可愛い子らが逃げないように

 新緑で彩られた木々の隙間から陽光が顔を覗かせる。
心地良い川のせせらぎが静かな森に清涼感を与えていた。
どうやら人が出入りしている形跡もなく、ここは自然の領域だ。
「ま、こっちは問題ないんじゃない?」
先頭を歩いている加州が辺りを見回しながら口を開いた。
「そうだねぇ。主が危惧していたのは城下の方だから、潜むにしても適切な場所とは思えないかな」
隊長である加州の隣には青江の姿がある。
彼は視線を巡らせるというよりも気配を探っていて、動作自体は大人しい。
刀種や性格によっても警戒の仕方は様々なようだ。
だが、

「あ、見て下さい。あの木、ツタがぐるぐる巻いていて面白いですよ!」
「本当だ。随分と高い所まで伸びているね」

 二人の後方から、楽しげな声とのんびりした声が聞こえてきた。
小柄な少年の空を模した瞳が、興味津々で木を見上げている。
傍らにいる大太刀もそれにならって同じ動きをしていた。
「どうやらお楽しみのようだね」
「……緊張感なさすぎじゃない?」
まるで散歩でもしているかのような雰囲気だ。
青江は肩を竦め、加州は溜息を吐く。
「さっきまで戦ってたよ……ね?」
つい先刻、小規模ではあったが敵との接触があった。
遠征任務とはいえ白刃戦になる可能性はゼロでなく、彼らは突発的な交戦を余儀なくされた。
しかし、そこは熟練の顔ぶれ。
誰一人負傷することもなく、早々に敵部隊を殲滅させた。
「肩慣らしにもならなかったけど」
「あの二人、戦闘中との差がありすぎだよね」
加州が同意を求めると、青江は少し考え込んだ後に目元を緩めた。
「秋田はいつでも気配に敏感さ。僕よりもずっと。石切丸はね……それがいいんだよ」
「あー、はいはい」
楽しげに秋田と喋っている石切丸を見つめる瞳は優しげだ。
けれど、その中に混じった隠そうともしない好意を察し、加州は投げやりに応じた。
さり気なく惚気てくるのは勘弁願いたいところだった。

 

 当初はこの森に入る予定はなかった。
しかし、城下へ向かう途中に敵と遭遇したことで、加州が念のため周囲の様子を見ようと提案して今に至る。
蓋を開けてみれば森は平穏そのもので、結局は散策しているだけのような状態になってしまっていた。
「ふぁ~」
流石に隊長である彼も少し気が緩んでしまい、小さな欠伸が出てしまう。
そんな中、
「あっ」
秋田が急に声を跳ね上げた。
歩く位置取りに変化はなく、先を行く二人が振り返る。
「どうしたんだい?」
青江がやや声を低めて問いかける。
真っ先に異変を察知するであろう少年の反応が仲間たちを緊張させる。
しかし、秋田はなぜか石切丸の方をジッと見つめていた。
「あ、秋田さん……?」
彼は不穏さとは正反対の嬉々とした表情をしている。
石切丸は無意識に首を傾げようとしたが、
「あ、動かないで下さい!逃げちゃいます!」
「えっ、あ、ああ」
突然の制止がかかって反射的に動きを止めた。
「秋田、どうしたの?」
どうやら敵の気配を感じたわけではなさそうだと、加州が柔らかく尋ねる。
すると、秋田は目を輝かせながら石切丸の頭を指差した。
「ほら、石切丸さんの烏帽子に蝶が止まってます」
予想だにしていなかった言葉に、三人は一瞬言葉を失ってしまった。
「ちょっ、秋田ってば……!」
呆気にとられる中、最初に加州が吹き出した。
笑いを堪えながら烏帽子を見ると、確かに蝶が一匹止まっている。
「おやおや、確かに可愛らしいねぇ」
青江は顎に手を当てて興味深げに眺めやっている。
「そ、そうなのかい?……どんな子かな?」
石切丸は何となく目だけを上に向けた。
少し困惑気味の中、どこか暢気な疑問が浮かんでしまう。
「青くて、ちょっと白くて……あ、緑も」
秋田はそれに答えるべく、石切丸の側で一生懸命背伸びをして蝶を観察した。
「う~ん」
けれど、見たままを上手く表現できずに眉を寄せてしまう。
「なるほど。全体的には青い蝶ということだね」
「青なんですけど……」
石切丸が助け船を出してくれたが、どうにもしっくりこないようだ。
秋田は悩んでしまったが、ふと同じような青い装束に身を包んだ仲間を目に留めてパッと顔を輝かせた。
「そうです!青江さんみたいな色の蝶です!」
「えっ」
無邪気な口から発せられた言葉が意外すぎて、石切丸は目を丸くした。
(こ、困ったな。急にそんなことを言われると……)
青江を慕っている彼にとっては、その装束も髪もそれらの色合いも『好き』の一部だ。
心拍数が跳ね上がり、胸の中が忙しなくなる。
ちらりと青江の様子を覗うと、彼は意地悪げな顔で唇に笑みを浮かべていた。

「青江~、今めちゃくちゃ楽しいんじゃないの?」
加州はほのぼのとした短刀と大太刀のやり取りを眺めつつ、隣にいる脇差の青年に声を投げる。
「今が任務中だって忘れてしまいそうなくらいにはね」
「だろうねー。取りあえず忘れない程度によろしく」
喉の奥で笑いながらの言葉はどこまでが軽口なのだろう?
加州はそんな風に思いながら、隊長としてやんわりと釘を刺した。

 蝶は小休止を終え、優雅に飛び立っていった。
それを見送った一行は再び歩き出す。
「僕、あの蝶は初めて見ました。綺麗でしたね!」
「そ、そうだね」
純粋な秋田の言動に対し、石切丸は何とか笑顔を取り繕った。
(こ、これは……居たたまれない)
少し先を行く青江に目をやれば、白装束を揺らめかしながら歩いている。
加州と言葉を交わしているのか、こちらを振り返ろうとする気配は感じられない。
そのことに石切丸はホッとした。
平時であれば真っ先にからかってきそうな状況だが、彼はただ笑みを浮かべるだけだった。
任務中だからという線引きがあったのかもしれない。
(そうそう、これは遊びではないからね。私も落ち着かないと)
一人で動揺しているのは流石に恥ずかしい。
石切丸はそう自分に言い聞かせ、深呼吸をした。

 

 しばらく木々の中を歩いた一行は、ようやく森の出口へ差し掛かった。
開けた視界の先にうっすらと城下町らしき外観が現れる。
「んー、あれかな」
加州は懐から地図を取り出して方角や距離を確認する。
「まだもう少しかかりそうだね」
それを横から覗き込んだ青江が一人頷いた。
「だったら、本格的に動く前に腹ごしらえといかないかい?」
「賛成です!僕もお腹が空いてきました」
すると、石切丸がそう提案をして秋田が元気よく手を上げた。
「はぁ、まったくあんたらはーって言いたいとこだけど……」
小柄な短刀と大柄な大太刀がそろってニコニコとしている。
「今しか食う時間なさそうだしね。は~い、休憩するよ~」
加州はそんな二人に苦笑しつつ、今後の時間配分も考えてそれを了承した。

 今日の厨房当番の面々が用意してくれたおにぎりは、形や大きさも様々で個性的だった。
一人分ずつ包まれてはいるが、分量はまちまちだ。
「石切丸さん、おにぎり交換しませんか?僕のは大きいのばかりなのに、そちらのは小さいのばかりです」
秋田は隣に座っている大太刀の包みを見て心配げな顔をした。
「そんなこと気にしなくても良いよ。私はこれで十分だから」
そんな優しさに石切丸の胸が温かくなる。
「ダメです。石切丸さんは大きいから、途中でお腹が空いちゃいますよ」
「ははっ、そうかい?じゃあ、一つだけ交換してもらおうかな」
「はい!」
なんとも仲睦まじい光景だ。
彼らと対面する形で座っている加州と青江も、これには自然と頬が緩んでしまった。
「なんか気が抜けちゃうな~、もう」
「僕には目の保養かな……いや、目の毒かな?悩ましいねぇ」
おにぎりを頬張っている加州の横で、青江は意味深げなことを口にする。
先ほどの蝶の一件からこの方、機嫌が良いようだ。
金色の瞳が密かに愛おしげな顔をして、石切丸の仕草を追いかける。
(──おや?)
その途中、若草色の装束の傍らで小さな影が動いた。
ふわふわとした尻尾が揺れている。
「っ、ふふっ……石切丸、可愛い子が君と遊びたがっているみたいだよ」
「可愛い子?」
「ほら、すぐ側に」
青江が笑いを堪えながら指をさすと、小さな影が石切丸の膝の上に駆け上がってきた。
「うわ!?」
驚いた声の主をつぶらな黒い瞳が見上げている。
「あ、リスさんですね!可愛いなぁ~」
すぐに秋田が反応し、好奇心でいっぱいの瞳で小動物を覗き込んだ。
茶色い毛並みのリスは人の姿をした彼らを警戒してる様子もなく、膝の上から逃げようともしない。
「蝶の次はリスね……石切丸って動物とか寄ってきちゃうタイプなんだ」
加州はおにぎりを頬張るのを止め、思わず身を乗り出してそれに見入ってしまった。
「う~ん……食べ物に釣られてきただけじゃないかな?この子は」
リスは石切丸の身体を遊び場所にしているのか、腕や肩の辺りを忙しなく動き回っている。
「でも、俺たちの方には来ないよね」
「そうですね。やっぱり石切丸さんが好きなんですね」
加州と秋田は愛らしい小動物の動きにすっかり目を奪われている。
そんな中、青江は遠巻きに彼らを眺めやっていた。
すでに食事を終え、いつでも出立できる状態だ。
「青江さん。この子どうにかならないかな?落ち着いて食べられないよ」
石切丸は一人冷静な脇差の青年に助けを求めた。
心底追い出したいわけではないが、これではいつまで経っても休憩が終わらない。
「どうにかねぇ。だったら僕が近寄ればいいのかな?」
「ん?どうしてだい?」
それに対して青江は疑問符で切り返してきた。
「僕は可愛い子たちには好かれないからね。寄ってくるより逃げられるのが常さ」
口調は軽妙だったが、さっきまでは柔らかかった笑みに微かな影が差し込んだ。
「……青江さん」
その表情の機微に気づいた石切丸は憂いを滲ませる。
「まぁ、取りあえず頑張って食べることだね。森からは離れたがらないだろうから、僕たちがこの場から立ち去れば追ってこないよ」
青江は仲間たちに向かって飄々とそう言った。
 結局、彼の言葉は正しかった。
何とか食事を終えた一行がその場を後にしようとすると、愛らしい小動物は軽快な足取りで森の中へと帰っていった。
名残惜しげに森を振り返る加州と秋田とは逆に、青江は城下町の方角へと足を向ける。
「青江さん、待ってくれ」
それを呼び止め、石切丸が駆け寄ってきた。
「あんな言い方……私は聞きたくないよ」
「本当のことを言っただけさ。大抵の動物は僕を怖がる」
泣きそうな顔をした彼を見上げ、青江は少し背伸びをしてその頬をひと撫でした。
「あぁ、でも、君が彼らに好かれるのは微笑ましいかぎりだよ」

 その後、遠征任務は滞りなく終えることができた。
城下には不穏な予兆もなく、刀を交える事態にはならなかった。
森の中を進んだのは予定外だったが、「主にちょっとした土産話ができた」と隊長の加州は満足げだった。
 

 

 無事に帰還を果たしたその日の夜。
石切丸は自室へ戻る廊下の途中で、ふと足を止めた。
(……?)
何かの気配を感じて振り返る。
「おや、君は青江さんの」
暗がりの中、ぼんやりと白く浮かんでいたのは女の幽霊だった。
彼は驚くこともなく、気さくに笑いかけた。
「こうして対面するのは初めてだね」
戦闘中には何度も姿を現しているが、本丸内で見かけた記憶はない。
以前、興味本位で青江に尋ねたことがあったが、
「彼女は恥ずかしがり屋でね」
と戯けた言葉で誤魔化されてしまった。
結局それ以上の追求は不躾だと思い、彼女が姿を現すのは必要最低限なのだという認識に落ち着いた。
「どうしたんだい?私に用かな?」
石切丸はそう問うと、女の幽霊はふわりと身体を揺らした。
「何か言いたそうだね」
そう察した彼は白い霊体をジッと見つめ、喋れない彼女の心情を推し量る。
そこにどこか悲しげな雰囲気を感じ取り、ふとあることに思い当たった。
「あ、もしかして今日の遠征のことかい?」
すると、女の幽霊は小さく頷いた。
「そうか、君は自分の存在が動物たちを怖がらせていると?」
また一つ頷く。
それを見た石切丸は静かに目を閉じた。
(確かにその影響はあるかもしれないけれど……)
本当は『違う』と言ってあげたかったが、悩んでいる彼女に不誠実な返答は失礼だろうとも思った。
両目を開き、真っ直ぐに幽霊へと視線を向ける。
「例えそうだとしても、青江さんは君のせいだなんて言わないよ。彼は君の存在も全て引っくるめて自分のことだって思ってる」
けれど、白い影はまだ不安げに揺らめいている。
「大丈夫。私が一緒にいるよ」
石切丸はそんな彼女へ穏やかな笑みを向けた。
「もし逃げられてしまっても、きっと戻ってくるよ。私には可愛い子らが寄ってきやすいみたいだからね」
少し茶目っ気を含んだ言葉を口にすると、女の幽霊は微かに頬を緩めて安心したかのように消えていった。

 

 数日後。
のどかな昼下がりの時間帯。
石切丸は縁側に座って中庭の木を見上げていた。
枝には数羽の鳥たちが止まっていて賑やかに囀っている。
「何を話しているのかな?」
彼はそこに投げかけるわけでもなく呟いたが、ふと鳥たちの動きが止まった。
それから小首を傾げて縁側に佇む人の姿を見やり、一斉に彼の足元へと降りてくる。
「おや、私も仲間に入れてくれるのかい?」
石切丸が声を弾ませて鳥たちを覗き込むと、返事のつもりか小さく鳴いてくれた。
「ありがとう。お礼におやつでも……あっ」
彼はそう言いかけてから申し訳なさそうな顔をした。
生憎と今は食べ物を持ち合わせていない。
(はぁ、何か持ち歩いていれば良かったな)
そんな風に思った矢先。
縁側の方へ向かってくる足音が聞こえてきた。
顔を向けると、そこには見慣れた姿があって思わず顔が綻んだ。
脇差の青年がゆったりとした足取りで近づいてくる。
「青江さん、丁度良いところに……」
だが、声をかけた瞬間。

──バサバサッ!

鳥たちが大きな音を立てて羽ばたいた。
羽毛を舞い散らせて飛び去っていく様子は、石切丸を呆然とさせる。
「怖がらせてしまったかな。お楽しみの所を邪魔してしまってごめんよ」
不意にすぐ近くから声が聞こえ、ハッと我に返った。
いつの間にか青江が傍らに腰を下ろしていた。
組んだ足に片肘を下ろし、屈んだ体勢で地面の一点を見つめている。
石切丸にはその姿が寂しそうに映り、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
「青江さん」
無意識に彼の衣服の袖を掴んでしまう。
「私は逃げないから大丈夫だよ。いつも君の側に居るよ」
「どうしたんだい?急に」
そんな石切丸の言動を青江は訝しむ。
鳥や獣がこの身を怖がるのは本能だ。
彼は自分の性質を理解しているし、それが当たり前でいちいち傷心したりはしない。
「だって君、寂しそうな顔をしてる」
しかし、石切丸の指摘を受けて金色の瞳が瞠目した。
ふと、先日の遠征任務を思い出す。
あの時も同じように見えたのだろうか?
だから「聞きたくない」と彼は言ったのだろうか?
青江は完全に無自覚だった。
冷静さの中にそんな感情を滲ませてしまっていたということに。
(……失言だったかな?)
無言のまま視線が交わり続け、石切丸は少しだけ不安になった。
「だ、だからね。私が一緒に居るからね」
それを振り払おうと声を上げる。
「君から逃げてしまった子たちが、もしかしたら私の方に来てくれるかもしれないし」
一生懸命になったせいか普段よりも早口になり、これには青江も苦笑してしまう。
短絡的だが随分と可愛らしい思考回路だと思った。
「残念だけど、また逃げられての繰り返しじゃないかい?」
「うっ、そ、それは考えてなかった……でも、きっと大丈夫だよ!」
意地悪げに問えば、根拠もないのに力強い返事。
けれども、不思議とそれは青江の心にじんわりと染み渡った。
温かくて安心できて心地良い。
「そんなに言うなら信じてみようかな」
その言葉をくれた唇に惹かれて、青江は吸い寄せられるように口づけをした。
「……っ!あ、青江さん!?」
唐突に距離を詰められ、石切丸は顔を赤らめて困惑状態になる。
「君は逃げないんだろう?」
「そ、それは……」
彼が発した言葉は都合良く解釈されて、退路を断つ道具にすり替わった。
こんな時の主導権はいつだって青江の方にある。
次第に執拗さを増していく口内の愛撫に抗いきれず、受け止めて応えることに精一杯になってしまった。

 熱に浮かされる中で鳥たちの囀りが聞こえた。
潤んでぼやけた視界が、木の枝に並んで止まっている姿を捉える。
数も種類も寸分違わなかった。
「ほら……やっぱり大丈夫」
それは先ほど飛び去ってしまったあの子たちだと、石切丸はそう確信していた。

 

2020.05.05

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