猛る瞳と癒やしの手

 小高い丘から見下ろす城下町の風景は平穏そのものだ。
雑多とした人々の営みをその瞳に映し、石切丸が微笑する。
「……特に問題はなさそうだね」
今回の遠征の任務は市中の見回りだ。
戦場とは違い生死を分かつ程の緊迫感はないが、行楽というわけでもない。
時間遡行軍がこの時代に介入してくる可能性は否定できない。
適度な緊張感が必要だろう。
「ん~、そうだなぁ」
だが、隣からは随分とのんびりとした声。
それに微かな違和感を覚え、石切丸が目を向けると、
「ちょっ、御手杵さん!いつの間に!?」
地面に胡座をかいた御手杵が、みたらし団子を頬張っていた。
「さっき一通り町中を巡回しただろ?その時に目に入ってさ」
悪びれる様子もなく、美味そうだから買ったのだと彼は言う。
「あ、そういえば君、ふらっと姿が見えなくなった時があったね」
じとりと、石切丸の目が半眼じみた。
「ははっ、あんたすごい困った顔してたよなぁ」
その時の様子を御手杵は思い出す。
人々が行き交う路地の途中、忙しなく辺りを見回していた姿はさながら迷い子のようで。
一人にした事を少し後悔したが、こちらを見つけた瞬間の嬉しそうな顔に自然と口元が綻んだ。
「……怒ってもいいかな?」
「あー、だめ。これやるから怒るなって」
少々冷ややかに見下ろしてくる相手にも動じず、残っているみたらし団子を御手杵が突き出してくる。
「甘味で機嫌取りかい?」
そんな手には乗るものかと言わんばかりの石切丸。
「元々、あんたと二人で食おうと思って買ってきたんだ」
それは嘘なのか本当なのか?
真意は定かでなくとも、石切丸の心は一瞬で揺らいでしまったようだ。
「ほら、食えって」
「うぅ……わ、分かった。頂くよ」
立ったまま食べるのは行儀が悪いと、御手杵の隣に腰を下ろして団子を一口。
「あ、美味しいっ」
思わず声が跳ね上がり、あっという間に平らげてしまった。
「ほい、もう一本」
「えっ、いいのかい?」
差し出された二本目の団子に石切丸は反射的に目を輝かせたが、ハッとして動きを止めた。
「ん?食わないのかぁ?」
「あ、いや、今は任務中だからね。気が緩みすぎるのもどうかと」
しどろもどろで甘味から視線を外そうとする。
──が、香ばしい誘惑には抗いきれないようだ。
ちらりと団子を見ては、慌てて目を反らす。
それを数回繰り返した所で、御手杵が吹き出した。
「い、いいから、食えって」
笑いを堪えていたのだろう。目の端に涙を滲ませている。
「そんなの適当に休憩中って事にしとけばいいだろ」
そして、妙な所で真面目な石切丸に助け船を出してやった。
「今は休憩中……休憩中」
やはり甘味は捨てがたい。
石切丸はぶつぶつと言いながら助け船に乗り、自らに折り合いをつけたようだ。
 二人は賑わう町を眼下に、暫しの休息をとることにした。

 

「さて、これからどうする?」
ひとしきり長閑な時間を堪能した後、御手杵がゆったりと腰を上げた。
「任務の終了は日没頃か。まだ少し時間があるようだね」
それにつられて石切丸も立ち上がったが、その瞬間一気に全身が強張った。
穏やかな風貌が険しさを纏い始める。
「石切丸?」
仲間の変化を感じた御手杵が、緩んでいた表情を一変させた。
「何か、良くない気配が漂っているようだ」
堅い声音の石切丸が背後を振り返り、その先を見据える。
「あれ、結構深そうな森だよなぁ。あー、でも、人の出入りはあるみたいだ」
鬱蒼とした緑に目を細め、御手杵が口を開く。
 全くの手付かずの森と人の手が入っている森とでは、やはり雰囲気が違う。
狩猟に採取など、自然の恵みは数知れない。
町の程近くにあるこの森を、人々が日常的に利用するのは当然だろう。
「なぁ、『あいつら』の可能性は?」
「今まで遠征中に遡行軍と遭遇したという話は聞かないけれど、全くないとは言い切れないだろうね」
石切丸は無意識に己の本体を撫でた。
「ま、どのみち放っておくわけにはいかないしなぁ」
任務で来ている以上、察知した異変を放置するわけにはいかない。
御手杵が意を決して森へ歩を進め始めると、無言で頷いた石切丸も後に続いた。

 

 分け入った森の中は静寂に包まれていた。
鳥たちの囀りと木の葉のさざめきが、時折二人の耳に入ってくる。
今のところ、人の気配はないようだ。
「なんだろうな……静かすぎる」
一見何の変哲もなさそうな森の空気に違和感を覚え、御手杵が眉を顰める。
「君もそう思うかい?」
それは石切丸も同様だった。
そして更に歩を進めた先、
彼よりも上背のある御手杵の視線が、前方に少し開けた空間を認知した。

──パキッ

そこからほんの微かだが、小枝を踏みしめる音。
それを耳にした御手杵の目が、瞬時に群れる影を捉えた。
(ほんとに、いやがったか)
このまま進めば、確実に鉢合わせをすることになる。
(……三、いや四か)
無言で石切丸を横目にしたが、彼はまだ気がついていないようだ。
だが、このまま悠長にしている暇はない。
こちらから見えるのであれば、向こうからも見えている可能性がある。
(とりあえず、隠れないとな)
咄嗟のこの状況にも御手杵は冷静だった。
すぐ側の大木に目を止め、今はそこへ身を潜めるべきだと判断する。
「石切丸っ」
小声で名を呼び、彼の身体を自分の方へ引き寄せる。
「な、なに……っ、んんん!?」
突然の出来事に声を上げかけた口を、大きな手が塞ぐ。
御手杵はそのまま彼を抱き込んで、素早く木の陰に移動した。
「しーっ。この先に『あいつら』がいる」
状況が飲み込めず、両手をばたつかせている石切丸の耳元に一言。
彼はそれだけで察したようで、幾度か頷くとすぐに声が解放された。
「良くない気配とは言ったけど、まさか本当に遭遇するなんて」
大きな溜息が無意識に零れ落ちる。
御手杵に抱き込まれた状態であることは気にも留めていない様子で、そのまま顎に手を当てて難しい顔をした。
「これは……やるしかない状況かな?」
「そりゃぁ、やるに決まってんだろ」
あまり乗り気ではなさそうな石切丸とは対照的に、御手杵の目は嬉々と輝き出した。

 

 これは普段の出陣時とは違う、突発的な戦闘だ。
本来ならば、敵方の情報など微々たるもののはず。
「数は四。刀種は大太刀が一、打刀が二……っと、見えたのはそれくらいだな。残り一体は分からない」
だが、御手杵はあの短い時間の中で有益な情報を手に入れていた。
「そこまで分かれば十分だよ」
これには石切丸も舌を巻いた。
短刀や脇差程とはいかなくても、彼の偵察能力はなかなかに高い。
「君が一緒で良かった。頼りになるね」
自然と素直な言葉が口をついて出たが、
「え~っと、あ~……それ、全部終わってからな」
御手杵の方は反応に困ってしまったようで、少々照れた様子で遠くに視線を反らした。

 息を潜め、初手の機会を探る。
「刀装がないから、あまり突出しないようにね」
今は遠征中の為、二人とも刀装の類いを装備していない。
正直心許ないが、負傷も覚悟の上で彼らは武器を取る。
「君は複数を相手にしたら駄目だよ。私の方がまだ耐えられる」
石切丸が心配げに、だがさり気なく釘を刺した。
それは御手杵の矜持を刺激したのだろうか。
「はっ、言ってくれる。あんたこそ後れを取るなよ?足、重いんだから」
ギラリと、猛る瞳が笑う。
「ふふっ、君こそ言ってくれるじゃないか」
静かに、高揚した瞳が微笑する。

──視線が絡まった瞬間、二人の足が勢いよく地を蹴った。

 突如、その場に二つの人影が躍り出る。
空気が一気に緊迫の色に染まった。
不意を突かれた形の遡行軍は色めき立ち、次々と武器に手をかけ始めた。

「──遅い!」

 彼らが体制を立て直すより早く、閃光が一筋走った。
御手杵の槍が巨躯な大太刀の胸を貫く。
二対四であれば、攻撃範囲の広い刀種は真っ先に屠るべきである。
巨体が地面に崩れ去る音を聞きながら、御手杵の口角が不敵につり上がった。
それを目の端に捉え、石切丸が攻撃の態勢に入る。
だが、その動きは相手の白刃に遮られた。
「くっ、やはり速いか」
二体の打刀が立て続けに襲いかかり、石切丸は防戦に追い込まれてしまう。
刀装がないことで、彼の身体から鮮血が飛んだ。
「石切丸!!」
「大丈夫!それよりも残りは?」
御手杵の声に気丈な返事をし、石切丸は気がかりを口にする。

そう、一体だけ刀種が分からなかった。
四体目は……

 空気を真っ直ぐ切り裂く音が聞こえた。
「槍か!!」
それは打刀二体と刃を交えている石切丸の背後から襲いかかろうとする。
御手杵の身体は瞬時に動いた。
「やらせるかよ!」
本体を握りしめ防御の構えを取った瞬間、鋭利な光が一閃した。
自分が削れる耳障りな音の後に、脇腹に焼け付くような痛みを感じる。
「ぐっ……はっ」
血が滴り落ちる中、衝撃で後退しそうになる身体をなんとかその場に踏み留まらせた。
「御手杵さん!?」
丁度その時、石切丸が打刀を二体同時に切り伏せて振り返った。
血相を変えて慌てて駆け寄り、御手杵を庇うように前へ出る。
「下がって。後は私が」
しかし、血に濡れた手が石切丸の肩を強く掴んできた。
「あれは俺の獲物だ」
猛々しい瞳が石切丸を射貫く。
「駄目だ!」
制止する声も聞かず、御手杵は槍を構え直した。
「あんたじゃ、遅い」
敵が次の攻撃に入る気配を察し、走る。
動きは、彼の方が速かった。
脇腹の痛みを堪え、この一撃に力を込める。

「貫かせてもらう!」

相手が踏み込んでくる瞬間、御手杵の槍が見事にその胴体を一突きにした。
「……槍相手だったら負けねぇよ」
小さな戦場の中、滾る瞳で地面に落ちた体躯を見下ろした彼はぼそりと呟いた。

 

 小川のせせらぎが、静かな森の中に響く。
「ふぅ、思った程傷が深くなくて良かったよ」
石切丸が自らの衣を裂き、応急手当をしながら安堵の息を吐く。
 あの時、御手杵は突き出された槍の衝撃を極力受け流し、僅かに軌道を逸らせた。
そうでなければ、致命傷になっていたかもしれない。
「でも、無茶をしすぎだよ。君が飛び出した時は、本当に肝が冷えた」
涼やかな水の音に重なるのは、石切丸の声ばかり。
御手杵は無言のまま、手当を続ける彼を見つめていた。
「……御手杵さん?」
「たいした怪我じゃない。俺よりあんたの方が傷だらけだな」
心配げな呼びかけに、ようやく反応があった。
不意に御手杵の手が石切丸の頬に伸び、刀傷で滲む血をそっと拭う。
「わ、私のは浅い傷ばかりだからっ」
その手つきが妙に優しくて、石切丸は胸の鼓動が大きく跳ね上がるの感じた。
自然と顔に熱が集まってしまう。
「ん、どした?」
御手杵が不思議そうに小首を傾げた。
「な、なんでもないよ。それより、そろそろ帰れそうだね」
石切丸は慌てて話を逸らし、木々の隙間を見上げた。
茜色に染まった空は、この遠征任務の終わりが近い事を教えてくれる。
「さっさと帰って飯食いたいなぁ。なんか、急に腹減ってきた」
御手杵が同様に夕暮れ時の空を見上げながら、のんびりと口を開いた。
「まったく、暢気な事を。君は即刻手入れ部屋行き決定だからね」
それに対して、石切丸は大きな溜息を吐く。
そしてぴしゃりと言い放ったのだった。

 

 軽い遠征任務だったはずが、負傷した身体を引きずって二人は帰還した。
それは本丸中を騒然とさせた。
近侍当番の加州が、慌てて御手杵を手入れ部屋に連行していく。
彼よりも傷の浅い石切丸は、主への報告を優先させた。
だが、それは手短に済まされ、負傷を心配した主によって強引に手入れ部屋に放り込まれてしまった。

 半日はゆうに経っただろうか。
石切丸が手入れ部屋から出ると、廊下に加州が佇んでいた。
「そろそろ出てくるだろうと思って。大丈夫?」
「ああ、もうすっかり傷も癒えたよ」
「ほら、事の経緯が経緯だけに主が凄い心配しててさー」
その意を汲んで様子を見に来たのだと、彼は言いたいらしい。
「……ところで、御手杵さんは?」
ふと、石切丸は自分よりも深手だった同胞の事を思い浮かべた。
「隣の部屋。まだ終わってないよ」
それに答えた加州は、まだ手入れ中の札がかかっている部屋へ視線を送った。
途端に石切丸の表情が曇る。
「様子を見に入っても大丈夫だと思うかい?」
そして、続けざまに問う。
それに対して加州は瞠目した。
 手入れ中の部屋への出入りは禁止されているわけではない。
ただ、男士によっては「無様な姿は見られたくない」などと矜持が高い輩も少なからず存在するのは確かだ。
「俺に聞かれてもねぇ……ま、あの人なら平気じゃない?」
加州は御手杵の性格を思い浮かべながら、半ば投げやりに言葉を返す。
きっと生真面目な返答が欲しいわけではないのだろうと、何となく思った。
「ありがとう」
それを聞いた石切丸は、安心した様子で微笑する。
加州はその顔を見て思わず苦笑してしまった。
どうやら、少し背中を押して欲しかっただけらしい。
手入れ部屋の引き戸に手をかけた石切丸の背中へ、加州はひらひらと小さく手を振った。
「はいはい、ごゆっくり~」

 

 手入れ部屋の中は不思議な空気に満ちている。
審神者の力によるものだろうか。温かくて何とも心地良い空間だ。
石切丸は静かに入室し、横たわる御手杵の側に腰を下ろした。
すると、
「……あんたの方が早かったのか」
目を閉じたまま、彼の唇が動く。
「あ、すまない。起こしてしまったかな」
石切丸が驚きを露わにすると、気怠げに両目が開かれた。
「気にすんな。うとうとしてただけだから」
そして、優しい言葉をかけた後に欠伸をする。
まだ完全に目が覚める程傷は癒えていないようだ。
 石切丸はここに来てしまった事を後悔した。
まさか、起きているとは思わなかったのだ。
眠っているのなら、ただ静かに添っていようと。
このまま無理に言葉を交え、手入れの妨げになりたくはない。
「まだ、もう少しかかりそうだね」
そんな気持ちが言葉と同時に彼の腰を浮かせようとする。
だが、

「来て早々、帰るのか?意外に薄情だなぁ」

冗談めいた口調の御手杵が、手首を掴んで制止をかけてきた。
全快ではない相手の手を振り払うことなどできず、石切丸は渋々立ち去るのを諦めるしかない。
「それは心外だよ。私は君の為を思って」
彼は溜息を吐きながら居ずまいを正したが、不満はつい唇から滑ってしまった。
「あんたが言いたいことは分かってるって」
視界に入った時からずっと浮かない顔をしている。
そんな石切丸の心内を察することは簡単だった。
「俺が寝入ったら好きにすればいいさ」
御手杵は軽い調子でそう言ったが、無意識に掴んでいる手に力が籠もる。
(……あ)
石切丸は、思わず視線を下げた。
その強い拘束は、まるで『行くな』と言っているように感じられた。

「……君の手、握っていてもいいかな?」

 言葉はごく自然に発せられた。
御手杵にとってそれは意外なものだったらしく、目を丸くして固まってしまう。
「え?あぁ~、うん、いいんじゃないかぁ?」
数拍の後、ようやく返した言葉はどこかおかしげでぎこちない。
「……って、俺の方が掴んだままか。悪い」
その上、間が悪いことに無意識だった自分の行動を自覚してしまった。
思わず空いている方の手で顔を覆い、大きく息を吐く。
同時に、するりと拘束が解けた。
「わ、悪くないよ!ほ、ほら、触れていると温かいから眠くなるかもしれないし」
だが、途端に石切丸から声が上がった。
互いの熱が離れたのはほんの一瞬。
今度は彼の方が御手杵を捉える。
言葉通りの形で。

 二人は顔を見合わせた。
少しの沈黙の後、どちらともせず笑みが漏れる。
「確かに、あんたの体温高そうだもんなぁ」
御手杵が不意に小さな欠伸をした。
「ふふっ、効果があると良いのだけど」
そんな彼の様子を見て、石切丸は目を細める。
どうやら手入れの妨げにならずに済みそうだ。
 その後、他愛もない会話を重ねている間に御手杵は再び眠りの底に落ちていった。
聞こえてこなくなった声に寂しさを覚えつつも、安堵した表情で彼を見つめる石切丸の瞳は優しい。
「『好きにしていい』って言ってたから、好きにさせてもらうよ」
先ほど御手杵がが発した言葉を思い出し、石切丸は繋がれている手に目をやった。
次に彼が目を覚ますのは、完全に手入れが終わった時だろう。
それなら、このまま触れた温もりを甘受していたい。

 緩やかで安らいだ空気の中繋がれた手は、御手杵の傷が癒えるまで離れる事はなかった。

 

2017.7.3

error: Content is protected !!