眠りの特効薬は誰のため?

 町に戻った頃には夕暮れの空だった。
ロイドたちはマインツ方面の支援要請を数件を受け、それらをこなしていた。
特に困難な内容ではなかったが、山道を歩き回ったり魔獣退治をしたりと、体力を使ったのは確かだ。
町長に報告をしに行った際、彼はロイドたちの身体を気遣い、ここで一泊することを勧めてくれた。
 夕食後の穏やかな一時。
ロイドが部屋に入ると、赤毛の同僚がベッドの上で武器の手入れをしていた。
「なんだ、やっぱり払ってきたのか?」
「さすがにタダで宿泊するのはどうかと思ってさ」
「そうかぁ?うちのリーダーは真面目だねぇ」
申し訳なさそうな顔をするロイドを見て、ランディは肩を竦めてみせる。
マインツの町長は無償で一晩の宿を提供してくれた。
最初はその好意をありがたく受け取ったロイドだったのだが、その性格ゆえか次第に気になってしまったようだった。
もしかしたら、夕食の最中も色々と葛藤していたのかもしれない。
「──ふぅ」
ロイドは小さな息を漏らしながら空いているベッドへ腰を下ろした。
「疲れてんなら、さっさと寝ろよ?」
ベッドは横に二つ並んでいて、自ずと彼らは向かい合う状態になる。
ランディは作業の手を止めて少し心配げに目を細めた。
「え?あぁ、別にそこまでってわけじゃない。俺よりエリィとティオの方が疲れるだろうしな」
思わぬ優しさに一瞬驚いたロイドだったが、すぐに壁へ視線を向けた。
隣の部屋は女性陣に割り振られている。
山道を歩き回ったせいできっと疲労も溜まっているだろうし、すでに寝入っているかもしれなかった。
「ま、俺らの方がへばってたら情けなさすぎだろ」
「それは確かに」
彼女たちより体力的に劣るのは、さすがに恥ずかしい。
就寝前にちょっとした矜持を共有する二人だった。

 

 町全体が寝静まっている真夜中、ロイドはふと目を覚ましてしまった。
(──あれ?)
まだ就寝してから数時間も経っていない。
いつも朝までぐっすり寝入っている彼にしてみれば、珍しいことだ。
しばらく天井を見つめた後、ゆっくりと上半身を起こして辺りの様子を確認する。
隣のベッドで眠っている同僚に目をやり、密かに頬を緩ませた。
ここしばらくは忙しかったせいもあって、彼の寝顔を見るのも久しぶりだ。
このまま見つめていたいという欲求に駆られたが、明日のことを考えれば早々に寝直すべきだろう。
そんな風に思いながら渋々と毛布の中に潜り込もうとすると、

「……なんだ、見てただけ?」

眠っているはずの青年の声が聞こえてきた。
「ラ、ランディ!?」
ロイドは心臓が飛び出るくらい驚いた。
声と同時に勢いよく身体を起こす。
辛うじて相手の名前を発したが、それ以上は言葉にならなかった。
薄暗い中で隣のベッドに顔を向けると、寝ぼけているようには見えない両眼が可笑しげに笑っていた。
「お、起きて……って、あ、起こしちゃったか?」
「いや~、お前の熱い視線を感じちゃってさぁ」
忙しない胸の鼓動を抑えながらロイドが口を開くと、向こう側から軟派な応答が返ってくる。
ランディは身体を横たえたまま、片肘をついて僅かに上げた頭を支えていた。
寝乱れた赤い髪のせいでどこか気怠げな様子にも見える。
「言っとくけど、熱くもなんともないからな」
暗い部屋に感化されて一瞬ドキリとしたロイドだったが、すぐに口元を引き締めて取り繕った。
それよりも、やはり相手の睡眠を妨げてしまったのだという思いが先に立ち、申し訳なさそうな顔をする。
「ごめん。やっぱり起こしちゃったみたいだな」
「あのなぁ、そんなの今更だろうが。俺の眠りが浅いってのは知ってるだろ?」
「それはそうだけど……」
ランディは気にも留めていなかったが、ロイドの方は口籠もりながら視線をさまよわせてしまう。
元々、この赤毛の青年は熟睡することの方が珍しかった。
長年の猟兵生活の中、浅く短時間の睡眠でも効率的に疲労を軽減できる体質になっている。
そして、眠っている最中でさえ周囲の気配には敏感だ。
苛烈な戦場に身を置いていれば、例え休息中であっても油断はできない。
隙を見せて寝首を掻かれてからでは遅いのだ。
そんな血生臭い場所を離れた今でも、そこで染み付いたものが消えることはなかった。
きっと死ぬまで一生つきまとうのだろう。
(ま、別に大したことじゃねぇよな)
そのことに対して、ランディは特別に暗い感情を宿しているわけではなかった。
今まではそれが普通だったし、特に困ってもいない。
だから、ロイドがそこまで気にしていることが不思議だった。

「それがランディの当たり前なのは分かってるよ。けど、少しでも安心して眠って欲しいから」

 二人きりの夜の中で優しい声が響く。
ロイドの言葉はいつだって何の淀みもなく、偽りもない。
その温かい心根はもちろん嬉しかったが、同時にどう反応するべきなのかとランディは悩んだ。
彼自身が睡眠について無頓着なせいもあり、なかなか上手い言葉が探し出せないのも仕方がなかった。
「あー、ごめん。やっぱり今のは独り言」
その沈黙に相手の心情を察したのか、ロイドは一度頭を振った。
自分の気持ちを押し付けてしまっていたことに気づき、後悔の念がよぎる。
「ほんと……ごめん」
今夜は謝罪の言葉ばかりが口から零れ落ちる。
居たたまれなくなった彼は、ベッドに身体を戻して毛布の中に潜り込んでしまった。
「お前なぁ、気にしてくれてんのに謝る必要ないだろうが」
ランディは落ち込んでいる相手を浮上させようとするが、応答はない。
それどころか背中を向けられてしまった。
「ロイド~。お前がそんなだと、お兄さん寂しくて余計に眠れなくなるんだけど」
今度は少し軽い調子で言ってみる。
丸まった身体がピクリと動いた。
「明日、俺が起きれなかったらお前のせいな」
「え!?」
追撃してみると、ロイドが毛布を蹴りながら飛び起きた。
「なんなら一緒に寝る?俺的には癒やし効果抜群だから、安心して眠れるかもな~」
更にとどめとばかりに笑いながら冗談を振りまいてみる。
それを聞いたロイドは大きく目を見開いた。
「それ、ほんとか?」

 ランディは本当に冗談のつもりだった。
ふざけてそう言えば、ロイドは怒るかあるいは呆れてさっさと寝てしまうだろうと予想していた。
その方が沈んだままよりもはるかにマシだと思った。
だが、
「だったら一緒に寝る」
どうやらロイドは『安心して』という言葉に食い付いてしまったらしい。
嬉しそうな顔で枕を抱えながら隣のベッドへ歩み寄り、躊躇なく乗りかかってきた。
「お、おい……マジかよ」
ランディが困惑している中、彼の身体を押し退けながら強引に毛布の中へ潜り込む。
「あははっ、温かいな!」
一人用のベッドに成人男性が二人ではさすがに狭すぎるし、寝返りも打てないくらいの密着状態になってしまった。
けれど、ロイドは上機嫌でランディの肩口に顔をすり寄せた。
「はぁ~、俺としたことが見誤ったぜ」
今さら冗談だったなんて言えず、ここまでされては追い出す気にもならない。
それでも触れた体温が心地良いと感じるあたり、身体は正直だとランディは自嘲した。
二人でベッドに入ること自体は珍しくもない間柄だが、今夜は仕事の延長でもあるし、そんなつもりはなかった。
「なぁ、ランディ。ちゃんと眠れそうか?」
暗がりの中、心配げな茶色の瞳とぶつかって僅かに体温が上昇するのを感じる。
「あぁ、そうだな。ってか、お前もさっさと寝とけよ」
ロイドはただ純粋に心配してくれているだけなのに、あらぬ方向へを意識が逸れてしまいそうになる。
ランディはそれ振り切ろうと、わざとぶっきらぼうな返答をした。

 それから数分も経たない内に隣から規則正しい寝息が聞こえてきた。
首を横にして至近距離の寝顔に目をやり、苦笑する。
「安心しきった顔しやがって。お前がそっち側になってどうすんだよ?」
人の心配をしていたくせに、いつの間にか安眠を確保しているロイドは案外ちゃっかりしている。
ランディはしばらくロイドの寝顔を見つめた後、無機質な天井に視界を投げた。
「こんなんで寝ろとか……苦行すぎんだろ」
片腕で顔を覆いながら大きな溜息を吐く。
ロイドが何の疑いもなく心身を委ねてくれていることに嬉しさが募った。
触れた部分から感じる温もりだけでは物足りなくて、抱き締めてしまいたくなる。
「あー、もう抱き枕にしてぇ……」
この日、ランディは理性と欲情の狭間で悶々とする夜を過ごす羽目になってしまった。

 

 だらしなく欠伸をしているランディを見たティオが小首を傾げた。
「ランディさん、眠れなかったんですか?」
「あら、大丈夫なの?」
それが気になったのか、エリィも話に加わってくる。
「別に問題ねぇぞ。まぁ、ちょいとばかし寝付けなかったけどな」
ランディは心配げにしている二人にそう答えたが、内心では愚痴の一つも言いたい気分だった。
少し離れた場所で町長と話し込んでいるロイドは、やたらと爽やかな表情をしている。
(あいつめ、朝までぐっすり眠りやがって……)
そんな彼とは対照的で、ランディはかったるそうに頭を掻いた。
一睡もできなかったわけではないが、眠り損ねたことには変わりなく、朝日がやけに眩しく感じられた。

 

2020.11.19

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