お祝いしますか?しませんか?

 落ち着いた雰囲気の店内には客が数人。
それぞれの席で思い思いの時間を過ごしている。
この店の主であるベルモッティにとっては、皆が馴染みの顔だ。
壁の時計を見れば、夜も大分回った時間になっている。
これから来店してくる客はほぼいないだろう。
そう思った矢先、出入口のドアがベルの音を響かせた。
彼は入ってきた男を見て少しばかり驚き、声のトーンを上げる。
「あら、ヴァンちゃんじゃないの。珍しいわね、こんな時間に」
「ちょいとばかし降られちまってよ。まぁ、通り雨だろうけどな」
小さく振った頭からは水滴が飛び散ったが、大した量ではない。
上着も肩を払えば問題ない程度だった。
「それは大変。今、タオルを持ってくるわね」
「あー、気にすんなって」
雨に降られたことについて、本人はさして気にも留めていないようだ。
慌てて店の奥へ消えていく店主に声をかけ、カウンター席に腰を下ろす。
ガラス越しに外の様子を覗えば、街灯の明かりに落ちる雨粒は当初よりも幾分か少なくなっていた。
「はい、ちゃんと拭きなさいよ。上着は大丈夫なの?」
奥から戻って来たベルモッティは、雨宿りに訪れた客を気遣う。
「問題ねぇ。それより悪かったな。そろそろ閉店だろ」
手渡されたタオルで無造作に髪を拭いたヴァンが、申し訳なさそうな顔をした。
「まだ一時間もあるわ。でも、あたしとヴァンちゃんの仲だもの。閉店後だってOKよ」
それに対し、彼は口元で人差し指を立て、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせた。

 今夜は特にこれが飲みたいといった気分ではなかった。
そんな時は、客の好みを熟知している彼に任せてしまうのが常だ。
カウンター越しに何気ない雑談を交わし、グラスに口を付ける。
ベルモッティ曰く、同時に出されたチョコレートは、新進気鋭のショコラティエによる一品らしい。
それに合わせたカクテルとのことで、相性は抜群だった。さすがはプロの技量である。
思いがけず至福のひとときを手に入れたヴァンは、心の中で通り雨に感謝した。

「そう言えば、アーロンちゃんは一緒じゃないの?」

 しかし、いきなり予想だにしなかった話題を振られて怪訝な顔をする。
「は?あいつなら今夜も遊び歩いてんだろ。なんだよ、急に」
なぜそんなことを聞かれるのか分からない、とでも言いたげだ。
「もうっ、ダメねぇ~。ヴァンちゃんを一人でフラフラさせてるなんて」
「いや、そこまであいつとつるんでねぇし」
ベルモッティは丁寧にグラスを磨きながら、どこか楽しそうに口を弾ませた。
「連絡しちゃおうかしら。酔い潰れてるとでも言えば、絶対迎えに来るわよね」
「だから、さっきから何言って……」
会話をしているはずが、一人だけ盛り上がっている。
何か嫌な予感がしてベルモッティを見上げると、意地悪げな瞳とぶつかった。
「あたしの目は誤魔化せないわよ?」
「なっ……!?」
そこでヴァンは完全に把握した。彼が言わんとしていることを。
何度か口を開閉させながら、カウンター越しの店主を凝視する。
「マジ……かよ」
さっきまでの幸福感はどこへやら。
片肘をテーブルに付き、額に手を当てて項垂れる。
「彼、攻めまくりだったものねぇ。いつ押し切られちゃうのかしらって楽しみだったのよ」
「……勝手に楽しむんじゃねぇ。っつーか、なんで気づきやがった?」
ぐったりとしてしまったヴァンは、なんとか掠れた声を絞り出す。
別にアーロンとの関係を隠したいとは思っていない。
しかし、だからといって人前であからさまな言動をしたいわけでもなく、表面上は今までと変わらずに接してるつもりだ。
「そうねぇ。少し前に仕事がらみで一緒にここへ来たじゃない?」
ベルモッティはグラスを磨いていた手を止め、宙を見上げてその時のことを思い出す。
「貴方たちのやり取りを見ていたらすぐに分かったわよ」
職業柄か様々な人を相手にしている彼は、対人関係の微妙な変化を察することが上手い。
色恋の類いともなれば、かなりの精度だ。
「それに……」
ひとつ。鮮明な記憶が浮かび、肩を震わせて可笑しそうに笑った。
「いつもはあたしがヴァンちゃんをからかうと、すぐに茶々入れてくるでしょ。でも、あの時は全然なかったのよね」
やけに静かだったアーロンは、慣れたじゃれ合いを前に口元だけを緩めていた。
眇めた金彩だけは無言の威嚇で牙立てながら。
「あれは、『俺のもんで遊ぶんじゃねぇよ』って顔してたわ~。ゾクゾクしちゃったわよ」
「あのバカが。好戦的すぎんだろ」
それまでは黙って一連の話を聞いていたヴァンが、ようやく顔を上げた。
ガシガシと片手で頭を掻き、グラスに残っていたカクテルを一気にあおる。
心なしか顔が赤いのは、アルコールのせいだけではなさそうだった。
「……はぁ」
彼は深く大きく息を吐き、少しでも平静を取り戻そうと苦慮をしている。
だが、そこへ無慈悲で楽しげな追い打ちがかかった。
「──で、もう食べられちゃったの?」
身を屈めたベルモッティがわざとらしく囁きかけてくる。
「そんなわけあるかっ!」
ヴァンは反射的に腰を浮かせて声を荒げたが、すぐにハッとして店内を見回した。
さすがに大声はまずい。
しかし、店に入った時に居たはずの客たちは消えていて、いつの間にか一人になっていた。
「やぁねぇ~。貴方が幸せそうにしてる間に帰ったわよ」
さっきから落ち着きのない言動ばかりで、噛み殺しても笑みが零れ落ちそうになる。
今夜最後の客は、本当にからかいがいのある男だ。
「そう……だっけか?」
ヴァンとて、馴染みの店に迷惑をかけるのは本意ではない。
それを聞いた彼はホッと胸を撫で下ろし、いそいそと椅子に座り直した。
「それにしても、意外だわ。アーロンちゃんならすぐに手を出すと思ったのに」
すると、話題を引き戻したベルモッティが、言葉通りの表情で小さく首を傾けた。
「それだけ大事ってことかしら?可愛いわね」
「……あのなぁ。あいつがそんなタマかよ」
空になったグラスを見つめた男は、頬杖をつきながら仏頂面でぼそりと呟いた。

 雨宿りのつもりだったが、つい長居をしてしまった。
時計を見れば、閉店時間はとうに過ぎている。
おもむろに席を立ったヴァンへ、ベルモッティは優しく目元を緩ませた。
「今度はアーロンちゃんも連れてきてちょうだいね」
「はぁ?ガラでもねぇ」
照れ隠しのつもりか、彼はすぐに背を向けてドアへと歩き出した。
「一緒に来てくれたら、二人のカクテル作ってお祝いしてあげるわ」
ベルモッティは、そんな後ろ姿に向かって柔らかな言葉を投げかける。
返事はなく、ただベルの音だけが静かな店内に響き渡った。

 

 綺麗に整理された本棚からファイルを取り出し、ぺらぺらと書類を捲る。
ヴァンは文字の羅列を目で追いながらも、どこか気が散ってしまっていることを自覚していた。
昨夜、雨宿りをした時のやり取りが頭から離れない。
ベルモッティの眼力には納得なのだが、問題はアーロンの方だった。
(顔に出ちまうのは仕方ねぇが、まさか……言い触らしてるとか?)
何かと開けっぴろげな彼のこと、つい不安が首をもたげてしまう。
「おい、アーロン」
その気持ちが払拭できず、振り返って声をかけてみる。
赤毛の青年はソファーに身を沈め、ザイファを弄っていた。
「あぁ?なんだよ」
かったるそうな返事が事務所の主に向けられる。
「お前……俺たちのこと、周りに言ってねぇよな?」
逡巡してから発せられたそれに、アーロンは顔を顰めた。
「言うわけねぇだろうが、面倒くせぇ。大体──」
吐き捨てるように言葉を連ねたが、ふと途中で口を噤む。
(その必要もないくらいにバレまくりだって、気づいてねぇのか?こいつ)
目を泳がせているヴァンをまじまじと見やり、呆れ気味で溜息を吐く。
そんなアーロンの耳が、階段を上ってくる足音と華やかな笑い声を捉えた。
覚えのある気配に自然と不敵な笑みが浮かぶ。
(それなら、すぐにでも分からせてやるか)
彼はザイファをポケットにしまい、悠然と立ち上がって恋人の元へ歩み寄った。
強引に胸ぐらを掴んで顔を引き寄せた時、ドアの前までやって来た足音が止まった。
「あんた、自分のことには鈍すぎなんじゃねぇの?」
軽やかなノックの音が数回。それと同時に二人の唇が重なる。

「久しぶりに息抜きに来てやったわよ~」
「ジュディスさんってば、活き活きしてますね」

 事務所のドアが開いた瞬間、その場の空気が固まった。
だが、それも一時。
半眼じみたジュディスの叫びが室内に響き渡った。
「あんたたち!何見せつけてくれてんのよ!絶対わざとでしょ、それ!」
「羨ましいなら、さっさと相手を作ればいいだろ?」
ビシッと指をさして目を吊り上げる女と、それを煽る男の構図は危なっかしい。
「もう……アーロンさん、驚かせないで下さい」
しかし、彼女と共にやってきたアニエスは僅かに息を呑んだだけだった。開けっぱなしのドアを静かに閉める。
ヴァンはそんな三人を呆然と見つめていた。
キスから解放された唇は半開きのまま、上手い具合に動かせない。
「お、お前ら……」
「なによ、固まっちゃってんの?」
それに気づいたジュディスが訝しげに目を細めると、すかさずアーロンが応じた。
「しょうがねぇだろ。このオッサン、周囲にバレてんの気づいてなかったんだからよ」
その言葉に女性二人の目が点になり、数拍の沈黙。
再び、ジュディスの声が部屋の空気を震わせた。
「はぁぁぁー!?あり得ないんだけど!どんだけバレバレだったと思ってんのよ!」
「そ、そうだったんですか?お二人とも恋人同士の雰囲気出てましたけど」
対照的な反応だが根は同じ、奇異の眼差しを向けられたヴァンは額に嫌な汗が滲むのを感じた。
「だってよ。良かったな、ヴァン。すっかり公認だぜ?」
至近距離にいるアーロンは胸ぐらを掴んだ手を離さず、見せつけるように喉の奥で笑いながら囁いてくる。
「お、おい。全然、良くねぇ……だろ」
ようやく言葉らしきものを紡ぎ始めた男は、動揺の色を隠せなかった。
「そんなことないですよ。みんなでお祝いしてあげようなんて話も出ているくらいですから」
「どっからだよ。嫌がらせにしか思えねぇ」
嬉しそうな顔をしているアニエスには何とか突っ込みを入れつつ、今度は恋人を引き剥がそうと試みる。
まずは片手だけでも空けようと思い、広げたままのファイルを閉じた途端。
今度はジュディスが、急に何かを思い出して口を開いた。
「あ、そう言えば。ベルガルドさんがここを離れる時、気にしてたわよ。『あやつらはどうにかならんのか』って」

──ドサッ!

 その語尾にファイルの落下音が続いた。
「な、なんで師父まで……っ」
昨夜から続いているこの一件の中で、今の言葉が一番衝撃的だった。
足元にばらけてしまった書類も目に入らない。
隙あらば攻め落とす機会を覗っていたアーロンはさておき、自分の彼に対する感情を見破られていた事実に羞恥が募る。
そんなヴァンをよそに、赤毛の青年はとんでもないことを言い放った。
「そりゃぁ、大変だ。今からでも報告してやろうぜ」
あっさりと恋人から身体を離し、ポケットの中からザイファを取り出す仕草はやたらと生き生きしている。
「ちょっ……何言ってんだよ、てめぇは!」
これにはヴァンも即座に反応を示した。
素早く伸ばした手でアーロンの肩口を掴み、強引に動きを止めようとする。
焦りを露わに見下ろせば、ふてぶてしい表情を返された。
「弟子が師匠を心配させるってのはどうなんだよ?」
「うるせぇ!」
ほんの少しだけ絡んだ勝ち気な瞳が笑い、冗談とも本気ともつかない。
危機感が最高潮に達したヴァンは、ついに我を失った。
「ダメだからな!絶対やらせねぇからな!!」
彼は形振り構わずに声を荒げ、あろうことか勢いよく相手の首筋にしがみついた。
巻かれた両腕の力は強く、さすがのアーロンも端末の操作を断念してしまう。
「あ〜っ、うぜぇなぁ……」
彼は鬱陶しげな色を醸した息を口から吐き出した。
「興が削がれちまった」
しかし、態度とは裏腹。まるで宥めるようにヴァンの髪を片手で掻き混ぜる。
その動きは雑であってもどことなく柔らかい。
それはジュディスとアニエスの目からも明らかだった。
当人たちは無意識なのかもしれないが、完全に恋人の体を成している。
「……余計なこと言ったわ」
「えっと、でも……ベルガルドさんなら間違いなく祝福してくれますよね」
ジュディスはこめかみを揉みながら自らの失言を後悔し、そんな彼女を慮ったアニエスがさり気なくフォローを入れた。

 何とも言えない空気が事務所に流れる中、再び階段の方から複数人の足音が聞こえてきた。明るい声と温和な声と淑やかな声が、楽しげに交わっている。
「あっ、ジュディスさん。フェリちゃんたちが来たみたいです」
「もう……なんなのよ、このタイミングで勢揃いだなんて」
二人はそれらが誰なのかをすぐに察した。
「リゼットはともかくとしても……はぁ~」
ジュディスは目の前で密着している男たちをチラリと見やり、更に頭が痛くなっていくのを感じた。
一応、ここは事務所であり仕事をする場所である。
まだ年若いフェリとカトルにこの状態を見せるのは、さすがにどうかと思ってしまった。

 元気なノックの音が数回。
それと同時にジュディスの叱声が轟いた。

 

2022.06.11

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