誘い誘われ勘違い

 穏やかな陽気の昼下がり。
御手杵は小さな欠伸をしつつ、のんびりと廊下を歩いていた。
最近は戦い漬けの日々だったが、今日は久しぶりの非番で特にこれといった用事もない。
そんな中で本丸の安穏とした空気に眠気を誘われ、昼寝でもしようかという気分だ。
「う~ん、どこで寝ようかなぁ」
自室に戻るつもりはなく、適度な場所を求めて辺りを見回してみる。
すると、そんな彼の耳にバタバタとした足音が聞こえてきた。
「御手杵さん!」
背後から名前を呼ばれて振り向くと、石切丸が駆け寄ってきた。
「良かった、探していたんだよ」
普段は静かな青年が珍しく急いている姿を目にし、御手杵は思わず身構える。
すでに半分眠っていた頭が一気に覚醒した。
「どうした?何かあったのか?」
緊急の事態が発生したのかと思い、自然と声が硬くなる。
緩んでいた表情が一変し、精悍な顔が石切丸の方へと向けられた。
「えっ、な、何かってわけでは……」
予想外の反応をされた石切丸は、瞠目しながら口籠もってしまった。
「本丸内は平穏で特に問題は起きていないし……その」
しどろもどろで言葉を紡ぎ、大袈裟なくらいに視線を泳がせる。
探し回っていた御手杵の姿をようやく見つけ、つい嬉しくなって浮き立ってしまったが、何やら誤解を招いてしまったらしい。
「ごめんよ。紛らわしい言動だったね」
非番の御手杵に余計な緊張を強いてしまったことを申し訳なく思い、石切丸は俯いた。
(あ~、そっちじゃなかったか)
明らかに落ち込んでいるのを見た御手杵は、すぐに相手の心情を察して肩の力を抜いた。
「俺こそ、ごめんなぁ。珍しく急いでるみたいだったから勘繰った」
そして、少し低い位置にある茶色の頭を軽く叩く。
「そんな、君が謝ることではないよ」
石切丸は顔を上げた。
「──で、俺になに?」
そこには優しい眼差しがあって、真正面からきちんと用件を聞こうとしてくれている様子が見て取れる。
(はぁ……軽く誘うつもりだったのに)
呼び止めた勢いで言おうとしていた言葉が喉の奥に突っかかる。
そんな大層なことではないのだが、つい気恥ずかしくなって再び俯いてしまった。
「石切丸?」
御手杵は黙り込んでしまった相手に首を傾げ、それとなく発言を促した。
本丸全体に関わることでないのなら、個人的な用件なのだろう。
「……あの」
石切丸は口を開きかけたが、すんなりとその先が出てこない。
勢いを削がれたせいで、余計に言いづらくなってしまった。
「ん?」
御手杵はそんな姿を眺めつつ、悠長に次の声を待つ。
急かして追い詰めるのは本意ではないし、待っていればそのうち言ってくれるはずだ。
すると、しばらくして石切丸が唇を動かした。
「その、今夜は……空いている……かな?」
手元が落ち着かないのか、視界に広がる緑色のジャージの裾を掴む。
(──え?)
大抵のことには動じない御手杵だが、これには驚いた。
常に控えめな石切丸の口から出た言葉だとは思えず、彼を凝視する。
けれど、恥ずかしげに俯いている姿がやけに色情めいて映り、無意識に頬が緩んだ。
やっぱり夜のお誘いらしい、と。
「あんたからなんて珍しいなぁ」
どこか嬉しそうな声音を響かせ、優しい手が俯いた頬に伸ばされた。
「あ……っ」
思いがけない接触を受け、石切丸は反射的に顔を上げた。
「今日は大部屋で酒盛りする奴らがいるから、離れた部屋借りような」
そこへ降り注いできた御手杵の言葉の意味を理解し、まるで火が点いたように顔面が熱くなる。
「ち、違う、御手杵さんっ、そうじゃなくて!!」
石切丸は激しく頭を左右に振った。
「へ?違うって、何が?」
羞恥も頂点に達した彼は、御手杵の胸元に顔を押しつけた。
とてもじゃないが、目を合わせられない。
「今夜は万屋街で夜市が開かれるそうだから、一緒にどうかと思って……」
ようやく本来の目的を告げることができたが、その声は今にも消え入りそうだった。

「えっと、う~ん……なんか、ごめん」

なんだか、凄くやらかしてしまったような気がする。
御手杵は思わず天を仰いだ。
石切丸の背中に腕を回し、詫びるかのように優しくその身体を抱き込む。
「あ、あのさ、誘ってくれてありがとな。もちろん、一緒に行くから」
一生懸命そう言うと、石切丸は無言で何度も頷いてくれた。
その反応を見た御手杵は安堵の息を漏らしたが、どうにも釈然としなかった。
(俺も悪いんだけどさ……あれは反則だろ?)
内心では毒づいてしまいたくなる。
あんな仕草で誘われたら、誰だってそういう意味に取るに決まってる。
そう思わずにはいられなかった。

 

 万屋街で夜市が開かれるという情報は、本丸中に行き渡っているようだった。
特に短刀たちは興味津々らしく、粟田口の子らは浮かれ足で早々に出かけていった。
御手杵と石切丸は特に急ぐわけでもなく、のんびりと街へと繰り出した。
「なんか買いたいものでもあるのか?」
「そういうわけではないのだけど、眺めて歩くのも一興かと思ってね」
昼間の一件からは時間が経っているせいか、二人のやり取りは普段と変わらない。
石切丸は穏やかな表情で夜に浮かぶ街明かりを流し見ている。
実の所、彼はいつもの平常心を取り戻すために色々と頑張った。
気を紛らわせようと内番の手伝いを申し出てみたり、外出の寸前までは厨房で食材の下ごしらえをしていた。
その甲斐もあり、今はこうやって二人並んで歩くことができている。
「……ふふっ」
自然と笑みが零れ落ちた。
「楽しそうだな。そんなに来たかったのか?」
「うん。君の息抜きにでもなれば良いと思って。しばらく出陣が続いていたからね」
問いかけられ、御手杵の心身を気遣う言葉の中に密かな本音を隠す。
側にいたいと、構ってほしいと。
「そっか~。ありがとな」
御手杵はその横顔に礼を述べた。優しい心根は素直に嬉しい。
けれど、
(あのさ……全然、隠せてないんだけど)
横にいる石切丸の距離がいつもより随分と近い。少し手を動かせば触れられそうなくらいには。
昼間、ジャージの裾を握ってきた彼の姿を思い出して苦笑する。
「あれくらい積極的でもいいのになぁ~」
小さく呟いたが、街の様子に気を取られている石切丸がそれに気が付くことはなかった。

 

 雑多な賑わいが溢れる夜の万屋街は、昼間とはまた違った趣だ。
食事処などからは酒気の混じった談笑が聞こえてくる。
二人は自由気ままに店先を覗きつつ、街をぶらついていた。
そんな中、少年たちに声をかけられた。
「お~い、二人とも~!」
「おや、愛染さんに蛍丸さん」
声の主は来派の二人だった。
こういった場所には一緒にいそうな青年の姿が見当たらない。
「あんたたちも来てたんだな。明石は……あー、遠征中か」
「そうそう、よりにもよって長期遠征なんだよね」
「運が悪いよな~、国行のヤツってば」
一瞬訝しんだ御手杵だったが、二人は残念そうな顔を隠しもしない。
「今夜の話を聞いたら寂しがるんじゃないかな。折角だからお土産でも買っておいてあげたらどうだい?」
仲の良さが滲み出る言動に、石切丸は温かい眼差しを向けた。
「あ、それ良いな!蛍、国行になんか買ってこうぜ」
「え~。俺、まだ食べてるんだけど」
「なんだよ、薄情だなぁ」
「は?買わないとは言ってないよ」
御手杵も石切丸と同様に少年たちのやり取りを微笑ましく見ていた。
しかし、出会った時から蛍丸の手元が気になって仕方がなかった。
「なぁ、それ美味そうだな」
「あ、これ?」
少年の手には肉が刺さった串が握られているのだが、
「……焼き鳥、かな?随分と大きいけれど」
石切丸も興味深げにそれを見やっている。
「なんかね、夜市限定の焼き鳥だって言ってたよ」
「あっちの広場にある屋台で売ってたんだよな。俺も食ったけど美味かったぜ。あ、ちなみに蛍は三本目」
愛染は元気にそう言いながら、とある方向を指差した。
「へぇ、小さいのによく食うな。やっぱ大太刀だからか?」
「御手杵、小さいは余計!!」
「蛍丸さんは私よりたくさん食べるくらいだからね」
和やかな会話に心が柔らかくなる。
石切丸と御手杵はしばらく少年たちとの会話を楽しんだ後、件の屋台へ向かってみることにした。

 愛染に教えてもらった広場には複数の屋台が立ち並んでいた。
食欲をそそる香りが辺りに漂っている。
限定品とあって目的の屋台は混み合っていた。
それでも二人でそれぞれ一本ずつを購入し、満足げに笑い合う。
すると、また声をかけられた。
「あれ?そっちも来てたんですね」
「それ、美味かった」
ちぐはぐな言葉を発したのは、同じような背丈の少年二人だった。
「なんだ、みんなで来たんじゃなかったのか?」
「さすがに大所帯ですからね~。途中で何組かにばらけましたよ」
「ああ、なるほど。鯰尾さんと骨喰さんは二人だけなのかい?」
「そうだ」
脇差の少年たちはそう言い、石切丸は納得して頷いた。
そして、ここでもちょっとした談笑が始まった。
鯰尾たちはすでに街中を歩き回った後らしく、夜市の様子を軽い調子で教えてくれる。
骨喰は無口だが、時折その話にぼそりと補足を入れてきたりする。
御手杵と石切丸は焼き鳥を頬張りながら楽しげに応対していた。

「そろそろ時間だ」

彼らが丁度焼き鳥の串を空にした頃、骨喰が口を開いた。
「え~?もうそんな時間?」
まだ話し足りないのか、鯰尾が顔を顰める。
「おや、これから何かあるのかい?」
「帰る時に集合するんだ」
「いち兄ってばうるさいんですよ。バラバラでもちゃんと時間になったら帰るって言ってるのに」
石切丸が尋ねると骨喰は淡々と返してきたが、鯰尾の方は不満げに唇を尖らせた。
「ははっ、そう言ってやるなよ。心配してるんだから」
そんな黒髪の頭を、御手杵は大きな手でポンポンと叩いた。
「はいはい、分かってますって。それじゃ、俺たちはこれで」
鯰尾はそう言いながら渋々と踵を返す。
「あっ」
だが、歩き出そうとしたところで小さな声を上げた。
「俺、気になってたんですけど……やっぱり『でーと』ってやつですか?」
振り向いた顔は悪戯っ子のように笑っている。
「あ~、う~ん」
御手杵はなぜか曖昧な返事をした。
彼の性格ならあっさりと認めそうなものだが、今は目を泳がせながら頭を掻いている。
「その、『でーと』って何かな?私はどうにも片仮名の言葉に弱くて」
隣にいる大太刀の青年は少し困った様子で首を傾げた。
「石切丸、気にしなくていいぞ。ちょっと遊びに行くみたいなことだから」
彼にとっては純粋な疑問だったのだが、御手杵の方は言葉の意味を知られたくないようで、すぐにそれを遮ってきた。
「──悪いけど、俺らもそろそろ行くな。もう少しいるつもりだし」
戸惑う石切丸の腕を引き、やや強引に足を踏み出した。
「御手杵さん、待って。急にどうしたんだい?」
「それじゃぁな。気をつけて帰れよ」
制止の声も聞かず、彼は足早にその場を離れていってしまった。

「……珍しい。焦ってた」
先にここを去るつもりが、いつの間にやら逆に取り残されている。
骨喰は小さくなっていく二人の姿を眺めやりながら短く口を開いた。
「俺は絶対に頷くと思ったのにな~。御手杵さん、どうしたんだろ?」
脇差の少年たちは、不思議そうに顔を見合わせた。

 

 気が付けば賑やかな街明かりから遠退いている。
静かに流れる水の音が二人の耳に入ってきた。
「私は……何かしでかしてしまったかな?」
石切丸はようやく立ち止まってくれた背中に不安げな声を向けた。
「いや、別にそういうことじゃないんだけど」
御手杵は掴んでいた腕を放し、そのまま一人で歩き出した。
街中を巡る舗装された水路の脇には木々が植えられていて、ちょっとした散歩道のようになっている。
「せっかくあんたが落ち着いていてくれてるのにって思ってさ」
彼は遠慮がちに後ろを着いてくる石切丸の気配を感じても振り返らなかった。
さっきの疑問に答えを与えたら、この大太刀はきっとまた取り乱してしまう。
あげくに昼間の一件を思い出してしまったら目も当てられない。
御手杵はそんな風に考えながら、ここまで和やかに夜市の雰囲気を楽しんでこられたことに安堵する。
そして、『この先』を手に入れるためには帰り際まで平静でいてほしかった。

 石切丸には御手杵の胸中が分からなかった。
確かに怒ったり苛立ったりしているようには感じられず、緩くて温かくていつも通りの空気を纏っている。
(今は隣にいてもいいのだろうか?)
このまま背中を見つめているのは寂しくて、逡巡しながらも思い切って声を投げかけた。
「御手杵さん、ちょっと止まってくれないかな」
「ん?どうした?」
立ち止まり振り返った眼差しが優しくて、ホッとする。
石切丸は彼に駆け寄って先刻までの定位置を確保した。
その幸せそうな表情を見た瞬間、御手杵は自身の言動を振り返って溜息を吐いた。
「ごめんな。なんか色々考えちゃって」
「気にしないで良いよ」
彼らはまた肩を並べてのんびりと歩き始める。
賑わいから離れたこの場所で、もう少しだけ時を過ごすことにした。

 その後、二人は小一時間ほどしてから帰路についた。
そろそろ夜も深まる頃合いだったが、万屋街は煌々とした灯りの中で活気に満ちている。
「楽しかったね。御手杵さん」
そんな光景に後ろ髪を引かれつつも、石切丸はニコニコと笑っていた。
近頃はそれぞれ任務を帯びて本丸を留守にしていることが多かったので、外出など本当に久しぶりだった。
「そうだなぁ。良い気分転換になった」
上機嫌な横顔につられて御手杵の相貌も柔らかい。
しばらく何気ない会話をしながら歩き、やがて彼らの本丸へと続く一本道に出た。
まるで隠されているような小道は、鬱蒼とした森の中を貫いている。
そこを慣れた足取りで進み、視界の先に本丸の正門を確認した御手杵はふと動きを止めた。
「あれ?どうしたんだい?」
何の予兆もなかったことで、石切丸が驚いて瞳を瞬かせる。
「……なぁ、ちょっと手を出してくれないか」
「う、うん。それは構わないけれど」
相手の意図が読めず、かと言って断る理由もなく、彼は御手杵の方へ手を伸ばした。
槍の青年はポケットの中をまさぐり、何かを取り出して石切丸の手の平に置いた。
それは小振りな木製の掛札に番号が書かれたもので、本丸の男士たちならば誰もが見知っている。
「どうして、これを」
石切丸は戸惑いを隠せなかった。
この掛札は空いている部屋を借りる時に使用するものだ。
「だって今日は……」
「離れの部屋、空いてたんだ」
食い入るようにそれを見つめる彼に端的な言葉が降ってくる。
ハッとして顔を上げると、静かな双眸にぶつかった。
とても冗談には思えない雰囲気を感じて、思わず目を逸らしてしまう。
「違うって、そうじゃないって言ったよね?」
昼間の出来事を思い出して顔が熱くなる。
あの時、彼は勘違いしたことを謝ってくれたはずだ。
「言ったけど、やっぱり無理だろ?あんなの」
御手杵は淡々と言いながら、掛札を乗せた石切丸の手に自分の手を重ねて強く握った。
それを引いて歩き出す。
「き、君!最初からそのつもりで!?」
咄嗟のことで抗えなかった石切丸は声を上げた。
今ここに掛札があるのは、本丸を出る前に御手杵が用意していたからに他ならない。突然降って沸いてくるような代物ではないのだから。
「あんたさ、あんな誘い方したら俺じゃなくても誤解するからな。もうちょっと自覚してくれよ」
「あんなことって……そんなの君以外にするわけないじゃないか」
石切丸は耳まで真っ赤になっていた。
恥ずかしくて逃げ出してしまいたい。
自分としては普通に誘ったつもりだったのに、どうして勘違いされてしまったのか分からなかった。
言い方が悪かったのだろうか?
裾を握ったのが悪かったのだろうか?
どんなに考えても、何を自覚すればいいのか分からなかった。

 拘束の手は力強くても乱暴ではなかった。
最初は一方的に引かれていたが、今は歩調を合わせていてくれている。
石切丸は悶々とした気持ちを巡らせていたが、一つだけ確かなことがあった。
側にいたいと、構ってほしいと。
この一日、それだけはずっと心の中に燻り続けていた。

人知れず隠された道の先、本丸の正門はすぐ目の前だった。

 

2020.11.1

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