灯された熱

 見慣れた若草色の装束が視界の端を横切った。
「……おや?」
廊下の途中で太郎太刀が足を止めた。
そして、不思議そうに瞳を細めた。

「あ、兄貴。おかえり~」
のんびりと寛いでいた次郎太刀が、朗らかに兄を出迎える。
だが、その表情を見て訝しむ。
「どうしたんだい?何かあった?」
「いえ、戦装束の石切丸殿を見かけたので」
次郎太刀はその言葉にパッと明るい表情。
「ああ、ほらっ。最近面白いことしてるじゃん?」
「なるほど。少人数での連携を試しているという、あれですか」
太郎太刀が顎に手を当てて真剣な顔をする。
しかし、それとは逆に弟の方は陽気に笑い出す。
「あははっ、そこまで真面目じゃないって。組み合わせは主さんの思いつきって感じらしいし。
ちなみにこっちの希望も受け付けてくれるんだって。この間、浦島が兄二人引き連れて出陣してたよ」
その時の蜂須賀の何とも言えない表情が印象的だったらしい。
「それはまた……なんとも」
太郎太刀は三兄弟の様子を想像し、小さな息を吐く。
「ところで、石切丸殿はどなたと?」
そして、話の発端となった大太刀のことを問うた。
「えっと、確か御手杵と二人で出陣だったはずだよ」
次郎太刀はそう答えたが、ふと彼らのことを考える。
二人の性格を思えば、この組み合わせは自発的ではないような気がする。
(偶然かねぇ?主さん、あの二人が『仲良し』ってこと知らないだろうし)

 

 とても楽しそうである。
久しぶりの出陣だからだろうか、槍を操る身体がまるで踊るように跳ねる。
かといって、単身突っ走るようなことはなく。
時折、大太刀を振るう仲間の姿を視界に捉える。
「なんだか、玩具を貰った幼子のようだね」
そんな長幼が入り交じる彼の姿は、自然と石切丸の頬を緩ませてしまう。

──と、
不意に空気を裂く音。
「なにやってんだよ……あんたは」
崩れ落ちた骸から些か乱暴に槍を引き抜き、御手杵は動きの止まっていた石切丸を睨む。

 思わず、ゾクリと肌が粟立つのを感じた。
怖いとかそういった意味ではなく、ただ──熱い。
「すまない。少し気が緩んでいたようだね」
石切丸は頭を振って、戦場には不似合いな邪念を散らす。
彼の足を引っ張るわけにはいかない。
一つ息を吐き、構え直した刃の先には雄々しい背中が見えた。

 最後の一体を屠り、辺りの気配を探る。
もはや殺気は感じられない。
「これで一掃したかな」
穏やかな声が耳に届いた瞬間、ドクンと鼓動が鳴ったような気がした。
うるさいくらいに全身を血が巡る。
戦場での高揚感を引きずって、ただ──熱い。

 ゆったりと刀を鞘に戻した石切丸は、背を向けたままその場に佇んでいる御手杵を訝しむ。
もしかして、負傷したのだろうか?
心配になり、彼の側へ歩み寄った。
「御手杵さん、大丈……」
けれど、気遣う言葉は最後まで発せられずに喉の奥で四散してしまう。
振り返った彼の視線を受け、先ほど散らしたはずの熱が舞い戻ってくる。
(これは……いけない)
石切丸は自身を律しようと、射貫くようなそれから瞳を逸らした。
「なんで、逃げるんだ?」
すると、ようやく御手杵の口から声が漏れた。
同時に、激しく地面に槍を突き立てる音。
「あんたも『同じ』じゃないのか?」
空になった手が、まるで求めるように石切丸の方へと伸ばされた。
指先が首筋をかすめ、頬に触れる。
その優しい仕草とは裏腹、見つめる双眸はどこか剣呑だ。
「あんたは……」
御手杵はなにかを発しようとしたが、すぐにそれを放棄した。
そんなことよりも、目の前で言葉に詰まっている相手の唇を貪り食いたい。
彼の身体は欲望に忠実だった。

 吐息が交わる。
御手杵からの口付けは半ば強引で、退こうとする石切丸を許さない。
「だめっ、だよ……早く、帰還しないと」
唇が僅かに離れた瞬間、乱れる息で石切丸が言った。
いつの間にか腰を抱かれて逃れる術を失ってしまった中、なんとか説得しようとする。
「ここは、戦場っ……」
言い切る前に口を封じられる。
抗う手が強く肩を掴み、その力に御手杵は顔をしかめた。
一瞬、相手の舌を噛み切ってしまいたい衝動に駆られる。
 
 この高ぶりを素直に引きずる御手杵には分からなかった。
(だって、『同じ』だろ)
彼は、石切丸が瞳を逸らす寸前の顔を見逃さなかった。
熱に浮かされたような、扇情的な表情。
「あんたはこのまま帰れるのか?」
絡めた舌先の拘束を解き、思わずそう問いたくなった。
「帰れるに決まっているじゃないかっ」
煽られたせいか、石切丸の目尻に涙が浮かぶ。
それでも彼は、精一杯の眼光で相手を睨み付けた。
「私の方が隊長だって、忘れていないだろうね?」
強い口調の中、余裕のなさが露わになってしまう。
体内の疼きを無理矢理に押し込めているのが、傍からでも見えてしまう程に。

「あー、そうだったなぁ」

そんな姿を目に、ふっと御手杵の険が緩んだ。
(なんで我慢なんかするんだろうな?)
やはり、石切丸の胸中が分からない。
そう思いつつも、ぎゅっと彼を抱きしめた。
帰還しなくてはいけないと頭では分かっているのに、未だ脈打つ血の音がうるさい。
「お、御手杵さん?」
「そうだなぁ~、だったら『お持ち帰り』ってことで」
この熱を静める方法など一つしか知らなくて、御手杵は自分の中で勝手に妥協した。
そして、さっさと帰還したいとばかりに石切丸を片腕で抱き上げて足を踏み出す。
「ちょっ、ちょっと待っ……!」
その突飛な行動には、石切丸も声を上げずにはいられない。
──だが、
御手杵が地面に突き刺した自身である槍を引き抜いた時。
鋭利に光るその姿を目に留めてしまった時。
「……っ」
喉の奥が小さく鳴った。

(あぁ、私は……狡い)

年長者の顔をして、隊長の顔をして、自分を誤魔化している。
指先まで熱い。猛々しい姿に目眩すら起こしそうになる。
戦場の余韻を引きずったこの身を諫めることなど、心のどこかで諦めていたのに。

(私は本当に、狡い)

 何も言わずに目を閉じた。
ただ、悩ましげで小さな吐息。
まるで誘うような仕草は、きっと無意識なのだろう。
それを横目に御手杵が密かに悪態を吐く。
(ったく、溜息吐きたいのはこっちだっての)
妥協なんてしなければ良かったと、彼は早々に後悔をした。

今すぐにでも組み敷いてしまえと声がする。
今すぐにでも互いの熱を感じ合いたいと切望する。

この数拍の間でも惜しいくらいに。

 

【おまけ】

 本当に『偶然』だったのだろうか?
御手杵は先日の出陣を思い出していた。
彼自身は、
「戦に出られるんなら、なんだっていい」
と公言して憚らない。
この槍を振るえるならば、細かいことには拘らないようだ。

だったらあいつは……?
あの人となりを思えば、自ら出陣を申し出るとは思えない。

 どうしても気になった御手杵は、主の部屋を訪ねた。
程なくして退室をした彼の顔は、これ以上ないくらいに緩みきっていた。

 出陣する数日前。
近侍を勤めていた石切丸は、主に問いかけられた。
「私よりも血気盛んな若者たちを出してあげたらどうだい?」
それについて、彼は消極的だった。
主命ならばいざ知らず、平時であれば穏やかに過ごしていたいのが本音だ。
すると、今度は別の問い。
石切丸は少しだけ視線を泳がせた。
「それは……」
ふと脳裏をかすめた青年の名前が、ほろりと唇から零れる。
だが、声に出すつもりはなかったらしい。
一瞬目を見開いた後、困った様子ではにかんだ。

 

2017.12.5

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