気晴らしの庭城を行く

 先行するアーロンの身体が嬉々として飛び跳ねた。
双剣が銀色の軌跡を描く度に、鮮やかな赤い髪が舞い踊る。
「こら!待ちやがれ!!」
それを追いかけているヴァンが、制止の声を張り上げた。
足の速さを比べてしまえば、分が悪くなるのは仕方がない。
このエリアに入った途端、爛々と目を輝かせて抜剣をしていたことを思えば、止まってくれるはずもないのだが。
小型の魔獣たちが群がる一画へ突進し、華麗な剣捌きで危なげなく立ち回る。
彼が周囲を一掃する頃、ようやくヴァンが追いつくのだが、
「おせーぞ!オッサン!」
などと楽しげに言いながら、アーロンはまた走り出してしまう。
傍から見れば、追いかけっこをして遊んでいるような二人組だ。
「あの野郎~っ」
ヴァンは多少の苛立ちを覚え、片手で頭を掻きむしった。
幸い、ここは庭城の中でも下層の領域だ。
今の練度なら単独で走っても問題はないが、かと言って一方的に置いて行かれるのは面白くない。
ましてや、あからさまに煽られているのだから、対抗心を燃やしたくなるというものだ。
事務所の中で唯一の成人男性であるアーロンに対しては、ついムキになってしまう時がある。
子供じみた感情だと分かっているが、一度火が点くとなかなか止められない。
心の端では、遠慮がない男同士のじゃれ合いを楽しんでいる節もあった。
ヴァンは一度軽く首を回し、撃剣を担いで再び彼を追いかけ始めた。
このエリアの終点までにはあのガキを捕まえてやる、と一人で息巻きながら。

 アーロンは、目の前に立ち塞がる魔獣にしか興味がなかったようだ。
彼の食べ残し達は、追駆してくるヴァンを目ざとく見つけ、我先にと敵意を向けてくる。
それらを難なく打ちのめしながら、軽やかに動き回る背中へ照準を合わせた。
最初の頃に比べれば、二人の距離はだいぶ縮まってきている。このままいけば確実に手が届くと判断したのか、ヴァンの表情筋が微かに緩んだ。
「ふぅ……稽古で煮詰まってるって感じかねぇ?」
そして、事の発端を思い出してみる。
アーロンは二週間ほど前から煌都に戻っていた。
華劇場からの出演依頼があったのだ。演目自体は昔から馴染みものだが、今回は大幅に演出が変わるらしい。それもあってか、時たま思い立ったように舞台への強行軍をする彼も、スケジュールには余裕を持たせていた。
「あいつ、そういう所は真摯なんだよなぁ……役者魂っていうか」
リニューアルする演目に対し、作り込みに妥協はしないということなのだろう。
「少しくらいは、こっちにも回して欲しいもんだぜ」
ヴァンが戯けながら一人でぼやく。助手三号の業務態度に大きな不満はないが、何となくそんな気分だ。
と、そんな矢先。
「──おっ!?」
今は演者としての顔は形を潜め、楽しげに剣戟を繰り出すアーロンの足が止まった。
二体の大型魔獣と対峙している彼を見て、ヴァンがニヤリと笑う。
あれは流石に瞬殺とまではいかないだろう。
低い咆吼を皮切りにした戦いへ、彼は勢いよく突っ込んでいった。

 鋭利で大きな爪が容赦なく振り下ろされる。
それを危なげなく躱すと、今度は真横からの大振りな追撃。
身を翻して距離を取った直後、両足で地を蹴って高く跳躍した。
「沈め!!」
吐き出した息と共に、焔を纏った斬撃を魔獣の頭部に叩き付ける。
巨体が崩れる音を聞きながら着地を決めると、即座に無傷のもう一体が襲いかかってきた。
一瞬の隙を突かれた形だが、アーロンにしてみれば完全に予定調和の範囲内。
──のはずだった。
迫り来る爪牙を剣で受け流した刹那、
「おい!一体くらいは譲れっつーの!!」
耳馴染みのある声がいくらかの弾みを伴って、交戦の場に割り込んできた。
「あっ、てめぇ!?」
アーロンが反撃するよりも早く、ヴァンが肩に担いでいた撃剣を横に構えた。
重心を下肢に落とし、渾身の力を込めて腕を振り切る。
薙ぎ払うような打撃は青白い弧を描き、魔獣の胴体へ強烈な一発が打ち込まれた。
「これでしまいだ!」
ヴァンは大きくよろめいた体躯を一瞥し、返す刀でとどめを刺した。

 周囲に魔獣たちの気配がないことを確認し、アーロンが双剣を鞘に収める。
前方にはこのエリアの終点となる転送装置が視認できた。
「チッ、余計なことしやがって」
「追いつかれちまったのが面白くねぇのか?」
仏頂面でそっぽを向いている彼とは対照的に、ヴァンは目的達成とばかりに得意げな顔をしている。
俊足の背中を追いかけていたので、ちょっとだけ息が上がっているのはご愛敬だ。
「そっちこそ、ギリギリだったくせにドヤ顔かましてんじゃねぇよ」
それを笑い飛ばしたアーロンが、相手の方へ向き直る。
「──ん?」
しかし、勝ち気な瞳が訝しげな色を浮かべて細くなった。
彼はヴァンの顔をマジマジと見ながら、遠慮なく距離を詰める。
「な、なんだよ?」
あと半歩で二人の間合いがゼロになる。そこまで近寄られたヴァンは、困惑して後退ろうとした。
だが、すぐにそれを制する声が発せられる。
「ダセぇな。このエリアなら無傷で来いよ」
言い終える前に片腕が動き、上着の襟元を掴まれる。自然と前屈みの態勢になってしまった。
互いの息がかかるくらいに顔が接近し、その緊張感からか全身が強張る。
「……傷?」
この道中で自分が負傷をしたという認識はなく、疑わしげに首を傾げてみれば、アーロンからは無言の返答があった。
突として頬に柔らかく湿った肉の感触。生温い水分が皮膚の表面に溶け、ピリッとした刺激が走る。
そこでようやく、自分の顔に切り傷があることに気が付いた。
同時に、目の前の青年に何をされているのかも。
まるで傷の具合を確かめるように、ゆっくりと舌先が這い回る。
「お、お前っ……」
痛みのせいか、それとも羞恥のせいか、ヴァンは強く両目を瞑った。

 遠目からでも頬に走る薄い赤色が確認できた。
よくよく近寄ってみれば、滲んでいる程度のかすり傷だ。
すると、軽薄にも揶揄する気持ちが先に立つ。
不意に舌で舐め上げると、口内に微かな血の味が広がるような感覚があった。
「身体鈍ってんじゃねぇの?」
アーロンは意地悪げに笑みながら、上着を掴んでいる手を離した。
「こんなの怪我のうちに入んねぇだろうが」
ヴァンはその隙を逃さず、今度こそ一歩後ろへ距離を取る。
嬲られた傷口が熱を帯びている気がして、無意識に手の平を頬へ押し付けた。
「……ったくよぉ。犬猫じゃあるまいし」
どうにも居たたまれない気分に陥ってしまい、ぶつぶつと愚痴りながら身体を背ける。
「大体、てめぇは自由奔放すぎるんだよ。急に連絡入れてきたかと思えば、『気晴らしに付き合え』だとか」
半眼じみた視線だけを横に流してみたが、アーロンの方はどこ吹く風のようだ。
「まぁ、取りあえずは良い気分転換になったぜ、ヴァン」
その上、堂々と後腐れがない応答されてしまえば、ぼやき混じりの胸中を飲み込むしかなかった。
「今度の演目、まだまだ練り上げてぇからな。ちょいと行き詰まってたんだが、これで頭が切り替えられそうだ」
「お、おう。そうかよ」
やはり、役者然としている時のアーロンは舞台に対して素直だ。
明確な言葉はないが、共に庭城を走ってくれた男への感謝を誤魔化そうとはしない。
いつも『素直じゃないクソガキ』と過ごしているヴァンにとっては、それがくすぐったくて照れ臭かった。
「あ~、その……お役に立てたなら、何よりだぜ」
所なさげに身体を揺らした彼は、視線をうろつかせながら律儀にそう言った。

 

 楽しかった一時は幻のごとく、あっという間に現実へと引き戻される。
最低限の家具だけが置かれた簡素な部屋に、アーロンは一人佇んでいた。
ザイファを片手で持ったまま、名残惜しげにその画面を見つめる。
「……気晴らしなら、別のヤツにするべきだったかもな」
仮想空間で武器を振るうだけなら、誰を誘っても良かった。もしくは一人だったとしても何ら問題はない。
けれど、どう足掻いても最初に思い浮かぶ姿はヴァンだけだったのだ。
アーロンは知らずのうちに、空いている方の親指をぺろりと舐めていた。
あの空間は何もかもがリアルで、嫌になるくらいの余韻が残る。
実物と見紛うばかりの虚像は、肌の感触も血の味も温かい気がして、彼の劣情を呼び覚ますには十分だった。
「あれじゃ、足りねぇんだよ」
ぼそりと呟いた声が侘しい室内に溶けていく。
どうせ触れるなら、本物の肉体が良いに決まっている。今、ここにいないのならば尚更に。
彼はおもむろにベッドへ腰を下ろし、端末を弄り始めた。
途中でどこかへ通信を入れ、手早くいくつかのやり取りを交わす。
「──あぁ、それでいい。頼んだぜ」
そして、会話の最後には満足げな笑みを浮かべて頷いた。

 

 その後。
庭城からログアウトし、自室で一息入れているヴァンの元にメールの着信があった。
画面を開いた瞬間、簡潔な一文が目に飛び込んできて、思わず面食らう。

『さっきの礼だ。初日のチケットくらいは送っておいてやる』

通話ではないところが、いかにも彼らしい。
「ははっ、仕方ねぇ。この日は休業にでもしとくか」
こちらからも簡単な返信のみを綴り、送信ボタンを押した後で目元を緩ませる。
会いたいと、言外に言われているような気がして嬉しかった。

 

2023.09.14

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