寂しがり屋

 夕餉を終えて就寝までの一時。
それぞれ思い思いに過ごす男士たちの話し声や笑い声が本丸に響く。
ゆったりとした夜だった。
「明日って朝早いのか?」
部屋の壁に背を預けて座っている御手杵がおもむろに口を開く。
「そうだねぇ。皆が起き出す頃には出る予定だよ」
彼から数人分ほどの間を置いて座っている石切丸が返事をし、
「見送りはいらないよ。君は朝が弱いからね」
その後で意地悪げにくすくすと笑った。
「弱いっていうか、布団から出たくないだけっていうか……目は開いてるんだけどなぁ」
それを否定しきれないのか、御手杵はばつが悪そうに頭を掻いた。

 

 石切丸は明日から遠征任務へ向かう予定だ。
通常は長くても一週間くらいの任務がほとんどなのだが、稀に月単位に及ぶ内容の時もある。
今回彼が命じられている任務期間はおよそ二ヶ月。
だが、これはあくまでこの本丸の時間軸でという話だ。
どうやらここを流れる時間は特殊なようで、実際に男士たちが任務をこなす場所よりも少し時の流れが早いらしい。
この本丸に住まう面々も、来たばかりの頃はその感覚に戸惑ったものだ。
だが、慣れてしまえばどうということはないようである。

「──で、なんでそんなに離れて座ってるんだ?」
最初からずっと気になっていた。
御手杵は特に気を悪くした風でもなく、ただ不思議そうな顔をする。
普段二人で過ごす時、石切丸はここまで距離を取ることはない。
密着するわけでもなく、それでも手を伸ばせば触れられそうな。
彼はいつもそうやって控えめに佇んでいる。
「……気のせいじゃないかな」
御手杵の問いに、石切丸はそろりと視線を逸らした。
「それ、無理がありすぎ。あんたって誤魔化すの下手だよなぁ」
これには苦笑を禁じ得ない。
御手杵は喉の奥に笑いを閉じ込めながらも、すぐに問い詰めようとはしなかった。
『こんな夜』だ。
石切丸はきちんと答えてくれるだろうと、のんびり構える。

「君に……君に触れたら離れるのが嫌になってしまいそうだから」

 どれくらい時が流れただろうか。
夜気の中に溶けてしまいそうな声が御手杵の耳に届いた。
それが意外だったのか、彼は一瞬声を失う。
石切丸は目を逸らすどころか完全にそっぽを向いてしまった。
薄暗がりでも分かるくらいに頬を上気させながら。
(はぁ~、なに言ってくれてんだよ…ったく)
御手杵は思わず天井を仰ぎ見た。
それならこうやって会わなければよいものを、それは嫌なのだろう。
今夜は共に過ごしたいという気持ちは語らずとも伝わってきてしまう。
そんな姿を見せられては愛おしさもひとしおだ。
この僅かな距離感がもどかしくて、御手杵の身体はすぐに動いた。
「──えっ?お、御手杵さん?」
逸らされた顔を自分の方へ向けるかのように、正面から石切丸を抱きしめる。
突然の温もりに驚いた石切丸は硬直してしまったが、少し苦しいくらいの抱擁を受けてすぐに声を上げた。
「君、私の言ったことが聞こえていなかったのかい?」
恥ずかしさを我慢して真摯に答えた彼にしてみれば、「なぜ?」と叫びたくなる状況だ。
御手杵はこちらの意をくみ取ってその距離を保ってくれるだろうと勝手に思っていたのだから。
「ちゃんと聞こえてるって。だからこうなってる」
無理に抱き寄せたせいか腕の中の身体は強張っていて、御手杵の声音が自然と優しくなった。
「さすがに今夜はなんにもしないからさ。朝早いわけだし」
「そ、そんなの当たり前じゃないか!」
石切丸は至近距離で聞こえた言葉の意味を察して声を荒げた。
(……ほんとはめちゃくちゃ抱きたいんだけどなぁ)
明らかに動揺している彼をよそに、御手杵は思わず漏れそうになった本音をぐっと内へ押し留める。
明日から遠征に向かう石切丸に負担を強いるなど論外だ。
しかし、頭では分かっていても心を制御するのは難しい。
「あー、でも一個だけ勘弁して?」
どうしても紳士にはなりきれない。
彼は石切丸の着物の片襟を乱して首筋に唇を落とした。
「──っ!?」
柔らかな肌をきつく吸い、わざと赤い花を散らす。
「俺からのお守り代わりな。それから……」
「御手杵さんっ、これ以上は…もう」
石切丸はぎゅっと目を閉じて御手杵の声を遮った。
とてもじゃないがこの身がもちそうにない。
だが、それに追い打ちをかけるような言葉が彼の耳元へ囁かれた。
その瞬間、ただでさえ熱かった顔が更に発火する。
「私は今からそんな約束しないからね!」
どうしようもない羞恥がこみ上げてきた石切丸は、思いきり叫んでしまった。

 

 そろそろ二ヶ月が経とうとしている。
御手杵は本丸の玄関付近に設置されている掲示板をぼんやりと眺めやっていた。
そこには現在任務遂行中の部隊に配置されている男士たちの名が刻まれた木札が掛けられている。
そしてその横には帰還の予定日時。
「……明日の昼頃かぁ」
槍の青年は連なる木札のただ一枚を見つめながら頬を緩めた。

「おや、こんな所でどうしたんだい?御手杵」

すると、玄関先の戸が開く音がした。
結い上げた髪をきらびやかな着物の肩に流している同僚は、意外そうな顔を隠しもしない。
「あぁ、蜂須賀。買い物か?」
御手杵は木札から視線を外し、蜂須賀が小脇に抱えている包みに目を留める。
「もうすぐ弟が帰ってくるから、好物の菓子でもと思ってね」
「ははっ、相変わらず浦島には甘いなぁ」
蜂須賀は弟である浦島のこととなると、途端に柔らかな表情をする。
「いや、遠征のたびに買っているわけじゃないさ。今回は少し長めだから『お疲れさま』ということだよ」
浦島を甘やかしている自覚はある彼だが、いざ誰かに指摘されるとつい取り繕ってしまうようだ。
(そう言えば浦島もあいつと同じ部隊だったか)
一点集中で木札を見ていたくらいだ。
御手杵は石切丸以外の部隊の面子をあまり気にしていなかったのだろう。
「ま、なんにせよみんな無事に帰ってきてほしいもんだ」
だからと言って決して薄情なわけではない。
「そうだね」
蜂須賀は静かに頷いた。
それぞれ相手は違うが、無事を願い帰りを待ちわびる心境は同じだった。

──と、急に慌ただしい足音が聞こえてきた。
音の主は掲示板の前に人影を見つけて声を上げる。
「あー!御手杵さん、丁度良いところに!」
廊下の奥から走ってきたのは鯰尾だった。
両手に数枚の木札を持ちながら御手杵と蜂須賀の元へやってくる。
「明日第一部隊が朝から出陣することなっちゃいました。御手杵さんも編成されてますよ!」
本日の近侍である鯰尾は元気よくそう言いながら、掲示板の第一部隊の欄に手際よく木札を掛けていく。
「……え?俺?」
「それはまた、急だね」
まさに寝耳に水である。
御手杵は一瞬頭が真っ白になってしまった。
「俺は……入っていないようだね」
蜂須賀は六枚の木札に自分の名前がないことを確認して胸を撫で下ろす。
戦場へ赴くとなれば、少なくとも半日以上は本丸へ戻れないだろう。
明日の昼頃に帰還する弟を出迎えることが出来なくなる。
「御手杵さ~ん?起きてます?」
鯰尾は急に喋らなくなった御手杵を訝しみ、少し背伸びをして彼の目の前で掌を振ってみせる。
「へ?あぁ、起きてるって」
「嬉しくないんですかぁ?いつも出陣っていうと喜ぶのに」
黒髪の少年は頬を膨らませて上背のある相手を見上げた。
「悪い、ちょっと驚いただけ。戦場に出るのは望むところだからな」
御手杵はきゅっと口元を引きしめて言い放つ。
複雑な思いを胸に抱えながら。

 

 石切丸は眼下に広がる町並みを安堵の瞳で見つめていた。
その近くで浦島が大きく身体を伸ばす。
「ん~、やっと終わりか~!」
「……まったく、長々と疲れる任務でした」
その明るい声の後、宗三が溜息と共に口を開いた。
桃色の髪を何気なしに払うその顔は少し歪んでいる。
「なぁ、なぁ、宗三が不機嫌だぞ?もうすぐ帰れるのに嬉しくないのかな?」
それを見た包丁が石切丸の袴をツンツンと引っ張りながら見上げてくる。
「そんなことはないよ。彼はきっと……」
石切丸は小さな同僚に穏やかな笑みを向けた。
「あれだよな。江雪さんと小夜に会えなくて拗ねてるだけだって」
すると、愛染がその言葉尻をからかい混じりで繋いだ。
「お黙りなさい、愛染」
それが図星だったのか、宗三は愛染を睨め付ける。
「素直じゃないな~、宗三さんってば」
そんな二人のやり取りは周囲を和ませた。
任務の終了を目前にして、皆どこか浮かれているのかもしれない。
「俺も早く兄ちゃんたちに会いたいな~。あ、そうだ!石切丸さん、なんかお土産買ってもいいかな?」
浦島も兄たちのことを思ったのか、目をキラキラとさせて石切丸を見上げてきた。
「俺もお菓子買いた~い!」
お土産と聞いて包丁も勢い込んで参戦してくる。
「まぁ、それくらいはいいんじゃないですか?」
「俺も賛成ー!」
仲間たちから期待の眼差しを受けた石切丸は、思わず声を立てて笑ってしまった。
「はははっ、そうだね。でも、あまり時間はないから程々にね」

 軽やかな足取りで町へ向かう四人の背中を追いながら、石切丸はふと思う。
 (皆、本当に仲が良い。微笑ましいね)
離れるのは寂しいが、待っている誰かの存在はそれだけで任務の励みになるものだ。
(……御手杵さん)
石切丸は本丸で帰りを待ってくれている槍の青年を想い、自然と首筋へと手が伸びた。
あの日この肌に残された痕は、今やすっかり消え失せてしまっていた。
それでも彼を想うたびに消えたはずの痕が疼くような気がする。
「早く君に会いたいよ」
隠しきれない恋情が人知れず唇から零れ落ちた。

 

「ただいまー!!」
本丸の玄関先に脇差と短刀たちの元気な声が響き渡った。
その後に打刀、大太刀と、順番に玄関の戸をくぐる。
久方ぶりの本丸の空気を吸い、部隊の一同は嬉しげだ。
そこへ少年たちよりも慌ただしい複数の足音が迫ってきた。
「お帰り、浦島!無事で良かった」
「あ、蜂須賀兄ちゃん、長曽祢兄ちゃん、ただいまー!」
蜂須賀は感極まって浦島を抱きしめる。
長兄である長曽祢は、少し離れた所でその様子を微笑ましげに見つめていた。
宗三・愛染・包丁も出迎えてくれた身内たちと和やかに談笑を始めた。
玄関先はあっという間に賑やかな色に染まっていく。
そんな温かい雰囲気に浸りながら、石切丸は掲示板を見た。
彼は外から戻った時には必ず掲示板に目を通すようにしている。
各部隊の稼働の有無やそれ以外にも様々な情報が確認することができる。
(──え?)
そして、第一部隊に連なる名前に目を見張った。
(出陣……中?)
石切丸の耳には周囲の楽しげな声など入らなくなってしまった。

 隊長である石切丸はその場で解散の旨を隊員に伝え、自分は主への報告の為にその場を離れた。
報告を終え自室へ戻ったが、同室である大太刀の面々は誰もいない。
「……はぁ」
一気に全身の力が抜けてその場に座り込む。
彼は御手杵が出陣している可能性を全く考えていなかった。
いや、無意識に頭の中から排除していたのかもしれない。
それよりも帰還した後のことばかりを考えていた。
最初は何を話そうかとか、顔を見たら抱き付いてしまいそうだとか。
ただ、心が浮つくばかりで。
今はそんな自分が酷く滑稽に思えた。
「会いたいよ……御手杵さん」
石切丸はまるで迷子の子供のように泣きそうな顔で呟いた。

 

 蛍丸は苛つきながら力任せに敵を薙ぎ払った。
「もうっ、邪魔!」
普段から強引な戦い方をする彼だが、今日は特に顕著だった。
「どうしたんだ、蛍丸?機嫌悪そうだな」
御手杵が心配げに尋ねると、
「だって……」
蛍丸は思いっきり頬を膨らませた。
「今日は国俊が遠征から帰ってくる日だったから、国行と二人で出迎えたかったのに」
どうやら蛍丸は早く本丸へ戻りたいらしい。
それを聞いた御手杵は瞠目した。
「そういうあんたも早く帰りたいの?やたらと張り切ってるし」
時々あることとはいえ、そもそもが急な出陣だった。
蛍丸がそんな風に思ってもおかしくはない。
「そうか?いつも通りだけど」
御手杵はそう答えたが、そんな自分にどこか違和感を覚えた。
「俺と誉れの取り合いしてるくらいには張り切ってるでしょ?」
出陣してから数回戦闘をこなしてきたが、確かにその通りだった。
蛍丸と御手杵の活躍は目覚ましく、二人だけでも良いのでは?と思える程だった。
「まぁ、身体は軽い気がする。そっか……俺は早く帰りたいんだな」
頭の中でちらつく柔らかな面影は、知らずの内に御手杵を駆り立てていたようだ。
彼は妙に納得して頷いた。
戦場は気持ちが良くて心が躍る。
けれど、今はそれよりも優先させたいことがあった。
(なんか、寂しがってるような気がするんだよなぁ)
御手杵はもう本丸へ帰還しているであろう石切丸を想い、前方を見据えて槍を構え直す。
敵の本陣はもう目の前だった。

 

 第一部隊の帰還は慌ただしかった。
解散の声もそこそこに蛍丸が廊下を駆けていく。
御手杵はその小さな背中を見送りつつ、掲示板に目を向けた。
今はそこに彼が求める名前の木札は掛けられていない。
それに安堵し、彼もまた早々にその場から立ち去る。
さすがに蛍丸のように駆け出したりはしなかったが、はやる気持ちは明らかに普段よりも忙しない歩調に現れていた。

 御手杵が向かったのは石切丸が寝起きをしている大太刀部屋だった。
ここに居なければ探し回る羽目になるかもしれないと思っていたが、それは杞憂で終わった。
部屋の前の縁側に、見慣れた佇まいの青年が座っている。
御手杵の顔は嬉しげに緩み、すぐに名前を呼ぼうとした。
(……あれ?)
だが、石切丸は座ったまま居眠りをしているようだった。
「そりゃ、疲れてるよなぁ」
傍らに膝を落としてその顔を眺めやる御手杵は、少し困った様子。
予定通り昼頃に帰還したのであれば、まだ二・三時間くらいしか経っていない。
いつもより長い遠征で積もった疲労を癒やすには短すぎるだろう。
正直、このまま寝かせてやりたいという気持ちもあった。
けれど今は、「こっちを向いて欲しい」と自分本位な気持ちが前へ出てしまう。
(俺って全然優しくないなぁ)
御手杵はそう自嘲しつつ、眠る彼の肩に触れて僅かに身体を揺すった。
「石切丸」
「…………ん」
幸い眠りの深度は浅かったらしい。
石切丸はすぐに目を覚ました。
「悪いな、疲れてんのに」
「おて…ぎね……さん?」
寝起きの気怠げな表情で声のする方を向く。
「起きた?」
次第に明瞭になっていく視界に優しい眼差しが入ってきた。
その瞬間、石切丸の頭は一気に覚醒した。
「──っ!」
会いたくて堪らなかった姿が目の前に広がり、衝動的に身体が動く。
粉塵にまみれた戦装束をもろともせず、思いきり相手に抱き付いた。
「……っと。なんだ、元気だなぁ」
首筋に絡みつく両腕は苦しいくらいだが、御手杵は嬉しそうに戯けて自分よりも小さな背中を宥めるように叩く。
石切丸は無言のまま、慣れ親しんだ体温を確かめるかのように密着して離れようとはしなかった。
「ごめんな。昨日急に出陣が決まっちゃってさ」
そんな姿を微笑ましく思いながらも御手杵が口を開くと、石切丸はやはり無言で首を小さく左右に振った。
普段の彼であれば、いつ誰が通るとも知れない場所でこのような行動は取らない。
そもそも自分から抱き付いてくること自体が稀だ。
(やっぱり寂しかったんだな)
御手杵はしみじみとそう思った。

 

 身体が勝手に動いてしまったとはいえ、なんてことをしてしまったのだろう。
石切丸は居心地の悪さを誤魔化すかのようにお茶を啜った。
(はぁ、穴があったら入りたい)
座卓を挟んで向かいに座っている御手杵は、お土産の饅頭を美味しそうに頬張っている。
 縁側で顔を合わせた後、二人は空いている部屋を借りてくつろいでいた。
そう提案したのは御手杵の方だったが、それは石切丸が我に返った時の慌てぶりが凄まじかったからだ。
とにかく落ち着かせてやりたいと思った。
放っておいたらその場から逃げ出してしまいそうで、それだけは絶対に嫌だったというのもある。
会えなかった空白を埋める為には、縁側での一時などあまりに短すぎる。
結局、石切丸が取り繕えるくらいの平静を取り戻すのにはしばらく時間がかかってしまった。
その間を御手杵はゆっくりと待っていた。
彼にとってそれは苦になるどころか嬉しいことだった。

「なぁ、なぁ、これって俺が全部食っていいやつ?」
「良いもなにも、ほとんど残っていないじゃないか」
御手杵が話しかければ石切丸はきちんと応じてくれる。
しかし、恥ずかしさは染み付いたままであまり目を合わせようとしない。
「同室の彼らの分は別にあるから大丈夫だよ」
僅かな毒気の後、彼は律儀にも言い直した。
 先刻、ようやく形ばかりの落ち着きを取り戻した石切丸が、
「お土産があるから持ってくるよ」
とこの場を離れようとした。
御手杵は彼が逃げてしまいそうな気がして微かに眉を顰めた。
だが、それも一瞬。『お土産』という響きには抗えなかったらしい。
現状こうやって美味しいものを食べているわけで、結果として引き留めなくて良かったと思うあたり現金なものだ。
久しぶりの二人きりの時間に、御手杵も少々浮かれているのかもしれない。
「そっかぁ、ありがとさん。でも、気にしなくてよかったんだぞ?俺はあんたが無事に帰ってきてくれればそれで十分だし」
お土産の饅頭を食い散らかしながら言う台詞ではないような気がするが。
「そ、それは皆が買いたいと言ったからその流れで……つい」
しかも、さらりと石切丸の胸を騒がせる。
(いつも唐突すぎるよ…君)
どうしてか無頓着を装って『嬉しい』を的確に突いてくる。
(……あっ)
石切丸はふと湯飲みの中を見て困り顔になった。
いつの間にか飲んでいたお茶が空になり、誤魔化す術を失ってしまった。
さり気なく御手杵の様子を窺うと、彼は丁度最後の饅頭を食べ終えたところだった。
「本当に全部食べてしまったのか。もうすぐ夕餉の時間だというのに」
「だって食べて良かったんだろ?おやつみたいなもんだし」
お土産に満足した槍の青年は緩やかに笑う。
石切丸は彼が嬉々として食事をする様やその後の幸せそうな表情を見るのが好きだが、今はそんな余裕がなかった。
再び空になった湯飲みへ視線を戻してしまう。

「──まだ照れてんの?」

 そろそろ向かい合ってくれないかと、御手杵が頬杖をつきながら見つめる。
お土産という緩衝材があったのに随分な重傷ぶりだ。
そんな姿も愛おしいが、彼が今欲しているものとは違う。
御手杵は座卓に半身を乗り上げて手を伸ばした。
優しく頬を撫でて石切丸を自分の方へ向かせる。
「こ、こらっ、行儀が悪いよ!」
すると、いきなり咎められてしまった。
座卓は石切丸にとっては予防線だったのだろうか。
だが、御手杵にしてみればただの障害物の類いだ。
「だったら、どかしちまえばいいよな?もう食い終わったし」
今さら「はい、すいません」などと襟を正す気もない。
触れたいなら邪魔なだけの座卓を、御手杵は強引に押しのけた。
そのまま距離を詰めて無断で石切丸の唇を奪う。
もちろん、挨拶のような軽い口づけで済むわけがなかった。
久しぶりの感触を堪能したくて、それは濃密に深まるばかりで。
石切丸は舌先の愛撫に堪えきれず、持っていた湯飲みを落としてしまった。
畳の上に転がっても目で追うだけで、御手杵の唇を受け止めることに精一杯だった。

「なぁ、遠征前夜の『約束』覚えてる?」
ひとしきり唇を交わらせた後、高揚した顔で御手杵が言った。
「わ、私はっ、約束…して、ない…よっ」
すぐにそれに思い当たった石切丸は、息も絶え絶えに突っぱねた。
前夜の言葉が耳元に蘇り体中が熱くなっていく。
「あんた『今からは』って言っただろ。じゃあ、もう一回言うから答えてくれよな」
御手杵はまるで過去を辿るようにあの夜と全く同じ行動を取った。
石切丸の襟元を乱して火照る肌に赤を落とす。
そうして、囁いた。

「帰ってきたら目一杯…抱かせてくれよ?」

あの時よりも熱っぽい声音が石切丸の思考を鈍化させていく。
彼もまた同じようにぎゅっと目を閉じた。
「少し、少し…だけなら」
「へぇ?少しってどのくらい?」
どこか曖昧な答えに御手杵は意地悪げな問いを返す。
「私に聞かないで。君が……決めて」
石切丸は閉じた目が開けられなかった。
どんな顔で彼を見たら良いのか分からない。
会いたくて触れたくて堪らなかったのは自分だって一緒だ。
「あんたさ、これ以上俺を煽ってどうすんだって」
随分と可愛いことを言ってくれる恋人に、御手杵は笑いを噛みしめる。
「だって……」
「分かったよ。あんたの『少し』は俺の『目一杯』ってことな」
いい加減もう限界だ。
これ以上の言葉のやり取りはいらない。
御手杵はそれを示すように石切丸を組み伏せて、彼の着物に手を掛けた。

 

 あれからしばらくが経った。
普段よりも長い遠征に出ていたことを配慮してか、石切丸はどの部隊にも配属されずにのんびりと過ごしている。
御手杵の方は戦場へ出ることもあるが、大抵はその日の内に帰還する。
負傷をものともせずに活き活きとした顔で帰ってくる彼を、石切丸は微笑みながら出迎えた。
「御手杵さん、おかえり」
「ただいま~」
逞しい身体に細かな裂傷をいくつか抱え、それでもどこか嬉しそうだ。
菫色の瞳は心配げな色を見せたが、静かに頭を振った。
(本当に……遊んだ後の幼子みたいだね)
そんな風に微笑ましく思っていると、急に腕を引かれた。
「石切丸、今度はあそこに俺たちの名前が隣に並べばいいよなぁ」
御手杵は掲示板を指差しながら笑う。
そこには部隊別に並んで掛けられている木札があった。
「ふふっ、そうだね。私はどちらかと言えば遠征の方が良いけれど」

寂しがらせるくらいなら一緒に戦場を駆けようと御手杵は言う。
寂しくなるくらいなら同じ部隊で君の存在を感じていたいと石切丸は思う。
まるで互いが身体の一部のようにすら感じて、離れがたかった。

 

2019.4.16

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