妥協と見返り

 すぐ脇を鮮やかな赤い頭が走り抜ける。
自分よりも遙かに大きな体躯を臆することなく、距離を詰めてあっという間に敵を葬った。
「愛染さん、伏せて!」
その小さな身体の背後から、石切丸が渾身の力で刀を振り払う。
重い一撃が少年に襲いかかろうとしていた数体を粉砕した。
「……ふぅ」
衝撃でちぎれた赤毛が何本か宙を舞い、それを横目に愛染が息を吐く。
「大丈夫だったかい?、咄嗟に振るってしまったから」
石切丸は小走りで少年に近づき、心配げに屈み込んだ。
「声かけてくれるだけマシだって。蛍なんていきなりぶん回してくるしさ。ま、避けるの余裕だけどな!」
大太刀の攻撃は時に味方を巻き込む危険性をはらんでいるが、愛染は気にせずケラケラと笑った。
そんな快活さは頼もしくすらあり、石切丸はホッと胸を撫で下ろした。
しかし、すぐに気持ちを引き締める。
風に乗って剣戟の音が聞こえてくる。
「乱戦だったとはいえ、思いのほか離れてしまったね。急いで合流しよう」
石切丸が音のする方を向くと、愛染も大きく頷いた。

 愛染国俊は好戦的だが猪突猛進というわけではない。
周りをよく見ているし、自分がどう動けば良いのかも心得ている。
「石切丸、あんま無理すんなよ?」
だから、足の遅い大太刀の速度に合わせて走っていた。
移動中に襲撃されて間を詰められては危険だ。
「いやいや、そうも言っていられないからね」
そんな彼に感謝しつつ、石切丸は全速力だ。

「あっ、見えた!!」

と、愛染の目が粉塵の中で交戦している仲間を捉えた。
槍の青年と脇差の少年が見事な連携で奮闘している。
だが、如何せん敵の数が多かった。
「愛染さん、私に構わず先に援護を!」
「よっしゃ!まかせとけって!」
二人とも考えていることは同じだったらしい。
愛染は金色の瞳を煌めかせ、疾風のように地面を駆けた。

 

 劣勢というわけではないが、やっかいなことには変わりなかった。
御手杵は自分の間合いを確保しつつ相手の出方を覗う。
敵は短刀や脇差といった素早い刀種が主で、慎重にならざるを得ない。
「……やりにくい」
「御手杵、気をつけろ。動く」
ぼそりと本音が漏れた後、側にいる骨喰が注意を促してきた。
その瞬間、異形な身体を踊らせて白刃が襲いかかってくる。
「はっ、そこは俺の間合いだ!」
正面の脇差を御手杵が一閃で仕留め、その隙に彼の懐へ潜り込もうとした短刀を骨喰が無言で切り伏せる。
「ありがとな」
「ああ」
御手杵が自分を補助してくれる骨喰に礼を述べると、寡黙な少年は頷いた。
「──いい加減、こちらから仕掛けたいな」
「手が足りない」
このまま受け身になっているだけでは埒があかない。
だが、攻めに転じるにしても二人だけでは少々心許ないのが正直なところだ。
御手杵の言葉に骨喰は首を横に振った。
「待った方がいい。直に来る」
彼は一瞬だけ遠くに視線をやり、言葉少なに言った。

その直後、銃砲の音が響き渡った。

「よそ見してるんじゃねーぞ!」
不意打ちを受けて動揺する敵部隊へ、硝煙を切り裂き赤毛の少年が強襲をかける。
「御手杵!」
「おう!」
その好機を御手杵と骨喰は見逃さず、すかさず攻めに打って出た。
白刃が入り乱れる中、彼らは的確に敵の数を減らしていく。
そんな中、御手杵には一つ気がかりがあった。
「おい、愛染。石切丸はどうした?」
大太刀の青年の姿が見当たらない。
もしや負傷しているのではないかと不安に駆られてしまう。
「俺は先行したけど、ちゃんとこっちに向かってる」
「あいつを置いてきたのか?」
愛染の返答に御手杵は思わず顔を顰めた。
「そんなわけねーじゃん。途中まで一緒に来たけど、あっちが『先に援護しろ』って。俺もそれがいいと思ったし」
「だからってなぁ……単独は危ないだろ、単独は」
彼らが選択した行動については理解できるが、つい物申したくなってしまう。
「過保護だな」
そこへ骨喰から横やりが入り、愛染もうんうんと頷く。
「身軽なお前らと一緒にすんなよ。近接は苦手なんだから」
愛染が合流したことで活気づいた面々は、見事に立ち回りながらも軽口を叩き合う余裕を見せていた。
そうして半分ほどの遡行軍部隊を地に沈めた頃、
「あ、きたきた!」
短刀の少年が嬉々とした声を上げた。
若草色の大太刀は走りながらも刀を抜き放ち、すでに臨戦態勢だ。
「すまない、遅くなった!」
向かってきた複数の敵を、弧を描く力強い一振りで一掃する。
そんな彼の無事な姿を確認した御手杵は、微かに頬を緩ませた。
(こっちも負けてられないな)
槍の柄を握り直し、狙いを定めて足が地を蹴る。
だが、その瞬間。
「御手杵!!」
骨喰が声を上げたが一足遅かった。
間合いを詰めてきた小さな影が襲いかかってくる。
「──っ!?」
咄嗟に受け身が取れず、左腕の防具が砕けて焼け付くような痛みが走る。
鮮血が宙を舞った。

 

 自らの装束を引き裂いて止血を施す石切丸の表情は険しい。
「応急処置はするけれど、これ以上の戦闘は厳しいね」
流れ落ちる血液が片腕を真っ赤に染め上げている。
傷は深そうだ。
「腕を持っていかれなかっただけマシだって。まだいける」
槍の青年は特に苦しげな様子も見せずに淡々と応じたが、
「御手杵さん!」
年長の大太刀に睨まれてしまった。
普段の柔和さからは想像できない凄みのある眼光に思わず閉口する。
「怒らせた」
「こういう時の石切丸って怖いんだよな~」
骨喰がぽそりと一言。
愛染は同じような経験があるのか、苦笑いをしている。
「あー、はいはい。分かったからそんなに睨むなよ」
どうやら多勢に無勢らしい。
少年二人は言及こそしないが、石切丸と同じ気持ちなのだろうと御手杵は思った。
「──で、すぐに撤退するか?」
これ以上進めないのなら早々に退いた方が良いだろうと、彼は仲間たちを見た。
「なぁ、こいつ蹴り飛ばしてもいい?」
「愛染さん、気持ちはとても良く分かるけれど負傷しているから……ね」
しかし、短刀の少年と大太刀の青年に目を眇められてしまい首を傾げる。
「あんたの出血が収まってからだ」
「あぁ、そういうことか」
疑問符を浮かべた御手杵に骨喰が説明をすると、彼はすぐに納得した。
「御手杵ぇ~、少しはケガしてるって自覚持てよなぁ」
愛染はわざとらしく溜息を吐きながら項垂れる。
石切丸と骨喰も同感と、無言で頷いた。

 

 止血の効果は徐々に現れ始め、御手杵の腕を伝う血液の量も少なくなってきた。
「なんで二人して行くかな?細かいのが来たら立ち回れねぇって」
「周囲を索敵した上での判断だよ。骨喰さんと愛染さんは冷静だ。今は退路の確保が優先事項だしね」
暢気にぼやいている御手杵とは対照的に石切丸の声は固い。
負傷している彼の傍らに膝を落とし、出血の具合を確認しながらも周囲に視線を走らせる。
頼りになる脇差と短刀の少年たちが偵察に出ているせいか、気が張っているようだ。
「大丈夫。いざとなったら私が……」
「そんなに気負うなよ。俺は片腕が壊れても動けるから」
──守ると言いかけた石切丸の声に優しい声が重なる。
ハッとして御手杵を見ると、彼は静かに笑っていた。
無傷の右腕で槍を抱え込んで座っている姿は頼もしくもあったが、血塗れの半身に目を寄せた途端に危うい脆さを感じてしまう。
石切丸は御手杵の顔を直視することができなかった。
「確かに私たちは『物』だけど、今は少し違う。切られれば痛いし、血も流れる。だから君にはもっと自分を大切にしてほしい。安易に壊れてもなんて言わないで」
伏せた瞳を上げられず、唇を噛みしめる。
そんな石切丸の様子に御手杵は困惑した。
「いや、俺だってさすがに自分から壊れたいとは思ってないぞ?」
「だから、『壊れる』なんて!」
その言葉を聞きたくなくて、石切丸は激しく首を振った。
この青年が戦場で垣間見せる無機質な言動に怖くなる。
いつか、彼を失ってしまうのではないかと。
(あぁ、駄目だ。分かってるのに……御手杵さんと私は違うのに)
御手杵とは武器としての意識の持ちように隔たりがある。
それを石切丸は理解しているし、尊重したいとも思っている。
それでも時々、こんな風に心が乱れてしまう。
(駄目だ、今は落ち着かなくては)
石切丸は小さく息を吐いた。
これ以上、自分の気持ちを押しつけて彼を困らせたくはなかった。

「……すまない。私は本当に身勝手だね。今のことは気にしないでいいよ」

石切丸は静かに立ち上がり、少し歩きながら周囲を見渡した。
「そろそろ彼らが戻ってくる頃かもしれないね」
そう呟きながら御手杵に背を向けた。

 

 『もう忘れてくれ』と言っている。
無言で語る石切丸の背中が心許なくて、御手杵は後ろから抱きしめたい衝動に駆られた。
けれど、身体に力を込めた瞬間に激しい痛みが走って顔を歪めてしまう。
(あー、無理か)
止血の為にきつく巻かれた布は血を吸って赤黒く変化し、あの優しい若草色の影もない。
御手杵はそれを見やりながら自嘲した。
(動いたら、また睨まれるんだろうけど)
さっきの凄みのある両眼を思い出す。
もちろん彼は、石切丸が心底この身を心配してくれていることを分かっていた。
それは諸々の言動からも痛いくらいに伝わってくる。
(……やっぱり触れたいな)
この本体で支えれば立ち上がれるだろうか?
あの背中を掻き抱けるだろうか?
御手杵はもう一度、身体に力を込めた。

 背後から小さなうめき声が聞こえて、石切丸は驚いて振り返った。
「御手杵さん!?」
立ち上がろうとしている姿が目に飛び込んできて呆然とする。
「まだ動いてはいけない、やっと血が止まりかけているのに!」
語気を強め、慌てて彼の側に駆け寄った。
「なんかさ、あんたが崩れ落ちそうで抱きしめたくなった」
御手杵は額に脂汗を滲ませ、少し苦しげに笑った。
「ここは戦場で、俺は『武器』としてここに在るはずなのに……どうしてこんなにもあんたに触れたいんだろうな」
乾き始めた血糊の上に、また赤い色が滲み出る。
「どうしてって……っ」
それを見た石切丸の目元が僅かに潤んだ。
このままでは折角の止血が無駄になってしまう。
なんとかして彼の動きを止めなければと思った。
石切丸は御手杵の目の前で膝を折り、槍を握りしめている彼の手を自分の両手で包み込んだ。
「御手杵さん、お願いだから今は大人しくして」
まるで祈るように両手に額を押し当てる。
「そんなに触れたければ、手入れが済んだらいくらでも触れればいい。気の済むまで抱き締めてくれて構わないから……だから今は」
切羽詰まった哀願の声と重ねられた手の温もりは、確かに御手杵の胸に届いた。
彼は立ち上がろうとするのを止め、身体から力を抜く。
「……分かったから、泣くなって」
「泣いてないよ」
この肉体を思い通りに動かせないことが歯痒いと感じたのは初めてだった。
石切丸の制止がなければ、痛みや出血などお構いなしに動いていただろう。
(そんなに必死なあんたを振り払えるわけないだろ?)
離れようとしない柔らかな両手の感触に御手杵は顔を顰める。
本当は『今』、どうしようもなく彼を抱き寄せたかった。

 

 うららかな昼下がりの空気は心地良いものだ。
鳥の囀りや短刀たちのはしゃぎ声が風に乗って聞こえてくる。
そんな中、石切丸はぼんやりと室内から中庭を眺めていた。
「……どうしたものかな」
くつろいでいるはずの彼は困り顔で、ずしりと重くなっている下肢に意識を向けた。
正座をしている足の上に癖のある栗色の髪が散らばっている。
その髪の毛を優しく梳きながら石切丸は独りごちた。
「御手杵さんってたまに強引な時があるよね」

 戦場から無事に撤退し、御手杵が手入れ部屋に入ったのは昨日の夕方だった。
負傷の範囲自体は狭かったが傷の程度は深く、完全に手入れが終わったのは今日の昼を過ぎてからだ。
御手杵は部屋を出たその足で石切丸の元へ押しかけてきた。
「ちょっと膝貸して」などと軽い調子で言いながら。
突然のことで状況が読み込めない石切丸をよそに、半ば強引に膝を拝借してすぐに寝入ってしまった。
そして今に至っている。
「君のせいで、通りがかりに冷やかされて困るんだけど」
起きる気配のない御手杵の上にぽろりと愚痴が零れ落ちた。
部屋の戸は開け放たれていて、廊下からは丸見えだ。
通りがかりに仲睦まじい膝枕姿など目にしたら、何か言いたくなるのも仕方がないのかもしれない。
石切丸の方とて、わざと見せびらかしているわけではなかった。
相手の強引さに閉める機会を失ってしまっただけで、今すぐにでも戸に手を掛けたい気分だ。
そんな時、廊下から軽やかな足音が聞こえてきた。
(はぁ……今度は誰かな?)
彼は先の展開を予想して溜息を吐いたが、
「あー、やっぱりここにいた」
「分かりやすいな」
昨日の戦友たちの声が聞こえ、それは杞憂になりそうな気がした。
「二人とも、どうしたんだい?」
「手入れが終わったから様子を見に行ったけど、もういなかった」
「で、厨房の前通りかかったら燭台切が心配しててさ。いつも手入れ直後に『腹減った~』ってやって来るらしいんだけど、今日はまだだって言うから」
骨喰と愛染はそう説明をしながら眠っている御手杵を見たが、当の本人は緩みきった顔で気持ちよさそうに眠っている。
「ああ、言われてみれば……確かに」
石切丸はそこで思い出す。
手入れが終わった後の彼に会うと、『あの部屋で寝てると腹が減る』と言っていることが多かった。
「何かあったのかな?急に『膝を貸して』なんて言ってきたから驚いてしまったのだけど」
石切丸は心配げに御手杵を一瞥し、それから少年たちに目を向ける。
「……う~ん」
二人は考え込むような仕草で黙り込んでしまう。
それからしばらくして。
「あー、そっかぁ」
「あれだな」
ふと何かに思い当たったのか、愛染と骨喰はお互いに顔を見合わせた。
「君たち、心当たりがあるのかい?」
石切丸が期待の眼差しを向ける。
「御手杵はあれで妥協したから、これは仕方がない」
「あれ言われたらなぁ~」
しかし、二人の言葉はどこか曖昧だった。
「ん?『あれ』って何かな?」
つい不安が首をもたげてしまう。
「あれはあれだ」
「だな。ま、全然心配するようなことじゃないからさ」
そんな年長の大太刀に対し、二人はやはり言葉を濁す。
そうして、急に踵を返した。
「燭台切には問題ないと言っておく」
骨喰は淡々とそう述べ、そそくさとその場を後にしてしまった。
「あ、先行くなって!」
愛染も後を追って立ち去ろうとする。
「待って、愛染さん!?」
「取りあえず観念して好きにさせてやれって。じゃあな~!」
慌てて引き留めようとする石切丸に太陽のような笑顔を見せ、彼は軽やかに退出していった。

 

 まるで逃げるように去っていった二人の姿に、石切丸は放心してしまった。
長閑な風に混じる草木の揺れる音すらも耳に入らず、思考が止まる。
どのくらいそうしていただろうか。
不意に何かが頬に触れた。
「──っ!?」
驚きで肩が跳ね上がり、一気に頭が覚醒する。
「……大丈夫か?」
下からの声に顔を向ければ、少し気怠げな瞳と鉢合わせた。
頬に触れていたのは御手杵の指先だったようで、ほのかな温かさにホッとする。
「あ、うん。君もようやくお目覚めのようだね」
「あ~、そうだなぁ」
彼は伸ばした腕を下ろそうともせず、柔らかな頬をひと撫でしてから髪に指を絡ませる。
「それにしても、君は寝過ぎじゃないかい?手入れでずっと眠っていただろうに」
それはただの気紛れでそのうち止めるだろうと、石切丸は思っていた。
「そうかぁ?」
しかし、御手杵の手は離れるどころか接触の密度が深まるばかりで、次第に焦りが募っていく。
髪の毛を弄んでいた指先が耳に触れ、そこから顎の線をゆったりとなぞられる。
壊れ物でも扱うような手つきがやたらと艶めかしい。
「お、御手杵さんっ」
「ん~?」
石切丸は思わず声を上げたが、御手杵は暢気に応じつつも触れることを止めようとしなかった。
優しい指先が首筋を這い、襟元を乱されそうな予感。
いよいよ危機感を覚えた石切丸は、強引に御手杵の手を掴んだ。
「君、さっきから何をやっているんだい!?」
僅かに頬を赤らめながら御手杵を睨む。
「へ?なにって……」
御手杵は一瞬目を丸くしたが、すぐに何事もなかったかのように口を開いた。
「だって、あんた言っただろ?手入れ終わったらいくらでも触っていいって」
それが当然だと言わんばかりの口調に、今度は石切丸が驚く番だった。
「そ、それは確かに言ったけど……でも」
つい昨日のことだ。忘れるはずがない。
あの時は御手杵を止めることに必死で形振り構わずだったが、改めて思い返すと恥ずかしさが込み上げてきた。
菫色の瞳が落ち着きなく彷徨う。
「俺、あれで大人しくしたようなもんだしさぁ。骨喰も言ってただろ?妥協したって」
けれど、その言葉を聞いた途端にぴたりと動きが止まった。
「もしかして君……起きてた?」
御手杵の動きを阻止している手に力が籠もる。
「そうだなぁ、ぼんやりとだけど」
「つまりは狸寝入りをしていたということかな?」
更に力が強くなった。
「あいたたっ!怒るなって。ほら、観念してやれって愛染も言ってたし」
大太刀である石切丸の握力はかなりのもので、御手杵は堪らず空いている方の手で畳を叩く。
(──ん?あれ?)
それを横目にしつつ、立て続けに骨喰と愛染の名前が出てきたことで、石切丸はふと違和感を覚えた。
負傷した御手杵の止血をした後、二人は偵察に出て行った。
だから待機していた自分たちのやり取りは知らないはずだ。
「……どうしてだろう?あの子たち知っているような口ぶりだったけど」
考えごとをし始めたせいか、するりと手の力が抜ける。
痛みから解放された御手杵は、独り言のように呟く声を拾って苦笑した。
「だから、戻ってきてたってことだろ」
「戻って……?」
「あの状況じゃ、出るに出られなかったんじゃないのか」
石切丸は目を瞬かせる。
それから数拍。
「──っっ!?」
彼は声にならない叫びを上げ、勢いよく腰を浮かせてしまった。
「いてっ!」
その拍子に太股の上からくせ毛の頭が転がり落ちて鈍い音がする。
「あぁーっ、いきなり動くなって」
御手杵が頭をさすりながら起き上がった。
だが石切丸はそんな彼を気にしている余裕などなく、
「なんてことだ……全く気が付かなかった」
側にある座卓に突っ伏してぶつぶつと言っている。
あの時のことを思い返しただけでも恥ずかしいというのに、それを見られていたとなればかなりの醜態だ。
髪の隙間から覗く耳まで真っ赤に染まり、心の収拾がつかなくなってしまった。

「お~い?」

 しばらく待ってみたが何の動きもない。
一方的に顔を背けられてしまった御手杵は、反応が欲しくて声をかけた。
髪の毛を一房摘まんで引っ張ってみる。
「石切丸?」
しかし、応答はない。
今度はうつ伏せの背中に自分の背を預けて体重をかける。
「おも……い」
そこでようやく声が聞こえた。
じわりと浸食してくる相手の体温を感じて、石切丸は苦しげに呻く。
「悪いけど、今は君を構う余裕が持てないよ」
「だったらあんたが落ち着くまで待ってる」
御手杵は自分を遠ざけようとしている言葉を間髪入れずに振り払う。
「流石にもう誰か戻ってくると思うし……」
石切丸の方は逃げ道を探していた。
そもそもここは彼の個室というわけではない。
他の大太刀の面々と同居していて、今はたまたま皆が出払っているだけの状態だ。
いつ誰が戻ってきてもおかしくはない。
それを主張すれば御手杵は身を引いてくれるかもしれない思った。
けれど、
「あんた大事なこと忘れてるぞ。妥協したんだから観念しろよって」
背中合わせの熱は全く離れる気配を見せなかった。
困り果てて次の言葉を探そうとしたが、
「言っとくけど、まだ足りないからな?」
そんなゆとりも与えられないまま先に釘を刺されてしまう。
御手杵はそんな相手の心情を背中越しに察しても、わずかに目を細めただけだった。
素肌を辿った指先を見つめ、握りしめる。
このままお開きにするほど満たされたわけじゃない。
まだ触れていたいし、もっと構ってもらいたい。

 御手杵は密着させていた身体を一瞬だけ離した。
 「あっ」
石切丸が予期せず温もりを失ったことに驚き、うつ伏せの体勢から起き上がる。
その隙を見逃さず、逞しい腕が背後から絡みついてきた。
「そんじゃ、別の空いてる部屋行こうな」
ここが嫌なら移動すればいいだけの話だ。
御手杵は石切丸は抱き竦めて強引に彼の身体を立ち上がらせた。
「う、うわっ!?」
不意を突かれた石切丸は目を白黒させている。
「ほら、こっち」
困惑する彼の手を取り、無理矢理に部屋から出ようとする御手杵はどこか嬉しそうだ。
「ど、どうしてっ?」
ぐいぐいと手を引かれ、石切丸は堪らずに叫んだ。
「だから、全然触り足りないんだって。まだ気の済むまで抱き締めてないし」
すると、先を行く槍の青年は少し拗ねた顔をして振り返った。
「あぁ、もう……そんなに一言一句真に受けなくても良かったのに」
彼はその本体と寸分違わずに真っ直ぐだった。

 これからどれだけ濃密に身体が触れあうのだろうかと想像し、胸の鼓動が速くなった。
もう今日は寝る時まで解放してくれないような気がする。
色々なことが頭を過ぎった石切丸は、空いている方の手で茹で上がった真っ赤な顔を覆った。

 

 あの場から逃げ出した骨喰と愛染は、厨房に顔を出した。
「燭台切、御手杵はなんの問題もないから気にしなくていい」
退出の口実に使ってしまった手前、彼らは律儀に厨房の主の心配を取り除きに来たようだ。
「え?そうなのかい?」
夕餉の準備を始めていた燭台切は、意外そうに片目を丸くした。
何か軽く作るつもりでいたらしい。
「石切丸のとこでゴロゴロしてるから空腹とかどうでもいいんじゃねーかな」
「ああ、なるほどね」
しかし、愛染の言葉を聞いてくすりと笑いながら頷いた。
基本的には食欲旺盛な御手杵だが、それよりも優先させたいことがあったのだろう。
あの若草色の大太刀に関してならば尚更に。

「石切丸も大変だよなぁ。御手杵のやつ、戦場だとなんか頭の中切り替わるみたいだし」
「確かに彼、そんなところがあるよね。今回は負傷してたし、一緒に出陣していたら気が気じゃないかもしれない」
御手杵の特異性を考えると、つい石切丸に同情したくなってしまう。

「──なんだか今、とても困ってそうな気がする」

ふと、骨喰が真顔で口を開いた。
「あー、そうだろうなぁ、たぶん」
昨日の戦場からの経緯を知る愛染はやれやれといった表情だ。
「詳しい事情は知らないけど、仲睦まじい故のってところかな?」
そんな少年たちを見て、燭台切は戯けて笑った。

 

2019.08.04

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