目は言葉よりも

 石切丸が廊下を歩いていると、戦装束の日本号と出会した。
「やあ、日本号さん。これから遠征任務かい?」
その出で立ちを見て、今日の各部隊の予定を頭に巡らせる。
「まあ、そんなとこだな。さっさと帰ってきてゆっくり飲みてぇもんだぜ」
「ふふっ、行く前から何を言っているんだか」
二人はその場で立ち止まり、軽口を交わし合う。
少し取り留めのないやり取りをし、やがて石切丸の方が見送りの言葉を口にした。
「それでは、気をつけてね」
「おう、ありがとよ」
日本号は石切丸に背を向けて歩き始めながら、「行ってくる」とばかりに軽く片手を上げる。
──だが、

「あいつなら部屋で槍の手入れしてたぜ。出陣までには大分時間があるっていうのになぁ」

一瞬足を止めた後、意味ありげに唇の端を釣り上げた。

 

 そもそも、会いに行くつもりはなかったのだ。
大概にして出陣前というのは慌ただしいものだし、戦場へと意識を向ける彼の邪魔をしたくはなかった。
「随分と意地悪なことを言ってくれたものだ」
そこへ向かう足を止められないのは、日本号が発した言葉の影響だ。
手入れ中ならば尚更のこと、訪問は憚るべきだというのに。
けれど、どうしても止められなかった。

 部屋の障子戸は開かれたままだった。
石切丸が遠慮がちに顔を覗かせると、真剣な面持ちで己と向き合う御手杵の姿。
すでに戦装束に身を包んでいるのは、はやる気持ちの表れだろうか。
その精悍とした横顔に見惚れてしまいそうになったが、すぐに頭を振って視線を外した。
(はぁ、私はなんて安易な行動を)
やはり、彼の邪魔をするわけにはいかない。
そう思い踵を返そうとしたが、

「あれ、どうしたんだぁ?そんなとこに突っ立って」

存外に柔らかな御手杵の声が聞こえてきた。
「えっ、あ、ちょっと通りかかっただけだから……」
驚いた石切丸は、思わず自分の行動を誤魔化してしまう。
「そっか~。なら、折角だから景気付けでもしてってくれよ」
御手杵は真剣な表情から一転、いつもの鷹揚さで石切丸を手招きする。
「まだ途中ではないのかい?」
「もうすぐ終わるから、気にすんなよ」
石切丸はその言葉に安堵した。
それでも手入れが終わるまではと、少し距離を取って腰を下ろした。

 声をかけずに、ただ見つめる。
ここまでじっくりと『彼』を見ること自体が初めてのような気がして、目が離せなくなる。
(やっぱり綺麗だ)
自分とは何もかもが違う姿形に自然と惹かれる。
(……好きだな)
その重量感と怖いくらいの鋭利さに、今度こそ見惚れてしまった。

 

 きっと気を遣っているのだろう。
こちらの作業が終わるまで声をかけるつもりはないようだ。
(ん~、なんだかなぁ)
御手杵はチラリと相手を盗み見て、なんとも言えない表情をした。
確かに声はない。
けれど、それよりも雄弁に石切丸の心情を表すものが抜き身の槍に注がれている。
(そんな顔で見んなって。こっちが照れる)
恍惚とも言えるくらいに幸せそうな表情で見つめてくるその視線が、少々こそばゆい。

「なぁ、そんなに『こっちの俺』が好き?」

 御手杵は不意に口を開いた。
どちらも自分であることに変わりはないのに、なぜ片方に執着するのだろう。
「なっ、なに言って…!」
突然の問いかけに石切丸の肩が跳ね上がり、それと同時に顔に熱が集まっていく。
御手杵はそれを可笑しげに眺めやり、手入れを終えた槍を鞘に収めながらやんわりと言葉を投げた。
「あー、でも触るのはダメな」
「そんな不躾なことはしないよ。弁えているつもりだ」
やはり邪魔をしてしまったのだろうか?
不安になった石切丸はキュッと唇を噛んだ。
頬を赤く染めたかと思えば、今度は泣きそうな顔をする。
「そういう意味じゃなくてさ」
どうやら少し言葉足らずだったらしいと、御手杵は思った。
そんな顔をさせたかったわけではなく、詫びる気持ちも込めて石切丸の側に座を移動させて
彼の頭をぽんぽんと軽く叩く
「触るなら『こっちの俺』にしとけってこと」
そうして、菫色の瞳を覗き込みながら笑った。

 一瞬、言葉の意味が分からなかった。
目を瞬かせながら、反応の鈍くなっている頭を回転させる。
たっぷり十を数えるくらい後、石切丸はようやく声を上げた。
「わ、私は触りたいなんて一言も言っていないからね!」
また、頬が熱くなる。
反射的に距離を取ろうと腰を浮かしかけたが、御手杵に肩を掴まれて押さえ込まれてしまった。
「あんた、ほんとに自覚ないんだなぁ」

 

 あんな顔で見つめていたくせに、と御手杵は思う。
大抵のことは気にしない大らかな彼だが、不平に向けられた視線に珍しくも不満が首をもたげてしまった。
自分の本体に嫉妬するなんて、とんだお笑い種だろう。
これから出陣だというのに、随分と心を引っかき回してくれた。
「別にそれでもいいけどさぁ……」
御手杵は何か言いたげな顔をしている石切丸を引き寄せる。
「お、御手杵さん?」
「取りあえず責任取ってちゃんと景気付けしてけよな?」
困惑する相手をよそに、苦笑交じりでそう囁いた。

「なにをどうやって?」なんて、適当に自分で考えてくれよと思う。
どう転んでも嬉しいだけだから。

 

2018.5.6

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