事を続けている中、

「あれ?おにいさん、久しぶりだねぇ」

快活な少女の声が降ってきた。
昼食中の青年を見下ろしている大きな瞳は興味深げに輝き、そして『彼』と同じ鮮やかな赤い髪。
「き、君は!?」
ロイドの顔が一瞬にして気色ばんだ。
全身に緊張が走り、食事の手が止まる。
だが、
「あははっ、そんな怖い顔しないでよ。シャーリィはぶらぶらしてるだけだから」
すぐに少女の方が張り詰めた空気を遮断した。
そして、軽やかな身ごなしでロイドの向かいにある椅子へと座る。
「何か用か?」
まさかの展開で、ロイドの手にじわりと汗が滲む。
戦鬼シグムントと共に赤い星座の中心にいる彼女は、最高レベルの危険人物だ。
今は表立った動きを見せていないが、油断はできない。
「別に~。ちょっと見かけたから声をかけただけだよ」
シャーリィはそう言いながらトレーの上にある香ばしいパンに目を留め、
「あ、それ美味しそうだね」
などと許可を得ずに食べ始めてしまった。
(う、う~ん……奔放な子だな)
そんな少女の言動をロイドは無言で観察する。
以前ランディが、「街中を歩いてるくらいだったら害はないだろうけどな」と言っていたのを思い出し、少し肩の力を抜いてみることにした。
「ここのパンって、雑誌に載ってたんだよねぇ。だから気になっててさ」
シャーリィは小動物のように忙しなくパンを頬張っていたが、ふとロイドの方を見て動きを止めた。
「あっ……おにいさんさぁ、ランディ兄と凄く仲がいいみたいだね」
「──え?」
まるでどこかで見ていたかのような言葉にロイドは身を固くした。
(な、なんで?)
さっきとは別の意味で緊張感が増し、思わず目の前の少女を凝視する。
急に喉の奥が張り付くような感覚がして、飲みかけのオレンジジュースをストローで勢いよく啜った。
その直後、
「だって、ランディ兄の匂いがする」
シャーリィの口から衝撃的な言葉が飛び出した。
「い、今っ、なん……て!?」
ロイドはジュースを吹き出しそうになるのを何とか堪えたが、逆にむせ返ってしまって涙目になる。
「それくらい一緒にいるってことだよね。あ、そっか~」
顔が赤いのは苦しいからか、それとも図星だったからか。
明らかに動揺している青年を見て、シャーリィは直感的に二人の関係性を察したようだった。
「おにいさんって凄いねぇ。あのランディ兄を捕まえちゃうなんて」
からかうわけでもなく、心底感心している様子でまじまじとロイドを見つめている。
「勝手に納得しないでくれ」
ロイドが呼吸を整えながら言い返したが、それを無視して彼女は言葉を続けた。
「今はなんか腐抜けちゃってるけど、前のランディ兄はかっこよかったし、言い寄ってくるヤツとかいっぱいたんだよ」
パンを丸々一個食べ終え、今度はロイドが持っていたオレンジジュースを奪って遠慮なく飲み始める。
「そういうのは相手にしないくせに、ナンパばっかりしてたけどさ」
その頃のことを思い出しているのか、シャーリィはどこか懐かしげに目を細めた。
そんな姿を少し意外に感じ、ロイドは彼女の声に耳を傾けてしまっていた。
「あのナンパ癖は昔からか」
つい独り言のような呟きを発し、それが聞こえた赤毛の少女は声を立てて笑った。
「シャーリィの言ってること信じちゃうんだ?おにいさんってやっぱり面白いね!」
それから残りのジュースを一気に飲み干して、跳ねるように席を立つ。
「もっと話していたいけど、そろそろ行かなくちゃ」
一見普通の少女だがそこはやはり百戦錬磨の猟兵で、全く隙のない動作だった。
「じゃあ、またね!ランディ兄によろしく~」

 まさに台風一過だった。
再び一人になったロイドはテーブルに片肘をつき、その手で顔を覆いながら大きく息を吐いた。
「はぁ~、まいったな」
ランディの言っていた通り、害はなかった。なかったのだが。
さっきのやり取りを思い出せば自然と顔が熱くなる。
あの動物的な感覚は猟兵だからというよりも、彼女特有のものような気がした。
「思いっきり食い逃げされたし」
ドッと疲れが押し寄せてきて怒る気にもならない。
昼食を終えたら帰ろうと思っていたが、気持ちの収拾が付くまで椅子から立ち上がれそうになかった。

 

 それから三十分ほどして、ロイドはようやく重い腰を上げた。
気分転換にこのまま街中をぶらつくのも悪くないが、この紙袋を片手にしているとどうにも落ち着かない。
昼下がりでのんびりとした雰囲気の西通りを歩き、裏口から特務支援課のビルへ戻ってきた。
念のため一階へ顔を出したが、まだ誰も帰ってきていないようだ。
「……ランディはさすがにもう出かけたよな」
遊び好きな彼が、この貴重な休日を無駄にするとは思えない。
きっと昼飯がてら外出しただろうと、強引に決めつけてしまいたくなる。
正直、今は会いたくなかった。
やっと落ち着いた熱がぶり返してきそうな気がする。
そもそも、真面目なロイドには頼まれごとを後回しにするという考えがなかった。
不在ならともかく、居るのであればすぐに渡すのが当たり前だ。
 階段を上り二階の廊下へ足を踏み入れると、微かに音楽が流れてきた。
それは落ち着いた雰囲気のある曲調だ。
この階で音楽が聞こえてくる場所といえば、ジュークボックスがある彼の部屋の可能性が高い。
「嘘だろ……?」
ロイドは思わず天井を仰ぎ見た。
一体どこで行動選択を間違えたのだろう?
随分と巡り合わせの悪い休日だ。

 

 意を決して、音が漏れてくるドアの前に立つ。
深呼吸を繰り返してからノックをすると、中から聞き慣れた声が返ってきた。
「まだ出かけないのか?」
部屋に入って早々、そんな言葉が口をつく。
「ん~、これ終わったらな」
ランディはソファーに座って武器の手入れを行っていた。
「重力変換ユニットまで手付けてたら、時間くっちまってさ」
久しぶりにまとまった時間が取れるとあって、気分がのってしまったのだろうか。
自分の獲物を見つめる瞳が楽しげな表情をしている。
ロイドはそんな同僚の側に歩み寄り、紙袋を差し出した。
「これ。次は自分で買いに行けよな」
「おっ、ありがとよ。今度飯でもおごるぜ」
抗議の意味も込めて膨れっ面で睨んでみたが、全く効果はない。
ランディは小さく笑いながら作業の手を止め、それを受け取ろうとした。
その瞬間、互いの指先が触れる。
「──っ!?」
ロイドは反射的に手を引っ込めてしまった。

『ランディ兄の匂いがする』

 同時にシャーリィの言葉が脳裏に浮かび、一気に熱が蘇った。
「ロイド?」
様子がおかしいこと訝しんだランディが彼を見上げるも、視線は噛み合わない。
「な、なんでもない」
ロイドはぎこちなく笑ったが、そこまでが限界だった。
これ以上はこの部屋にいられそうもなくて、ランディに背を向ける。
「えっと……ごめん。もう行くから」
無言で出て行くのは失礼だろうと思い、何とか声を出してドアノブに手をかける。
だが、
ドアを開ける寸手の所で、音もなく後ろから手首を掴まれた。
「えっ?」
一連の動作には全く気配が感じられず、完全な不意打ちだった。
「それ、なんでもないって態度じゃないよな」
驚きで心臓が止まりかけたロイドへ静かな声が降りそそぐ。
少し上からの視線と共に、赤い髪が彼の耳の横を掠めて落ちてきた。
「別に、ランディが気にすることじゃない」
そのわずかな感触ですら耐えきれずに強く目を瞑ると、今度は背後から胴体に腕を回されて強引に後ろへ引きずられ始めた。
「な、なにしてるんだよ!?」
「まともに誤魔化せたこともないくせに、どの口が言ってんだか」
ロイドは必死に抵抗したが体格で勝るランディには適わず、ソファーの上に投げ出されてしまった。
「いっ……た」
「そんじゃ、白状してもらおうかねぇ」
ランディは頭をさすっているロイドの横に腰を下ろし、唇の端を吊り上げる。
相手を部屋の窓側に放り込み、自分はドアの近くを抑えているあたり、逃がすつもりは毛頭ないのだろう。
それはロイドにも分かるくらいのはっきりとした意思表示だ。
(あぁ、もう……俺のバカ)
あの時、背を向けた勢いのまま部屋を飛び出してしまえばよかった。
そう思わずにはいられなかった。

 

 観念したロイドは、渋々とシャーリィに遭遇したことを告げた。
その名前を聞いた瞬間、ランディの眼光が鋭くなった。
「あいつ、何考えてやがる」
警戒心が剥き出しの牙を隠そうともせずに声が低くなる。
「お前、何もされてないだろうな?」
「大丈夫。普通に話してただけだから」
ロイドは彼を安心させようと微笑したが、すぐに足元に視線を落とした。
「でもさ、その……気づかれちゃって」
言い淀む顔が恥ずかしげな表情を浮かべる。
どこまでを伝えるべきか悩んだが、シャーリィの方から話を振ってくる可能性も考えれば、隠しておくのは得策ではないだろうと思った。
「あー、なるほどね。そういうことか」
そんなロイドを見たランディは、彼の言いたいことをすぐに読み取った。
「妙に勘が良いからな、あいつ。獣みたいっつーか」
その内容は危険とは程遠く、自然と剣呑になっていた心が和らいでいく。
「ま、お前も何かツッコまれて動揺しまくったんだろ?」
「うっ……」
その光景が易々と想像できる。
ランディは喉の奥で笑ったが、それを加味してもロイドの態度には首を傾げるものがあった。
そうして、改めて反芻してみる。
最初に彼がこの部屋に入ってきた時、特に違和感はなかった。
グラビア雑誌のせいでご機嫌斜めなのは毎度のことだ。
態度が急変したのは、それを受け取った直後。
ほんの一瞬、指が微かに触れた。
この程度の接触など日常茶飯事だというのに、過敏に反応した姿からは羞恥の色が滲んで見えた。
それは同僚としての顔ではなく、恋人としての顔だ。
(あいつに何言われたか知らねぇけど……意識してんな)
随分とウブな反応をしてくれたせいで、愛おしさも相まって身体の奥にじわりと火が灯る。
情欲に侵食され始めた腕が何のためらいもなくロイドの方へ伸びた。

「あんまり思わせぶりなことするなよ?それとも試してんの?」

 まだ、この部屋で一度もまともに顔を見ていない。
伸ばした腕の先が背けられた顔を捕まえ、強引に向かい合わせる。
「た、試すって、なにを?」
意図せず相手を直視してしまったロイドは、目を丸くしながら声を絞り出した。
戯けのない眼差しを受けて胸の鼓動が速くなる。
「だから……俺がお前の誘いを蹴って遊びに出て行くかどうかってこと」
「なんでそうなるんだよ!?大体、誘ってないし!」
ロイドはこの翡翠色が苦手だった。
いつもは軽妙で気さくな瞳は、なんの予兆もなく急に落ち着き払った男の顔をする。
その中に見え隠れする静かな熱情が身体に纏わり付くようだった。
逸らしたくても身体がうまく動かない。
耳から顎のラインをなぞる指先がやたらと優しくて、肌がざわめいた。
「俺に構ってないでさっさと行けよ」
それでも精一杯の強気で睨み付けると、ランディは意地悪げに両眼を細めた。
「お前、それ本気?」
ロイドの両肩を掴んでソファーに身体を押しつけ、乗りかかった。
二人分の重みを受けて軋む音がやけに耳につく。
ジュークボックスから流れていた音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
ランディは答えを聞きたいわけではなく、ロイドの唇を自分のそれで塞いだ。
久しぶりに味わう感触が気持ちよくて心が躍る。
こんなキス一つですら慣れる様子のない恋人を追い込みたくなった。
戸惑って逃げる舌先を捕らえて執拗に絡ませる。
角度を変える度に深まる交わりが、静かな部屋に濡れた音を響かせた。
「……っ、まっ……て」
湿った吐息の隙間でロイドが声を乱す。
この場では一枚も二枚も上手な年上の恋人に為す術もなく、熱っぽく潤んだ瞳を向けた。
「なに?ベッド行く?」
訴えかけるような視線を察したランディが尋ねるも声はない。
ただ、汗ばんだ手が彼の衣服を握りしめてきた。

 

 久しぶりの休日だというのに、ままならないことだらけだ。
ロイドは煽られて火照った身体を持て余し、ベッドに組み敷いてくる相手へと腕を伸ばした。
それを掴んだランディが嬉しそうに指先へ舌を這わせてくる。
「なぁ、ロイド。今日は俺と遊ぼうな」
彼はまるで子供にでも言うように、けれどもそれには不釣り合いな色情めいた声を静寂の部屋に響かせた。

 

2020.08.22

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